第225話 『交響曲第7番』 マーラー
ヘヴィメタ音楽の中には『自殺系ブラック』と呼ばれる向きの系統があるようです。
内容はわかりません。
クラシク音楽においては、マーラー先生の『大地の歌』あたりが、『自殺系クラシック音楽』の筆頭格と言えるものかもしれません。
実際、マーラー先生は、友人で指揮者の、ブルーノ・ワルター先生に、『この曲を聞いて自殺者が出るんじゃないか?』と、心配して尋ねていたやにも聞きます。
ゲーテ先生の『若きウエルテルの悩み』は、実際にかなりの自殺志願者を出したようで、第なん版だったかわすれましたが、ゲーテ先生、『僕の後を追うな』という警告を、入れざるを得なくなったとか。
藤村操さまが華厳の滝から投身自殺した時(1903年)は、旧制一高生(現在の東京大学教養学部、千葉大学医学部などの前身)という、絶対エリートの自殺が波紋を広げ、185人が後追い自殺を敢行。既遂は40名に上ったといいます。
こうした現象は、当然社会的な大問題になるわけでございますが、この国においては、現代もあいかわらず自殺者が絶えません。
その背景には、経済的な問題だけでなく、いわゆる『いじめ』(過労もいじめの一種かもしれない・・)などが、多く関与している場合があるようです。
やましんも、うつで休職し、復職した後、しばらくして、職場で上司4人に取り囲まれて、うまく仕事ができてないことを追及された後、完全崩壊しました。
そこが、トップの隠された意図だったとすれば、成功した訳です。(でも、元はと言えば、ふがいないやましんの責任です。)
マーラー先生の音楽には、ども、そうした問題を思い起こさせる要素があります。
この曲は、マー先生の『交響曲』の中でも、『6番』と並ぶ、いささかとっつきにくいイメージがある大曲です。
『夜の歌』という、分かるようなさっぱり分からないような抽象的な題名がくっついていたりもします。
とはいえ、『第1楽章』など、実際は大変に印象的な音楽で、あまり全体像がどうなっているかなど気にしないで、音楽の流れに身を任せ、じっと聞いておりますと、宇宙空間に、ひとり孤独に漂っている感じもあって、なかなか良い感じです。
問題は、『第2楽章』から『第3楽章』、『第4楽章』と進むにつれ、ますます迷宮の奥に引っ張り込まれる感じで、脱出口がみつからない迷路のようです。
最終『第5楽章』は、なぜか明るい色調が現れて来て、どこか『第5交響曲』の終結を思わせる終わり方になります。
この曲、あちらこちらで、マー先生の他の曲を、ふと匂わせることもあり、また他人さまの音楽をもじってるんじゃないか、と感じるようなところもありで、なかなか一筋縄では行かない音楽のようです。
まあ、分からないところが多いから、あえて、『哲学的』と言ってもいいですが、なんで、この次が『第8交響曲』(『千人の交響曲』と呼ばれます。まあ、実際演奏にそのくらい人がかかったから・・とか。)になるのかが、これもまた考えさせられるのであります。
以前、マー先生の交響曲は、すべてが『死』を指しているんだ、みたいなことをやましん、書いていますが、どうも、それでまとめてしまうのは、あまりにも乱暴だよなあ、と、本人ながら思います。
マー先生、なかなか人間関係は、必ずしも、うまくやれなかった方のようで、いやあになったのか、1907年にはウィーン宮廷歌劇場の楽長職を辞任しています。
この曲は、その直前、1904年から1906年にかけて書かれた作品。
なんとなあく、ごたごたが、反映されているのかもしれないなあ・・・・・・
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