第4章 鉄棺の蓋
第24話
「船長代理としてブランドン・フォックスの名前が登録されていますね」
と、操縦室のメインコンピュータのキーボードを触りながらライアンが言った。そういえば、ブランドンが宇宙に放り出されたのは火星に船長代理申請の電波送信をしたあとだった。本来なら通信を何往復かさせられそうなくらいの重要な決定だが、よっぽどの緊急事態と判断されたのだろう。
「送信する動画の録画準備をしています。名前を名乗って、簡潔に状況を説明し、船長代理者の変更を希望するという旨を仰ってください。おそらくまだ時間の猶予はありますが、なるべく向こうから質問が来ないよう、伝える情報に不足がないようにしてください」
「待った。……難しいな。説明は君がやってくれないか? ライアン」
「可能ですが、あなたの印象が悪くなってしまいます。肝心なときに状況説明すらできない人間に船長代理の役職を与えることの是非について、向こうで議論が起こるかもしれません。緊急時の例外として人間でない私が船長代理に指名されることも考えられます。それはお二人にとってあまり快くないことでしょう? そんなに難しいことではないのです。フォックス様の死と、現在の生存者と、船が航路から外れている原因が不明ということを言えば十分です」
「……分かった、やってみるよ」
「それでは、モニターをまっすぐ見てください」
大きく深呼吸をした。話すことはまだ纏まっていなかったけど、もうなるようになれ。
「どうぞ」
「私の名前はロビン・カーター。
現在、モノリス号は本来の航路を逸れて別の方向に加速し続けています。
原因は不明。
前任の船長代理、ブランドン・フォックスはあなた方にメッセージを送った直後にスラスターの暴走により宇宙に放り出されて死亡しました。スラスターの暴走の原因も不明。
シェーン・アダムスは自殺し、現在の船内の生存者は、私、ホンファ・チョウ、アンドロイドのライアンのみです。
解決していない問題は多いですが、このまま船が進めば、私たちはもう二度と地球にも火星にも行けず、宇宙空間で餓死してしまうことは確実です。よって宇宙船を操縦するために船長代理になることを希望します。
私のメッセージは以上です」
ライアンが動画の録画を止める。力んでいた肩が途端にどさりと重くなった。
「大丈夫かな」
「問題ないでしょう。二、三回の撮り直しは覚悟していたのですが、素晴らしいです」
モニターに”メッセージを送信しました”の文字が表示された。
「あとは待つだけです。先ほどは急いでいたので持って来なかったのですが、船長室内にいくらか菓子のような軽食がありました。取りに行って来ますね」
「ああ、頼むよ」
言われて、たまらなく腹が減っていたことに気が付いた。菓子を部屋に溜め込む怠惰な性格だった船長に感謝だ。階段を降りていくライアンの後ろ姿を見ながら、菓子が飴やガムの類でないことを祈った。
突然室内が暗くなった。驚いて辺りを見回すと、ホンファの声がした。
「光なかれ」
ホンファの意図は、すぐに分かった。
操縦室の前面にある特殊ガラス張りの窓に、大きな闇と小さな光があった。
それは偉大なる宇宙だった。
自室や共有スペースには直径二十センチぐらいの小さな窓しかなかったのに、こんなところに一番景色を楽しめる窓があるなんて。目の前に広がる終わりのない漆黒は、人間の存在なんて全く意に介さないというように、広く深く空間を包んでいた。寂しさを紛らわすようにぽつりぽつりと輝く恒星たちは、遠すぎるが故に遠近感に乏しく、まるで空間に貼り付けた作り物のようだった。
「スペースドリーム社に言う苦情が、これでまた一つ増えたな」
「全くね。船長がこんな素敵な景色を独り占めしてたなんて。ブランドンも宇宙遊泳をしていたときこんな気分だったのかしら」
「全面が宇宙なんだから、こんなもんじゃない。きっと最高の体験をしていたのさ」
