第213話 『六段』 八橋検校
必ずしも、出所が定かではない曲ですが、八橋検校さま(1614~1685)による作品であるとされてきました。
もしかしたら、さらに後のかたがたが、改訂した可能性もあるようです。
ここでは、『疑問』に関する方は、やましん、よくわからないし、取りあげない事にしましょう。
重要なことは、これが声楽の入らない『器楽曲』である、ということです。
しかも、なかなか、悩めるやましんに、慰めを与えて与えてくださるとうことです。
日本の場合、江戸時代には、あまり『器楽曲』そのものは発達しなかったように見受けます。
研究者のかたによっては、幕府の介入を指摘していた方もございました。
いずれ、江戸時代初期において、このような素晴らしい作品が書かれたのだとしたら、これは大きな意義がありそうです。
といいいますのも、同時代の欧州において、こうした大規模な『器楽変奏曲』は、そんなに、まだ、なかった、という気がするからです。
ビーバー様の『ロザリオのソナタ』は、作曲された年代がはっきりしませんが1670年代くらい。
コレルリ様の『ラ・フォリア』を含む曲集は、1700年の出版。
欧州では、宗教上の役にたたないと言う事から、バロック時代以前には『器楽曲』はあまり発展しなかったようです。
もちろん、リュートの作品とかありますし、ないわけではないです。
秀吉様が、帰国した遣欧使節の楽器演奏を聴いたと言う有名な事実がございます。
欧州では、バロック時代に入って以降、急速に『器楽』が発展します。
そこから考えると、日本と欧州の器楽曲の差は、江戸時代初頭には、ほとんどなかった、という感じがあります。
ま、同じあたりにいた、という感じかな。
江戸時代が文化的にも経済的にも、停滞の時代ではなかったことは確かですが(たとえば、田沼意次さまなどは、後世、悪く言われることになってしまいましたが、後のケインズ政策の先駆けの様な大規模公共事業を行ったという意味では、先駆者だったわけですし・・・)こと音楽にかんしては、日本においては、『器楽』の分野が、この曲以降、より進化はしなかったということは、どうも、言えそうです。
それは、単純に良し悪しと言うお話でも、ないのかもしれないです。
明治以降、西洋音楽の影響で、邦楽器による器楽合奏や、合唱入りの大曲も作られました。
やましんも、合唱団で、邦楽との合同演奏をさせていただいたことがございます。
たいへん、面白かったです。
普段の合わせ方が違うので、そこはなかなか大変でしたけれど。
まあ、それにしても、『明治100年』と言われて、なんだかお祭り騒ぎになっていたことが、懐かしいです。
提灯行列とかは、さすがに、もう、やましんの周辺では、なかったような・・・。
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