第二章28話:罪囚 - Truncated doll -




 ―――砂航船「ヘパイストス」の廊下を、二人が走る靴音が響く。

 片方は艦橋より突如逃げ出したマキエル、片方はそれを追うリアのものだ。


「ちょっと待って、マキエルさん!」


 散々静止するリアの声を気にも止めないような様子で、マキエルはただひたすらに船内を走り、真っ直ぐに目的地へとひた走る。


「……」


「待って!話を……」


 そんなリアの提案にも取りつく島もない、といった様子で、マキエルは走り続ける。


 そうしてただひたすらに二人は走り続け、そしてついに。


 マキエルは目的地にたどり着いたとばかりにその足を止めた。


「ここは……」


 ―――そこは、「ヘパイストス」の格納庫だった。

 リアにとっては、昨日フィアーやテミス達と来たことで、船内のなかでは馴染み深い場所であった。


 見ると、格納庫の壁が一ヶ所に巨大な穴が開いている。恐らくは、テミスが誘拐された際に内側から開けられたものであろう。


「ここに一体、なにがあるの、マキエ―――」


「おいお前ら!何をしにきた、艦橋のほうが安全だろう!」


 息を切らしながらリアがそう聞こうとした瞬間、遠くから整備長の怒号が発される。

 その声にそちらを見ると、その傍らには、先ほど救出されたテミスの姿もあった。

 恐らくは格納庫の前でシュベアから開放され、そのままここにいたのだろう。


「リア?どうしてここに……」


「テミス、実は―――」


 突然現れたマキエルとリアの姿に、困惑する二人。

 だがそんな疑問は、格納庫に鳴り響いた轟音によりかききえた。


 大穴の方向から、突如として響く破壊音。


 その異音に振り替えったリア達が見たものは、


「―――ッ」


 ―――船の大穴からその顔を覗かせる、巨大な魔物の姿だった。


「きゃあっ!?」


 唐突に現れた恐怖に、思わずリアは悲鳴をあげてしまう。

 無理もない、それが一般的な反応だろう。


 テミスは魔物を睨み付け、あくまでも毅然とした態度を保っているようだったが、その足はわずかに震えていた。


 そしてそんな二人を庇うように、整備長は腕を両方向に伸ばし、魔物から二人の少女を遮るように立ち塞がる。


「ば、化け物が!さっさと失せやがれってんだ!……嬢ちゃん達、早くこっから離れろ!」


 恐がる、震える、義憤に駆られる。

 そのどれもが、人として真っ当な行動だろう。

 皆一様に、恐れや怒りの感情を抱いて各々行動する。


 逃げる者がいた。武器を手に取る者もいた。誰もが自分を、もしくは他人を守る為に行動していたのだ。


 ―――だがそのなかで、マキエルのとった行動だけは、一般的なが取るようなものからは、大きく外れていた。


「マキエルさん!?」


 マキエルが、魔物の真ん前へとその歩みを進める。

 格納庫にいた誰もが、その光景、行動にマキエルの異常さを強く感じていた。


 リアの心配する声にも耳もくれずに歩き続けるマキエル。


「ふ……ふふ」


 その口元は歪み、ひきつるような笑みを浮かべている。

 周りに止められているにも関わらず、それを意に介さず歩き続けるマキエル。


「お膳立てをあれほどしたというのに、結局仕損じてしまうとは」


 その瞳は暗く濁ったものだ。

 生きているのか、死んでいるのか。それすらもあやふやにするような生気のない瞳。

 その顔はまるで、この世界の全てに興味を見出だせないと言わんばかりに、生気のない表情だった。


「満足に少女も連れ出せない駒など、もう、用済みだ」


 その言葉が誰に向けられたものなのかは、その場にいた他の誰にも分からない。

 そうしてついにマキエルは、その目的地へとたどり着いた。


 船体に空いた、大きな裂け目。


 その眼前には巨大な蠍が鎮座している。

 だが、その様子はひどく大人しく、目の前に立ち尽くすマキエルをただ見つめるのみだ。

 それは、本来であれば人を喰らうことしか考えていない魔物には、考えられないような行動であった。


 ―――当然その間も、背後では尻尾を自在に動かし、四機のマギアメイルを近づけないよう、釘付けにしているが。



「何言ってるの、戻ってきてマキエルさん!」


 リアが強い口調で、戻ってくるように促す。

 だがマキエルは、その声に振り返りこそしたものの、魔物の側を離れる素振りは一切見せなかった。

 その代わりに、マキエルはゆっくりと口を開く。


「―――あぁ、全ては君のせいだ。君を体よく拐えていたのなら、この駒を失うことはなかったのに」


 ―――告げられたのは呪詛のような言葉だ。

 その言葉が向けられた対象はテミスだろう。だが、その意味はその場にいた誰にも分からなかった。

