仏像は祟らない
「お客さん、どちらまで……?」
雨の中、その客は乗ってきた。
傘も差さずに道に立っていたその客の髪からは、ぽたぽたと雫が落ちていた。
バックミラーの中、俯き、じっとしているその姿を、まるで霊のようだと自分は思った。
「いいじゃないですか、それ」
と晴比古の部屋に来た幕田が言い出した。
「志貴さんが犯人探してくれるんですよね。
どんなことしても。
或る意味、便利じゃないですか~」
何処までも能天気な幕田は晴比古の部屋で缶コーヒーを飲みながら、そんなことを言う。
「確かに、どんな手段を使っても探してきそうな奴なんだが」
本気で犯人の身が心配になるほどに。
「で、志貴さんは?」
「深鈴と居るよ」
いろいろとめんどくさいので、二人を部屋に置いて戻ってきたのだ。
満足して、犯人探さないかもな。
……それはそれで困るか、と思っていると、
「駄目じゃないですかっ」
と幕田がいきなり立ち上がり、怒り出す。
志貴が犯人を探さなくなったら困るからかと思ったが、そうではなかった。
「なんで邪魔しないんですかっ。
先生、深鈴さんが好きなんでしよっ?」
「好きとか言うんじゃないが」
いや、好きなんだが……。
「まあ、あの二人の間には誰も割って入れねえよ。
っていうか、お前、俺の味方してるフリして、単にお前が邪魔して欲しいだけだろ」
と言うと、ははは、と笑っていた。
図星らしい。
「とりあえず、仏像と今回の事件の関連性について考えてみようか」
と言ったのだが、幕田は深鈴と志貴の方が気になるようで、チラチラ、ドアの方を後ろを振り返っている。
仕事しろ。
いや、管区外だが。
そう思ったとき、悲鳴が聞こえた。
「……今、悲鳴、聞こえなかったか?」
すぐに消えたその声を追うように視線を巡らすと、幕田が、
「聞こえましたね……。
先生、行きましょうっ。
助けを求める深鈴さんの声かもしれませんっ」
と勢いよく言ってきた。
「深鈴は志貴と居るんだから、大丈夫だろ」
っていうか、今の深鈴の悲鳴じゃねえし、と思いながら、ドアに向かうと、幕田が追いかけて来ながら言う。
「だから、志貴さんに襲われかけて、悲鳴上げたとかっ」
「深鈴は志貴に襲われても悲鳴は上げんだろうが」
ムカつく話題を振るなっ、と廊下に出た。
「悲しい話ですね……」
と幕田は自分で振っておいて、しょんぼりしている。
「それにしても、今の悲鳴は何処から――」
と幕田が言いかけたとき、階下からまた悲鳴が聞こえてきた。
きゃああああああああっ。
さっきの声とは違う気がする、と思っていると、幕田が、
「今度こそ、深鈴さんかもっ」
と言い出した。
「誰かっ。
誰か来てっ。
助けてっ」
「深鈴じゃねえだろ、これっ」
と言いながらも、階段に急ぐ。
「深鈴は例え、死体を見つけても悲鳴は上げない女だからな。
近づいてって、マジマジと観察するだけだ」
助けがいのない女だ、と呟きながら、階段を降りていくと、マジマジと倒れている女を見ている深鈴を発見した。
足音でわかったのか、顔も上げずに、
「救急車呼びました。
持田さんです。
息はあります」
と言ってくる。
その側で、水村がしゃがみこんでいる。
どうやら、持田は階段から落ちたか、突き飛ばされたかしたようだ。
最初の悲鳴は持田。
次が水村だったのだろう。
「持田さんがっ。
持田さんがっ」
と水村は動転している。
「志貴は?」
「水村さんが逃げていく人影を見たというので、追っていきました」
そうか、他には、と言いかけると、
「犯人を殺してやると言ってました」
と持田の様子を見ながら、深鈴は淡々と付け加えてくる。
……また邪魔されんたんだな。
まあ、同一犯かは知らないが、と思いながら、晴比古が、おい、と水村の肩をつかむと、彼女はビクリと顔を上げた。
泣いていたようだ。
「も……持田さんが、いきなり上から落ちてきたんです」
と踊り場を指差す。
「誰かが階段を駆け上がっていったみたいなんですけど。
薄暗いし、もう姿は見えなくて、音だけしか」
階段ねえ、と晴比古はたいして高さのない踊り場を見上げる。
「この程度の高さから、突き落として殺そうとしたとは考えにくいから、なにかでカッとなって、突き飛ばしたとかかな?」
「あの……」
と水村が怖々言ってくる。
「さっき、持田さん、血塗れの仏像を見たとか聞いたんですけど。
仏像の祟りとか……」
「いや、あの仏像は祟らない」
そう晴比古は言い切ると、ほら、と水村に向かって手を差し出した。
水村は赤くなって、一瞬、惑ったが、結局、晴比古の手を取った。
晴比古は彼女を立ち上がらせたあと、俯いてまた泣き出した水村の背に手をやる。
抱き寄せるようにして、背中を叩いてやった。
「大丈夫だ。
彼女はちょっと意識を失ってるだけだから」
そう言ってやると、水村は晴比古にしがみつき、声を上げて泣き始めた。
