第三章6話:亡国 - the Food situation -
「……いやぁ、助かりました」
フリュム帝国の首都へと走る『
そこに招かれた仮面の人物―――トールと名乗った男は、深々と頭を下げた。
「貴殿方が通りすがってくれなければ、今頃あの魔物に喰らわれていたかと思うと、感謝の言葉もありません」
その言葉は終始腰が低く、彼が非常に謙虚な人物であることがよく分かる。
「いやいや、それにしても無事で何よりですよ!」
それに対し、リアは操縦席でそう告げる。
その隣で、助手席に座るテミスは、外套を目深にかぶりトールに顔が知れないようにしていた。
『俺様のお陰だな!』
『ちょっと黙ってて!』
突如割り込んできた二人の通信から夫婦漫才が響く。
「あはは……あぁそうだ、トールさん?」
そんな二人のやり取りを一先ず横におき、リアはトールへと話しかける。
「トールさんは元々フリュム帝都の人?それとも他の国から何かの用事だったの?」
リアが気になっていたのはトールが襲われた理由だった。
積み荷は既に完全に破壊されていて、魔動車も粉々。
おそらくはなんらかの業者か、あるいは自分と同じ運送屋かもしれないとリアは考えた。
「はい、フリュム領の東部で農家を営んでました。今日は余りに余っている野菜の買い手をなんとか探すために、帝都に向かおうとしていたのですが……」
それに対しトールから帰って来た言葉は、概ね予想通りの言葉だった。
どうやら彼は、件のフリュムでの食糧問題で大打撃を受けた当事者らしい。
「魔物に襲われちゃった、と」
「えぇ……積み荷の野菜も、
そう語るトールの表情は暗い。
無理もないだろう、彼にとっては野菜が売れるかどうかは正しく死活問題だ。
「……そういえば、フリュムは今食糧が余り余ってるって聞いたんだけど、それってなんでなの?」
リアはふと、そんな質問をする。
それはワルキアでフリュムの現状の話を料理人らに聞いたときから、気になっていたことではあった。
「普通そんな事態になったら、むしろ食糧は逼迫しそうじゃない?足りないことこそあれ、余ることなんてないと思うんだけども」
―――事実、ワルキア王国がそうだった。
人数に対しての食糧の数は決して余裕などなく、魔動力のインフラ問題が解決するまでの期間はそれこそ、配給される僅かな食品のみで生き永らえていたいたものだ。
「フリュムは元々、飽食の土地だったんです。農作物も多く産出されるし、牧場も多い。それに冷蔵用の術式も進んでいるから、貯蔵されている食糧も膨大で……」
トールは語る。
二つの国の食糧事情の違いは、国民の数以上に、その生産方式に大きな理由があった。
ワルキアは農家がそもそもに少ない。
それというのも、ワルキアはその発達した技術力でほとんどの設備をプラント化して自動化していたためだ。
ワルキアの大型農業プラントなどは全て、税金として徴収した蓄積魔力による自動化された栽培を行っていたのだが、そこに魔龍の襲撃があったことで事情は大きく変わる。
魔龍の魔力捕食能力によって貯蔵炉に蓄積されていた魔力が消滅したからだ。
その影響で自動化設備が半ば完全停止したことで農作物の半数近くが枯れる、もしくは腐ってしまい、結果食糧の生産効率は大きく低減した。
また騎士団の奮戦の結果、国民に大きな被害が出なかったことも皮肉なことに理由の最たるものであったのは言わずもがなだ。
口減らしがなされないままに食糧生産が滞れば、後は貯蔵されていたものが目減りしていくだけなのだから。
「国が作った非常用の食糧庫も、今は満杯で減る見込みがありません。そして個人宅の冷蔵術式庫は家毎破壊されて保存ができない」
だがフリュムの状況はそれとは真逆だった。
膨大な量の食糧貯蔵と周辺地域からの過剰なまでの食糧供給。その機能を残したまま、臣民の半数以上が死滅してしまったのである。
戦後人口の減った臣民のキャパシティを遥かに上回る供給に、食糧は減るどころか増えていくばかり。
結果食べきれず、腐るばかりの食糧は数知れない。
「結果として、保存の利かないような食糧を負債として抱えている業者はこの一月で爆発的に増えました。中には大量の食料ごとワルキアに避難した業者も居ますが、それは元来資産を持ち、長距離の輸送にも耐えうるような設備をもった人たちで……」
自分たちで消費しようにも、半分以上に減った人口で本来の総人口向けに生産されたものを全て消費することなど出来はしない。
大きな利益をもたらすはずだった食糧は保存場所を失い、劣化し、腐食し、ただの廃棄物へと成り下がる。
「大型の砂航船か輸送用のマギアメイルでもなきゃ、大量の物資を持ってデリング大砂漠を縦断するのは厳しいよね」
業者も当然それを処理したいのは山々だが、帝都からの買い手はほとんど死んでしまったのだから、自力で売りにくるしかない。
あるいはワルキア王国で食糧問題が発生しているという事実を知った業者は、そちらに勝機を見出だしたのかもしれない。
だが相応の設備がなければ帝都や、ワルキア王国にそれを運びいれることもできない。地方の一農家が大型の魔動車やマギアメイルなど保有しているはずもないのだ。
「はい、我々のような貧困層は、そんな外貨獲得の恩恵には預かれないのが現状です。つい一月前までは、臣民の全てがその飽食の生活に甘んじていたものですが……皮肉なことです」
「……なるほど」
その話を聞いて、フィアーはどこかその話に既視感のようなものを抱いた。
