第397話 『ピアノ協奏曲第3番』 プロコフィエフ
やましんにとって、なかなか、取っつきにくいプロコフィエフ先生。(1891~1953)
じゅわじゅわになりかけては、自分からぶっ壊すので、扱いづらい。
その人生も、なかなか、やましんごときには分からない、波乱にみちたもの。
この『ピアノ協奏曲第3番』は、プロコフィエフ先生の作品のなかでも、屈指の人気がある作品。
ルーツは、かなり若い頃にあるようですが、完成は、1921年。
なんでも、1937年に、レニングラード(サンクトペテルブルク)のホテルで、カバレフスキー先生が宿泊した隣のお部屋から、この協奏曲を、ピアノの学生みたいに、くりかえし、おさらい練習する音が聞こえる。
やがて、そのお部屋からは、ついに、プロコフィエフ先生本人が現れたんだとか。(幽霊じゃないですから👻)
プロコフィエフ先生は、ピアノの名人ですからね。
なんでまたあ?
と、訊くと、『演奏会で、こんどひくんだけど、みんなが知ってるから、間違えられないんだあ‼️』
と、お答えがあったとか。
第三楽章の主題が、アメリカに渡る途中で滞在した、日本で聞いた音楽からインスピレーションをうけてるのでは?
と、言うのは、日本では、有名なお話しらしいです。(越後獅子)
まあ、たしかに、そんな感じはありますな。
ショスタコ先生ほど、とんがってるようでもないイメージがあるけれど、そこらあたりも、なかなか、謎めいています。
1918年に、アメリカに亡命。
やがて、パリに移り、1936年には、正式に帰国。
1948年には、ジダーノフ批判と呼ばれる芸術家統制に巻きこまれ、その対象者とされ、批判されたけど、真の目標は、ショスタコーヴィチ先生だったらしいとも。
これは、『うつうつ』の範囲からは外れるので、パス。
ただ、プロコフィエフ先生は、スターリンさんが亡くなる3時間前に死去し、ジダーノフ批判の終焉は、みられなかったと、いう、わけです。
第二楽章の冒頭の主題なんかも、かなり、日本人受けするような、じゅわじゅわ主題。
ただし、そう、簡単にはゆかないのは、プロコフィエフ先生ならではで、なかなか、奥行きはある。
第三楽章は、なんといっても、最後がききどころで、これは、やはり、ライブが良い感じですよね。
ピアニストさまの、カッコいいところのみせどころで、テレビなんかで間近に見ると、迫力満点です。
うつうつ気分を、ぶっ飛ばす効果あり。
でも、あまり、入れ込むと、酸欠状態みたいな感じになるので、注意が必要かもです。
・・・・・・・・うつ 😞🌀😞🌀😞🌀!😭😞🌀⁉️ うつ・・・・・・・・・・・
参考 『音楽ちょっといい話』 ウェルナー・ヘニヒさま著(音楽之友社)
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