第308話 『交響曲第9番』 ブルックナー
(第165話で、一度出ておりましたが、また出てしまいました。このさい、このままにいたします。お許しくださいませ。)
神様に捧げられた作品。
『第4楽章』まであるはずでしたが、『第3楽章』までしか完成できず、ブルックナー先生は他界なさいました。
今回、シューリヒトさまの指揮による演奏を聴き直してみて、第1楽章の冒頭から思ったのは、やはり、ブル先生は、ワーグナー先生との親和性が高いということです。
それは、ブルックナー先生(1824~1896)にとっては、正当な事実なんじゃないかしら、とも、思いますが、ブルックナーファンの方からしたら、『ふん。どしろとめ。』かもしれません。
しかし、それはまた、このCDの演奏の、金管楽器の響き方による、つまり、指揮者様の意図だったのかもしれないです。
第2楽章は、とにもかくにも、ブルックナー節全開なのですが、厳しい表情が強くて、うきうきではなく、脅迫症状がかなり見られる気もする、実体としての『うつうつ』音楽な気がします。
ブル先生は、とにかく、目の前にあるなにものかの、目の数とかを数えずにはいられない、くせがあったようです。
まあ、なくてななくせですからね、気が付かずにやってるくせというものは、誰しもありまして、それ自体は普通ですが、それが気になって、もうしかたがない、なかなか、その先に進めない、となると、いくらか病的になります。
やましんも、お出かけの際のカギ閉めとかは、10回セットを、最低数回、時によっては十数回やるか、あるいは、下手すると最初から全部いったん開けてから、すべてやり直しとか、なかなか大事になるので、ブル先生のお気持ちが、少しわかるらしき部分があります。お出かけは、それ自体がやましんにとっては、まさに、慎重に慎重を重ねて行う、重要行事なのです。 はい。
職場で、毎晩ひとり残業して、夜中に最後に帰っていた時代は、まさに大変でありました。(ナンバー2だった時代。ナンバー1は、だいたい定時に帰る。)
まあ、もっとも、音楽において、同じフレーズを繰り返し聴かせるのは、聴衆の意識を集中させ、より印象的にし、惹き付けるためのテクニックでもあります。
第3楽章は、これは、もう、天国の様子を想像しながら書いたのではないかしら、と思える音楽で、言い方は良くないですが、しろとの感想の対象としては、ちょっと畏れ多い音楽かもしれません。
ブル先生は、このあとに、自作の『テ・デウム』を演奏することを提案していたようです。
実際、第3楽章でおしまいになると、なにかが満たされない気分になることは確かですね。
でも、それが、事実なので、そのままが良いのかもしれません。
その日の気分にもよりますしね。
『テ・デウム』は、もし、CDなど、続けて聴くならば、あまりに神々しいので、まずは、いったん休憩してから、聞いた方が良い気がいたします。(まあ、個人の自由です。)
この交響曲は、当時の周囲の人たちにもなかなか理解しがたかったのか、大幅に改定されたバージョンが、長年、使われていたらしいです。
ブルックナー先生の、バージョン問題は、やましんの能力をあまりにも超越することなので、省略。
いずれ、思わず、手を合わせたくなる、終結部分であります。
初演は、1903年2月11日。
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