78『慰めはオレの為ならず』
「あんたがちゃんと予想通りに動いて、結果を出してくれるって疑わなかっただけでしょ。事故のせいでタイミングが早まっただけで、いずれは――」
「慰めてもらおうなんて思っていない」
俺の憶測を即座に遮るものの、その声は消え入りそうに細く、睨み付ける瞳は潤みの中を泳いでいる。ここは無欠を演じ続ける必要がある
そうなって初めて覗かせる、いわば真の『美影』の心は恐らく、美恵先輩と出会った頃と変わらず、特別に脆いままなのだろう。
(こりゃ、放っとくと泣き出しそうだな)
後ろ手で頭を掻き、感情が決壊しそうな彼女の様子に困る指先がテーブルに放ってある煙草の箱を探って、取り出した1本に火を灯す。
向かいで小さな咳払いが聞こえて、俺は灰皿を片手に少しだけテーブルから離れる。そんな俺を少しだけ目で追いかけて、やがて何も言わずに俯く美影さん。
次の手を考える間の沈黙を、巻いた紙が燃える小さな音と、吐き出す紫煙が埋めてくれた。
……いやまぁ、正確には結構パッと思い浮かんだけど、これは流石に劇薬に過ぎる。
――下手すりゃ、引っ叩かれるだけじゃ済まないかも。
「……じゃあ、アンタは美恵先輩が一度助けた親友のはしごを途中で外すような真似をする軽薄な人間と?」
にしたってココで泣き喚かれるよりはマシ、か。
覚悟を固め、咥えた煙草が半分ほど燃え尽きるタイミングで切り出した文句に、場にそぐわない軽薄さを添えてみた。
「そんなことは言っていない!」
効果は上々。
煽りに弾かれたように顔を上げて激昂し、こちらを睨み付ける彼女にひらひらと片手を振って、床に置いた灰皿で煙草を揉み消し立ち上がる。
「なら俺の言った通りでしょ。アンタだって頭じゃわかってるんだ」
互いの間を隔てるテーブルをわざとゆっくり回り込み、彼女の前に立つ。そんな俺の行動の意味が読めないからだろう。上目に遣う形になったその顔からは僅かな狼狽を覗かせ、連らるように美影さんも腰を上げかけた。
「つーか、文句言いたいのは俺の方なんすけど。死に掛けてるのを悲しんでくれたのかと思いきや、これ読む限りじゃそれすら利用しようとしてんだもん」
その膝を伸ばしきる前にすかさず被せた言葉によって、美影さんはひどく中途半端な姿勢で俺の嘆きを聞く羽目になっていた。言葉尻に混ぜ込んだ大袈裟なため息が、彼女の顔に浮かぶ戸惑いを深める。
「それは――」
「果たして本気で好きでいてくれたのやら」
「……疑う気?」
明後日の方を向いて大仰に肩をすくめる俺に、美影さんは幾分気勢を削がれた声を返すのが精一杯の抵抗だった。
美恵先輩の純真を疑いたくはなく、かといって彼女が俺を思っていた事実を認めたくもない。その板挟みが声を弱めたのだろう。顔を見なくてもそんな動揺が伝わってきた。
「そら疑いたくもなりますって」
「あなた――」
我ながら挑発とも取れる軽薄な口調に、彼女の顔が気色ばむ。
ヒヤヒヤもんだけど、これも計算のうち。半眼で抗弁を立てようとした彼女の虚をつくタイミングで、いきなり視線を合わせてやる。
「アンタと違って、俺は断片しか思い起こせていないんだ。信じらんないのも無理ないっしょ」
――ここだけは本心だ。
自分で口にしていて情けなさが襲ってくるが止める訳にはいかない。見下ろす目線を微動だにしない俺とは正反対に、美影さんは自身の頭の内を表すように視線をせわしなく動かしている。
だがその実、俺は多分に動揺を移すその瞳ではなく、更に後ろにあるものへと焦点を合わせていた。
彼女肩越しに見えるのは、一昨日起きた時のまま、乱れた掛け布団が無造作に横たわるベッド。
「てえか、俺はなんで付き合ったんだろうね。先輩と」
「え……」
テーブルとベッド、ただでさえクッション一枚置くのが精いっぱいといった狭い隙間に2人が向き合っている。
「話に出てこなかったって事は、アンタみたいに大したエピソードがあったわけでもなさそうだし。なんでも話す仲だったんでしょ?」
