第741話 『真白き富士の嶺(七里ヶ浜の哀歌)』 インガルス
1910年1月23日、七里ヶ浜沖合いで、逗子開成中学のボートが転覆する事故が起こり、乗っていた12人が亡くなりました。
古いお話のようですが、ここから、やましんが生まれるまでは、半世紀もないのです。
このお歌は、2月6日の追悼式で鎌倉女学校の生徒たちなどにより、歌われた曲で、作詞は同校の教師だった、三角錫子さま。
やましんの楽譜にも(『唱歌 明治大正昭和』 野ばら社 1994年)、昔から言われていた、ガードン作曲、とされていますが、このお名前の方は、まったく存在が確認できなかったらしいですが、手代木俊一さまという方の研究により、アメリカ合衆国の、ジェレマイア・インガルスという方の作品『Love Divine』が、もと曲とされたよし。
どういう経緯で、この旋律を使うことになったのかとか、詳しい事情は、やましんには、わかりません。
しかし、大正時代になり、いわゆる、演歌師さまにより歌われて、たいへん、有名になったようです。
演歌師さまのイメージといいますと、大道において、ヴァイオリンを弾きながら歌うというのが、やましんの意識には強くありますが、ヴァイオリンだけだったわけではないわけで、子供時代に、テレビあたりで見たのが、印象的だったと、いうわけです。
『金色夜叉』があまりに、有名。
〽️熱海の海岸散歩するう〰️〰️〰️。………
あれですな。
やましんの手元の楽譜には、6番までの歌詞が載っておりますが、これが、やはり、時代でありまして、なかなか、難しい言葉が使われています。
むかしの中学生は、偉かったのかな。
ときに、楽譜を見ますと、ヘ長調なんですが、音階的には、いわゆる、よなぬき音階であります。
この曲、実は、イギリスに起源があるのでは、とも、言われるようで、日本の唱歌には、同様の起源があり、5音音階が使われる(つまり、よなぬき。)お歌が、かなり、ありました。
『故郷の空』とか、『蛍の光』とか、『アニー・ローリー』とか、たくさん。
明治政府の、音楽取調掛で、伊澤修二(1851~1917)さまなどが中心に、そうした作品を集めたらしきお話を、むかしむかし、読んだのですが、伊澤さまは、アメリカ合衆国に、留学していたので(1875~1878)、なにか、関係があるのかしらあ〰️〰️?
いずれ、日本人好みの旋律であります。
なお、生徒さんたちは、休日に無断で学校のボートを、使ったのだとか。
同じ経営母体だった鎌倉女学院は、補償費用のため、所有地の売却を余儀なくされたなど、なかなか、大きな影響があったらしい。
たくさんの方が、お気の毒でありましたようですが、本人たちは、たいへん、苦しかったでありましょう。痛ましいことです。
・・・・・・・・・・うつ 🗻 うつ・・・・・・・・・
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