第二章最終話

第二章30話:船出 - Departure Day -




 ----ワルキア皇暦410年

 火之月:87日




   16:34 :デリング大砂漠東方・丘陵地帯




「ん……ぅ……」


 ―――フィアーの瞳が、ゆっくりと開かれる。


 見えた光景は白い天井だ。

 恐らく、電流弾を放ったその時に意識を喪失したのだろう、とフィアーは理解した。


 となればここは「ヘパイストス」の医務室、ということになる。


 辺りを見渡すと、ベッドの上で寝ている自分の腹の近くで、寝息を立てているリアの姿が見えた。


 小麦色の肌から少し見えづらいが、その目元は泣きはらしたような痕が見えた。

 きっと、泣き疲れて眠ってしまったのだろう。


 そしてフィアーは、自分の視界の端に表示されているHUDのような表示を目視する。


 依然として表示され続けているそれには、現在の日時、現在位置等が写し出されている。


 見ると、魔蠍の騒動が落ち着いてから、既に数時間が経過していた。

 それほどまでの時間、自分は眠りについていたのだ。


 そんな時、医務室の外からノックの音が響く。


『失礼する』


 その声は壮年の男性のものだ。


「どうぞ」


 フィアーがそう言うと、扉がゆっくりと開く。

 そこに居たのはガルドスだ。その表情は少し浮かない物に見える。


 ―――無理もないだろう。


 マキエルが捕食されたという事実は、フィアーも知っている。

 自身の片腕たる人物があのようの惨たらしい最後を迎えて、平静でいられるわけがない。


「身体の具合はどうだ?医者が言うには特に身体に異常はなかったとのことだったが」


 だが、そんな状況でもガルドスは自身の心配をしている。

 こういった性質が、砂賊の面々の信頼を勝ち得ているのだろう。


「特に何とも、むしろどうして倒れてたのかが不思議なくらいで」


 フィアーはそう口にする。

 正しく言葉通り、フィアーの身体におかしな点は見受けられない。

 強いて言うなら操縦悍を握っていた手が少々痛む程度だ。


「そうか……」


 ガルドスはうん、うんと頷くと、改めてフィアーに向き直る。


「―――まずは礼を。この船を守ってくれたこと、感謝をしてもしきれない」


「ありがとう」


 深々と、頭を下げる。

 その姿に、流石のフィアーも当惑する。砂賊の長たる人物が、自分なんかに頭を下げてよいのかと。


「か、顔を上げて」


 そしてフィアーは言葉を口にする。


「確かに結果として船を守ることにはなったけれども、ボクは基本的にはリアとテミスを守ろうとして必死だっただけだから」


 それは本心だ。

 たった1日だったが、この船の人と触れ合い、守ろうという思いは確かにあった。

 だが基本的には、リアとテミスを守ることこそが優先順位の最上位であり、「ヘパイストス」を守ることとなったのも結局のところ、結果に過ぎない。


 だからこそ、感謝されるような謂れはないし、資格もない。そうフィアーは考えていた。


「はは、そう素直に言ってくれるほうが、こちらとしても気持ちがいい」


 それを聞いたガルドスは、少し笑みを浮かべる。


「―――だが、結果として助けてもらったのは事実だ。それに俺らはあんた達を疑い、拿捕した」


「こいつは大きな借りだ。だから、礼がしたい」


 ガルドスはぐい、とフィアーに顔を近づける。


 それは正しく、「断ることは許さない」という無言の圧力だ。

 だとすれば、なんらかの礼を要求しなければガルドスの気も収まらないだろう。


「礼……うーん……」


 フィアーは深く考える。

 思えば、今自分はとても満たされた無欲な状態だと強く感じる。

 今欲しいものなど、それこそ記憶くらいなものだ。

 リアがいて、テミスがいる。

 自分にはそれだけで十二分に幸せだと思えた。


