85『壱「錠」の光』

「A4ノートの切れ端、でしたっけ」

「手紙と当時の状況から推測すればね。それなりの枚数を破られていたから、封筒にでも纏めてあると思うんだけど」


 なるほど、封筒ね。

 頭の中でイメージを固着して、引き出しを順に開け、棚の本を全て引っ張り出し、クローゼットをさらい――


「……何してるの?どかした方が早いでしょ?」

「いや、いいです」


 果てはベッドの下まで手を突っ込んでみるも、それらしきものは一向に見当たらない。部屋の隅から隅までおよそ20分近く捜索を続けるも、封筒どころか紙切れの一枚すら出て来やしなかった。


「本当にあんのかよ……」


 空き巣でも入ったのかと見まごうほどに荒れ果てた部屋の中央。僅かに覗いた床に胡坐をかいて、開いた窓に向かって紫煙を吐きながら呟く。部屋を漁っているうちに暑くなり、たまらず上着を脱いだ体に外気が心地良い。


「まさか原材料をそのまま送り付けたなんてことはないと思うけど……」

「そーですねぇ」


 携帯灰皿の蓋を開けて灰を落としながら、自身の推測に自信を無くしてきている美影さんにとりあえずのフォローをしておく。

 なにせ一度俺に託してしまえば、いつ再び日の目を見るか分からないのだ。たとえ成分を抽出したものであろうと、温度管理も碌に出来ない状況に置かれれば見つかる前に変質してしまう。

 となればやはり、鍵の正体は研究の続きを記したノートの切れ端で間違いないだろう。


「もう一度棚から当たってみるか」


 所在はともかく、推論が間違っているとは俺も思わない。なによりせっかく見えた希望への道筋がここで閉ざされてしまうのは流石にキツイ。

 短くなった煙草を灰皿に放り込み腰を上げると同時に、突然ノックもなしに部屋の扉が開いた。


「ガタガタガタガタうるさいと思ったら……アンタたち何やってんの?家探し?」


 呆れた様な声に振り返ると、そこには俺と美影さんの分の飲み物を置いたトレイを抱え、怪訝な表情を浮かべる母さんがいた。


「その様子だとすっかり良くなったみたいね。真面目に心配して損した」

「いやちょっと探し物をね……母さん、俺がいない間に俺宛に荷物が届いたりしてない?」

「荷物というか、書類を纏めた封筒みたいなものなんですが」


 俺と美影さんの問いに、母さんは目線を斜め上に上げてしばらく考え込み、やがて小さく首を横に振る。


「書類……はちょっと記憶にないねぇ」

「そうですか……」


 早合点して落胆する美影さんの横で、その返答に引っかかるものを感じた俺は立ち上がってさらに訊ねた。


「書類ってどういう事?」

「え?いや……かなり前に手紙なら来たけど、差出人が目の前にいるじゃない」


 という事は。

 怪訝そうにこちらを見やる母さんを見て、俺と美影さんは思わず互いの顔を見合わせていた。


「それ、まだ取ってある?!てか封開けた?」


 たまらず声のボルテージを上げる俺に母さんは面食らった様子だった。

 確かに手紙を出した本人――にしか見えない人間――が眼前に居れば、遥か昔に届いた手紙など、必死になって探す価値などないものにしか思えないだろう。

 だがその反応こそ、母さんの思い当たったものが探し求める鍵であるという確たる証拠だった。


「そこまで非常識じゃないわよ。ちょっと待ってて」


 階段を下っていく足音が再びこの部屋に近づいてくるまでが、5分にも10分にも感じる。

 横を見れば未だ腰を下ろしている美影さんもずっと、どこか落ち着かない様子で部屋のあちこちを見回したり時計に目を落としたりしていた。


「お待たせ」


 やがて待ち望んだドアの開く音と母さんの声が響き、その右手には――


「こ、これ?」


 確かに封筒が握られていた。のだが。

 それはメールで済まない用件を取引先に送る際によく使う、見慣れた長形八号サイズの小さな封筒。


「居ない間に来たアンタ宛の荷物はこれひとつだけだよ」

「うん、あ、ありがと」


 取りあえず受け取るが、今度は俺も落胆を隠せなかった。

 A4大の紙束をどう頑張って折り畳んだところで、到底収まるサイズではない。


「帰る前にちゃんと片付けなさいよ。あ、美恵ちゃん、汚い部屋だけどごゆっくりね」

「あ、はい。どうも……」


 美影さんの呆けた声を背に受け、母さんが部屋のドアを閉めて去っていく。

 何とも言えない沈黙が続いたのち、その身に着けた雫が底で水環を作っているコップに手を伸ばし、中身を飲み下す。

 喉を通る冷えた水分によって、美恵先輩が残したものをすっかり見つけたつもりで浮かれていた頭の熱が取れていく気がした。

 

「ハズレ、か?」

「そんなぁ……」


 肩を落とす美影さんを横目に、零しながら手の中で封筒を遊ばせると、何かが封筒の底に触れて、かさりと音を立てた。


「ん……?」


 同時に妙な重心の移動を感じ取り、人差し指と親指で封筒を揉んでみる。

 そこから伝わってきた感触で、中に指先から僅かにはみ出る程の大きさと、ちょっとやそっとの力では形を変えられない程度の硬さを持った何かが入っている事を読み取ることができた。