低い声で告げながら僅かに詰め寄っただけで、これ以上近づかれたくない彼女が下がろうとする。そうなれば膝の裏が引っ掛かり、体が後ろに倒れ込むのは当然だった。
きゃ、と小さく悲鳴を上げてシーツと掛布団の上に投げ出される体。ひとつボタンの開いたシャツの隙間から、白い素肌と緩やかな曲線が覗いた。
「顔と体だけ見てたのかもなぁ、意外にも昔は肉食系だったりしてさ」
半分覆いかぶさる形で無造作に、かつ乱れて広がる髪を引っ張らないように、首と肩の間に手をついて逃げ道を塞ぐ。
そこではじめて自身が背を預けているものが何なのかをやっと思い起こしたのだろう。俺の言葉と結びつけて意味を察したのか、彼女の体が強張っていくのが触れなくとも解るようだった――んですが……。
(抵抗、まだですかね)
腿の間に曲げた膝を置き、更に距離を詰めながらも、内心そろそろ焦ってきていた。
話を聞く限りいくら『こういう事』と無縁な過去を過ごして来た彼女をしても、遅い気がする……ここまで迫るつもりはなかったのだが。
カーテンの隙間から差し込む僅かな日差しでは、その光はとてもベッドまで届かない。俺の体が遮っているんだからなおさらだ。
「あ――」
首のすぐ横に置かれた俺の手を振り払いもせず、薄暗闇の中顔を背ける彼女の頬。若干朱が走っていた気がする――のは、多分上がった心拍のせいだろう。
そういうことにしてないと、なんというかやっていられない。
「何、を――」
か細い声が耳をくすぐってくる。いかん、響く。
いやもう頼むからそろそろ引っ叩いてくれ。
いい加減沸き起こる気恥ずかしさを必死に堪えて肩口に触れた途端、体中から跳ねるような震動が伝わってきた。
やっとかと衝撃に備えたものの、彼女はぎゅっと目を瞑っただけ。逃れようとも腕を振り払おうともしてこないどころか、罵声のひとつも聞こえてこない。
続く沈黙が、ひたすら耳に痛い。
(あーもう……)
ダメか。
口で言わなきゃダメなのか。
終わる気配のない間にあきらめをつけ、自分でも異性に向けるものとして思いつく限り下劣な言葉を頭の中で必死に紡ぎだす。
「しかし本当に似てますね。すれば理由も思い出すかも。試していいです?」
無論、口だけ。
これ以上進めば、マジで
「ま、ナカまで同じかは――」
と言いつつもさり気なく体を離し、左の頬を微妙に差し出してやる。今の耐性で美影さんが比較的自由の効く右手が届きやすいようにだ。
そんな地道な努力の甲斐あって、手を止めていることを悟られない様に下種な言葉を吐く口の左側を、待ち望んでいた強烈な衝撃が襲った。
「あ痛ってえ!」
「最ッ低……!」
確かにぐわん、と脳が揺れた。
頬を張った腕とは逆の手で、美影さんは身を守るように掛け布団で体を隠す。その瞳には普段通り俺に向けられる怒りと侮蔑が戻っていた。
幾分、戻り過ぎている気もするが。
「はいはい。じゃあとっととその最低野郎と一緒に動かなくて済むように、今できる事をやりましょうね」
未だに焦点が定まらない。足にもキてる。
このまま密着してたら次に何が飛んで来るか分かったもんじゃない。身の安全を得るためにとっとと体を離して普段の口調に戻す。
「……首吹っ飛ぶかと思ったわ」
頬を擦る俺を見る彼女の顔から強張りが消えていく。
流石にあからさま過ぎたか。決死の演技とそれに込められた意図を読み取られてしまったようだった。
「そうね、あんまり興奮すると戻れなくなるかも。お互い」
あっさり身を引いた俺を見てしばらく呆気に取られて彼女が、やがてそう零すとともに小さな声で笑う。
「……まずは貴方に託されたっていう鍵を探しましょうか」
「ええ」
名残も情緒もなく俺達はベッドを離れ、家じゅうを探るべく部屋の明かりを灯ける。
音もなく照らされた白色光の下、平静を取り戻した心拍で見るその顔には今も僅かに朱が残ったまま――
というのは、多分伝えない方がいいのだろう。お互いにとって。
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