『果てしない夜のその先を』

 が終わった後特有の尿意にまどろみから引き上げられ、真っ暗な部屋の中でひとり、まぶたを開く。


「ん……」


 隣でこちらを向いたまますぅすぅと寝息を立てている先輩の下からそっと腕を引き抜き、起こさないよう慎重に、代わりの枕を差し込んでやる。

 なんとなくその髪をひと撫でしてから静かにベッドを出て、体を冷やさないように露わになった肩へ毛布を掛け直してやってから、痺れの残る腕でテーブルの隅に置きっぱなしの端末を手に取った。

 サイドのスイッチを押すと、ぼんやりと浮かび上がる液晶の文字盤が午前5時前を差している。この時期だと日の出までまだ余裕のある、夜明け前の一番暗い時間。当然、冷え込みも一番キツイ。

 パンツの1枚も履いてなければ、なおさら。


「……っく――!」


 それを自覚した途端に体を襲う寒気とこみ上げるくしゃみを必死に噛み殺し、脱いだっぱなしで床に置いていたスウェットを着込むと、ほのかにベルガモットの甘い香りが鼻をくすぐった。

 ……いや、これ先輩に貸した分じゃん。

 別に所有権まで渡した覚えはない。どうせすぐに脱ぐのだから気にする必要もないっちゃないのだが、なんとなく気恥ずかしさを覚える。結局何度かの逡巡を経て、改めて端末のライト頼りに自分の服を探して袖を通した。

 そうしてこっそり用を足し終える頃には眠気の残滓ざんしもどこかへ飛んでおり、覚めた頭が代わりにニコチンを求め始めていた。

 ベッドに戻ればまた眠気が戻ってきてくれるかもしれないけど……。

 しばらくリビングの真ん中で突っ立って考えた挙句、セックスを終えるまで続いていた雨脚がいつの間にか耳に届いていない事が決め手となり、アウターを着込んでベランダに続く窓を開ける。

 白い息を吐きながら手すりに残る雨粒を袖で拭って肘を置きライターの石を擦ると、遠目に見える街灯のそれとはまた趣の異なる、小さな灯がともった。


「……ふー……」


 確かなのは肺に残るキックだけで、咥えた煙草を離して吐き出したものは外に出た時に口から出たそれと見分けがつかない。それが正しく捉えられているのか否か、自分の中で在り方が揺らいでいる。 



 ――丁度、眠る前に聞かされた話のように。



 しかし、ぶっ飛んだ話を聞かされたもんだ。

 今まで俺達を翻弄していた先輩の不可解な行動、その全てが『新しい薬を競合相手に悟られないよう作りだすための布石だった』なんて。

 それも薬効がとくれば、一緒に飲んでいたのがアルコールじゃなくてもっとヤベーものだったとしてもにわかに信じがたい。

 それを初めて打ち明けられた際の衝撃を思い出し、頭が落ち着くためにもう一服を急かしてくる。口に当てた煙草が燃えるジリジリという音が、やけに大きく耳に残った。

 ……果たしてすべての辻褄が合うとしても、頭っからその一連の計画を真と飲み込んでいいものかどうか。

 仮に一志あたりへとこっそり打ち明けたところで「クソゲーのシナリオとしても今時落第点だよそんなん」なんて笑われておしまいだろう。憎ったらしいニヤニヤ面まで目に浮かんだ。

 それ以前に、だ。

 固く口外を禁じられた、その約束を反故にする気は毛頭ない。

 彼女が身代わりを立てて大学へ通うという無理を今日まで通していること、そしてインターン先からレンタルルームを自由に借り、好き放題タクシーを乗り回せる程度の金を自由に動かせる裁量を任されているのは事実だ。計画そのもの真偽はさておき、そこには明らかに何らかの力が介在している。その規模すらも不透明な以上、彼女の意に背くことは良くない結果を招きかねない。

 となれば自分ひとりで判断せいよ、という事なのだが、あいにくと文系バリバリの俺にとって医学薬学の知識など素人以下のものしか持ち合わせていない。

 しかしそこは先輩の話術の巧みさか。死人が生き返るなんて夢物語だと嗤うのが当たり前と思う一方で、それを『活動を停止した細胞の再活性化』と言い換えられると、なんとなく有り得なくも無さそうくらいの現実味を覚えるのも事実だった。


