費用は幕田に請求してやる



 蒸し暑い夜だった。


 菜切正は、その道でその男を見た。


 田舎の、なにもない、公共施設と公共施設を繋いでいるだけの、ただただ広いだけの道。


 白い服を着て、ぼんやりと立っている男が道の先、林の前に居る。


 どきりとした。

 最近、この辺りに出るという男の霊かと思ったのだ。


 だが、男の姿を見て、違うな、と思う。

 噂によると、その霊は傘を差しているという話だった。


 雨も降らないのに、傘を差している男の霊が、この通りに出るというのだ。


 ほっとして近づいたのだが、男を乗せようと扉を開けたときに気がついた。


 彼は菜切が近づいたのとは反対側に、身体に添わせるようにして、傘と鞄を持っていたのだ。


 だが、その傘は、噂と違い、きっちりと巻かれていた。


 お、落ち着け。

 差してないんだからいいじゃないか、と菜切は自分に言い聞かせる。


 この人は、ただの、あら、降るかもねー、と思って傘を持って出かけた用心深い人だ。


 昼間は雲ひとつなかったし、今も灯りの少ない夜空には満天の星が輝いているが、きっとそうに違いない。


 男を乗せると、プンと父親が使っているのと同じ整髪料の匂いがした。


 なんだ、やっぱり生きた人間じゃないかと思ったとき、男が行き先の住所と番地を告げてきた。


 ナビに打ち込む指先が緊張する。


 この住所。

 例の霊園の辺りでは……。


 案の定、桑原霊園が目的地として、表示される。


 な、なんのご用なんですか、こんな時間に、と訊きたかったが、生きた人だったら、不躾な質問になってしまうし。


 霊だったら、突然、正体を現し、

『お前を喰うためさ~』

とか言い出すに違いない。


 いかん。

 いかんな。


 いろんな話が混ざっている。


 だが、バックミラー越しに見る男は、生きた人間にしか見えない。


 大丈夫、生きた人間だ。

 そうおのれに言い聞かす。


 だが、妙な緊張感を持って運転していた。


 広い道だ。

 夜などは、他の車は居ないと思ってか、かなり飛ばしている車が居る。


 霊園近くに来たとき、そんなスピードを出しすぎた車が、曲がりきれずに突っ込んできた。


 わああああああっ。


 慌てて、ハンドルを切ったので、接触はしなかったが、車は道の脇の田んぼに突っ込んで、横転してしまった。




 う……、と菜切は起き上がる。


 車は横転したまま。


 シートベルトとエアバックのおかけで、怪我はなかったが、あとから見てみたら、身体には、くっきりシートベルトの痕がついていた。


 突っ込んで来た車は逃げたようだ。


 そうだ。

 お客さんはっ、と思い、


「あの……っ」

と振り返ってみたが、後ろには誰も乗っていなかった。


 ただ、シートがぐっしょりと濡れていて、水浸しの傘が置いてあった。




「ね、怖いでしょう?」

と言う菜切に、深鈴が手に汗握った感じで、


「怖いです~」

と言っている。


「まあ、待て、落ち着け」

と晴比古は言った。


「乗ってきたときは、生きた人間だと思ったんだろ?

 霊とは限らないじゃないか」


 ホテルに着くまでの道、真剣に、ああだここだと言い合っていたが、結論は出なかった。


「じゃあ、その現場に行ってみましょうよ」

と納得いかない深鈴が言い出す。


 この助手は自分よりも推理に熱心だからな、と思いながら、まあ、待て、と晴比古は言った。


「俺たちは怖い話を聞きに来たんだったか?」


「ああ、仏像探しに来たんでしたね」

と深鈴が手を打ったとき、坂の上にそのホテルの灯りが見えてきた。




 此処、高そうじゃないか。


 やっぱり、費用は幕田に請求してやる、と思いながら着いた宿はなるほど、菜切がお薦めするだけのことはあり、真新しい立派な宿だった。


「最近、リニューアルしたんですよ」

と言う菜切に、


「此処、結構、高くないか?」

と訊いてみたのだが、


「部屋によって、ピンキリですよ。

 露天部風呂つきの離れとかはやっぱり高いです。


 でも最近は、高い部屋ほどよく出るみたいで。


 何処が不景気なんですかね?

 お金持ってる人は持ってますよね~」

と苦笑している。


「普段は節約して、たまに自分にご褒美っていうか、贅沢するのが流行ってるみたいですよ」

と深鈴が言ってくる。


 そういや、こいつが自分にご褒美とかしてるの見たことないな、と思った。


 せいぜい、たまに高いアイスを買ってるくらいで。


 ……うちの給料が安いからかな。

 そんなことを考えている間に、玄関前に着く。


 数人の迎えが出ていた。

 今から行くと言ったからだろう。


 だが、ひとつ気になることがあった。


「いらっしゃいませ。

 お荷物お持ちしましょう」

という仲居さんたちの中に、何処かで見た男前が傘を差して立っている。


 こんな顔はふたつとない。


「いらっしゃいませ。

 お荷物お持ちしましょうか」


「志貴っ」

と深鈴が菜切がドアを開けるのが待てないように飛んで出る。


 お前~っ。

 なんで此処に居る~っ!

と晴比古が睨む後ろで菜切が、


「うわ~。

 すごい綺麗な顔した人ですね」

と呑気な声を上げていた。


「でも、あんな従業員、居たかなあ」


「あいつは刑……っ」


 言いかけて、晴比古はやめた。


 なにか事件の潜入捜査とかだったら悪いと思ったからだ。


 ……いや、ないか。

 管轄外だし。


 応援や、事件が他県に跨っているときには、たまにあるようだが。


「志貴っ。

 なんで此処に居るっ」


 降りるなり、晴比古は、そう叫んだが、志貴は、

「僕ら日曜が休みってわけじゃないですから」

と相変わらず、しれっとした顔で言ってくる。


 急に来られるとは思えない。


 深鈴も知らなかったようだから、彼女とメールをしながら、着実に此処まで近づいてきていたのだろう。


 なんだか、さっきの幽霊タクシーの話より怖いんだが。


 本当にこの男で大丈夫なのか?

 幾ら男前とは言っても、と横目に見てみたが、深鈴は、ただただ幸せそうだった。





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