第28話 『ヴァイオリンソナタ第1番』 シューマン   

 『やましんさん、こってますなあ。かちかちです、少しは運動しなさい。』

 と、いつも整体の先生から言われるのですが、これでも結構、毎日、毎晩と街を徘徊したり・・・、いえ、お散歩したりしております。しかし、今日(こんにち)、ちょっとでも怪しい人物と思われると、すぐに学区内にメールが回るのだ、とのことで、わんちゃんと一緒に歩くか、最低でも懐中電灯携帯は必須だと言われます。

 しかし、ぼくは、わんちゃんなどは、もし相手が先に亡くなったりすると、もう、とても耐えられないだろうと思うので、あえて、お友達にはいたしません。

 『癒し効果』には、常に、逆の『副作用』が生じることもある、という事なのです。


 しかし、このくらい危ないニュースが毎日多いと、本当にぼくなどが、外に出てよいのか、心配になります。

 勤務中でも、ぼくが道路を歩くと、それだけでもう、社会のお邪魔になるのでは、と思い、特に何も悪い事してなくても、毎日心苦しく感じておりましたから、今は、なおさらであります。

 

 それはともかくも、シューマン先生の音楽は、じゅわっと、ぼくを慰めてくださることも多い反面、なんだか実は、逆に慰めてあげないと、いけないんじゃないかと、心配になることもあります。


『ピアノ協奏曲イ短調』の第1楽章の第1主題などもそうです。

 非常に『癒し効果』も強力な作品なのに・・・です。

 

 なにしろ、演奏者の方によっては、あまり聞き手が苦しまないようにと、意図的に(?)あっさりと、かたずけてしまうケースも見られるくらいですから。

 マルタ・アルゲリッチさんの近年の録音などもそうです。


 しかし、『これでもか!』というくらいに、一音一音、深くえぐられるようなタイプの演奏では、ぼくの胸は、癒される以上に、張り裂けそうな哀しみに襲われます。

 トーマス・ロランゴさん(T. Lorango さん)の演奏するCDなどは、実は大好きなのですが、これはまた結構、心にこたえます。


 つまり、音楽の始めから『癒し』効果の強い作品は、その副作用も結構大きいということで、場合によっては、聞き手の心理的な負担が、冒頭から『どかん』とかかってくるのです。


 そこにゆくと、『ヴァイオリン・ソナタ第1番』の場合は、その『癒し』のツボが、第2楽章にあるものですから、しかも、長調で、さらに非常に短いので、副作用が少なく、使いやすいと言う側面があります。

 ただ、中間どころなので、うっかりと、居眠りしてしまっている危険性も高いですが。


 専門家の方や、シューマン先生のファン、ヴァイオリン音楽ファンの方以外には、あまり知名度が高くない曲かとも思いますが、第1楽章からしっかりシューマン先生しています。実に美しい、でも、どこか、うつろでもあり、とても知的でもあります。

 常に、心に何かひっかかるものがあって、永遠に、すっきりとはしません。

 最もロマン主義的な作曲家と言われる、シューマン先生であればこその音楽、とも言えますか。


 で、その第二楽章であります。

 異常なほどの、可憐な音楽。

 手のひらに取っただけで、ばらばらになってしまいそうな音楽です。

 いとおしくて、いとおしくて、息を吹きかける事さえ、はばかられそう。

 結局、はっきりとした終止もせずに、ふいっと、終楽章に移ります。


 ここも、ねずみさんみたいに、細かく動き回る、なかなか捕まえようがない、これもまたシューマン先生の音楽です。


 突然、沈み込んだかと思うと、すぐにまた、跳ね回るのです。


*第2番のソナタも、大変結構な名曲であります。 


 










 








 




 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る