第2話 夢の断層


 雨が降っていた。

 昼間だというのに、空は、どんよりと暗い。もう日が暮れているのではないかと思える。

 爆撃によって破壊され、崩された建物の残骸に、濁った雨は、しとしとと降り続く。

 天も地も、世界全てが、泥色に塗り替えられてしまったようだ。

 その、泥沼の底に――俺はもう、何時間も、膝を抱えて座っていた。

 ビルの残骸に寄せて作られた濠の中で。右肩をコンクリートの壁、左肩を、自動小銃に押し当てて。

 ヘドロの中にうずくまる、ドブネズミそのままに。汚れきって目だけを光らせ、俺は、何時間も待っていた。

 黙りこんだまま……。

 俺の周りにいる数人の大人達も、何も言わず、凍りついたように動かない。そのうち半数が、既に死んでしまっているからだ。

 血と死のにおいの充満する赤茶けた大地に、雨は、いつまでも降り続く。

 と。

 一人の大人がもぞもぞとうごめき、俺の肩に、破れた上着をかけようとしてくれた。俺は、唇を結んだまま、首を振る。

 いらない。そう、言うつもりで。

 親切そうな顔をした伍長は、文句も言わず、上着をひっこめた。代わりに、これぐらいはいいだろう、と言わんばかりの表情で、俺のすぐ隣に腰を下ろした。

 俺は、あからさまに顔をしかめた。わずらわしい……。

 伍長は全然顔色を変えず、黙って煙草の箱を差し出した。

 俺は、ちょっと当惑した。煙草は、今や貴重品だ。よもや、めぐんでくれようというわけではあるまい。

 そう思いながらも、指は自然と銃から離れ、物言いたげに差し出された箱の中から、一本を引き出していた。

 伍長も、一本口にくわえる。

 泥まみれのライターで、俺のに火を点けてくれながら、何気なく口を利いた。

「坊主。年はいくつだ?」

「十七……」

「若いな」

 伍長は、ゆるやかに煙を吐いて笑った。俺は目を伏せる。このあとに続く嘲笑は、聞きなれているのだ。

 しかし、この男は違っていた。

「十七といやあ、まだ高校生じゃねえか。煙草も御法度だ。けど、ま、いいか。こんな御時世だからな」

「…………」

 俺は黙って煙草を吸った。ややしめっぽい、苦い煙が口の中に広がる。

 伍長は、人なつっこい笑みを浮かべ、遠い眼差しを中空に漂わせた。

「十七といやあ……俺が高校生のころは、頭剃って、野球なんかしてたっけ。坊主、お前は何やってたんだ?」

「…………」

 俺は、膝を抱えてうずくまったまま、足元の水溜りをじっと見つめていた。もう、どうだっていい。

 伍長はあくまで静かに、穏やかな口調で訊ねた。

「坊主、名前は?」

「……山内」

 俺は、視線を落としたまま、ぶすっと答えた。

「……山内、義雄……」



「敵襲!」

