斬妖ミタチと旧宿の住人たち
壱 山姥の娘
そのうちのひとつが『コンクリ櫓』。鉄筋コンクリートの建物を文字通り櫓のように組み立てたような、異常なかたちの建造物だ。
旧宿の南東部に存在するその櫓の正体は、周辺の建物を吸い寄せて今も成長を続ける付喪神で、中には何人か物好きな人間も住んでいるが、住民のほとんどは妖魔だ。ただ、人が住み着くことが許される程度には、コンクリ櫓の妖魔たちは穏健派だと言えるだろう。
コンクリ櫓と名付けられた付喪神が周辺の建造物を吸い寄せるため、櫓の周囲には何もない。付喪神自体は迷惑ではあるが無害なので、一種の安全地帯でもある。
櫓の中には一種の自治組織ができていて、その頭領は出自不明の大天狗だ。
「すみませんでしたね、ダンナ。お目こぼしいただいて」
六本腕の妖魔が、さかさかと椚の横に歩いてきた。
「なに、見逃してもあいつはきっとまた人の街でやらかすからな。で、どうした?」
「ええ。両腕両足だけ解体したところで、
「そうかい」
六本腕の妖魔は白梨坊の側近であるらしい。コンクリ櫓に住む妖魔は多数に上るが、白梨坊を御大と呼べるのは一握りしかいないからだ。
椚はひとまずそれは棚に上げて、その妖魔に聞いてみる。
「んで、土蜘蛛の。聞きたいことがあるんだが」
「おやっ、思い出していただけましたかい!」
「いや全然。大体お前、俺が御太刀とやり合ったときに見たってだけなら、名乗ってさえいねえだろ。白梨坊に近いやつで六本腕といえば土蜘蛛がひとり有名だったってだけさ」
「おっと、そいつは失礼仕りました。では改めまして。コンクリ櫓が頭領、櫓山白梨坊の三の倅。土蜘蛛の
土蜘蛛の妖魔はそれほど珍しくないが、五十井はその中でも格段に力強い個体であるようだ。
「知っていると思うが、椚だ。これから御太刀のねぐらに顔を出す予定でな、最近の旧宿の勢力状況について教えてもらえるとありがたい」
「ああ、斬妖への御用で。あいつも随分と昔に比べたらまともになりましたからね。なるほど、闘仙のダンナのおかげでしたか。ええと、斬妖の『事務所』まわりについては前と一緒です。あそこに手を出そうって身の程知らずは旧宿じゃあどちらにしても長生きできませんからね」
「それは分かる。むしろこの先が誰の縄張りかってことだな」
「ここ二年ほどは特に大きな抗争もありませんねえ。空狐が頭目を務める野狐の群れが入って来ましたけれど、コンクリ櫓の近くなのであまり問題は起きていませんし」
「空狐が野狐を連れて来ただって? そりゃまた変な話だな。まあいい、ということは、この先は
「そうですねえ。そうか、ダンナが来たと聞いたらどっちも面倒ですね」
「そうなんだよ。取り敢えず、俺と一緒に居るところを見られたら困るのはそっちだぜ。わざわざ声をかけてくれたのはありがたいが、白梨坊にはまた改めて挨拶に行くと伝えておいてくれ」
骨丸入道とは、旧宿の一大勢力を単独で担っている巨大な妖魔だ。年を経て骨だけになっているため物も食わず眠りもせず、旧宿を気ままに徘徊しては目に付いた者に喧嘩を売ると言う迷惑な妖魔である。
また、奈永池の狂れ河童とは、かつての住環境に垂れ流された化学物質のせいで正気を喪失した河童で、旧宿に現れるや途端にその一角に池を掘ってしまったという狂気の妖魔だ。のちに各地に住む河童を招いたが、あまりに正気ではないので奈永池に集まった河童たちは、安住の地を与えてくれたにも関わらずその河童を持て余しているのだとか。
「お気遣いいただきまして。確かにどちらに関わっても白梨坊に厄介をかけます。それではダンナもご無事で」
「おう」
椚としては、近くに居たら大抵どちらにも喧嘩を売られるか、あるいは相撲を求められるので煩わしい相手でしかない。
ちなみに現在神秘対策室では、骨丸入道を成仏させるプロジェクトを立ち上げているが、椚はそちら以上に奈永池をどうにかすべきだと思っている。
狂れ河童は正気を失くしているもの特有の異常さで、時折奈永池を離れて都内に出没するのだ。老若男女問わず相撲を求めては、応じた相手を悪意なく縊り殺してしまう。
「ま、今回挑まれたら絞め殺していいって許可もらってるしな」
奈永池の仲間たちからも見捨てられた河童を哀れに思いつつも、椚は旧宿の中心に向かって歩を進めるのだった。
***
結局、椚は入道と河童のどちらに遭うこともなく、ミタチの事務所兼ねぐらとなっているビルに到着した。
「やれやれ、やっと着いた」
妖魔ひしめく旧宿の中央部近くにあるこのビルで、客など来られるものなのかと思う。が、何やら客を迎え入れるための『妖魔に出会わなくても来られるルート』があるのだとかで、ミタチは人間相手の仕事をつつがなく続けている。
ミタチなりのこだわりがあるのか、頑として椚にはそのルートを説明しようとしない。公共交通機関が使い物にならなくなって久しいこの街では、命知らずのタクシーか高名な拝み屋と提携したバス会社が時折出すバスくらいしか車両は走っていない。それも月に数度のペースで骨丸入道に踏み潰されたり、正体不明の妖魔に襲われたりでスクラップになる。中に居た乗員乗客の安否などは言うまでもない。
そういう事情で、今回椚は大葉も木乃香も連れてきていない。徒歩で旧宿を歩いてきたのだ。
「
「くっ!」
椚は背中に突き立てられようとしていた短刀を、振り返りもせずに軽々と避けた。声をかければその持ち主は悔しげに呻いた。