「あっち……!」


 物思いに耽っている間に全部燃え尽きた煙草の灰が、僅かに残った火種と一緒にごと桟に置いていた手の甲へと落ちる。ぶんぶんと手のひらを振って舌打ちし、端に置いてある空き缶に吸殻を突っ込んだ後、代わりに端末を開く。

『ガン 特効薬』

『風邪薬 即完治』

 そして『再生治療』。

 頭の中に浮かぶ、一昔前前まではそれこそ夢物語だったらしい言葉たち。だが今じゃそいつを検索エンジンに放り込めば、どれも手に入れる、あるいは施術されるためのプロセスから詳細な値段まで事細かに出て来る。




Tout ce qu'un homme想像しうる est capableものは d'imaginer,全て d'autres hommes実現しう seront capablesるもの de le realiserである.




 なんとかヴェルヌ、って言ったっけ。フランス人の作家のことばだった気がする。

 俺達一般市民の知らない所で、技術というものは日々進歩している。いつかの誰かが夢に見た世界は、俺達が今日生きている世界とイコールで結ばれているんだ。

 その歩みがもうひとつ、夢物語を現実に変えようとしているに過ぎないのでは。

 寝屋ねやを共にする前とは思えない先輩の弁は、俺に少なくともその場だけでも首を縦に振らせるだけの熱量を誇っていた。

 そんな嘘を吐く理由も見当たらない。

 そして、たとえそれが嘘だったとしても、そのカモフラージュの先にあるものが見てみたい。

 もしそれが言葉通りの結果をもたらしたのならば、ノーベル賞どころか世界の変革すらも促すであろう大偉業だ。そして彼女は俺にそのための協力を求めてきている。

 あるいはカモフラージュだったとしても、こんな大法螺おおぼらの隠れ蓑に使うならば、それに見合う何かが動いているということだ。

 つまりどちらにしろ、たとえどんな末席であっても、俺がその実現に一役買うことになる。彼女の伝記なんぞ出ちゃった日には、ついでに名前も刻まれること請け合い。

 そして誰に強制されるでもなく、その道を選んだ。

 

 ……誰の目にも明らかな、功績となるはずだ。

 頷く前、俺は先輩に確認を取った。

 たとえその話が全て本当だとして、俺に協力できるような力があるとは思えない、と。

 しかし彼女は一瞬の間を開ける事もなく首を横に振り、こう言った。

 あなたに求めているのは技術や知識じゃない。大学に通っている影武者と同じく、私が自由に動けるための、もう片方の翼になってほしい。

 つまりは縁の下の力持ちとして動け、という事だ。それともうひとつ――



「達也がわたしを必要とするんじゃない、わたしが達也を必要とするの」



 話の最後、再び不意に飛び込んできて、先輩は俺にしがみつきながらそう言った。今まで振るっていた熱弁とは打って変わった、か細く不安そうな声で。

 もう一度腕で囲ってやった体も同様だった。少し力を籠めればあっさりと砕けてしまいそうなその肩に一体何人の期待や希望が込められているのか、俺には想像もつかない。

 そして背負う期待の分だけ、伸し掛かる責任もまたその重さを増していく。

 絶えず何十倍、あるいは何百倍以上のプレッシャーに晒されながら、それでも折れずに前を向き続ける強さに一瞬、奇跡じみたものすら覚えた。


「これ以上私に何かを背負わせないで、私が安らげる場所でいて」


 ……続く、その言葉を聞くまでは。 

 ツーリングしたり、喫煙所でダラダラ喋ったり。俺や一志にとって当たり前の、ごくありふれた時間は、彼女にとってかけがえのないものであり、その背中を影から支えていたということだ。

 時を経れば俺も一志も先輩も、学校という場所から放逐される。その括りがなくなった後でもなお、傍で絶えず彼女のメンタルを支える者として、俺の存在そのものを求めてくれている。

 それに気づいて、はじめて俺は首を縦に、力強く振っていた。

 内助の功。ちょっと情けないかもしれないが、性差の逆転を気にするなんて前時代的なだけさ。




 ――あれ、それってつまり。

 考えがそこまで至り、連鎖するように押し寄せる未来図を蓋するように、今まで我慢した分特大のくしゃみが出た。

 ……いい加減体も冷えたし、ベッドに戻ってもうひと眠りしよう。

 先の先を想像しても大抵良いことはない。

 それこそ、、まだ困る。

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