18『事態の解決≠疑問の解消』

「では、本日の夕礼を終了します。1日お疲れ様でした」


 聞き慣れた文句を聞きなれない声が発し、業務が終了した。

 営業課の面々がそれぞれぎこちない様子で小林課長に報告を読み上げる最中、俺は名前を3度呼ばれるまで反応を返すことが出来なかった。

 周りの景色も、音も、すべてが透明な壁を一枚隔てた先の事。そんな錯覚を覚える程に頭の中が課長の恨み節に支配されている。


(いったい何が俺のせいだっていうんだよ)

 鏑木は元気に姿を見せた。俺たちの取り越し苦労だったという事が証明された今、責められるのは課長自身の部下管理責任だけであって、俺には何の非もないだろうに。


(でも――)

 彼は決して単なる八つ当たりなどではなく、真に迫った憎しみをこちらに向けていた。俺を睨みつけた視線の冷たさと声の低さを思い出す度、ぞくりと背中が震える。しかし、それが何故俺に向けられているのか見当もつかない。


「そろそろ帰りますが、石井さんはまだ残りますか?」


 答えの出ない疑問に頭を悩ませている俺に背中から声がかかり、はっと顔を上げる。気づけばフロアには課長と俺を残すのみとなっていた。


「す、すみません」

「一日仕事に手がついていなかったようですけど、何か悩みでもあるなら聞きますよ?」


 慌てて鞄を手に取って椅子から立ち上がる俺に、どこかたどたどしい口調で訪ねてくる。これは皮肉ではなく、部下と交流を多く持ち早くこの課に馴染もうとするが故の行動だろう。


「いえ、申し訳ありません。明日からはちゃんとします」


 どこにもそんな保障はないが、とりあえず答えておく。頼られなかったのが残念なのか少し気落ちした表情を浮かべている課長に一礼し、ひと足先にフロアを出る。


 1階で待機しているエレベーターは使わず、階段で下まで降りることにした。今のタイミングで籠の到着を待てば当然、後ろで帰り支度をして小林課長も乗り込んでくるだろう。気まずい空気を密室内まで引きずりたくはない。

 エントランスへと出た頃、端末が短く震えた。


(メール?誰からだろう)

 外へと出ながら差出人名を確認する。


「――あ」


 思わず声が出て、同時に開封しなくても本文の内容が分かった。鏑木だ。昼間の一件で受けたショックのあまり、呑む約束をしていたことなどすっかり頭から抜け落ちていた。

 返信するより直接話した方が早い。昨日彼を待ったモニュメントの脇に腰掛けて、端末を耳に当てる。


『いつまで人を待たせるんだよ。まさかあのまま椅子で今の今までぼけーっとしてたんじゃないだろうな?』


 一度のコールも挟まずに聞こえてきた彼の声は明らかに苛立っていた。普段なら多少の遅れは大目に見る性分の彼にしては珍しい。適当に詫びて、彼と落ち合うべく現在地を尋ねると、予想だにしない答えが返ってきた。


『K線のM大前だよ』

「遠っ!わざわざ乗り換えるんかい……」


 鏑木の口から出たは会社の最寄駅から私鉄に乗り換えて十分は掛かる駅の名前だった。彼にとっては自宅と会社を結ぶ経路上ではある。それ故の事だろうが――


(じゃあなんでそのまま乗り換えて帰れる新宿にしないんだよ……)


「『会社の近くじゃできない愚痴』もあるだろ?新宿みたいに馬鹿でかいターミナルだとどこで誰が聞いているかわかったもんじゃないしな」


 その返答が、昼に送ったメールでのカマ掛け予想以上の成果を挙げたことを示していた。やはりというべきか、彼からも俺に話したいことがあるようだ。


(その上――)

 会社から離れたマイナーな駅に別々に向かい落ち合うという、彼に似合わない周到さが抱えている話の重大さを物語っているように思えた。

 恐らく夕礼の後、呆けている俺に声を掛けなかったのもわざとだろう。


「適当に店に入って時間潰してるから、なるべく早く来いよ」

「わかった」


 これで、瞬く間に俺を取り巻いたいくつもの疑問が消える。そんな確信めいた思いを抱える胸に、背筋を伸ばして深く息を入れる。


「――よし」


 一人静かに気合を入れ、いつも帰る道とは反対の方向へと歩き出した。

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