48『迂闊に付け込み過ぎると痛い目を見る』
「未だ呼び出しは無し、か……」
電車を降りて端末を開き、通知ランプが光っていない事を確認して一人ごちる。安堵でもあり、同時に早くその時が訪れてほしい様などこかもどかしい感覚を胸の内に抱えながら、俺は藤沢総合病院に続く道を歩いていた。
この変な緊張が続くのは歓迎すべき状況ではないが、鈍った体を少しでも鍛え直す猶予が延びたと考えておこう。
(しかし、最後の質問はなんだったんだろう……)
駅から病院までは5分ほど歩く。その間にも幾度となく、頭の中で社長の謎かけを反芻していた。
あの口ぶりからして、その問いに対する答えが何か重大なヒントであることは間違いない。
「うちが大きくなった要因、か……あー……なんだったっけなぁ……」
入社前に斜め読みした会社資料には確かに書いてあったし、最近何かのニュースで見たような気もするのだが……。
「製薬課が絶滅植物の再生に成功し、その成分を薬品に転用する技術の開発」
「あーそうだったそうだった。こないだニュースでやって――」
って。
ごく自然と独り言に合流してきたその声に、もはや驚くことも無くなった。そのもとへと首を向けるとやはりというべきか、三吾がしれっとした顔で後ろを歩いていた。
「もしかして、俺監視してるのってアンタじゃないよな?」
歩調を落として横に並びながら半眼で呻くが、彼女は都合の悪いことが聞こえない耳をしているようで、こちらに目を向けることもなく続けた。
「そこまで暇じゃない。新規営業先に行く時の決まり文句だけど、覚えていないの?」
「どっかの誰かさんと違って生憎新規開拓行かせてもらえないもんでー……」
皮肉に皮肉で返しながら、俺は得た情報に心の中で引っ掛かりを感じていた。
三吾の言う事が正答だとして、社長の問いかけが俺にヒントを与える腹積もりだったのならば、絶滅植物の再生、あるいは成分の薬品転用とやらがハイチに行ったことと何かしらの接点があるはずだ。
問題は、それがどんな接点なのかの見当がつかない事だが――
「で、それが何か?」
……こいつ、もしかして自分がヒントを与えたことに気付いてないのだろうか。
(それなら)
「いーえー。俺が記憶を失う前に旅行行った事とそいつが密接に関係しているみたいなんで―。あーそーいうことかーなるほどねー」
いやまぁ、ホントは未だまったく見当はついていないのだが。
あたかも明察を得たような表情を作ると、そこで初めてこちらの意図に気付いた三吾がしまった、と言う表情を浮かべた。そこからわざと歩調を早めて正門をくぐった俺に小走りでついてくる。
「間違えた。さっきの話はライバル会社のもので――」
「いやもう無理ですから」
(こいつ想定外の事態に弱いのか……)
表情こそ崩していないものの、普段と比べて明らかに立っていない弁を聞きながら、照明の落ちた病院のロビーを迂回する。
(ハイチ。ヴードゥー教。個人渡航。ゾンビ。絶滅植物の復元。医薬品転用)
フェンスをくぐりながら社長とのやり取りと三吾から得たヒント。その中で際立った単語を頭の中で羅列していく。それらを関連付けていく文を練り上げようとする思考を、宙を踏もうとした右脚と落下する感覚が遮断した。
(っと、もう着いたのか)
なんとか両足で接地し、膝を曲げて衝撃を逃がして崩れそうになった体勢を立て直せた事にほっと息をつく。無用な怪我に気をつけろと言われた矢先、こんな阿呆くさい理由で足首を捻ってはたまったものではない。
「間違えた。私としたことが競合他社の――」
後ろから続いた革靴が地面を叩くごく小さな音と、それとは対照的に僅かに上がった三吾のトーン。どうやらこちらが無視を決め込んでいると思われたらしい。
というか、まだ反論していたのか……。
「はいはいわかったからそっち持って」
いい加減流すことにして、逆側の取っ手を指さす。まだ納得いかない様子を見せながらも、意外と素直に手を掛けてくれた。
「せぇ、のっと!……お先にどうぞ」
開いた穴に着替えの入ったバッグを放り込んでから、指さしてそう促し、今度は力を段階的に緩めてゆっくりと蓋を閉める。
そうして降り立った先には誰もいない。適当にあしらわれたことが癇に障ったのか。彼女はこちらを待つことなく先に行ってしまった様子だった。別に急ぐわけでもなく後を追いながら、中断していた思考を再開する。
……単純に単語を繋げて考えてみよう。
まず俺は薬学なんてものに知識は無い。学生時代もバリバリの文系だった。その前提で考えるとやはり同行者がそちら知識に明るい、それも実現して20年と経たない、未だ発展途上の技術に目をつけている先駆者という事になる。
それがヴードゥーの教えに興味を抱いて渡航、か。そこに自然な理由を求めるならば――
(そういえば、伝承の中のゾンビなんちゃらって)
昼間見たページを思い出そうとして、そこで急に視界が明るくなった。別に比喩的な事でもなんでもなく、単に三吾が部屋の明かりをつけただけだったのだが。