同じような話を、どこかで聞いた気がする。
それは一体、どこの―――
その思考に答えが出るより前にトールの言葉が聞こえたことで、その思案は打ち切られた。
「私が住んでいた農家も、大きな打撃を受けています……農具を買おうにも今ではフリュムの貨幣はほとんど価値がないのですから」
トールは深く俯き、落ち込んだような声で語る。
聞けば、トールが住む農家は「フリュムトマト」の原産地だったらしい。
―――魔龍戦役の後にフリュムからの疎開者とのシンポジウムとして開かれた「フリュムVSワルキア!食の祭典グルメバトルフェスティバル!」。
そこでもかなりの量のフリュムの料理人達が腕を振るっていたが、その背景にこのような苦労が隠されていたとは、正直予想外だった。
おそらくあそこに来ていた料理人や運び屋達は、所謂「勝ち組」だったのだ。
でなければ、大船団を築いてデリング大砂漠を横断することなど出来ようもないのだから。
「……父母を亡くした私を引き取ってくれた彼等の為にもなんとか金策を取ろうとしたのですが……結局は、こんな有り様でして」
「……大変、だったんだね」
トールのその独白に、リアは深く相槌を打つ。
それはまるで、自身も同じような経験があるかのような同情が乗ったようなものだ。
それを見て、少し違和感を覚えたフィアーだったが、すぐにその気持ちは振り払った。
思えばリアの家族に関する話など聞いたことがない。
もしかしたら彼女も、幼い内に両親を失うような事態に行き当たってしまったのかもしれない。
……ならば、余計な詮索はするべきではないだろう、とフィアーは思考を振り払う。
それは、リアが自分自身から話してきたその時に知るべき事柄だ。
そんなことを考えるフィアーの右前方の助手席で、フードを目深に被ったテミスはぼそりと、言葉をこぼす。
「……フリュムからいらした皆さんのお陰で、ワルキアの食糧事情は大きく改善されました、でも―――」
テミスは外套の裾を強く握る。
その隙間からうかがえる表情は、何か決意を思わせる精悍な物だ。
「それほどまで、フリュムに残った……いえ、残らざるを得なかった人々の生活状況は深刻なのですね」
「私たちは貴殿方フリュムの人々に助けられました。―――本当に、ありがとうございました」
それは、一少女としての言葉ではない、重みを伴った皇女としての発言にフィアーには思えた。
「いやそんな、感謝だなんて!むしろこちらがするぐらいで……」
テミスからの重い言葉に、トールは謙遜したように慌てる。
それは予想外の丁寧な感謝の言葉に驚いたような表情。
テミスの身の上を知らないトールにも、その礼節を重んじる心根の清さは伝わったに違いない。
―――そんなやり取りが終わった後、機体のなかには数分の沈黙が続いたのだった。
◇◇◇
「……ところで、トールさん?」
「はい?なんでしょう」
―――話も落ち着いた、ついに聞こう。
そうフィアーが考えたのは、数分の沈黙が続き、遠くにフリュム帝都らしきシルエットが写し出されただった。
「えぇと、こんなこと聞いていいのか分からないんだけれども」
「?」
トールはきょとん、とした表情でフィアーの言葉の続きを待つ。
フィアーが聞きたかったのはただひとつ。
この真面目な話をしていた時にもずっと気になり続けていた、トールのある外見上の特徴に関してだ。
「―――その仮面って……?」
そう、トールの表情を隠すように翳された、黒い仮面。
その塗りは一見異質な雰囲気を纏っており、それはまるでフィアーが持つ『本』やテミスのもつ王家の『ペンダント』のように、まるで世界に二つとない希少な物質群、『起源不明物』のような―――
この質問は、彼と別れるまでの僅な間でしか聞くことはできない。
別れてしまえばこの謎がいっそう晴れることはないと気づいたその瞬間、「早くこの謎を解決しよう」という欲がフィアーのなかに産まれたのだ。
『あっ、俺も気になってた!それ何なんだよ?流行り?』
グレアもそのフィアーの問いに便乗して追求に加わる。
リアやテミスも態度を表にこそ出さないが、その顔は興味津々だ。
「こ、これは……」
トールはその質問に、しばらく唸りながら深く考え込む。
なんでもないなら考えることもなさそうなものだが、その様子から察するになにか大きな理由があるのだろう。
「……そう!実は私はフリュム東部に古くから住む民族の出身で、成人した男性は皆仮面を被るしきたりなのです!」
「へ、へぇ……変わった文化だね」
リアは少し引きぎみで微笑む。
流石に、嘘にしても下手くそすぎる。
「……」
一行の間に、気まずい沈黙が続く。
「あ、ほら!帝都が見えてきましたよ!」
―――なんか露骨に誤魔化した。
フィアーはその様子に第六感めいた直感が走ったが、それ以上追求することはなかった。
誰にだって隠したいことの一つや二つはあるものだ、と気付いたからだ。
リアにだって、テミスにだって、
―――そして、自分自身にだって。
自分自身、誰にも言えない秘密を抱えているのに他者にだけそれを開示させようとすることの浅ましさに、少し後ろめたさを覚える。
―――本来ならこうして共に過ごしていることすら、おこがましいというのに。
そんな独白を胸中で抱いたのは、一体『
それは誰も知らない。
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