『FIRST DANCE SCENE(2)』

11月も半ばとなると、さすがに日暮れも早い。

17時前には大学を出たバスがターミナル駅に着いたにもかかわらず、降り立った駅前通りは既に街灯が灯っていた。昼よりも厚みを増したに曇り空が、見上げるたび加速度的にその明るさを失っていく。


「さて、どこにすんべかね」

「石井君の好きな所でいいですよ。お礼なんで、ちょっといいところでも」


 さっきよりは幾分慣れた感じで俺の苗字を呼び、三吾さんは得意げにふんすと鼻を鳴らす。軽い苦笑を返しながら見回せば、あちこちで居酒屋のロゴが入ったコートをまとう兄ちゃんたちが威勢よく呼び込みの声を上げていた。

 タイミング的にはハッピーアワーの終わりかけくらい。飯にはいささか早いが、ちびちび飲んでいるうちに腹も空いてくるだろう。

 23区外とはいえ、都心に通じる乗り換え路線を備えた駅だ。あと30分もすれば花金の帰り足、あるいは改めて盛り場に繰り出す足でごった返し始める。そうなりゃどこもかしこもあっという間に満席になるし、そういう意味でもちょうどいい時間と言えた。

 と、思っていたのだが。


「すみません、ちょっと電話してきますね」


 呼び込みを交わしながら暫く並んで歩いていると、急に三吾さんが何かを思い出したように端末を取り出した。上げ気味に鳴らす鼻でその意図を問うと、彼女は少し困ったようにはにかむ。


「友達に今日の夕食はいらないって伝えるのを忘れてて……そろそろ支度始めちゃうから」

「なるほど。んじゃあそこで待ってるんで」


 別にこの場でしてくれても構わないのだが、通話を聞かれるのが恥ずかしいのかもしれない。何せ女の子だ。

 ちょうどよく視界の端に喫煙所の屋根が映っていた。声と一緒に煙草を取り出すと、三吾さんはすぐにこちらの意思を汲み取り、小さく頭を下げながら離れていった。

 

 ――そういや、なんでルームシェアなんだろ?

 大学の、俺達の喫煙所とは趣を異とする、半透明のスクリーンに四隅を囲われた狭苦しいブース。人をかき分けその端っこに陣取って煙草に火をつけながら、ふとそんな疑問を思い浮かべる。

 大学に通うために上京するにあたって避けて通れないのが生活費の捻出だ。その中でも家賃や水光熱費といったとりわけ大きなウェイトを占める負担を折半するため、有効な選択肢としてルームシェアというものがあるのは知っている。

 例えば部屋あたりの電気代は1人だろうが2人だろうが大差ないと聞くし、ひとりでは余って腐らせる食材が有効に消費出来たりと、その効果は単なる半減にとどまらないらしい。

 ……勝手気ままな独り暮らしの俺にとっては、小耳にはさんだ程度の話ですけど。

 まぁともかく、気の合う相手さえ見つかれば割と一般的な節約法として知られている。だが、これまでに交わした話の端々を思い返すに、彼女は地方の出身、というわけでもなさそうだ。言質を取ったわけではないが、遠く離れた地元の話なんて一度も出てきていないし、都内の土地勘にもかなり明るい。

 父親との折り合いがあまり良くないみたいなので、おそらくはそのあたりが関係してはいるのだろう。


「――っと」


 気が付けば灰がフィルターぎりぎり。だが三吾さんが戻ってくる気配はない。このご時世、酒を出す店でも禁煙というケースは少なくない。もう1本くらい肺に入れておこうかな。

 口の端に挟んで紫煙を深く吐き出し、思考を再開。

 ……彼女に実家を出たいという強い希望があったとして、それは誰かと一緒に暮らす必然とまではならないだろう。

 というのも三吾さん、あんまり金に困っている様子が伺えないのだ。

 今夜のオフを珍しいものと喜んでいたように、彼女は相も変わらずかなりの多忙を誇っている。しかしそれは親族の会社でやっているインターンシップのせいで、生活費を稼ぎだす為のアルバイトに忙殺されているわけではない。

 ふと、初めて差し向った喫茶店を思い出す。

 相場の高さに動揺を必至こいて隠す俺(ウチだって別に貧乏っつうわけではない)に対して、彼女はさも当たり前のようにメニューを眺めていたっけ。つまりはそのレベルの店に通い慣れている証拠だ。

 思い当たる節はそれだけじゃない。これは定期的に会うようになってから気づいたことだが、彼女は結構些細ささいなことでも頻繁ひんぱんにタクシーを使う。駅で待ち合わせというから改札を注視していたらタクシー乗り場から降りてきた彼女に背後から声をかけられた……なんてことも1度や2度じゃなかった。

 更に身にまとう服も季節をまたいで殆ど重複がなく、かといって全身ファストファッション一辺倒にも見えない……いや女の子のブランド詳しいわけじゃないけど、着回しにもかなりこだわりがある様子。思い返せば夏休み前あたりからそれが急に顕著けんちょになった気もする。

 とかく。俺にはどうにも、彼女の中で節制への関心が強いようには思えない。

 実家からの仕送り、あるいはインターンが給料の出る制度で、そこで十二分に収入を得ているのかもしれない。いずれにせよ、金銭的なメリット故仕方なしにルームシェアを選んだという線はかなり薄そうだ。

 野暮な好奇心は無駄に回転数を上げていく。

 となれば独居じゃない理由は一緒に暮らしている友人、あるいはにある……?