「三吾さん」
改まって名前を呼ばれたことに余程驚いたのか、着替えを終えてシューティングレンジに向かっていた三吾が足を止めた。
「……何?」
こちらを見る目にありありと警戒の色が伺える。さっきと同じ轍は踏まないということか。沈黙に疑念を抱かせない程度、頭を働かせてから口を開く。
「たしか、さっき言っていた技術って、既存の植物には転用できないんですよね?」
「……何言ってるの。絶滅した植物を復活させる技術が、現存しているものに転用できない訳……」
そこまで言ってしまってから初めてこちらの意図に気付いたようで、三吾は慌てて口元を手で押さえた。案外ちょろいなこいつ。
「あぁ良かった。聴き間違いじゃなかった。ありがとうございます」
返事の代わりにガンラックを乱暴に閉める音が聞こえた。ついで昨日よりも早いテンポの銃声が響く。今日の獲物はハンドガンのようだ。こちらに向けられなくてよかった。
(ゆーて、ちょっとやりすぎたか)
反省を浮かべたものの、今更謝っても恐らく逆効果だろう。心の中で頭を下げながら着替えを取り出し、俺も体をほぐし始める。
とかく確認は取れた。同行者がハイチへ赴いた目的は恐らく、太古のゾンビパウダーについての調査。その成果かどうかは知らないが、今こうして俺達がいる。それぞれが無関係と考える方が不自然だろう。
(とすると同行者は、石井社長か藤沢院長と接点のある人間ということになる)
全くの第三者が独自に研究を進めて、後に社長らと協力した、という線も考えられなくはないが、当時
更に言うならば、現地にわざわざ飛ぶというのはある程度先の見通しが付いている事の証左に思える。その行為が空振りに終わらず、自らの仮説を実証するための場と力にアテがあるという事だ。
縄跳びが床を叩く定期的なリズムを聴きながら、更に考察を深めていく。
――じゃあ、俺はどうしてそんな奴と知り合っていたんだ?
文系と理系、男と女。おまけに聴く限り相当な行動派。今頭に浮かんでいる同行者の人間像と俺は、見事なまでに合致するポイントがない。
「あ痛っ」
考えが詰まると同時に縄跳びの先が足の甲を打った。ぴちりと響いた甲高い音に、それまでひたすら無心に的を撃っていた三吾の意識が僅かにこちらを向いたのを感じた。
彼女は三吾社長の身内でもあり、年齢的にも合致するけど流石に……
(いや、ちょうどいい、か)
探し物の常だ。先に一番有り得なさそうな可能性を潰してみよう。
「……三吾さん」
さっきの件もあり、やや遠慮がちに声を掛ける。が、やはり返事は返ってこない。
「三吾さーん」
はい、無視。
おまけに再び銃声が始まってしまった。これではカマを掛けようにも聴く耳を持たれないんじゃないか……。
切欠でもいい、何か強烈に興味を惹くような言い方があれば。
――いや、あるにはあるけど、後が怖い。構えている獲物がこちらに向くかもしれない。
しばらく必死に別の手立てを探したが、努力空しくやがて腹を括る。縄跳びを置いて近づきながら、覚悟を決める為の深呼吸をひとつ。
「俺と三吾さんって、今年で付き合って何年目――」
「笑えない冗談ね」
俺における精一杯の朗らかな声を遮って返ってきたのは、胸ぐらを掴む左腕と今までで間違いなく一番温度の低い声だった。片手で構えられた銃口はこちらに向くどころではなく、ゴリッとこめかみに突き付けられている。トリガーに指が掛かっていないことが唯一の手心だが、それが却ってより純粋な怒りを買ったことを表していた。
「……ですよねー……」
冷や汗が頬を伝い落ちるのを存分に感じながらそれだけ呟くと、三吾は言葉で表せないほどの剣幕でしばらくの間俺を睨めつけ、やがて乱暴に手と銃口を離した。せっかく縄跳びで温まった体が数段温度を落とした気がする。
(まぁ、あの様子じゃやっぱり鏑木の言う事は聞き違いだろう)
あれを照れ隠しと言うなら、獣の威嚇は全て求愛行動になってしまう。
ともあれ、ひとまずは当たり直しだ。高柳君への連絡が返ってくることを待ちつつ、和也へもコンタクトを取ろう。糸口をつかめれば、そこからは答えに向かって進むだけだ。
(それまでに、俺が殺されなきゃだけどね……)
上向いた気持ちに水を差すように、自分の冷静な部分が告げてくる。
首尾よくそのに答えに辿り着けたとしても、そこはいくつもあるであろう中間点のひとつに過ぎない。
そしてそれまでに、そしてそれからも幾度かは、あるいは幾度も修羅場をくぐり抜けなければならない。そのためにはまず、出来うる限り体の動かし方を思い出しておかないと……。
(そういえば――)
ふたたびアップを行いながら、俺はふと、三吾と初めて会った日の事を思い出していた。
……ならどうして俺は、逢ったことがないかなんて聞いたんだろう。
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