『カームを求めて』
前の車列の間を縫う一志の背中を追いかけるべく、全方位に神経を研ぎ澄ませながら右車線にハンドルを切る。
『わっ、凄い凄い!』
能天気な歓声を背に受けながら、最低限の傾けでセンターラインを越えてセダンを追い越す。抜きざま一瞬だけ、サイドミラーに運転手が驚く顔が映り込んだ。
無理もない。傍から見れば2人乗りにあるまじき暴走族まがいにしか見えないだろう。
こちとらやりたくてやってるわけじゃないんですけどね……っと。
太ももの締め付けでバランスを取りながら体を水平に戻す。細心を注意を払ったつもりだが、タイヤの細さゆえか横っ風に煽られた車体がグラつき、たちまちハンドルが
ヤバいこれ、死ぬ死ぬ。
『バイクやっぱり楽しいってこれ!』
上機嫌なその叫びとは裏腹に、密着させて来るその体は立て直しに全身の集中力を総動員している俺の微細な体さばきを一切見逃さない。まるで一体化しているのではと錯覚するほど冷静に、そして完全に体重移動をトレースしてくれていた。
……いうて、別にその吸収力を褒めたいわけではない。
つまりは今、ハンドルの切り方ひとつ間違えていればあっさり大事故へと繋がっていたという、思いっきり危ない局面だったかということも理解していたということだ。にもかかわらず、それすらも楽しんでいるが如く、テンションには一切の陰りが見えない。スピード狂に加えてスリルジャンキーの気配も帯び始めていた。
『あっ、あそこ空いてる!行ける行ける!』
本当、これならまだ延々びくびくしてくれていた方がマシだったかもしれない。
車列の間、わずかな隙間を見つけては後ろから飛んでくる無責任な声援に、幾度目かの冷や汗が頬を伝う。
わりと冗談抜きでアンタの命も乗っかってるんですけど、そこんとこわかってるんですかね。
「ひぃぃ……」
レシーバーに拾われないように小声で、内心に巣食う恐怖を口から吐き出しながらウインカーを出すが、タンデムでは思った以上にスピードの回復が遅い。
乗り切らない加速のおかげでセンターラインを跨ぐ瞬間、左車線のトラックと右車線のスポーツカーの間へと挟まる形になり、結果ハンドルの右端とドアミラーが擦れるんじゃないかってレベルのギリギリな左抜き。
道交法的には完全にアウトだ。
「っとぁ!」
で、息つく間もなくすぐさま背後から響いてきた威嚇するようなエンジン音アンドパッシング。案の定今のハンドリングはセダンを運転していたお兄さんの神経を存分に逆撫でしてしまったらしい。
轟音と空気の振動、そして急速に迫りくる物理的な質量差の重圧に慌てて左車線に逃げ込む。それとほとんど間を置かずして、スポーツカーの真っ赤なノーズが視界の端へ現れる。その加速力たるや、判断がちょっとでも遅れていたかと思うと本気でゾッとしない。
こちらを背後に収め、鬱憤を晴らすようなV8の嘶きだけを残して遠くへ消えていくその車を見送りながら、緩やかにスピードを絞っていく。
久しぶりに速度取り締まりに引っ掛かる領域を下回り、知らない間に食いしばっていた歯の間からは勝手に安堵の息が漏れていた。
『あーあ……抜き返されちゃった』
それが聞こえなかったのかあっさりスルーされたのかは知らないが、後ろから響いてくるのはこちらを気遣うものじゃなく、心底残念そうな呟きでしかなかった。なんていうかもう抗弁を立てる気力も湧かない。
「先輩、怖くないの……?」
『全っ然!』
代わりに口にした素朴な疑問にも、先輩は一瞬も迷うことのない様子でとあっけらかんと返してきた。
『私もいつか免許取ろうかなー?』
それどころか、自分が危険を制御する側に回りたいという意味合いの言葉が続いたことに、思わずしばらく唖然としてしまう。
もし仮に俺が免許も持たない素人として、後ろに跨り今しがたのヒヤリハットを体験したならば、逆立ちしたってそんな考えは出てこないだろう。むしろ恐怖心からアンチに回ってバイク乗りを叩き始める方がまだ自然な流れと言える。
まぁ今までの言動を振り返ってもわかるように、この人の考えというものは常人と同じ感性を前提に推し量るべきではないのかもしれない。
『高柳君抜けないの?』
「さすがに無理でしょ……」
