第126話 『交響曲第1番』 チャイコフスキー
先日の先輩のお通夜には、元上司やら部下のかたやらも、沢山来ていらっしゃいまして、それは当然わかっていたことです。
やましんは、すでに退職後ですから、部外者なのですが。
あくまでも、先輩の追悼の為なのですから、そこに行くこと自体に意味があるので、ほかの方を気にする必然性はないのでありますが、これがなかなか、やましんには、巨大なストレスでありました。
多くの偉いかたを無視したのは、自分の精神崩壊を防止する為なのでありましたが、ますます、やなやつになったことでしょう。
とにかく、出て行けたことを、評価していただければ、幸いですけれど。
それ以来、なにやら未知の空間からの強烈な圧力を感じて、文章がちょっと書けなくなっておりましたです。はい。
さて、チャイコフスキー先生の『第1交響曲』は、チャイコ先生、26歳の作品。
まだ、若者と言うべき年齢ですが、ここにはチャイコ先生の特質がたっぷりと現れています。
『冬の日の幻想』という表題があり、4つの楽章それぞれにもタイトルがあるという、いささか文学的な面もちがある『交響曲』です。
ひらひらっと、木管楽器があちらこちらで花が咲くように色めくらしき様子や、なんとなくメルヘンチックなのは、得意分野となったバレエ音楽を思い浮かべさせますし、その旋律の美しさは、チャイコ先生最大の持ち味です。
とくに、『第2楽章』は、これでもかあ! と、めいっぱい泣かせます。
手抜きのないチャイコ先生のことなので、徹底的に泣かせてくれて、また、慰めてもくれるのであります。
それにしても、日本人が聞くと、チャイコ先生の音楽は、きわめてロシア的に聞こえますが、いわゆる『ロシア五人組』(バラキレフ・ムソルグスキー・キュイ・リムスキー=コルサコフ・ボロディンの各先生方)の皆様の立場からゆくと、かなり西欧寄りの音楽ととらえられて、ときには批判もされたらしき。
その和声の使い方、形式、リズムなどが洗練され過ぎていて、民族主義的な音楽からは、外れていると見られたのでありましょうか。
また、日本人がめいっぱい西洋的に書いたつもりの音楽でも、西洋の方からみると、たいへん東洋的に感じることが多いようなので、このあたりの感覚というものは、なかなか奥が深そうだなあ。
おつやのあと、ちょと街を散歩しました。
かつて、少しだけ勤務していた街ですが、とてもよい街なのですが、山間の盆地で、と~ても、冬は寒い場所です。
まだそんなに景色が変わるほどの年月が経ったのでもありませんが、暗~い、人間の姿が少ないその街の中は、雰囲気、もう冬でありました。
過去なんて、栄華があろうがなかろうが、結局のところは、ただの幻想みたいなものです。
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