第9話 伏見の恋人と革命2
由愛と恋人同士となった伏見は、一躍施設内のスターになった。美人の恋人がいる伏見を周りの障害者の誰もが羨ましがった。二人は夜な夜な廊下でお互いの手と足とを使って愛し合い、時としては六人で生活する部屋に由愛を連れ込むことさえあった。自室ではもっと大胆に、互いの口を使って愛し合うこともあった。窓際で愛し合う二人の姿は月夜を浴びて薄いカーテンにその姿を映した。それを同室のものは見て見ぬふりをし、また伏見達もみられることに快感を覚えた。時には声を出してしまうことも…… そんな時も同室の仲間たちはわざとにテレビのボリュームを上げ、聞こえないふりをしながら聞き耳をそばだてた。あるいはその声をオカズにしていたものもあったかもしれない。
まだ若かった伏見は時として結婚の話題を口にすることもあった。いつか結婚してこの施設を離れてふたりで暮らそうと言った。そのたびに由愛は閉口し、気分を害した。
あとから思えば無謀な考えだった。由愛はともかく、日増しに悪化していく筋ジストロフィーである伏見はやがて自分で歩くこともできなくなる。その彼のケアをするのは一体誰か? 障害を持った由愛に果たしてそれができるはずもなかった。
ある日、伏見は施設の職員に呼び出され、由愛と愛し合う行動について激しく非難された。自分たち障害者には性的行為をする権利すらないのかと訴えたが、職員たちは聞く耳を持たなかった。仕方なしにその場は引き下がった伏見だったが、職員たちは本気だった。
施設内で由愛のガードが固くなり、夜な夜な逢引をすることはできなくなった。部屋も変えられて昼でさえなかなか会うことが出来なくなってしまった。そして生きる希望をそがれ、打ちひしがる伏見の耳にさらに追い打ちをかけるような噂が飛び込んできた。
〝由愛が結婚してこの施設を出ていくらしい〟
耳を疑った。そんなはずはないと由愛のもとへ行って問い詰めた。
「ほんとうだよ。」
「なんで?」
「だってあなたとは本物のセックスはできないでしょう?」
「え……」
二の句は継げなかった。何度か試みようとしたこともあったがどうしても無理だった。あるいは誰かの介添えがあれば不可能でなかったかもしれないが、二人の愛の行為に介添えが居合わせるなんてやはりこの国では考えられないことだ。たしかにスウェーデンやデンマークといった障害者先進国ではそう言うこともあるのだと聞いたこともあるが、やはりそれはまだまだ異国の物語にしか聞こえなかった。
「それに…… それにあなたはどんどんと衰えていく。今のあたしたちにできないのに、これから先出来るようになるわけないじゃない。だからあたしは健常者と結婚するのよ。健常者とならちゃんとセックスできるもの!」
それを言われてしまえばもう、立場はない。もうあきらめるしかないと思いつつも何かを言わなければ我慢がならなかった。
「ゆ、由愛はそんなにセックスがしたかったのか!」
「はあ? そんなのあたりまえじゃない! あなたは違うというの? あなただって本当はセックスしたいんでしょ! セックスして子供を産んで育てたい! 普通の人間が普通にしていることをあたしたちだって普通にしたい。ただそれだけのことでしょう? あたしたち障害者にはそれをする権利だってないっていうわけ?」
「……」
伏見は絶句した。よもや自分が職員に対して訴えた言葉をそのまま自分に向かって向けられるなんて思いもしなかった。
由愛はその後すぐに結婚して施設を去り、ささやかな家庭の主婦となった。その相手というのが施設の職員だと知らされたのはそれからずっと後のことだった。もし、もっと早く知っていれば自分がどうなっていたか想像はつかない。
結局のところ、誰だってセックスしたかったのだ。それはあたりまえのことで、伏見と由愛にとってもそうであり、また二人をはたで見ていた周りの障害者にしてもそうであったに違いない。
その後しばらく伏見はふさぎ込んだ。しばらくふさぎこんでいたが、彼のことを慰め、応援するものもたくさんあった。
ある日、彼のことを慰めようとしてくれていた一人の女性があった。由愛と同じ脳性まひの患者だった。寂しさを紛らわすように伏見は彼女の頭を抱きしめ、下腹部に手を忍ばせた。
激しく濡れていた。
由愛と同じだった。
聞けば彼女は由愛とは知り合いで、由愛から伏見との性愛についての話をよく聞かされていたというのだ。そしてその話を聞き、自分も触ってほしいと常に考えていたのだという。手が使えず自分では触ることさえできず、シャワートイレのビデで繰り返される自慰行為の毎日を聞かされた。伏見はそれに大きな衝撃と、歓喜とを感じた。
そして伏見は目覚めた。
自分との性行為を求めている人間はいくらでもいることに気が付いた。伏見はありとあらゆる女性の下腹部その手を忍ばせていった。嫌がるものはほとんどいなかった。そして多くの見返りを求めた。障害者の多くは、誰が何と言おうとやはりできることは限られる。限られるからこそ必要以上に迷うことも少なくて済む。
目の前に〝性行為〟という自分に可能なものを提示されれば、それを選ぶまでにそんなに迷いはない。
伏見はその人生に〝性行為〟を選ぶことを決意した。それは他の障害者にとっても同じことで、多くの諦めかけていた障害者たちも〝性行為が可能だ〟と証明されるなら、それを選ぶのは自然なことで、同時に健常者よりものめり込みやすいともいえる。
伏見は施設内に革命を起こした。
この事実は施設内の多く男性患者に伝えられ、施設内のいたるところで患者たちの逢引が執り行われた。伏見は再び施設内でスターとなった。彼を愛の伝道師として崇拝するものは後を絶たなかった。調子に乗った伏見は多くの患者を集め、愛について語り、時としては車いすでのパフォーマンスまでして見せた。
車いすというのは大変そうに見えて意外と運動効率の良い道具だ。少しの力を増幅して車輪に伝える。伏見はその細くなりつつある腕で起用に車いすを操り、くるくると車を回転させながらダンスを踊って見せた。それらはすべて障害者が失いかけていた自信を取り戻したことに起因すると言ってもいい。施設内ではその時々として相手のパートナーを探すための車いすによるダンスパーティーまで開かれるようになった。
そしてその乱れた性行為、いや、実社会にとってはあたりまえのように繰り返されているはずの性行為に対して施設の職員が問題視をするようになるころにはすでに手が付けられる状態ではなくなった。
伏見はその責任をとるかのように、まるで自分から出ていくと言わんばかりに施設から姿を消した。
すでに伏見とってその施設はちっぽけな存在になっていた。
伏見は自ら町に出てボランティアを募った。そして市営住宅で独り暮らしを始めた。当然国から支給されるわずかばかりの障害者年金などでは生活なんてままならない。不足する生活費を伏見は自らの手で稼ぐことを決意した。地元の出版社や放送局に声を掛け、方々で障害者のための恋愛講座を開いた。公演自体は障害者から受け取ることはなく、その多くはスポンサーを募って賄った。公演では自身が経験した生々しい性行為の詳細を白昼堂々と語った。そのおかげで講演の評判も上々で、伏見は多くの土地を廻りながら多くのスポンサーを獲得し、見事カリスマ障害者となった。
年追うごとにその病は体をむしばむが、その体が不自由になればなるほど、皮肉なまでに注目を浴びるようになり、同時に説得力も増した。
伏見一輝はその燃え尽きる恋愛でその身を灰にし、見事不死鳥としてよみがえったのだ。
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