最終話
「おはよー……お……」
私が教室に入ると、普段会話をしない男子が挨拶をしてきた。目を見開いて凝視されると、さすがの私も気恥ずかしくなってしまう。
「おはよう、佐藤くん」
そう言って彼の横を通り過ぎた。
教室中の視線が痛い。それも仕方ないか。
カバンを机の横に引っ掛けてイスに座った。必要な教科書とノートを引き出しに入れて、いつものように読書を始めた。
「ねね、ちょっといい?」
と、クラスの女子が話しかけてきた。確か名前は日比谷さん。日比谷さんの後ろには別の女子が二人。美濃さんと片山さんだ。
「ちょっとでなくてもいいわ。なに?」
視線を右往左往させて、手を揉んでいた。ツバを飲んだのか、喉が動くのが見えた。
「あのね、どうしたのかなって、それ」
日比谷さんが私の頭を指差した。
「ああ、これ?」
私は毛先を指で弄ぶ。けれど今までようにはいかなくて、ただただ頭を掻いているように見えてしまうだろう。
「切ったのよ?」
「切ったのよって……今までずっと長かったのに?」
「そう、イメチェン、ってやつかしらね」
「イメチェンにしては切りすぎのような気が……」
腰元まであった長い髪の毛。サラサラとした肌触りとツヤツヤとした毛質は、私の数少ない自慢だった。
「そうね、切りすぎかもね。でもいろいろ考えたの。むしろずっと考えてた。昨日ようやく結論が出て、こうしようって思ったの」
「ふーん、でもそういうのも悪くないね。今までちょっと近寄り難い感じだったけど、さっぱりしたせいか話しかけやすくなった」
「そう言ってもらえるとありがたいわ。私も、もっとみんなと喋ってみたいと思ってたの。でも私は趣味も読書くらいしかないし、楽しい話もできないかもしれない。それでも、少しでもお喋りがしたいの」
前に進まなくてはいけない。これが私の答えだ。今までの私は捨てないように、けれど新しい自分を探す。
「問題ないって。趣味とかそういうのは人それぞれじゃん。じゃあさ、私の趣味知ってる?」
「正直、想像もつかないわ」
「お菓子作りよ、お菓子作り。で、美濃はサバゲーで片山は写真。私たちって結構一緒にいるけど趣味はバラバラなのよ。でも美濃も片山も私のお菓子食べてくれるし、美濃にサバゲーに連れてかれることもある。写真を取るためだけに片山と一緒に海に行くことだってあった。そういうものでしょ? だから気にしなくてもいいんだ」
ああ、会話をしているのが彼女でよかったなと、心から思った。
「今まで友達と呼べるような人はいなかった。そんな私だけど、少しだけ付き合ってもらえるかしら」
「面白い言い方するね。じゃあちょっとだけ付き合ってから友達にでもなろうか」
「ええ、よろしくお願いするわ」
「よろしくね、宮前さん」
差し出された手を握った。柔らかく、温かかった。
それからホームルームが始まった。私は窓の外を見た。正確には窓ガラスに映った自分の姿だ。不釣り合いなショートカットに、思わず吹き出してしまいそうになった。
昨日髪を切って鏡を見たときも笑ってしまった。
私は一縷に恋をしていた。私だけを見て欲しい、私の傍にいて欲しいとずっと思ってた。だけど、どこかで決別しなければと思う私も存在していた。
すべて、一縷が変えてくれたのだ。彼が彼女を作って、私の決意を固めてくれた。
でも一縷に対しての気持ちが完全に消えたわけじゃない。だから、一つだけ白石叶重に勝ちたいと思った。
きっと彼女も一縷が全国で優勝することを夢見ている。十四センチという壁を超えて欲しいと願っている。だから私は十五センチ、前に進んで欲しいと願った。願掛けのつもりで髪の毛を十五センチにした。自分で切ったから少しだけ不格好になってしまったが、こうみると問題なさそうだ。
一縷の一番傍にいるのは私だ。それは幼馴染みという立場だからではない。
三年前まで幼馴染みだった
私が生まれてすぐに、私の母が亡くなった。
一縷が生まれてすぐに、彼の父がなくなった。
そして三年前、私の父と一縷の母が婚約した。
一年違いで生まれ、同じ境遇を味わってきた私たちは、お互いのことをよく知り、よく理解していたはずだ。しかし、知っていても、わかっていても、越えてはならない一線が出来てしまった。
一縷は私の気持ちに気付いていたんだと思うから。私は彼の気持ちを尊重する。私は彼が好きで、姉だから。
切なさと憧憬を抱えて、ようやく私は姉になれる。
「おーい、響子ー」
「なに、一縷」
昇降口を出るときに一縷に声をかけられた。
彼の方を見ると、一縷と叶重が手を繋いでいた。
胸が痛い。いつか、この痛みが思い出に変えられるように、私はここから歩き出す。新しい自分と一緒に歩き出す。
いつか笑い話になればいいと、私は彼と彼女に向かって走り出した。
了
私とアナタの15センチ 絢野悠 @harukaayano
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