37『あしたのために・その1』
それがなんなのかという見当をつける前に、彼女は黒いジュラルミンケースに手を掛ける。ばちんという小気味良い音が部屋に響いた。その中にも緩衝剤に包まれたパーツが入っていたが、今度はその特徴的もあって、ロッカーの中に入っていたものと組み合わせたイメージがはっきりと頭の中で結ばれた。
「ここ、日本ですよ……?」
レンジを見た時に浮かんだ思いを今度は口に出す。自分の身に起こっていることを鑑みれば、その問いは今更に過ぎるのだが。
案の定、慣れた手つきで彼女パーツを組み合わせると、瞬く間に見覚えのある一丁のピストルが姿を現した。
「銃刀法には抵触していない。火薬を使うものではないから」
俺の動揺を意に介さず事もなげに言い放ち、ラックから取り出すと、ロッカーの下に備え付けられたチューブに手を伸ばし、先端に着いた金具をグリップエンドに押し付けた。ガスが充填されていくどこか間の抜けた音が、この広大な部屋にやけに大きく響く。
「ガスガン?」
外国の空気銃には狩猟用のものもあるって聞いたことがあるけど、いざガスを詰めている光景を目の当たりにすると、どうしても子供の玩具に見えてくるそれを指さすと、彼女は静かに頷いた。
「充填するものも、使う弾も違う。レンジから出て」
言われるままに数歩下がると、三吾はヘルメットを着け、顎の下あたりを人差し指で二度叩いた。ぴぴっ、という軽い電子音と共に、バイザーの彼女の右目を覆う部分に光が灯る。それと同時にレンジの奥に人の上半身を模したターゲットが現れ、目で追うのも一苦労なほどに激しく動き出した。
――明らかに、狙うものが人である事を想定した速さではない。
「ステージⅢになってしまえば、被験者は脳のタガが外れた状態で、欲求のままに襲ってくる」
説明を続けながらも手は止めず、マガジンを外すと弾の代わりに透明な箱のようなものを中に落とし込み、再び嵌め直すと標的に向かって銃を構えた。それに倣い俺も彼女から動き回る標的へと視点を変えるが、とてもじゃないが俺にはあれに弾が命中するイメージが浮かばず、目線を彼女に戻す。
しかし、バイザー越し僅かに見えるその眼には、一点の迷いすら伺えなかった。
「だから、ミイラ取りがミイラになる前にリスクを抑えて確実に――」
一瞬、銃を構える腕に光の線が淡く浮かんだ。それとほぼ同時にばしん、という嫌と言うほど脳にこびり付いたあの音が部屋に響き渡った。
「仕留める」
構えを解いた三吾が脇にあるパネルをいじると、でたらめに動いていたターゲットがぴたりと止まり、幾分低いモーター音と共に標的が近づいてきた。胸を中心に描かれた円は、その中央に最も多くの穴が穿たれ、一番外の枠に向かって段々とその数を減らしているのが見えた。近づいて更に目を凝らすと、無数に空いた穴の周りが僅かに濡れているようだった。
「水……?」
「特殊な薬品でできた微細な氷の針を撃ち出している。これなら現行の法律で取り締まられることもないし、銃声も比較的静かで、硝煙の反応も残らない」
彼女の手に握られているものはなんら形を変えていない。
――はずなのに、視界の中心に捉える俺からは子供の玩具と言う印象は完全に消え失せ、冷たく人の命を奪うものに映っていた。怖気を覚える俺をよそに、新しく標的を出現させた彼女は、再び視線の延長線上へと銃を上げる。
「距離にもよるけど、着ているスーツを貫通する程の威力は無い。だから貴方が被験者の動きを奪っている間に中距離から胸に一発。痛覚が残っているならばこれで終わりだけど、中には完全に症状が進み、脳の電気信号だけで暴れるケースもある。だから」
言いながらトリガーを引き絞る刹那、三吾はさっきよりも僅かに銃口を上に向けた。
「最後はここ」
再び響く銃声、さっきと同じように近づいてきた標的は、今度は頭部、とりわけ額に穴が集中していた。
これがもし本物の人間のものだったなら、想像に難くはないが想像したくはない。
「前みたいに、胸が狙えない体勢の時は、初めからこっちを狙うけど」
「一体どこでこんな技術を……」
「基礎は学生の時に。エイムのサポートはメットがやってくれる」
レンジから目を外さずあっけらかんと答える三吾。
あんたは漫画の主人公か何かか?と反射的に問いたくなったが、相変わらず表情は真面目そのものなので黙っておく。ともあれ、使い方も見当つかないこのあたりの用具が俺の役に立つ事は無いだろう。与えられた役割はあくまで対象の自由を奪う事なのだから。とすれば――
「俺が使えそうなのは、筋トレの道具くらいですかね。間接取る練習相手でもいればいいんですけど」
「嫌。それに、多分意味ないと思う」
そう言われてステージⅢには自我がないことを思い出す。関節を取って自由を奪う、というのは相手が痛みを感じることが大前提だ。骨折なにするものぞとばかりに暴れられては意味がない。馬乗りになって筋力で抑えるか、あるいは絞め落とすか。今浮かぶものはこれくらいだった。
なんにせよ、先ずは鈍った体を鍛え直す所からか。社会人になってからと言うもの運動と言うものにとんと縁が無くなってしまった。なおのことあの夜鏑木の動きについていけたのが不思議に思える。
あるいは、その直前まで半分意識と関係なく薬に操られていたせいか。
体の筋を伸ばしながら想像を巡らせているうちに、三吾は獲物を持ち替えていた。ストックを肩の付け根に当て両手で構えているのは、どこぞの軍隊で使われていそうな物々しいライフル。映画で見るものよりもボディが細いような気もするが、詳しくない俺に正確な差異がわかるはずもない。恐らくあれも火薬の出ない特殊な構造とやらをしているのだろう。
正確にターゲットの中心を射抜く腕は、素人目に見ても達人であることが分かったが、いくら見物したところでどの道俺に扱えるわけもない。
早々に諦めをつけて、俺は手近なベンチプレスへと向かった。
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