 だからこそ、欲しいものと言われても何も思いつかない。リアなら、普通に金品でも要求するのだろうが―――


「……あ、そうだ」


 そこで一つ、妙案を思い付いた。

 だが、これは賭けだ。

 ともすれば金品を要求するよりも遥かに、相手に負担を強いるような願い。


 しかし今のフィアーにはこれしか思い付かなかった。


「おぉ、思いついたか?」


 その様子を見て、ガルドスは食い入るように急かしてくる。


 これでは、もうお願いをしてみる他ない。


「もし、可能ならなんだけれども……」




「―――ボク達三人を、フリュムまで連れていってくれませんか?」


 ―――それが、フィアーが唯一思い付いた要求だった。


「――――――」


 ガルドスは唖然とした様子で、しばらく固まっていた。


 ―――やはり、ダメだろうか。


 フィアーが申し訳なさを感じた、その瞬間。


「ぷっ、ガハハハハ!!!!」


 ガルドスが吹き出し、爆笑しだした。


「なんだ坊主、そんなんでいいのか!」


「いや、これしか思い付かなくて……」


 その言葉を聞き、ガルドスは深く息をつき、大声で高らかに宣言した。


「―――あぁ、良いとも!お前らを安全に、フリュムまで届けてやろう!」


「あ、ありがとうございます」


 その威勢のよさに、思わずフィアーは気圧される。

 ―――なんて豪快な人物なんだ。

 この気持ちいいくらいの威勢のよさ。彼に付き従っている砂賊たちの気持ちが、少し分かったような気がする。


「うぅん……おっきな声出さないでよ……」


 そんなとき、布団に倒れこむように眠っていたリアが、ゆっくりと顔をあげる。


 どうやら、ガルドスの声があまりに五月蝿くて起きてしまったらしい。


「ふぁあ、寝ちゃってた……ってフィアー!?起きたの!」


 大変眠そうな様子のリアだったが、フィアーの姿を認めた瞬間、その瞳はパッチりと開かれる。


「うん、リアより前にね」


「んじゃあ、後は姉弟水入らずでな、船はフリュムに向けとくぜ」


 そんな様子を見て、ガルドスは席をたつ。

 姉弟水入らずを邪魔してはいけないと、気にかけてくれたのだろう。


「ありがとう、ガルドスさん」


「さんは要らねぇよ、じゃあな!」


 そして豪快なる船長は、その部屋を後にしていったのだった。



 ◇◇◇



 医務室からの扉が開かれる。


「団長……」


 ガルドスが声に気付きそちらを見ると、外にいたのはグレアと同じ実働部隊に所属する砂賊、ジャイブだ。


「……調査のご報告を」


「あぁ、分かってる」


 戦闘の終結から数時間、ガルドスは彼に、ある場所の調査を命じていたのだ。

 それはガルドスにとって盲点だった場所。決して、怪しい事などないと信じていた場所だ。


「―――マキエルの部屋には、何があった」


 ―――副団長、マキエルの部屋。


 彼の突発的な奇行。その理由はきっと彼の自室にこそある。

 ガルドスはそう考え、ジャイブを遣わせていた。


 正直、故人の部屋を漁るのは気が引けた。だが、ガルドスは自身の中に生まれてしまった疑念の根を、払拭したかったのだ。


「それが―――」


 だが、ジャイブの語り出しは非常に重々しく、不穏なものだ。

 そしてそれは、ガルドスの予感が正しく的中してしまったことを意味する。


「―――部屋の壁一面に、巨大な魔方陣がびっしりと書き込まれていました」


「……やはり、か」


 ―――この閉鎖空間が展開された時、自分は真っ先にフィアーや、グリーズの傭兵たちを疑った。


 だがそれは身内可愛さだけでなく、純粋にそのような術式用の陣を描くようなスペースがないからでもあった。


「しかも、意味の分からない言語も用いられているもので……あんな魔方陣の書き方、他所の国でも見たことがありませんよ」


 だがその疑問も氷解した。

