『瑠璃色の道化師ですらない』

「……で、そっから話が盛り上がり過ぎて、危うく欠席になる所だった、と」

「はは……」


 2人掛けのボックス席で向かいに座る一志が、それはそれは面白くなさそうに呟く。吹き切れていないテーブルの油にも構わず両肘をついて腕を組み、その上に顎を乗せて睨み上げて来る。俺はと言えばその眼光に濁った笑いを返すのが精いっぱいだった。


「こちとら相変わらず独り寂しく授業受けてる中、見目麗しい女子とご歓談とはうーらやーましーいこって」


 肯定も否定も示さない反応が却って神経を逆撫でしたらしい。一志のあからさまな当てつけは、昼時ド真ん中でごった返すラーメン屋の中でも良く響いた。


「向こうが勝手についてきただけだし……」

「でも悪い気はしなかったろ。可愛かったんだろ」

「そりゃ、まあ。可愛いって言うかキレイ系?だったけど」

「はぁー?ギャルゲーかよ!」


 ちょっと意味不明な嘆きの最後に馬鹿でかい溜息を吐いて、一気にコップの水を飲み干す一志。

 どっちつかずな反応はお気に召さないようだが、だからと言ってマイナスを返してもプラスを返しても無駄らしい。苦虫を噛むようなその顔から、頭の中で次の嫌味を装填しているのが手に取るようにわかった。

 思わず目を背け、数人の黒Tシャツがバタバタと動く厨房の方をを見やってしまう。オーダーは済ませてるんだからとっとと運んできてくれ。それ以外にこの空気を換える方法が俺には思い当たらない。


「つーか、何?たまたま前の席の落し物拾って?それがアルレディのCDで?更に持ち主が美少女で?颯爽と助けちゃったりなんかして?ライター誰だよクソだわ!」


 なおも一志の追及は止まず、ご丁寧に舞台装置の説明まで添えて来る。どうやら事態を出来過ぎだとして、それを女の子と恋愛するご都合主義なゲームになぞらえていたらしい。


「あぁ、そういうことね……」


 その手のジャンルになじみが薄いせいで理解が一瞬遅れた。


「出たー。無自覚系主人公」


 そんな鈍さすら、今の一志には格好の攻撃材料らしい。氷をぼりぼり噛みながらテーブルの端に置いている煙草のケースを手に取り、苛立たしに石を擦って煙をこちらに吐いてきた。


「もうそろラーメン来るよ」


 食後の一服は好きだが、飯の味に煙草の匂いが混じるのは好きではない。顔の前で手を団扇にしながら抗議してみるものの、一志は聴く素振りすら見せず、再び勢いよく紫煙を吹きかけて来る。

 ちょっと目に沁みた。


「うるへー。吸いたくもなるわい」


 少しの我慢で機嫌が直るならと諦めるが、普段の3割増しなスピードで煙草を短くしていく一志の仏頂面は変わらなかった。どうやらニコチン摂取程度じゃ収まらないほどおかんむりらしい。


「……下心が無かった訳じゃないよ」


 どうせ機嫌が直らないならと、俺は引っ掛かっていたある言葉に対する答えを返す。

 無自覚。

 主人公。

 それらは自分から最も遠い単語に思えた。

 むしろ脇役が用意された舞台を意識しすぎた結果だ。行いとしては同じかもしれないが、そこを一緒くたにされるのは、今の心持ちに対して少し納得が行かない。


「向いていないんだ。そういうの」


 改めて振り返ってみると我ながら格好悪いものに思えて、あまり心地のいいものではないのだが。

 ゲームの中ではそんな主人公の内側まで描いてないのかな。


「でしゃばる事がか?」


 頷く。思えばそれを確認させられるような一件だった。

 初めて付き合った女の子にこれといった理由なく乗り換えられた時か。 

 それなりに懸命に取り組んで来た格闘技を、後から習い始めた和也に抜かれた時か。

 いつまでも将来の展望を定めない態度を、親父がまともに叱らなくなった時か。

 ともかく思春期を過ぎる頃、俺は自分というものに期待を抱かなくなっていた。周囲に見限られたと感じたから自分自身もそうしたのか、あるいはその逆か――

 どちらが先かは覚えていない。大した喝采も浴びず、大きな叱責も受けない。それが最上だと思い直した時、小さな落胆と引き換えに戒めから解かれてふっと軽くなった。


「もっと冷めてるか、それか我慢強けりゃよかったのかもしれないけど」


 独りでに零れた呟きに一志は怪訝な目をを向けて来る。頭の中で意味が結び付かなかったんだろう。

 無理もない。それはほとんど自分に充てた反省の文句だっだ。

 『楽になる』という事はつまり、それは『一番似合った』生き方ということだ。自分はスポットの下で賞賛を受ける側ではなく、薄暗い客席から送る側なんだ。そう悟って久しい。

 だがいくら自覚があるからといって、自分の人生なのに自分を主役と思えないのは幸せな事じゃないし、目を背けた筈のライトに後ろ髪を引かれることだってある。

 そうして残った抜けきれない未練から、一度は避けようとした舞台に無理矢理登らされたのが彼女との一幕。

 半端者の出来上がり。


「……のわりには、随分鮮やかに助け出した感じに思えるけど?」


 なお食い下がる一志の口調から、いつのまにかひがみの調子が消えている事すら、今の俺は気づけない。


「多少責任感じてたから無理したってだけだよ」


 こういう所が似つかわしくないと思う所以だ。きっと主人公俺以外ならば、こうして後からウジウジ言わないだろうし、


「振り返って不細工だったら、助けたかどうか」


 こんなこと、冗談でも考えないだろう。

 結局脇役はなるべくして脇役なんだ。自然と自嘲も混じるってもんだ。


「それはそれでどうなのよ」


 乾いた笑いを浮かべる俺に呆れ気味に返す一志も、その一言を最後に言葉の続きを探しあぐねる。

 もともと食事が運ばれてくるまでの時間潰しでしかない、ちょっとした話題だったはずだが、気付けば妙に場の空気は重たくなっていた。

 後から考え込んで袋小路にはまる俺と、いたずらに話を引っ張った一志。恐らく同じくらいを抱えている。


「まあ、難しく考えているみたいだけど――」


 しばらくの沈黙を挟んで、一志は煙草を消しながら少し顎を上げ、こちらを真っ直ぐに捉えて来た。


「お待たせしましたー」


 ……がしかし。

 奴が口を開く同時に、横から視界に挟まり込んで来たトレイが互いの顔をさえぎる。


「あ、チャーシューそっちで、普通のこっちです」


 タイミングが良いのか悪いのか、ともあれ待ち望んだ救いの手が訪れた。話題と空気の転換を願って少し逸り気味に促す俺に、一志は少し肩をすくめてテーブルの隅に置かれた箱から割り箸を引っこ抜く。


「ども」


 去っていく店員に礼儀正しく声を掛けてからこっちに箸を差し出す一志。続けようとした言葉より、湯気の立ち上る丼の中身の方が同じ役割をうまく果たせると思ったのかもしれない。


「食いますか」

「そだねえ」


 同時に鳴らしたぱちんという小気味良い音が、少しだけ空気を軽くしてくれた気がした。

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