第734話 『バレエ プルチネルラ』 ストラヴィンスキー
長い人生ではありましたが、ストラヴィンスキー先生(1882~1971)は、途中、作風をガラッと変えてしまう、魔法使いのような大作曲家さまでした。
『春の祭典』を頂点とした『原始主義』で、世の中に旋風を巻き起こしのは、1913年。
その頃のパートナーだったディアギレフさまは、これからは、いささか古典的な題材が当たる!とみて、当時はペルゴレージさまの作品と見られていた未公開の楽譜をストラヴィンスキーさまに示して、新しいバレエを作る提案をなさったんだそうであります。
ただし、じつは、その後、ペルゴレージさまのものではないと判明しているんだとか。
ま、しかし、出来上がったのが、このバレエで、1920年5月15日に初演。
新古典主義と言われる作風に転換しました。
最初から、ちょっと、レスピーギ先生の『鳥』みたいな、大変に親しみやすい、『シンフォニア』から始まります。
ここが、大変に、癒し効果があります。(個人差あり。)
なんだか、頭から、もやもやが晴れて、すっきり。
これが、ト長調。
しかし、すぐに、ハ短調に転じて、じゅわじゅわいたします。
いやあ、いいなあ。
これが、あの、はるさい、のストラヴィンスキー先生かい?
と、びっくしぎょうてん。
しかし、ストラヴィ先生は、それで終わらない。
人生後半には、モダニズムに転じて、前衛的な作風に転換。
普通、モダニズムから、ネオロマン主義や、新古典的な方向にかじをとる作曲家さまのほうが多いとは思いますが、なんだか、逆かしら。
ストラヴィンスキー先生は、やましんが子ども時代には、まだ、ご健在の大作曲家さまでした。
その、メガネをちょっと持ち上げて周囲を見渡しているお写真が、なかなか、刺激的だったのですが、それは、いささか、ご高齢になってからのもの。
お若い時代の写真も、わりと、あるようです。
1959年に来日。
やましんのすぐそばに来ていたわけですが、まあ、それは、感慨に過ぎません。
最近でも、当時のことをご存じの音楽家さまから、思い出話がでることがあります。
指揮者としても活躍していました。
ご自分の作品なので、練習中にも、ちょっと変えてみたりもしたとか聞いたような。
そのつど、もっと、良くなるんだとか。
ストラヴィンスキー先生は、録音がたくさんありまして、ご自分の指揮やアドバイスのもとで録音されたCDで、大部分の作品を聴くことができます。
なお、ビートルズが来日したのは、1966年ですから、まだ先のこと。
これも、まあ、同じく、すぐそばに来ていたわけですが、やましんの両親は、ビートルズには関心なかったみたい。
ときに、プルチネルラさまは、プレイボーイのキャラクターですが、ストラヴィンスキー先生も、そういう側面はあったらしい。
・・・・・・・・・・うつ ♥️ 😵💨と♥️ うつ・・・・・・・・
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