彼が良い死に方だと言っていたが、案外その通りかもしれない。いや、きっと死という言葉自体、この宇宙の中では意味を成さないのだ。俺たちは揺蕩う広い空間の中の、ほんのちっぽけなゴミのような存在なのだから。
デイジーがこの光景を見たら何と言うだろう。きっとアンドロイドらしくない感動の言葉を撒き散らして喜ぶのは間違いない。そうして俺はそんな彼女を少し冷めた目で見ている。そこまではしゃぐことないじゃないかというように。彼女はノリの良くない俺に怒り出す。そしてひとしきりじゃれ合いに近い喧嘩をしたあと、ふっと少しだけ悲しい顔をするのだ。俺の心の冷えた部分が、まだ溶けていないことを感じて。
「……少しだけ、訂正しないといけない。俺の昔の話」
「何かしら。全部嘘だったとしたら、今度ディナー奢るわ」
「じゃあ、全部嘘だ。――と言えれば良いんだけどね。……うまくいっていたんだよ、途中までは。両親に内緒で俺の部屋でセックスもした。俺は買えないから、彼女がコンドームを買ってきてくれて……。今振り返って考えてみても、俺たちはやっぱり愛し合っていたと思う。それがあるとき、些細な喧嘩が大きくなっていって、俺たちは別れてしまった。その年頃の年代の男女にはよくあることさ。だがそのあとで俺は病的に彼女の愛を疑ったんだ。これは哀れみなんじゃないかと。だってそうだろう、客観的に考れば俺は恋愛のパートナーとしてはとても選ばれそうにない可哀想なだけの男だった。だから彼女は自分を犠牲にして俺に恋愛を経験させてくれたんじゃないかと、そう思ったんだ」
「そんなこと、いくらあなたが哀れでもしないわよ。それに、仮に向こうの愛が真実じゃなくても、それもそれで恋愛には違いないわ」
「そういう割り切った考えが、当時はできなかったんだ。いや、今もまだ本当に乗り越えられたとは言えないか」
「そして、愛を信じられなくなった……?」
「信じられないだけじゃなく、怖くなった。俺に向けられる笑顔の裏に別の感情が隠されているのが。だからデイジーを愛せなかったのは彼女がアンドロイドだからだけじゃないんだ。揺らがない愛というものを求めて逃げているだけのような気がして、嫌だったんだ」
「つまり、あなたは自分を愛せていないのね」
「……そうかもしれない」
「それって、自分で解決するしかないのよ、きっと。そうしないと誰ともうまくいかない。人間とも、アンドロイドとも。でももう大丈夫ね、あなたから不幸の匂いはしない。きっと次はうまくいくわ」
「ありがとう、ホンファ」
「私の不幸の匂いが取れたら、また会いましょうよ。……友人として」
「君の不幸の話は聞かせてくれないのかい?」
「あなたにだけは、教えたくないわ。私って意地っ張りで天邪鬼なの。――そろそろ火星から返信が来るかもね。電気を点けるわよ。光あれ」
パッと眩しい光が目に入ってきて、一気に現実に引き戻された。そう、ここは操縦室で、俺たちはここに閉じ込められているのだった。腹が鳴った。ライアンは少し遅くないか?
火星のからの通信が到着したのと、チョコバーとメディカルキットらしきバッグを抱えたライアンが階段が上がってくるのが同時だった。
「予め設定はしてあるので、右上のタブを開いて、新航路決定を押してみてください。承認されていたらそれで船が動くはずです。メディカルキットにビタミン剤と粉末ジュースがあったのでついでに持ってきましたよ」
ライアンの言うとおり操作をすると、新航路が承認されて、右に強く重力がかかったあと、今度は後ろ向きの軽い重力を感じた。航路を修正しているのだろう。とにかくこれで宇宙を漂流することはなくなった。早くチョコバーでお祝いするぞ。
そのとき、後ろの操縦室のドアの方からガン、と何かを叩く音がした。振り向くとドアが開いていた。そう、”壊された”のではなく”開いていた”。解錠コードの入力音など確かに聞こえなかったのに。
ドアの向こうに居たのは、ブランドンだった。
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