「ごめんなさい。遅くなっちゃって」

 

 耐えない駅前の喧騒から、明らかにこちらへの指向性を持った声が耳に届いた。

 考えを再び中断してそちらに向くと、ブースの入り口で三吾さんがこちらを見ている。手のひらで顔の前をあおいではいるが、その表情がやや曇り気味なのは煙たさのせい……だけではなさそう。


「あー、いいよいいよ。こっちもちょうど吸い終わるトコ」


 中に入ってこようとする彼女の足を、ちょっと大きくした声で止める。実のところ煙草の長さはまだ半分ほど残っているが、吸わない人間にとって喫煙所の空気は心地のいいもんじゃないだろう。

 スタンド灰皿に素早く投げ入れ、早足で歩み寄る。


「連絡が遅いって、ちょっと怒られちゃって……」


 再び横並びに歩き出し、少し間を開けてからの悪そうな顔で呟く三吾さん。口調こそ軽く笑っているものの、その横顔にはかなり濃い影が差している。

 ちょっとじゃなくだいぶ絞られたっぽいな、こりゃ。


「都合悪いなら、またの機会でも構わな――」 

「いっ、いえ!」


 彼女にとってはその提案がそれほど予想外だったのだろうか。食い気味の大声に思わずのけぞる。


「大丈夫です。それにこれだけ時間が空くの、次はいつになるかわからないので」

「いやでも、結構な凹み具合が見て取れるんですけど……友達、かなり怒ってるんでしょ?」


 早口でまくし立ててくる彼女に制止を掛けるように、ゆっくりとした口調でなだめる。

 おそらくその友達は、既に夕食の支度を始めてしまっていたのだろう。そこに来ての飯いらないよ電話。実家にいた頃は俺も同じムーブで何度不興を買ったことか。

 まぁその相手は母親なんだけど、せいぜい2、3言謝って一晩やり過ごせば元の日常は戻ってきた。そこには血の繋がり……敢えて無機質に言い換えれば、俺が扶養義務のある存在であるという点。それが相手の怒りにうまい落としどころを作ってくれていたと思う。

 だがそれが存在しない、共に暮らす理由がある種あやふやな間柄なら事態も変わってくるだろう。

 気の置けないという美点は時に、歯止めの効かないという欠点になりうる。こうして生まれた無駄な争いの種が際限なく育ち、ひとつ屋根の下に取り返しのつかない悪影響へと化す。そうならない保証はどこにもない。


「お流れになるのは残念だけど、二度と機会が失われるわけじゃないしさ」

 

 喋っているうちにずいぶんと駅から離れてしまった。今後の流れを考えて一度足を止め、三吾さんへと視線を流す。

 元があんまり他人に期待しない質だ。こちとらまったく気にしない。友人との関係修復に尽力した方が有意義だろう。

 という、俺なりの気づかいだったのだが――


「……やっぱり、無理に誘ってましたかね、私」


 どこか自虐的に呟いた顔の影が、さらに濃くなった。

 はい、逆効果ー。

 明らかに気を落としたその顔を見てなお、解散の流れに持っていく言葉を告げることは出来なかった。

 だがそれは決して、単なる同情から、というだけではない。

 決して押し通すでもなく、かといって引っこむでもなく。あくまで相手から自発的に、自分の望む方へ論旨を傾けるように。

 そこにはあざとさすら伺えるものの、二の句の告げようがなくなった時点で俺の負け確……いや勝ち負けの話じゃないんだけど。

 気付けばその間にひとり収まるくらい離れた互いの肩とは裏腹に、ここイチでの間合いの詰め方は向こうが数枚上手のようだ。

 くしゃりとゆがんだその顔の下に、理知で計算高い瞳が隠れているような気がしてならない。

 二面性が再び、俺を揺さぶる。


「もしかして、結構強めに断っちゃった?夕飯」


 白旗を上げるついでだ。

 ある意味でどんな態度より強硬なスタンス。その理由を訊ねる俺に彼女は力なく頷いた。

 なるほど、ここで俺が手を離せば宙ぶらりんになってしまうわけか。どんな啖呵を切ったかは知らないが、そうまでしておいて夕食時に家に帰ったとあればそりゃあ気まずいだろう。


「……寒くなってきたし、鍋がいいな。鍋。この辺でないかね、その手の店」

 

 別に嫌なわけじゃないが、どうにもを拭えないまま口にする俺に、三吾さんは顔を上げ、満面の笑みで大きく頷く。 

 

「じゃあ、もつ鍋?っていうの、食べてみたいです!」

「ああ、そういやこないだノブさんが写真上げてたっけ」

「はい!九州での対バンの2日目に!」


 あいよ、と声を返しながら端末で検索を掛け、一転して明るく転がり始めた雑談と共に並んでまた歩き出す。

 肩と肩とは再び近づき始め、日が完全に落ちるころには互いの上着の裾が触れ合うまでにその間を埋めていた。

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