第15話 十五日目 執筆活動

 翌日俺は朝から、四百字詰原稿用紙換算で二〇枚の原稿と先日用意した資料を前に、どうやって恋愛モードに変換しようかと思い悩んでいた。文字の変換なら、ワードで簡単にできるのに――誤変換もかなり多いけど。

 それから原稿枚数を素直に七枚と言えずに、つい二〇枚と言ってしまうのは少しでも多く見せたいという、ワナビの悲しい習性のなせる業といえる。

 たとえ七枚でも北瑠より先行しているはずなのだが、書き出しの文章からして手直しをしなければならなかった。北瑠には偉そうに原則論を講義していたのに、この原稿の書き出しは、まるでなっていないのである。

 主人公の説明から書きだした為、ストーリーを停滞させてしまい、読者に興味を持ってもらえず、テーマにも全然関連していないのだ。偉そうに講義してしまった手前、全ては無理でも、ある程度は講義した原則に則った書き出しをしなければならない。

 やはり、メインのLH探検隊を彷彿させるような書き出しにしようと考え、男性恐怖症の主人公と、逆にプレイガールふうの友達との、会話文から入ることにした。


   「LH探検隊」

                             本田 文吾

「ねえ、美鈴。貴女カップルズホテルって、行った事ある?」

 いきなり絵里が、変なことを訊いてきた。

「絵里、そのカップルズホテルって何なの?」

 私は飲みかけたやや小さめのコーヒーカップを、もう一度テーブルの上に戻しながら不審げに問い返す。

 絵里の言っていることは何となく分かってはいたが、あまりにも唐突な質問なのでそう確認せずにはいられなかったのだ。

 私達の間には、先程飲みかけていたエスプレッソのほろ苦く香ばしい香りがほのかに漂っている。

「いや~ね、美鈴。ラブホのことよ。だけどラブホじゃ、あまりにも生々しいでしょ。そんなの常識じゃない」

 テーブルに両肘をついて手の甲で頬を支えながら、私の顔を挑戦的に覗き込んでいた絵里は、そのときだけ少し言いにくそうに視線を逸らせた。

 私達の席のすぐ横にある窓の外には、大きな桜の木が見える。先週までは見事な花を咲かせていたはずだった。それが今では葉桜となっていて、鈴なりの若葉をさざ波のようにゆらゆらと漂わせている。その向こうには四階建ての白亜の校舎が、緑とのコントラストよろしく、厳粛な佇まいを見せていた。

 そう、ここは大学構内のカフェテリアである。女子二人が、お茶をしている時にするような会話ではない。

「そんなのある訳ないじゃない」

 絵里が何を言いたいのか分からないまま、素直な返答をする。もっと気の利いた返事があったのかも知れない。しかし今の私には、これ以上この場に相応しい言葉の選択肢を見つけることはできなかった。

「そうよね。美鈴は男嫌いだものね」

 そう言われることは、ある程度予測をしていた。予測はしていても、あまりいい気分とは言い難い。

『男嫌い』という言葉が、何となく『変態』と同義語のように感じられるからだ。 私の場合『男嫌い』ではなく、単に男性が怖いだけである。女子校だったことが影響しているのだと思う。絵里には全然当てはまらないけれど。

 そんなことよりも、私達はこの四月に大学に入ったばかりの十八才なのだから、行ったことがなくても当然だと思っている。逆にこんなことを訊いてくる絵里は、行った事があるのだろうか。親友だと自負する私が見る限りでは、いくら発展家の絵里でも、そこまでの事は無さそうに思うのだけれど……。

 私と絵里は、見た目も性格も、ついでに言えば、あらゆる面で正反対だった。派手で社交的な絵里と、地味で内向的な私。それでも何故か不思議と馬が合い、高校時代からの親友なのである。

 同じ大学に進学しようと二人で相談した結果、偏差値が両方共合格ラインの、この大学を選んだのだ――人間総合科学などという訳の分らない学科を。


 まあ、書き出しはこんなものだろう。可もなく不可もなく。一応原則も少しは入っているし。まだ、恋愛モードじゃないけれど、それは相手の人畜無害君が登場しないことには始まらないからな。

 一人称の女子大学生視点も、今のところは大丈夫そうだ。女子視点の小説を書くと、気が緩んだ時に、ついうっかりと地の男がでてしまうからな。

 まだ人畜無害君が登場していないので、恋愛色が出せず、コメディ色も少し抑え気味にしている。そのバランスを考えるのが、難しくて何よりも重要なのだ。単なるラブコメを、本当の意味での恋愛小説に昇華させるためには。その結果、真面目な純文学ふうな小説の書き出しに見えなくもない。

 暫らくは、こんな感じで書き進めてみよう。コメディ色なら、後からいつでも、いくらでも追加して出す自信はあるつもりだ。それともこのまま純文学風で、押し通してみようか。もう少し情景描写や心理描写を増やせば、芥川賞も夢ではないなどと、つい愚かなことを考えてしまう。

 後は、執筆済みの二〇枚――やっぱり多く見せたい――の中から、これに続くエピソードを選んで、間の繋がりが不自然にならないように、文章を追加したり、変更したり、削除したり、入れ替えたりと工夫を凝らすことになる。

 これが結構手間なのだ。それでも、アイデアや文章を新たに考えることを思うと、元があるだけに、まだましだった。

 この繋がりが上手くできたら、そのエピソードの中に、恋愛小説らしい心理描写を追加していく。これで執筆済みの二〇枚も有効活用できて、けっして無駄にはならないはずだ。

 結局その日は、その作業だけで終わってしまった。それでも、元の二〇枚が倍の四〇枚にまで膨らんでいる。内容もそれだけ濃くなっていればいいのだけれど……。

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