 そもそも広いスペースを必要としない未知の魔方陣。そんなもので済むのなら、たとえ広くない個室であろうとも秘匿し続けることができる。


「―――あの閉鎖空間、いや巨大蠍の召喚か……どちらにせよ、マキエルが何らかに関わっていたっていうのは間違いない」


 結局のところ、マキエルは自分達を裏切っていたということが確定してしまった。


 団の皆のことを思い、皆の為に働いてくれていたマキエル。


 それが何故、突如として自分たちに牙を剥いたのか。


「でも団長、副団長の最後の言葉は―――」


「あぁ、分かってる」


 マキエルの最期の言葉。あれだけは、間違いなく自分たちがよく見知ったマキエルのものだ。それは断言できる。


「―――きっとあいつは、誰かに操られていたんだろう」


「格納庫の面々も、同様の感想を口にしていました。話している途中で、唐突に人が変わったようだったと」


 ―――だとしたら、新たな謎が浮かぶ。

 誰がマキエルを操っていたのか。あの蠍も、偶然居合わせたわけではないだろう。


「……一体俺たちは、何に巻き込まれている?」




「……とにかく、船の進路をフリュムに向けろ!客人からのオーダーだ、全速前進だ」


「合点!」




 ◇◇◇




 フィアー達がいた医務室、その隣室。


 そこに、金髪の少女が入室する。


「……おにいちゃん、お加減はどうですか?」


 テミスだ。

 そして彼女がお見舞いにきたのは、もちろん。


「―――やっぱり、目は覚まさない、か」


 ベッドに横たわり、一向に目を覚まさないシュベアを見て、テミスは心を痛める。


 医者からの言葉では、下手をすれば数ヵ月は目を覚まさないかもしれないとのことだった。

 身体の損傷と、魔力の超過使用。その二つが、シュベアの命を確実に蝕んでいた。


 現に今も、苦しそうな表情で眠りについている。

 きっと、きっと良くなると信じていても、不安を覚えることをやめられなかった。


「……ごめんなさい」


 彼が倒れたのも、これまでひどい人生を歩むことになってしまったのも、全て。


 そんな想いから、涙がこぼれる。


「わたしの……せいで……!」


 ―――私はまた、自分のせいで家族を喪ってしまう。

 そう、唇を噛んで独白をしたその時。


「―――おまえの、せいじゃない」


 声が、響く。


「へ……?」


 ―――奇跡が起きた。


 その声の主は、シュベアだ。


 しばらくの間目覚めることがないと言われたシュベアの口元が、一瞬動いたのだ。


「おにいちゃん、おにいちゃん!」


 テミスは何度も呼び掛ける。

 目を覚ましてくれ、と。


 だが、それ以上の返答はない。


 聞こえるのは、先ほどまでとは違い安らかとなった寝息のみ。


 ―――だけれども、言葉は胸に強く響いた。

 本人からの赦しの言葉。それがどれだけ、心に刺さった刺を抜き去ってくれたか、分からない。


「―――ありがとう」


 テミスはシュベアの手を強く握り、感謝の言葉を口にする。


「……いってきますね」


 その言葉と共に、テミスは部屋を後にする。


 ―――そうだ、ずっとここで哀しんでいる訳にはいかない。

 自分はワルキアの皇女なのだから。目指す先があり、やるべきことがある。


 シュベアだってそれを遂げることを望みこそすれ、ここで泣いてるばかりの自分を喜んではくれないだろう。




 そうして皆が、前を向く。

 船が指し示すは大陸南方、旧フリュム帝国。


 船員の誰もが、心に願いを、決意を抱える中、砂航船「ヘパイストス」はその進路を亡国フリュムへと進めるのだった。


 ―――向かうその先に、輝かしいものがあると信じて。




「水晶界のマギアメイル」

 第二章

「隔絶の砂海」

 完

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