 誰かの叫び声に驚いて、俺ははね起きた。とたんに、くすくすという笑い声にとり囲まれて、当惑する。

「……私の講義中に居眠りとは、いい度胸だな、山内」

 低い伍長の声にギョッとして見上げると、俺の机のすぐ側に、微生物学の大宮教授が、分厚い専門書を片手に、俺をじとっと見下ろしていた。

 あ……と思う。

 親切な伍長の顔をした教授は、せいぜい俺を睨みつけようとしながらも、唇には、どうしようもない苦笑がはりついていた。

『敵襲!』という声が、未だに耳について離れない。

 焦って辺りを見回すと、くすくす笑いを必死にこらえている女子学生や同輩達の間に、してやったりと、にやにや笑ってこちらを見ている悪友・阿部弘樹の顔が見えた。

 野郎、よくも!――と、思いかけた俺だったが、大宮教授の咳払いに気をそがれた。

 おどおどと、バインダーを手に持ち、頭を下げた。

「済みません……」

「深夜のバイトに身を入れすぎると、こういうことになる」

 人なつっこい微笑の大宮教授は、おどけた口調で言った。とたんに、講義室は、どっと笑いに包まれた。


          *


「そんなに怒らなくてもいいだろう?」

 昼休みの学食にて。狐うどんをかきこみながら、阿部は、弁解がましく言った。

「教授が近づいてきたんなら、確かに敵襲だもんな」

 もう一人の悪友、飯島明が、ラーメンを食いながらすまして言う。

「しかし、十七歳とは、ずいぶん若返りしたんだな?」

 阿部は、俺の夢に興味を持ち、おもちゃを見つけた子供のような瞳で尋ねた。

「一体、どういうわけで、六年も若返りしたんだ?」

「…………」

「高校生と言えば――」

 俺は、食い終えたカレーの皿をテーブルの中央に押しやって、煙草をくわえた。夢の中と同じ、しめっぽい味に顔をしかめる。

 そんな俺を冷静に眺めながら、飯島が、珍しく話に乗ってきた。

「確か、お前ら同じ学校だったんだよな?」

「俺はいなかったのか?」

「いや」

 興味津々、といった阿部の表情に苦虫を噛み潰し、俺は、首をかしげてみせた。

「言われてみれば、お前らの顔は見なかった。どっかで死んでいるんじゃねえのかな。」

「おいおい」

「だけど――」

 口をそろえて文句を言いかける二人を見ながら、俺は、口元を皮肉っぽくゆがめてみせた。

「確かに変な夢だった。大宮教授が伍長になっているんだ」

「それで、『敵襲』っつわれて、慌てたわけだな?」

 得意げな阿部に、俺は苦笑を返した。

「それに。今考えてみると、俺の前でうずくまっていた兵士の顔は、木村そっくりだった。あと、やたらと部下を殴っている意地の悪い連隊長がいたんだが、そいつは、ドイツ語の滝沢なんだよな」