 もちろん、その標的であるはずのテミスにすらも。


「貴方は、何を言っているのですか……?」


 テミスは当然、困惑した様子を見せる。

 テミスを誘拐しようとしたのはシュベアであるし、その目的は復讐以外の何物でもなかった。

 だが彼の口振りではまるで、今回の一件を裏で操っていたかのようなものだ。


「なにいってるか分かんないけど、そんなことより早くこっちへ……!」


「あぁ……知らないということは、こうも愚かしいものか……」


 リアの言葉を無視して、マキエルは再び目の前の巨大な蠍の元へと歩み出す。


 ―――そして、大きく手を広げると、ついに蠍に向けてその言葉を告げる。


「―――さぁワタシを喰らえ、『怠惰』の魔蠍よ!」




 ◇◇◇




「……え!?」


 リアは一瞬、マキエルが何を言ったのか、理解することができなかった。


 ―――喰らえ?魔物に、自ら?


 リアには考えられない言葉。その意味が、意図が、咄嗟に理解することが出来なかった。


「お、おい!何をしてるんだ!早く戻ってこい副長!」


 そしてそれは他の面々も同じだ。

 海賊のメンバー達は、副団長から唐突に発された妄言の、その行動の意味を理解することができなかった。


「戻る……あぁ戻るとも!この駒にもう、用はない……」


 その言葉を発したその瞬間、マキエルの身体が宙に浮く。

 蠍―――マキエルが『怠惰』の魔蠍と呼んだ魔物の、その巨大な鋏に掴まれたのだ。


 マキエルはそんな中静かに目を瞑り、抵抗することすらなくただ悠然とそこに佇んでいる。


 魔蠍は、その鋏でマキエルを潰してしまわないよう、細心の注意を払っているかのようにゆっくりと、その身体を口元へと運ぶ。


「マキエルさん!」


「副団長!」


 リアやテミス、砂賊の面々も、口々にマキエルに向けて声をあげる。


 このままでは、本当に死んでしまう、と。


 その声が船内に響き渡ったその時。

 マキエルは静かに、その瞳を開いた。


「……え?」


 気の抜けた声が、辺りに響く。


 ―――その声の主はマキエルだ。


 辺りをキョロキョロと見渡し、挙動不審な様子のマキエル。

 その姿に、リアは大きな違和感を覚えた。


 ―――自分から魔物に喰われにいった人間の反応とは、とても思えない。

 まるで、今夢から覚めたかのような反応だ。


「マキエル……さん?」


 先程までと、雰囲気が違いすぎる。何か、人が変わったかのような―――


 だが彼女がそのことを疑問として口にするその前に、その疑いはすぐに確信へと変わる。


「わ、私は何を……」


 マキエルは困惑した様子で、じたばたと暴れまわる。

 だが、魔蠍の鋏の拘束力はその程度で振りほどけるものではない。


 強固に拘束された鋏の中で暴れまわったところで、内側の鋭利な部分に触れてマキエルの身体に傷がつくのみであった。


「―――何故、何故魔物に!?」


 マキエルは目前の魔物を睨み付けながら、なんとかその場から抜け出そうと、もがき、苦しむ。


 


「マキエルさん、あなたは自分で……」


 テミスがそう告げようとするが、恐らくマキエルの耳には届いていないだろう。


 何故なら彼は、自分の身に降りかかった災厄から逃れる為に無我夢中なのだから。


「クソ、逃げられな、い!……食べられるのか、私は……?」


 ―――マキエルは困惑の中で暴れながらも、今自分に起きている事象を正確に把握していた。


 そしてついに理解する。例えどんな手段を用いても、ここから助かる手段など、在りはしないことを。


 そうしてマキエルは観念したかのように、動くことをやめる。

 手足からは力が抜け、その表情から苦悶の色が消える。


 ――諦めたのだ、助かることを。


 魔物の牙が目前に迫る中、天を仰ぎ、一言だけ呟いた。

 それは、敬愛する上司、そして自分をこれまで頼ってくれた全ての人々への、別れの言葉だった。


「嗚呼、……貴殿方みんなにお仕えできて、私は―――」


 マキエルが感謝の言葉を口にしようとしたその瞬間、


 魔物の口が、無慈悲に閉じられる。



 ―――悲鳴すらあげる間もなく、マキエルの姿はこの世界から立ち消えた。



 あまりの衝撃に、誰もが口を開くこともできずにその光景を呆然としながら見ている。

 目の前で繰り広げられた惨状は、一体なんなのか。


 分からない。


 わからない。


 わかるはずもない。


 そうして誰もが口をつぐむ中、格納庫に響きわたるのは、マキエルを喰らう魔物の咀嚼音のみだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る