いや……もういいよ

 

 仏像が消えた集落の下で晴比古たちは車を降りた。


 今はなにもないその山道の入り口に立って、此処にあったものの気配を感じるように、じっとしていると、菜切が、

「中まで車、入れると思いますよ」

と言ってきた。


「……そうだな。

 一応、車で上がっておくか」


 なにかあったときのために、と晴比古は思う。


 ゆっくり周囲を窺いながら、タクシーで登っていると、菜切が言う。


「でも、都市伝説とかって。

 結局、こうして、なにか元になる話や、裏があったりするわけですよね」


 たぶん、どんな話にも、と言う。


 まあ、此処の場合、都市伝説というより、村伝説だがな、と思いながら、まったく灯りのない道を見る。


 時代劇の撮影でも出来そうな文明のなさだな、と思ったが、よく見ると、上には電線が通っていた。


 この先にかつて多くの人が暮らしていたあかしだ。


 車はかなり高台に上っていた。

 窓から振り返り、さっきの道を見下ろす。


 そこもやはり、真っ暗だった。


 この道を霊園から、この廃村の下まで走ってたのか。


 灯りもつけられなかっただろうしな。


 おのれが幽霊のフリをしているとはいえ、怖かっただろうに。


 この夜道を地蔵を抱えて歩いたかもしない持田を思い出す。


 自分たちの推理が正しいのなら、加害者側の人間も被害者側の人間も同じような執念を持って、この暗闇をひとり歩いていたのだろう――。




 上に着くと、なるほど、廃村があった。


 まだ車は進めるようなので、今でも人が住んでいそうな家を探して、ゆっくりと進む。


 草が生い茂り、荒れた日本家屋を見ながら、深鈴が言った。


「なんで人が住まなくなると、家って、壊れていくんですかね?」


 屋根が落ち、障子は破け、窓ガラスは割れている。


 自分の住んでいたところは補修していたとしても、こんな中に藤堂は住んでいたのか、と思った。


「風が通したりしないからかな?」

と晴比古が言うと、深鈴は感慨深げな顔で壊れた家々を見ながら語る。


「……うちの別荘があった辺りも、誰も来なくなって、あっという間に、みんな、ボロボロになっていきましたよ」


 彼女にとっても、荒廃した家並みは、嫌な記憶を呼び覚ますものなのかもしれないと思った。


「どの家か、表札が出てるのか、和田さんに訊いてくればよかったな」

と晴比古は呟く。


「あ、此処」

と志貴が指差した。


「あんまり壊れてなくて、人の住んでいた気配がします」


 さすが刑事だ。

 なんとなく感じるものがあるらしい。


 そこは、極普通の古い家だった。

 表札は、柴崎になっている。


 車が止まったとき、すりガラスの古い大きな掃き出し窓の向こうで、なにかがすうっと動くのが見えた。


「志貴」

と抑えた声で訊く。


「あれ、霊じゃないよな?」


「先生にも見えてるのなら、人間ですよ」

と一緒にそのガラスの向こうを窺う志貴は言ってくるが。


 いや、俺だって見えるときもあるかもしれないじゃないか。


 見たいわけでは、まあ、ないが……と思う。


「行ってみよう」

「何処が開いてるかな」


「それより、エンジン音で逃げませんか?」

と志貴が言う。


 それもそうだ。


 実は、痕跡くらいは残っていても、こんなバレバレなところに、今も潜んでいるとかないだろうと思って、少し油断していた。


 志貴もだろう。


「降りよう」

 晴比古は車を止めさせ、急いで、そのすりガラスの窓を引き開けた。


 鍵はかかっていない。


 縁側からすぐのところに立っていた人影に向かい、晴比古は呼びかけた。


「持田っ」

 菜切が、はっとした顔で縁側に駆け寄る。


「持田さんっ」

 持田は身を翻し、奥へと行ってしまった。


「待てっ」


 病院を抜け出したばかりなのに、持田の姿はあっという間に襖の向こうに消えてしまう。


「深鈴っ」


 庭の左手に居た深鈴が家の左側から家の周囲を回って裏手に行ったが、持田は残念ながら、右に出てきた。


「幕田っ」


 菜切のタクシーの側にぼんやり立っていた幕田が、は? と顔を上げたときには、持田は運転席のドアを開けていた。


 車をいきなりバックさせ、慌てて幕田が飛び退く。


 運転を間違ったのかと思ったが、そうではなかった。


 持田の操る車は、後ろ向きのまま、廃村の下へとすごい勢いで下りていった。


「……すごい技術だな」


「っていうか、車、運転出来てるじゃないですか」


 晴比古と深鈴は、つい、感心して見送ってしまった。


 反応の速い志貴はすぐに地元警察に連絡を取っていたが、幕田は、家の前の道路で、ただ、打ちひしがれたような顔をしていた。



 此処から移動する足もなくなり、晴比古たちは、下の道を見下ろしていた。


「地元警察が来るのを待つか。

 いや、乗せてもらえるかわからないし、それこそ、タクシーでも呼ぶか」

と溜息をついたあとで、晴比古は言った。


「菜切、なんでオートマなんだ。

 昔のコラムシフトのタクシーなら、持田には運転できなかったかもしれないのに」

と言うと、


「すみません。

 楽なんで、つい。


 鍵もつけたままだったし……」


 僕の失態です、と菜切が言うと、幕田が、

「いえ、僕のせいです。

 僕がぼんやりしてたんで、タクシーの側に居たのに止められなくて」

と言ってきた。


 いや、そりゃ、みんなわかってるから、触れないようにしてたんだが、と全員が無言で思う。


「まあ、あれだ。

 そのうち、後ろに目があるタクシーの都市伝説とか出来そうだな」

と晴比古は場の雰囲気を変えようと言ってみた。


 バックで凄いスピードで走っていったからだ。


 志貴が、

「でもこれで、持田さんは見つかりましたね。

 警察には連絡したので、途中でタクシーを乗り捨ててなければ、程なく捕まるでしょう」

と言うと、菜切が微妙な顔をする。


 持田が見つかって、ほっとしたような。

 捕まって欲しくないような、というところなのだろう。


 事情も訊きたいような訊きたくないような感じだろうし。


「あとは古田支配人か。

 病院に居た持田も、菜切も関係ないのなら。


 持田が菜切以外の人間にも協力を仰いでなければ……」


「支配人が意識を取り戻して、自分で動いてるってことですね。

 あっ、すみませんっ」


 また先を言ってしまった、という顔を深鈴がする。


「いや……もういいよ」

と晴比古は力なく言った。



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