「奇襲をかけたいならその殺気をどうにかしないとな」
「煩い、この腐れ仙道!」
アザカ。鮮やかな花と書いてそう読む。姓はない。
掛け値なしの美女だ。喪服のような和装に身を包み、おそらく椚を怒りと憎しみの表情で睨みつけているのだろう。いつものことなので見なくても分かる。
美女というのは得なもので、激情をほとばしらせていてもその美貌には翳りが見えない。
溜息交じりに弁明する。これもいつものことだ。
「だから言ってるだろ? お前のおふくろさんを殺したのは俺じゃねえってば」
「信じられるものかっ!」
アザカは生まれて間もないころ、神隠しに遭った。開放の日よりも前のことで、妖魔の世界に迷い込んだ彼女は、そこで育ったという。
本来、妖魔の世界に迷い込んだ人間は長生きできない。妖魔に食い散らされるか、あるいは精神に異常を来して戻ってくるからだ。
が、アザカは妖魔の世界で健やかに育った。養母はひとりの
「ああ、はいはい。今日は御太刀に用事だ。いるかい?」
ようやく振り返ると、案の定アザカの表情は思っていたものとまったく同じだった。
肩を怒らせて荒い息をする彼女は、それでもなお美しい。
「用事が終わったら気が済むまで相手してやるよ。だからちょっと待ってろ」
アザカの養母は、五年前に死んだ。
殺されたのだ。
癸亥山は妖魔の世界とある程度つながりがあったし、椚自身も修業時代に何度か訪れたことがある。癸亥山には元々、妖魔の世界からの修行者もいるのだ。
アザカの養母から癸亥山に接触を取ってきたのは十二年前。少女を拾って養育していること、保護してほしいという打診だったそうだ。
椚は当時まだ修行中だったので詳しいことは分からないが、結果としてアザカは癸亥山の修行者として引き取られた。二人は同門ということになる。
めきめきと頭角を現す椚と違って、アザカは伸び悩んだ。育った環境は特殊だったが、決して才能があったわけではなかったからだ。
「ところで、術の修行は絶やしていないか?」
「煩い! さっさと行け!」
五年前、アザカの養母が真っ二つに引き裂かれた姿で倒れていたのを見つけたのは椚だった。
義娘と一緒に癸亥山に保護される筈だった彼女は、当時は妖魔の世界に愛着があるからと同行しなかった。
開放の日以後、混じってしまった――あるいはひとつに戻ってしまった――ふたつの世界。アザカの養母の家を訪ねると、彼女は古い布を握り締めて倒れていた。おびただしい量の流血は、体のつくりが人に近い山姥にとっては致命的で。
だが椚が着いた時には、彼女にはまだ息があった。託された古い布は、今も椚が預かっている。
アザカは養母の死に強く取り乱した。
そして、連れ帰らずに荼毘に付した椚に食ってかかった。お前が殺したんだろう、傷を見せるとばれるから焼いて埋めたのだろうと。
「ま、元気そうで安心したよ」
「……煩い」
当時椚は仙人になる直前で、立場としては最上位の修行者だった。うだつの上がらない先輩方のやっかみや嫉妬も相当にあったから、おそらくその辺りの連中がアザカにあることないこと吹き込んだのだろうが。
暫くは擁護の声もあったのだが、最終的にはその一年後、アザカは癸亥山を破門された。不死椚から認められ、闘仙の名を受けた椚を襲ったためだ。
彼女がミタチの元に身を寄せたのもまた、椚の手配によるものなのだが――
***
「やあ、タイジュ!」
「おう」
ビルに入って、階段を登っている途中。
椚の気配を察知したのか、ミタチが椚の前に顔を出した。エレベータは既に電力の供給が止まって久しい。
「鮮花は面倒をかけてないか」
「アザカさんはよくやってくれているよ。でも、感情を顕わにするのは今でも君の前ばかりだねえ。この際だから、抱いてあげたらどうなんだい」
「こんなガキの
溜息をつきつつ、手近な部屋に入る。
客向けの応接室は別にあるのだが、椚はミタチにとっては客ではないとのことで、そこが使われたことは一度もない。
「骨丸入道やコンクリ櫓の影響はないか」
「骨のやつは私のところには近づかないよ。あれであいつは賢いからね、一度負けた相手には絶対に喧嘩を売らない」
「俺には売ってくるけどな」
「妖魔と違って人は老いるからねえ。今なら勝てると思うんじゃないかな」
「変に人間の生態を知っているとややこしいな」
あつらえられたソファに腰を下ろし、足を組む。
茶は出ない。ミタチにもアザカにも茶を飲むという習慣はないからだ。
なので、早々に本題に入る。
「御前から調べてもらった。あの呪物は、どうやら多摩あたりを中心に細々と出回っているもののようだ。お前が受けた依頼はどういう内容だ? 呪物の持ち主の殺害か、作ったやつを殺す話か」
「その辺りはちょっと複雑でね」
ミタチが渋い表情で頬を掻いた。
無表情か、薄い笑みを浮かべていることが多いので、ちょっと珍しい。
「今回の件は、依頼人が複数いるんだ。私も困ってしまってね」
「複数?」
「そうなんだ。ねえ泰樹、こういう場合私は、誰の命を食べたらいいんだろう?」
首を傾げるミタチ。人形じみた美しい貌が、それだけに人食い妖魔特有のおぞましさを感じさせた。
「さてな。詳しく話せ」
ミタチを、人間社会にこういう形で紛れ込ませた責任の一端を負う者として。
椚はその相談に乗ることにしたのだった。
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