第567話 『ヴァイオリン協奏曲第1番』 バルトーク
バルトーク先生は、超がつくような、大作曲家さまです。(1881~1945)
人生後半は、世の中がごたごたになるなか、研究活動の推進のために、1940年、アメリカにわたりましたが、かならずしも、あまり、うまくは行かなかった上に、体調を悪くしてしまい、さいごは、病没ということになりました。
白血病であったとのことで、現在でもなかなか治療が難しい場合がある(やましんの、あるおじさまは、助からなかったです。)くらいですから、当時はなおさら、だったでしょう。
あまり、人付き合いが得意ではなかったバルトーク先生ですが、音楽仲間からの援助があり、最後まで、作曲をいたしました。
天才ですからね、ある意味、無理矢理でも書いていただかないと、未来にとって、悲しいことになる、と、いうことが、あったかどうかはわかりませんが、うつぎみで、作曲する意欲がなくなっていた、バルトーク先生を、フリッツ・ライナーさまや、セルゲ・クーセヴィツキーさまなどが、支援したようでありまして、『管弦楽のための協奏曲』などは、ものすごいスピードで完成されたようです。
クーセヴィツキーさまが、依頼し、お金の工面をしなければ、この、傑作はなかったかも。
さて、『ヴァイオリン協奏曲第1番』は、その、大分前のお話しになります。
1907年あたりから、1908年に書かれた協奏曲であります。
シュテフィ・ゲイエルさまといいます、たいへんな、美人ヴァイオリン奏者さまに、捧げられましたが、なぜか、彼女は演奏しなかったとのことで、お蔵入りにしてしまったようです。
なので、この世に現れたのは、やましんが生まれたあとのことでありまし。
初演は、1958年5月30日。
楽章は、ふたつ。
第1楽章は、ソロ・バイオリンが、わが道を進むなか、オケのがっきが、しだいにまとわりついてゆく。
いっけん、とっつきにくそうですが、じっくり聞きますと、なかなか、じゅわじゅわじゅわなのであります。
現代音楽的な、さ迷える旋律線は、しかし、よく聞くと、ハンガリーの伝統的な、節回しをさらっと聞かせます。
第二楽章は、オーケストラが、もっと、根性入れて対抗してきまして、面白くなります。
全体は、20分程度で、長くはないです。
ゲイエルさまの、美しさに、書かずにはいられなかった、作曲家さまは、他にもいたようです。
・・・・・・・・うつ 👘 👘 うつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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