「何だあ? それは」

「しかし……」 

 阿部が笑い出す。馬鹿にされたような気がして、俺は少々ムカついた。こいつは、俺のことを、全くのガキだと思っている。

 軽々しく夢の話なぞしたことを後悔しかけたが、飯島は、あくまで冷静だった。

「何だって、日本が二つに分かれて戦争なんかしているんだ? 内戦か?」

「しらん。滅亡しようとしているんじゃないのかな。とにかく、ずうっと昔から戦いつづけているらしいんだ」

「夢だろ? 夢、夢の話」

 阿部は、うんざりしきった声を出した。こいつは現実主義者だ。その能天気さが、俺はいつもうらやましかった。自嘲気味に苦笑した時。

 俺は、はっと息を呑んだ。

 阿部の向こう――学生食堂の入り口に立って、こちらを見ている、女の子に気づいたのだ。柔らかくウェーブした黒髪の、勝気そうな瞳の美女。

 俺の視線に気づいたのか、艶然と微笑み、軽く髪をかきあげるしぐさをした。

 レモン色のTシャツとブルージーンズに、ほっそりした体の曲線が、鮮やかに浮かび上がる。挑戦的に描かれた胸の曲線に、俺はドキッとした。

 それから、冷水をあびせられたように感じた。

 何故なら――阿部が、振り向いて、その娘に合図したのだ。

 飯島の声が、妙に淡々と聞こえた。

「誰だ?」

「紹介するよ。俺の彼女、れ~なってんだ。かわいいだろ。こいつは、飯島と、山内」

「はじめまして」

 阿部の恋人――彼女の微笑を、俺は茫然と見つめていた。やられたと思った。いや、阿部はそんな奴じゃない。

 だが。そんな馬鹿な。

「河井麗奈です。お邪魔だったかしら?」

「かまわねえ、かまわねえ。座んな、れ~な」

 俺の表情を、怪訝そうに見る麗奈。俺は、知っていた。

 ずっと前から……。

 笑う友人達の声が、不意に、遠くなった気がした。


          *


 一月前か、半年前からか。よく覚えていない。

 気づくと、彼女はそこにいた。

 大学の図書館で見かけたのが、最初だった。それから俺は、学食でもキャンパスでも、気づくと、彼女の姿を探すようになっていた。

 滅多にない偶然を楽しみにして、待ち望むようにすらなっていた。

 声をかけたことなどない。無論、振り向いてもらおうなどと、大それたことを考えたことはなかった。

 悪友達にもひとことも言わず、大事にしてきた想い。それが。

 何の因果だろう……。いつもこうだった。

 高校時代からの悪友、阿部弘樹。俺の惚れた娘は、いつも、こちらが何も言い出せないでいるうちに、阿部とくっついてしまう。

 確かにこいつの方が俺よりずっと明るくて、ずっと男らしいことは否定できないのだが。それにしても。

 麗奈。今度こそは、と思っていた。だから、誰にも言わずに隠してきたものを。

 あいつと友人になってから、六年も。

 俺は、重い気持ちのまま、家へ帰った。

 奴らの、彼女の笑い声が、耳について離れない。阿部の性格は開けっぴろげだ。なのに、俺は気づかなかった。一体いつから……。

 そんなことを考えていると、夕食もろくに食べられなかった。

「どうしたんだ、義雄」

 父親が、新聞紙の向こうから、怪訝そうに声をかけてきた。

「さっきから、ちっとも食べていないじゃないか」

「学校で、何かあったの?」

 母親が、心配そうに口を出す。

 こいつらは、いつまでたっても、俺をガキだと思っている。

 後に続く台詞が判っている俺は、唇を噛んだ。

「だから、獣医学部へなんて行かず、医学部にすれば良かったんだ」

「後悔しているんじゃない? 今からでも、遅くはないのよ」

「何でもないって!」

 勝手に俺の気持ちを当て推量する。煩わしくて、俺は怒鳴った。

「放っておいてくれ!」

 立ち上がり、自分の部屋へ帰る。背後で、両親が目配せしあうのが感じられた。やっかいな甘えん坊の息子だと思っていることだろう。

 俺は、何があっても、自分の子供だけが人生の生きがいなどという親には、なりたくないと思った。

 部屋のドアを後ろ手でバタンと閉めると、暗い濠の奥から声がした。

「どんな様子だ? 坊主」

「ひどいもんです」

 苦々しい連隊長の声に、俺は、火の側へうずくまりながら答えた。

「どこもかしこも、奴らの前衛部隊ばっかりだ。もう、逃げる所なんてありませんよ」

「そうか」 

「食糧も、そろそろ尽きるな」 

 木村がぼそぼそ呟いて、自分の乾パンを引き裂いてくれた。伍長が、ゆがんだアクリルのカップに、お湯を注いでくれる。

 生き残ったのは、四人だけだ。沈痛な、濁った空気が息苦しかった。

「喰えよ。これが、最後の食糧だ」

「…………」

 俺は、自動小銃を足元に下ろすと、お湯を受け取り、カビ臭い、ボロボロになった乾パンをかじった。脳裏に、ついさっき喰い損ねた夕食が浮かぶ。

 こんなことなら、もっと食べておけば良かった……と、苦虫を噛みかけた。

 その時。

 違うぞ。と、心のどこかで声がした。

 違う。これは、夢じゃない。

 俺が本来属するべき世界は、こんな、泥にまみれた、血のにじんだ戦場ではない。さっきの夢のような、幻のような。

 あたたかく、友人と恋人を取り合うような、平和な世界のはず。

 平和な? 馬鹿な。

 死に囲まれて、滅ぶべくして滅ぶもの以外に、俺が何を知っているというのだ?

