雨ですねえ……

  

「雨ですねえ、阿伽陀先生」

と志貴の声がした。


 樹海の中にも木々をくぐり抜け、雨の雫が落ちてくる。


「そうだな。

 ひとつ訊いていいか」


 はい、と志貴は言った。


「結局、お前たちが殺したかったのは誰なんだ?」


「言ったじゃないですか。

 亮灯の家族を殺した、別荘荒らしですよ」


「それは知ってる。

 何故、それがこのホテル付近に居るとわかったのかと訊いてるんだ」


「亮灯が顔を覚えていたので」


「犯人がこのホテルに居るのを見たのか」


「いいえ。

 『被害者』が此処に居るのを僕が見たんですよ。


 この辺りは、時折、死体が見つかるので来るんですよね。


 中本さんがコーヒーでも飲んで行こうって、たまに言うんで。

 それで、たまたま、その日はあのホテルに寄ったんです。


 そうしたら、見覚えのある顔があって。


 亮灯にこのホテルのホームページを見るように言ったんです。

 スタッフの写真が小さくですが、出てるから」


 被害者ね、と呟いた晴比古は言う。


「ところで、この縄を解くか、そのボウガンを下ろすかしてくれないか。

 どうも落ち着いて話が出来なくて」


 洞穴付近の木に縛り付けられた晴比古は、志貴にボウガンの的にされていた。


「その縄、可燃粗大ゴミを縛る縄ですよ」

と志貴が霧雨の降る中で微笑む。


「あー、亮灯を縛ってたやつね。

 そこの糸にでもすればわざわざ持って来なくてよかったのに」

とちらとあの白い糸を見る。


「それ外すと、警察も来れなくなるけど、僕も帰れなくなるんで。

 僕は亮灯の許に帰りますよ、一人で」


「ボウガン、まずいんじゃないか?

 すぐ足がつくし」


 それ、誰の? と訊いてみた。


「ホテルのですよ。

 壁にかけてあったじゃないですか。


 きっと、犯人が持ち出したんでしょうね」


「俺を殺す犯人?」


「いいえ。

 亮灯の家族を殺した犯人です」


「……軽く話が見えないんだが」


「僕らが追っていた犯人に、ついでに貴方殺しの罪も背負って死んでもらおうと思ってるんです」


「なんでその犯人が俺を殺すんだよ」


「仏眼探偵に昔の罪を見破られ、問い詰められて、殺してしまい、自殺するってのはどうですか?


 それか、貴方にボウガンを見せてて、うっかりやっちゃったんじゃないですかね」


「どんな死に方したくないって。

 うっかりやられたくはないんだが。


 ところで、志貴。

 お前が見つけたのは、別荘荒らしにあった別の被害者なのか?


 それでなんで犯人が此処に居る。

 実は、その被害者が犯人だったとか?」


「違いますよ。

 何故なのか、僕にもわかりません。


 でも、此処には、確かに、そのどちらも居る。


 亮灯たちより前に、別荘荒らしに遭い、殺された人間の家族と、亮灯の家族を殺した犯人が居る。


 僕は別荘荒らしの被害者の顔を知り、亮灯は犯人の顔を知っている。


 だから、間違いないです」


「同じ別荘地であったんだっけ?

 似たような事件が。


 似てるだけで、模倣犯。

 それで、なにも知らないもうひとつの事件の被害者が。


 いや、それだと、同じ犯人でもいいか。

 お互い、被害者であることも、加害者であることも知らない。


 それで、一緒に居るとか?」


「昔の調書を調べました。

 被害者の方は現場に居て、犯人を見ていたそうですよ。


 自分の家族を殺した人間を。


 たまたま、空き巣対策に見回りしていたパトカーが通りかかって、その人自身は助かったそうですが。


 証言もしています。

 亮灯の証言とそっくりです。


 その二人組の様子が」


「待て。

 じゃあ、どっちも二人組なんだよな?」


「そうなんです。

 犯人は二人。


 でも、此処には一人しか居ません。

 もう一人は何処に行ったのか。


 まずは、訊き出す必要がある。

 そう思ってました」


「その必要がなくなったんだな。

 あの干からびた死体が出てきたから。


 お前たちは、あの死体こそがもう一人の犯人ではないかと疑っている。


 浅海は子供の頃、あの死体のあった洞穴に食事を運んでいた。


 干からびたような手に腕を掴まれ、運ぶのをやめた。

 だが、洞穴にあった死体の死因は餓死ではない。


 じゃあ、彼女が食事を与えなくなったあと、誰かが、頭を殴って殺したのか。

 或いはーー」


「中に二人居たかですよね」


「だが、浅海が運んでいた食事は一人分だったんじゃないか?