「どうしたの?」

「いや、小銭でも入ってるのかな……」


 視線を合わせないまま声を返しながら、糊で封緘された上端を破く。

 手を下に添えて逆さに振ってみると、折りたたまれたメモ帳大の固い紙が掌に落ちてきて、そこから更に一拍置いて床が乾いた音を立てた。  


「これって」


 それを目線で追う前に拾い上げた美影さんが指先で挟んで呟く。

 金属で出来たコイン大の円形から1本伸びる棒に、円形のくぼみが幾つも穿たれているそれは――


「鍵……ですね」


 最後の鍵、というのは比喩だと思っていたが、まさかそのものが入っているとは思いもしなかった。

 その小ささはいうなれば自転車のチェーンロックに差し込むものに近い。どこかのドアを開くものではないという事は想像できるが、それ以上は推測のしようがない。

 となれば詳細はこの折りたたまれた厚紙が示すのだろう。封筒による戒めを解かれ、既に半分ほど開いているそれを開いてみる。

 そこには美しい筆跡で書かれた『三吾美恵』という文字の横に判が押されてあり、その右下には地方銀行の名前と支店名、そして『委任状無効』という但し書きが記されていた。


「貸金庫?」


 その一番上に一回り大きなフォントで書かれた文字を読み上げると、美影さんが思い当たったように顔を上げ、小さく首を縦に振る。


「開扉票ね。なるほど」 

「かいひひょう?」


 聞きなれない単語を繰り返し、1人で納得している彼女に説明を求める。


「貸金庫の説明はさすがにいらないでしょ?」

「いやまぁ、名前から何となく想像は出来ますけど……」

「今は静脈認証による自動式と、カードと暗証番号で開ける半自動式が主流だけど……これはそのどちらでもない、受付に開扉票を提出する古い形式のもの。加えて――」


 美影さんはそこで一度言葉を切り、『委任状無効』の文字を指さす。金融機関にはせいぜい生活費の引き出しくらいしか縁のない俺には、その5文字が指す意味をいまいち読み取れないでいた。


「これって、どういう意味なんです?」

「対面式の貸金庫には大抵、開扉票と一緒に本人の筆跡が認められる委任状を提出すれば、代理人でも開けられる制度がある」


 そこまで聞けば、あとは簡単に想像が及んだ。


「その効力を無効とするものっつーことは、つまりいかなる理由があっても本人以外に開けられる事はありません、って事ですね」

「本人が死亡して、相続の権利を持つ遺族でも来ない限りはね。でも社長に関してはその心配もない……鍵を私が持つことで初めて意味を持つって、こういう事だったのか」


 受付で直に申し出る必要があるということは、つまり本人の顔が第2の鍵になるわけだ。これなら例え貸金庫の存在をどこかで知ったとして、俺が鍵だけを持って行っても美影さんが開扉票を書いても開けられない。

 どちらも揃わない第三者ならば言わずもがなだ。旧式アナログであるが故の手間の多さを逆手に取った、新式デジタルを越える見事なセキュリティと言えた。


「絶対的って言い切れるわけだ」


 遅れて得心する俺を尻目に、彼女は早速端末を取り出し銀行の営業時間を調べている。


「受付は18時までか……あのトランクルームの近くだから、電車だと少し厳しいかな」

「いやバイクで行けばいいんじゃ」

「銀行に駐輪場がないかもしれないでしょ」


 上着を羽織りながら半眼で言う俺に明後日の方向を向きながら却下を返してくる。

 が、絶対言い訳だ。余程バイクが怖いのか。


「路駐して俺が待ってればいいじゃないですか」

「もともと和也君に返しに来たんじゃない。また持ってくつもり?」


 ……この状況でまだ食い下がるか。

 押し問答している間にも時間がどんどんと迫っていることを、この頑固者は理解しているのだろうか。自分で言ったくせに。


「改めで戻すまでの交通費渡せばいいだけです。それに来る時分かったでしょ?ここ駅まで遠いし、その支店まで行くには一回登り線乗ってJR乗り換えなきゃだから、下手すりゃマジで間に合わないですよ?」


 駄々をこねる子供に言い聞かせるようにゆっくり語ると、逃げ道を塞がれた彼女がぐっと喉を詰まらせる。

 これだけ懇切丁寧に説明されてなお、日を改めてなどと悠長なことはさすがに口にできなかったようだ。さっき俺が倒れたことも彼女の中で楔になっているのだろう。


「……銀行からは電車で帰るから」

「あーもーそりゃ勝手にどうぞ」


 呻く彼女に横目で軽く手を振ってボヤく。

 こうなりゃ善は急げ……と言いたいところだが、流石にこの惨状を放置してお暇するわけにもいかない。散らかりきった部屋を片しにかかろうと立ち上がる。


「あれ……?」


 散らかりきった部屋を片そうと立ち上がった俺の後ろで、不意に美影さんが戸惑いの声を上げた。振り返る肩越しに見やると、彼女は開扉票と端末の画面を交互に見ながら、次第にその表情を暗くしていく。

 ……なんか、ものすごい嫌な予感がする。

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