第631話 『ピアノ三重奏曲第1番変ホ長調 作品1の1』 ベートーベン
手元にある作品リストによれば、ベー先生のピアノ三重奏のための作品は、13曲載っております。
で、この曲は、第2番、第3番とともに、1793年から95年にかけて作曲され、1795年には、出版されています。
22歳から24歳の、おとしごろ。(あまり、こうした使い方はしません。)
ウィーンに留学しに出発したのは、1792年のことで、11月10日に到着しておりまして、ハイドン先生に、師事することになりました。
しかし、あまり、ハイドン先生の元では満足した教えを受けられなかったらしいです。
ハイドン先生は、偉大な作曲家でしたが、あまり、作曲の先生向きではなかったらしいのと、指導よりは、自作の作曲が忙しかったようでもあります。
そこで、友人を通して、ヨハン・シェンク先生を紹介され、一年ほど、ハイドン先生には内緒で指導を受けたようで、この人は、非常に、丁寧に教えたようです。
しかし、ちょっと物足りなかったらしく、アルブレヒツベルガー先生に、教えを請います。
このかたは、作曲家で演奏家で、一流の理論家でもあり、あまり、個性的ではなかったらしいですが、厳格な教授をしたようで、なにごとも、基礎というものは、つまらなくても大切なことは、どんな、分野でも同様で、ベートーベンさんには、有益だったようです。
さらに、特に、イタリアものの関連は、あの、サリエリ先生になかり長い期間、不定期に習っていたようです。
現在は、映画の影響で、なんとなく悪役に回されていますが、サリエリ先生は、シューベルト先生も指導しており、なかなか、教師としては、得難い、重要なひとだったらしいです。
まあ、ベートーベン先生は、あまりに個性的で、音楽性では、先生方をしのいでしまいかねなかったかもしれませんが、理論というものは、ある意味普遍的なものですし。
比較してはだめかもしれませんが、野球でも、選手としては、そこそこの方が、指導者としては、たいへんに、優秀なこともありますでしょう?
まあ、相性というものも、ありますし。
で、片方で、ベートーベン先生を支えたのは、高い見識や、お金持ちの、貴族方です。
リヒノフスキー公は、屋敷のなかに部屋と、ピアノをベートーベンさんに与えたうえ、この三曲のピアノ三重奏曲の、出版の世話もしたようです。
第1番だから、と言って甘く見てはなりません。
そこは、ベートーベン先生のこと。
なかなか、魅力的なわけです。
4楽章構成です。
基本的には、明るい性格を持ちますから、『うつうつ』では、失礼かもしれませんが、第2楽章の、『アダージョ、カンタービレ』には、なかなか、泣かせてくださる場面があります。
若い時代から、ベー先生の音楽は、包含する内容が多様なわけです。
第1楽章の、力強い始まり方はもちろん、さらに、第2主題などは、これは、ベー先生の音楽ですなあ! と、すぐ、納得する旋律であります。
一方で、構成力が高く、むだがありません。
多少、ハイドン先生的なものも、ないことはないかしら。例えば第2楽章の終結あたり。
しかし、まだ、勉強中の若い音楽家ではあれ、音楽に見識のある貴族の方には、『こいつは、援助してやれば、近く、大物になりそうだな。』と、思わせて当然だったろな、と、思います。
ピアノは、すごく、上手いし。
ベートーベン先生でなければ、つまり、それなりの、作曲家さまならば、生涯最高の作品に、なっても、おかしくない曲。(モーツァルト先生や、ハイドン先生などは、別格の方々です。)
しかし、ベートーベン先生は、まだ、これは、始まりでありました。
・・・・・・・うつ
🌋 🌋 🌋 うつ ・・・・・・
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