 記憶は曖昧なようだが、中に居たのは一人だと思っていたようだ。


 子供の頃、運ぶ食事を見て、箸の数などから、一人と認識していたから、そのことを忘れても、無意識のうちに、中に居たのは一人だと思っていたんだ」


「そうでしょうね。

 中には、二人居た。


 食事は一人分しか運んでいない。

 ならば、一人は死んでいたことになります」


「もう一人の人間は、死体とともに、あの穴の中に居たってことか。

 発狂しそうな状況だな、と思う。


 まだ腐ってなかったのなら、凄い匂いがしただろうに。


 で、その後は、犯人の一人はホテルに、もう一人は洞穴に死体として居たと思ってるわけだな」


「その可能性もあると思っています。

 何故、そうなったのかは不明ですが。


 そしてやはり、どうして、犯人が、此処に被害者と居るのかがわからない」


 どうして、犯人が、此処に被害者と居るのかがわからない。


 そういう言い方を、志貴はした。


「年月も経っているので、亮灯は不安になったんです。


 本当に、それが犯人なのか。

 自分の見間違いなんじゃないかと。


 亮灯からしたら、殺したいくらいの相手だ。

 なのに、他の被害者が呑気に犯人と居るのが信じられないから。


 だから、先生に手を握ってもらおうと思ったんですよ、犯人の。

 それで、貴方の事務所に入って、タイミングを窺っていた」


「俺にやって欲しいことってのは、それだったか。


 しかし、俺はまだ、此処に来てから、犯罪を犯した人間の手を握っていない。

 ってことは、俺がまだ手を握ってない相手だよな。


 ……スタッフはほとんど握ってないな。


 ところでボウガン、下ろさないか?

 腕が疲れるだろう」


「嫌です」


「俺を殺したら、亮灯に恨まれるぞ」


「どういう意味ですか。

 早く死にたいんですか?」


「莫迦。

 俺が恋しくてとかじゃなくて、犯人が確かめられないからだよ」


「もういいです。

 僕が確かめて、殺します。


 こうして、追い詰めて、吐かせます。

 亮灯はなにもしなくていい。


 それなら、回りくどい手を使わなくて済みますから」


「お前は、本当に阿呆だな。

 お前が捕まって、亮灯が喜ぶと思ってるのか」


「……亮灯は僕を好きなわけじゃない。

 僕が彼女の復讐を手伝うと言ったから、僕の側に居るだけだ」


「もう一回、言おうか。


 お前は、本物の阿呆だ。


 亮灯は、お前のことを王子様と言っていたのに」


 かなり凶悪だが。


「昔、どうだったか知らないけど、今の亮灯はきっと、貴方が好きなんですよ」


「なんで、そう思う?」


「亮灯が好きそうな顔だし。

 なにより、貴方はいい人だから」


「……驚いたぞ。

 お前の評価が誰より高いな。


 亮灯はそんなに俺を評価してないぞ。


 でもーー

 ちょっと嬉しいかな」

と呟く。


 高く評価してくれた結果、ボウガンで殺されそうになるのもどうかと思うのだが。


 志貴のような男を追い詰めることが出来たというのは、ちょっと男冥利に尽きるかもしれない、とも思っていた。


 志貴は細い腕をしているのに、軽くボウガンを引き絞る。


 命の危険に晒されているのに。


 霧雨にけぶる樹海の中、決意を固めた志貴の顔を本当に綺麗だな、と思って眺めてしまった。


 それは、彼の亮灯に対する真っ直ぐな想いのせいだろう。


 まあ、方法はいろいろと間違ってはいるのだが。


「先生、僕は迷いませんよ。

 ちなみに僕、弓道部だったんです」


「……聞いてないぞ、おい」


 志貴の手から矢が放たれる。


 正確に心臓に向かって来たそれに目を閉じた。


 が、カッと思いがけず、軽い音がする。


 目の前に城島が立っていた。


「志貴さん、駄目ですよ。

 備品を持ち出しちゃ」


 木のお盆で矢を止めてくれたようだった。


 亮灯が走ってくる。


「城島さんっ。

 すみませんっ」


 いえいえ、と城島は微笑んでいた。


「志貴っ!」

 亮灯に呼ばれ、志貴は、びくりと身を縮める。


「なんでこんなことするのっ」


「君が阿伽陀先生とキスしてたからだよ」


「うん。

 まあ、その件に関しては、やっちゃっていいんだけど」


 やっちゃっていいってなんだ?


 キスひとつで殺されるのか、こいつらのルールでは、と思った。


「私は貴方が捕まったりするのは嫌なの。

 手を汚して苦しむのも嫌。


 復讐に引きずり込んでおいて、こんなこと言えないけど」


「亮灯……」


「えーと。

 莫迦莫迦しくなってきたんで、俺、帰ってもいいかな?」

と二人に呼びかけてみる。


 亮灯は城島を振り返り言った。


「城島さん、すみません。

 先生を助けていただいて」


「いえいえ」


「すみません、ほんとに。

 私、貴方を殺しに来たのに」


「いえいえ」

と城島は微笑んでいた。





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