「ああいうのって、探偵の醍醐味ですよね」
ラウンジで、コーヒーにミルクを入れながら、幕田がそう言ってきた。
「美女に泣きつかれて抱きしめるとか。
刑事だったら、いろいろ問題ありますもんね。
仕事中になにやってんだとか。
セクハラだとか。
そもそもみんな怖がって抱きついて来ないですもん」
「いや、志貴なら構わず抱きついてくるだろ」
さらっと流しそうだが。
あいつ、そういうとこ、タヌキだよな。
嫌がらず、うまく受け流して利用してるし。
きっと、深鈴以外、女じゃねえんだろうな、と晴比古は思った。
深鈴が、また制服姿で血まみれの女が現れたら、ふらっと行くんじゃないかと心配していたが。
刑事なんだから、意外と何度も見てるんじゃないだろうか、そういうの。
……でも、やっぱり、深鈴以外、女じゃないんだろうな。
雨の中、血まみれで佇む深鈴、いや、天堂亮灯は、魂まで持っていかれそうな美しさだったと志貴は言う。
外見の美しさもだが、やはり、その気迫に呑まれたんだろうな、と思っていた。
『今見たものは、言わないで――』
自分では見ていないはずの高校生の天堂亮灯の姿が頭に浮かぶ。
それは、この力のせいなのか、それとも――。
……まあ、どのみち、あの二人の間には割って入れないよな、と晴比古が渋い顔をしていると、
「でも、また事件増えちゃいましたね。
ああ、前の事件と関連性がある事件かもしれませんが」
と幕田が言う。
「関連性はわからないが、持田を突き飛ばしたのは水村だぞ」
と言うと、幕田はコーヒーカップを手にしたまま、
「は?」
とこらちを見た。
「犯人は水村だ」
「え?
彼女、持田さんの救急車について行っちゃいましたけどっ?」
息の根を止めたりしませんかっ? と幕田が立ち上がる。
「大丈夫だろ。
突き落としたのは、ほんとに、ついって感じだったからな」
と見えた映像を思い出しながら晴比古は言った。
「なんか瞬間的にすごくムカついて、肩をついたら落ちてしまった、みたいな感じだった。
なんでムカついたのかまではわからんが」
「それで、志貴さんと深鈴さんを病院に向かわせたんですか」
「最初は深鈴にしようと思ったんだが。
同性の方が腹を割りやすいから。
深鈴なら、冷静に対処できるだろうしな。
だが、やはり、なにかあったら困るから、志貴にしようと思って。
なんで揉めてるのか知らんが、女はみんな、志貴が居ると、ぽーっとなって、浮き世のいざこざを忘れたりするだろ」
「なにかこう、綺麗な景色や美味しいもの的な感じですね」
はは、と笑って幕田は言う。
「だから、揉め事から気をそらすように、志貴に行かせようと思ったら、深鈴が……」
『私も行きますっ』
と言い出したのだ。
『志貴がさっきの先生みたいに、彼女たちを慰めたりしたらどうしてれるんですかっ』
いや……どうしてくれるんですかって。
「でも、そういう発想が出るってことは、意外と深鈴さん、先生が水村さんを抱いて慰めてたときも、妬いてたんだったりして」
と言う幕田に、
「ありがとう。
希望的観測を。
たぶん、なにやってんだ、この人、と思ってただけだよ」
と自虐的に呟いてしまう。
「持田さんが意識不明って本当ですかっ?」
突然、そんな声がして、顔を上げると、菜切が立っていた。
「……仕事しろ、菜切」
「だって、今、お客さん此処に乗せてきたら、迎えに出てた新田さんたちがっ」
「大丈夫だ、たぶん。
たいした高さじゃなかったし。
今、水村がついてる」
と言うと、ほっとしたようだった。
「そうですか。
水村さんが」
いや、突き落としたの、その水村だけどな、と思ったが、口にはしなかった。
「菜切さんご贔屓の水村ちゃんがついてるんだから、心配いらないよねー?」
とラウンジのおばちゃんが近くのテーブルを拭きながら笑う。
「へー。
菜切さん、水村さんがお好きなんですか。
美人ですもんね」
「いや、お好きってわけでは……」
と菜切は少し困った顔をしている。
「でも、菜切さん、此処来たら、真っ先に水村さんに話しかけるわよね。
持田ちゃんがいつも言ってたわよ。
美人ばっかり、ちやほやしちゃってーって」
「あれ?
持田さんも可愛いですよね?」
と幕田が口を挟むと、菜切は、
「え? 持田さん、可愛かったでしたっけ?」
と本気で訊き返していた。
「まあ、持田ちゃん、ちょっとうるさいけど、可愛いし、いいとこあるのにー。
やーねえ、これだから、男って。
影のある美人に弱いんだから」
とおばちゃんは愚痴る。
影のある美人と聞いて、晴比古は真っ先に深鈴を思い浮かべてしまった。
いや、『深鈴』はカラッとした女なのだが。
深鈴の本質である『天堂亮灯』には、ぞくりとくるような影と色気がある。
あの志貴が一撃で参っただけのことはある、と思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます