終 学術都市の片隅から

 学術都市ヴェローネルの、大通りからそれたある一角。そこで細々と営まれる便利屋の一日は、だいたい、鈴の音で始まる。きまじめで早起きな便利屋の主は、夏でも冬でも、朝早くから響く呼び鈴に応えて扉を開く。

 太陽の輝きがいっそう強いこの朝も、例外ではあり得ない。彼はいつもの仏頂面をひっさげて、今日一番の客と向きあった。

「おお、ロト」

 親しげに手をあげた客は、便利屋の青年ロトにとって馴染みのある顔だった。もっとも、今となっては客の大半が「馴染みのある顔」なのだけれど。

「今日も絶好調だな。何よりだ」

「そりゃどうも」

 陽気な客の挨拶に、青年はぶすっとしたまま答える。客商売失格だ、と眉をひそめる人もいるかもしれないが、ロトの場合、これが普通だった。今となってはそこにけちをつける客の方が少ない。目の前の男も、不機嫌そうな顔を気にすることなく、ロトの仕事場に踏みこんだ。

 そのとき、奥の扉の先から、一人の女性が顔をのぞかせる。男はそれを見つけて、目を丸くした。

「おや? マリオンじゃないか」

「あ、どうもー。ロトにご依頼ですか」

「ああ。マリオンはどうしたんだ。この間、帰ったばかりじゃなかったっけ」

 男は、便利屋の幼馴染である女性に遠慮なく問いかける。マリオンはマリオンで、明るく笑ってかろやかに歩いてきた。ロトは黙って傍観している。たしなめるほどのことではないと考えてのことだった。しかし。

「いや、実は、こっちに越してこようと思ってて。ロトといろいろ相談しなきゃいけないから、最近行き来してるんです」

 笑い混じりの声を聞いた瞬間、ロトは自分の判断を後悔した。つんのめって転びそうになるのをこらえ、すぐ隣に来たマリオンの脇を小突く。

「おいこら」

「いいじゃない。隠すようなことでもなし」

 姉であり、幼馴染であり、腕輪の職人であり――一応の連れあいでもある娘は、まったく動じた様子がない。一方、客の男の方は、口を半開きにして二人を見比べていた。だがやがて、彼はわざとらしく目がしらをおさえはじめる。

「おお……そうか。おまえらとうとう、そういう仲に……」

「うるせえほっとけ」

「否定しないんだな。そうか、そうか」

 ロトは押し黙った。そこを突かれると、もうなにも言えなくなる。わざとらしく咳払いをした彼は、無表情をつくって、男と向きあった。なんとかこの気まずい話題を終わらせるべく、便利屋として口を開く。

「それより、ご依頼は?」

「おっと、そうだ」男は手を打つと、なめらかに話しはじめる。いわく、今日の昼から教会の大掃除をするのだが、人手が足りないのできてほしい、とのことらしい。ロトは思わずマリオンと顔を見合わせた。

「そんなの、依頼にされなくても行くぞ」

「いや、それがさ。教会の奥の倉庫に、もしかしたら魔術がらみの道具が眠ってるかもしれない、っていうんだよ。俺たち素人が勝手に触るのは怖いから、一緒に来て調べてほしいわけ」

「……なるほど」

 ロトは相槌を打つと、顎に指をかける。グランドルのいち教会だ。魔術に関わる物品があったとして、そんなに危険なものはないとは思うが、油断はできない。なにしろここは、各地から人が集まる学術都市なのである。

 思考の時間は短かった。魔術師はすぐに決断し、依頼者を見る。

「わかった。そういうことなら、引き受ける」

「さすがロト! 頼んだぜ!」

「ねえ、それ、あたしもついていっていい?」

 すぐ近くで聞き耳を立てていたもう一人の魔術師が、すぐさま手をあげる。ロオは男に目配せし、彼が大歓迎と目で語っているのを見て取ると、「んじゃ、行くか」と手をさしだした。マリオンは、花が咲いたような笑顔で、彼の手をとる。

「よーし、掃除頑張るぞ! 腕が鳴るわ」

「ヴェローネル学院からも、何人か手伝いにきてくれるらしい。あと、森の双子も」

「あいつらも? 最近、よく来るな」

「おまえ、気に入られてるんじゃねえ?」

「……嬉しいような嬉しくないような……」

 会話を弾ませながら、三人は細い通りを抜けて、太陽がさんさんと降り注ぐ通りへ出る。こうして今日も、青い屋根の下、学術都市の片隅から、『便利屋』の平穏ならざる日常が始まろうとしていた。



(完)

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学術都市の片隅から 蒼井七海 @7310-428

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