……故に、この人のリクエストに答え続けていたら、命がいくつあっても足りないんじゃないだろうか。
そんな未練たっぷりに言われたところで不可能なものは不可能だし、そもそもこれ以上リスクを負ったら本気で無事に帰れる気がしない。
――行きはよいよい、帰りは怖い。
ふと浮かんだそんな文句に違うな、と待ったをかける。行き道からそんな気配はあった。
そこにアルレディに縁のある採掘場の跡を訪れたことでテンションが振り切れたのか、それとも単に往路を終えていよいよ刺激が物足りなくなったか。
帰りの高速乗ってから今まで、こうして常に前の車を抜け抜けとせがまれ続けてきたのだ。
そりゃ神経も削れるってもんですよ。
『お前、今のはさすがに危ないだろ……』
そんな一部始終をサイドミラーで見ていたんだろう。
最初は面白がっていたはずの一志も、普段の俺なら絶対に取らないような選択肢の連続、そして今の危険極まりない一幕に声が若干引き気味になっている。
そう思うならもう少し早い段階でペースを落としてほしかった。
「そもそも、お前が、変に、焚きつけるからだろ」
一節一節を大袈裟に区切り、しでかしてくれたことの重大さを突きつけてやる。
先輩がはしゃいでいるのが嬉しいのか、それとも俺が摩耗していく様を見るのが面白いのか、帰途の高速に入ってからいよいよ遠慮の消え去った奴のドラテク。多分先輩が急き立てる一因には、そうして常に前を行きスマートにスペック差を見せつけられ続けたせいもある。
そいつに追いすがるには相当の労力――主に心労だけど――が必要だった。
『いやーしかし本当やべーなこのペース、2ケツ混じりとは思えんわ』
こいつも聞こえないふりか、畜生。
空っとぼけた様子で『日が暮れる前に東京戻れんじゃね?』と続ける一志へ、慌てて待ったをかける。
「ごめん一志、そろそろ俺が限界」
それってつまり、少なくともあと2時間近くは今のペースを保てということだろう。モーター積み替えた鉛筆削りに神経を突っ込まれてるような現状、とてもじゃないがあと200㎞以上集中が続くとは思えなかった。
そんな消耗具合を表すように、返す声も芯がまるで通っていない、蚊の鳴くようなものしか出すことが出来なかった。
「あぁ、うん、そうね……やっぱちょっと休もうか。次のSAあと2kmだし」
弱々しくもマジトーン。
そこにこの上ない真実味を感じてくれたんだろう。返すの声からはからかうような調子が一瞬にして消え失せ、入れ替わる形画でにこれ以上なく深い同情が籠った。
同じバイク乗り同士、これ以上は冗談じゃ済まないと判断したか。俺よりよほど熱を入れて趣味としている以上、本気で限界近い体を引きずって強行するツーリングが危険なことは重々承知しているのだろう。
その思いやりが満身創痍の骨身に染みるし、後ろで『えー』とか不満を抜かしている人にもぜひ見習ってほしかった。
「まぁまぁ美恵ちゃん、あんまり達也イジメちゃかわいそうだよ。そろそろおやつタイムといきましょうや。チーズケーキ美味いらしいよ?あそこ」
「ホント?」
その情報にまた違った意味合いでテンションを上げた様子の先輩。それに気をよくした一志が若干上ずった様子で続ける。
「それに、そんなスピードお望みなら、次は俺のケツ乗りゃいいしさ」
「あはは。石井君もそれでいい?」
続けられたその提案を愛想たっぷりの笑いで曖昧に流す先輩と、その裏にある真意に気付かない様子の一志。そして両者の心中を唯一知っているが故、そこに気の利いたコメントを差し挟む事が出来ない俺。
代わりに灯した左のウインカーがうまい事賛成の意思だけを伝えてくれたようで、そいつを合図に俺達のバイクは流れる車列を離れ、SAの入り口に繋がる破線を跨ぐ。
「ついでだから、ここで土産見ていくか。シフト代わってもらったし」
「あ、私も友達に買っていこ」
「あー、そだねー」
生返事を返しながら減速し、ガードレールで本線と分かたれた坂を上っていく。
――余計な事を口走らず済んで良かった。うまい事話題も逸れてくれたようだし。
土産は何が有名かで盛り上がるふたりをよそに、俺は一足早く緊張を緩めていた。
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