36『意図せぬパワーアップイベント』

「院長と社長の趣味、彼ら、意外と子供っぽいところあるから」


 しゃがみこんだままの三吾から珍しく僅かに感情の乗った声が届く。それは羞恥だろうか。別に自分の趣味を見咎められたわけではあるまいに。


「はぁ、さいで」

「少し重い、手伝って」


 言いながら三吾が指さした先を払うと、同様にもう一つ取っ手が出てきた。


「せぇ、のっ」


 どちらともなく掛け声を上げ力を込めると、たっぷりの抵抗を伝えながら5、6センチはあろうかという厚さの鉄板が持ち上がる。なるほど、これは確かに独力では骨が折れそうだ。


「梯子になってるから。持ち手はそこ」

「へ?」


 それだけ言い残すが早いか、2つの鞄を片手で鷲掴んだ三吾の姿が下へと吸い込まれていった。単純にさっきまで感じていた重さの倍が俺の腕に襲い掛かる。


「んぐっ……」


 苦悶の声を上げながら、足元に広がる闇を覗き込む。どうやらここの往来に慣れている三吾は飛び降りたようだ。とはいえ深さはそれほどでもないようで、暗さに慣れてきた俺の目に、うっすら彼女の頭頂部と背中が見える。


(飛び降りるならそう言えよ……)

「早く」


 こちらの腕の痺れと心中の悪態を知ってか知らずか、三吾は僅かに首を上げてこちらを急かしてきた。


「あぁ、はいはい」


 体を滑り込ませ、右手で梯子の3段目を掴む。やがて残った左手が支えていた天板から剥がれ――


「あっ!」


 突如三吾の短い叫びが響く。それが何を意味するかを察する前に、頭のすぐ上から鼓膜どころか脳味噌まで揺さぶられるような轟音が響き、地面が揺れた。

 ……もう少し頭が近かったら、あの衝撃を体で受け止めていたってこと……?


「は、ははは」


 驚愕と恐怖、そして寒気が容量を超えると絶叫すら出なくなる。戦慄く体で俺はそれを存分に噛み締めていた。


「気をつけなさい」


 笑い出す膝を制しながらなんとか底にたどり着いた俺に、彼女の短い叱責が飛んできた。


「あの鉄板、思ったより重いんですね……」

「当然でしょう。120キロはあるんだから」

「へー120……120?!」


 まるでそれが当たり前だと言わんばかりの口調に素っ頓狂な声を上げてしまう。やけに厚いとは思っていたが……というか。

「俺達、それを持ち上げてたんですか……?」

 分担したとしてひとり60キロ、成長期差しかかりの中学生くらいの重さだ。これだけでも生半可な事で持ち上げられる重みではない。その上俺はほんの短い間だが120キロ……ちょっとした力士を片手で支えていたことになる。

 

「あの薬には身体能力を上げる効果もあるから」


 降りた鉄板により完全に外界と遮断されたからなのか、俺の声量を注意するでもなく、三吾は普段のトーンで答えながら、壁面のタッチパネルに軽く触れる。スライドする扉と共にぼんやりと灯り始めるライトを見ながら、鏑木が平気で三階の窓から飛び降りて、そのまま何キロも全力疾走していたことを思い出していた。

 あの時は混乱でそんなことを思う暇もなかったが、それに着いて行ってた俺も大概人間離れし始めているという事か。


「どちらかと言うと脳のリミッターが外れているからという理由が大きいけど」


 補足を加える彼女のさらに奥に広がっていたのは、暗色の壁と地面。天井と壁に埋め込まれたLEDが過不足なくその空間を照らしていた。手前には見覚えあるものからいくら眺めても用途すら見当つかない様々なトレーニング器具が並んでおり、奥にはアクリルで仕切られたブースと耳当てが置かれた机、その先には幾重もの円と数字を刻まれた人体を模したプレート――。


「シューティングレンジ?」


 ……この日本で?以前見た映画の知識から限りなくそれに近いものをまさかと思う気持ちで口にすると、彼女はまた事もなげに頷いた。


「貴方が使う事はないでしょうけど」


 そう続けながら三吾は備え付けられたロッカーを開け、中から黒いショルダーバッグを取り出した。


「更衣室は無いから、適当に着替えて」


 向き直りもせずこちらに放り投げられたそれをなんとかキャッチし、紐をゆるめて中を見ると、これまた真っ黒なトラックスーツの上下が入っていた。

 触ってみると関節の部分以外はかなり分厚く作られており、かといって柔軟性が失われてはいない。僅かに光沢があり、手触りはレザーとポリエステルの合いの子のような滑らかさだが、素材がなんなのかは見当もつかない。