 十七歳の俺は、咄嗟に立ち上がり、濠を塞いでいる粗末な木の扉を開いて、外へとび出そうとした。荒廃した都市の廃墟しかないと、理性では判っていても。

 どうしても、この目で確かめなければ気がすまなかった。木村が俺を捕まえる。連隊長が殴る。それでも。

「馬鹿野郎! 蜂の巣にされたいのか」

「やめろ、山内!」

 命を賭けた、悲痛な、血を吐くような叫び声が、俺の喉からほとばしった。扉の外で炸裂する、地雷の爆発音を聞いたのだ。

 扉が吹っ飛び、四人は、折り重なって土壁に叩きつけられた。背骨がきしみ、崩れてきた岩が、俺達の上に降って来る。

 銃を構えた一団が、濠の中へ駆け込み、滅多撃ちを始める。

 俺は肩を撃ち抜かれ、足を引きずりながら、半ば土に埋もれた自動小銃を、必死につかんだ。



「夢じゃない! これは、夢なんかじゃない!」

 講義を終えて教室を出ようとした学生達は、一斉に俺を振り向いた。

 一瞬の沈黙の後、さざなみのような、ひそめた笑いが起こる。

 椅子に座ったまま、俺は、茫然と黒板を見つめた。

「おい。山内、どうした?」

 木村が、必死に笑いをこらえながら、俺の顔を覗き込んだ。その顔の半分は血にまみれ、片目は潰れている。

 うつろな眼窩にどす黒い血をたたえ、爪のはがれた手を差し伸べて、しわがれた声で呼んだ。

「山内?」

 俺は身震いをした。俺の肩に片手を置いたまま、木村は、ずるずると視界を崩れ落ちていった。

 足元には、既に息絶えた大宮伍長の体がある。血走った目をみひらいて、俺を見据える……。

「山内? おい!」

 木村が、俺の肩を揺さぶった。他の学生が、怪訝そうに顔を見合わせる。

 俺はその手を振りほどき、逃げ出そうとした。

 銃を構えた敵の群れの中で、出口を探した。

「おかしいわ、山内君?」

「どうしたんだ、おい?」

 俺は、悲鳴を飲み込んだ。出口はどこだ? 殺される!

「阿部はどこだ? いつもこいつと一緒にいるだろう? 飯島は?」

 阿部……。その名の聴こえた方向へ、俺は身を翻した。

 懐かしい名前、懐かしい声。

 しかし、その方向には――。

「山内、しっかりしろ! 今、阿部を呼んで来てやるから……山内!」

 立ちふさがる敵の群れ。俺は、独りで逃げ惑う。

 傷ついた足は重く、咳き込んだ拍子に、口から血が吹き出した。俺は、血溜まりの中に倒れこんだ。

 そのまま、泥の中でもがく。

「山内! 誰か、こいつを抑えてくれ。阿部はどこだ? 誰か呼んで来い!」

 女子学生の悲鳴。俺は、自分がつかんだ物を見た。

 細くしなやかな、泥にまみれた女の腕。白い肌には血がにじみ、既に、肘から先がなくなっている。

 麗奈!

 俺は、声にならない声で叫んだ。白い胸と腹部にうつろな孔を開け、血まみれで倒れていた女は、麗奈だったのだ。

 眩惑的な光を宿していた瞳には、何の感情もない。ガラスの硬度で、俺を見つめ返した。

「山内!」

 俺を包囲した敵の銃口が、冷たく光った。俺は――

「うわああああああああああっ!」

 地獄を見た男の絶叫が、俺の喉からほとばしった。駆けつけて来た教授が、木村が吹っ飛ぶ。何の関係もない学生の胸に、孔が開く。女子学生は、悲鳴をあげる暇もなかった。


          **


 昼休みのキャンパスに突然響いた凶暴な自動小銃の音は、なかなか止まらなかった。

 少年の周囲にいた兵士達を孔だらけにし、見分けのつかない血と肉片に変えるまで、撃ち続けられたのだ。

 頭も、手と足も、体も、ちぎれてバラバラに吹き飛んだ。紅い霧のように広がった血しぶきは、教室の窓と黒板を、ばら色に染めた。

 全てが終わった時、駆けつけた阿部と飯島の目に映ったのは、泥と血にまみれた友人が、自動小銃を手に、血の池の中に立ち尽くしている姿だった。

 その男が、旧友の山内義雄であるとは、さすがの阿部にも、にわかには信じられなかった。



 時空の狭間から死と狂気を持ち込んだ、少年兵の銃口からは、未だに、硝煙が立ち昇っている。





~”夢の断層”・FIN~

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