 広げて眺めてみるが、下はともかく上をどうやって着ればいいのかわからない。首元はどう考えても頭が通らないほどに小さく、かといって開くジッパーもついていない。


「あの、これどうやって――」


 一度スーツから目を離し頭を上げた俺の目に飛び込んで来たのは、何の躊躇もなく上半身の服を全て脱ぎ捨てている三吾の背中だった。映るシルエットには女性特有の丸みと言うよりは、過不足なく着いた筋肉の方が強く主張している。

 彼女が僅かに姿勢を斜めにすると、普段目にするスーツ姿では目立たない、意外な程大きな……

 

 って。 

 

「ちょ、おまっ」

「ジッパーは脆弱性に繋がるから付いていない。首元はかなり伸びるからそのまま頭を通して」


 いくら背中を向けているものの、俺が見ている事に気付かない訳は無かろうに。彼女はそのままパンツスーツのベルトを緩め始めながら、あろうことか完全に振り返ろうとしたので慌てて止める。


「……さっきから、何?」

「いやいやいやいや、少しは気にしましょうよ」

「何が?」

「……もういいです」


 社長たちの趣味を説明した時の恥じらいはどこへ行ったのだろうか。あくまで堂々としている彼女に何故か敗北感を抱きながら、反対側の壁まで移動し背中を向けながら着替え始める。


(かなり伸びるって言っていたけど……)

 被ったスーツの上を半信半疑に下へ引っ張ると、なるほど抵抗も僅かにあっさりと顔が穴の外へと抜ける。得心と共に覚えていたのは、初めて手にしたはずのこれをという、不思議な感覚だった。

 靴下を脱いで、踵まですっぽりとを包み込む下を履いた時も同様で、軽く跳んだり足を曲げたりしてみるが、そのたびに伝わる服の伸びも僅かな突っ張りも、驚く程馴染んでいる。


「繰り返すけど、私達の体は常に脳のリミッターが外れている。だから不意に力を込めると体に容赦なく反動が来る。この服はそれを和らげるもの」


(じゃあさっきのアレで思いっきり反動来たって事かい……)

 渋面を浮かべながらしゃがみこみ伸脚を繰り返している俺に、背中から声が届く。振り返ると、そこには俺と同じ格好に着替え終わった三吾が立っていた。


「院長も言っていたけど、私達は怪我を負う事に普通の人以上のリスクがある。これは覚えておいて」


 『普通の人』という単語を繰り返す所には、何か含みがあるのだろうか。そんなことを思いながら首肯を返して立ち上がる。


「具体的にはどんな?」

「あの薬が劇的な治療薬と呼ばれる所以のひとつは、代謝促進による自然治癒力の爆発的な向上にある」

「……つくづく空想じみた話ですね」


 茶化すつもりはなかったのだが、つい口を挟んだ俺に三吾の顔が僅かに歪む。小さい舌打ちを残した彼女はそのまま短く息を着くとさっさとシューティングレンジの方へと歩いて行ってしまった。 

 慌てて後を追いながら謝っても、彼女はこちらを向こうともせずに、ブースの脇に添えられた縦長のロッカーに鍵を差す。


「真面目に聞かないと結局犬死にだけど、別にそれでもいいならもう帰ったら?」

「すみませんでした」


 もう一度謝罪を述べると、仕方なしと言った風を存分に纏わせて手を止め、やっとこちらに向き直った。


「……私たちの症状が大きく進行する要因のひとつに、その代謝促進がある」

「つまり、怪我をすればするほど危険と」


 これがさっき口にしていた『普通の人以上のリスク』か。その推量は当たっていたようで、三吾は短くええ、と答えて続けた。


「一度目が覚め、人の肉やテュエを定期的に接種して正気を保っている状態を、院長たちはステージⅡと名付けた。それが完全に自我と正気を失って始末されるのを待つ状態をステージⅢと呼んでいる」


 そこで一度言葉を切り、三吾は再び鍵に手を伸ばす。


「そこに至る期間は個人差があったけど、治った筈の病気が再発したり、再び大きな怪我を負った被験者は例外なく極端に短い時間でステージⅢへと変わって行った。恐らく鏑木君の進行が早まったのは、オーバードーズで身体に掛かった負担が原因」


 子気味のいい音と共にゆっくりと口を開くロッカーの中から、薄いスモークが掛かったバイザーのついた真っ黒なジェットヘルメットと、艶消しが掛かったなにかのパーツをいくつか取り出していた。



 

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