8 ほむら祭

 予想外の騒動こそあったものの、ほむら祭の準備は順調に進んだ。会場の設営も料理の材料調達も済み、いよいよ当日を迎える。

 祭が始まるのは、日没の頃からだ。ロトたちもまた、昼間は家で体を休めて、日が傾きはじめた頃に家を出た。ひとまずマリオンとは別れて、一人で街を歩くことにしたロトは、庶民街のはずれ、変わった像の建つ広場にやってくる。広場の隅で群れている子どもたちを見つけて、目をすがめた。

「何をしてるんだ、アニー」

 低い声を投げかけると、金髪の少女が顔を上げた。かごいっぱいの飴玉あめだまを嬉しそうに見せつけてくる。

「あ、ロト。あのね、クレマンがエルフリーデを誘えるかどうか、賭けようかって話になって」

「ひとの恋愛に飴玉を賭けるのか……」

 本人たちに悪い影響が出ない限り、とやかく言うつもりはなかったが、なんともいえぬ気分になったロトである。うきうきしている少女の隣で、彼女の幼馴染が顔をひきつらせていた。ロトは彼に苦笑を贈り、視線を横にずらす。大きな帽子が揺れて、その下の無邪気な目が、笑った。この近くに住む配達屋の少年も、今日ばかりは仕事が休みらしい。

「で、なんでルゼまで加わってんだ。こいつらと面識あったっけ?」

「いや。仕事中に挨拶するくらいだけど。なんか、おもしろそうだと思って」

「飴玉を賭けるのが?」

「元いじめっ子とかわいい女の子の恋愛、なんて、お話みたいじゃん」

 ルゼは悪意のかけらもない笑顔で言う。ロトは今度こそ、かける言葉を失った。「ほどほどにな」とだけ言い置いて、広場に背を向けた。

 よく知る四人のうち、二人を巡る賭けごとは、ロトの背後でまだ続いている。恋愛、といったものの、あの二人に関しては、男子の片思いだという。どうなるのか気にならなくはないが、なるようにしかならないのではないか、というのがロトの考えだった。

 だが。ほむら祭がひとつのきっかけになるのなら、それはそれで、悪くない。


 ほむら祭の原型となる祭事は、王国西部地域の多くの村で行われていたという。もともとはれいのための祭事だったのが、同じ時期にある豊作祈願の祭りと一緒になって、今の形になっていった。ゆえに今のほむら祭は、先祖の加護と冬の終わりに感謝をし、今年の実りを願う祭。とはいえ実態は、騒いで楽しむための口実こうじつではないかと、ロトは疑っている。慰霊と豊作祈願を一緒にするというが、なんともグランドル王国らしく、そのは嫌いではないけれど。

 太陽が赤く輝きはじめると、ヴェローネルの人々は、慌ただしく動きはじめる。ロトのそばでも、人々を誘導する大学生があっちへこっちへ、駆けまわっていた。森の双子とばったり出会い、少し話をして別れた彼は、群衆を割って響く高い声を聞きつけて足を止めた。一人の女子学生が、けんめいに人々を誘導しているところだった。

「ほらー、危ないですよー、離れてくださーい!」

 つま先立ちになって、薪の前で必死に両手をのばす少女は、聞かん坊の男の子に突き飛ばされそうになる。たまたまそばを通りかかったロトは、よろけた少女の腕をつかんだ。

「リュクレース。危ない」

「あ――ロトさん! お久しぶりで早々、すみません!」

「いいって、気をつけろよ」

 少女の腕をさっさと放すと、そこへフレデリックが駆けつけてきて、やんちゃ坊主をひっぱっていった。リュクレースも、ロトにおじぎをした後、また薪のまわりを駆けまわりはじめる。勤勉な学生たちを見送った便利屋は、群衆の中に身を隠した。

 組んだ薪のまわりから、あらかた人がはけると、鐘の音が響きはじめる。たくましいかけ声がそこに重なり、大きく上へと燃え上がる炎が、太い松明たいまつに灯されて、掲げられた。

 誰もが声をのみこんで、大きな火を見守る。

 松明を掲げる三人の女性の手により、火は、ゆっくりと、四角い組み木に灯された。最初、小さく見えた火は、あっという間に勢いを増し、さながら野営のかがり火のように、黄昏の空を照らし出す。どこからともなく拍手が起こり、それはやがて街全体に広がった。

 ほむら祭は、静けさとともに、始まる。


 どこからか、か細い笛の音がする。その音にあわせた歌声は、力強く、それでいて哀切を帯びていた。群衆のざわめきに消されることのない歌は、街の通りに影と華を添えていた。

 静かに始まるお祭りも、点火が済んでしまえば、あとは好きに騒ぐだけである。火を囲んで踊る若い男女がいたり、屋台で買い食いする学生たちがいたりと、自分のまわりを少し見回すだけでも、いろんな人が目に入る。そういえば、賭けの対象になっていた二人はどうなったかと考え、ロトは視線を巡らせた。見つからないだろうと思っていたのだが、人混みのなか、見知った四人の顔を見つける。どうやら飴玉の行方は、まだ決まらなさそうだ。ふっとほほ笑み、あてもなく歩きだしたロトは、光を透かす飾りひもをあおぎ見る。去年までは居心地の悪さを抱きながら歩いていた通りが、やけに輝いて見えるのは、なぜなのか。はっきりとはわからないが、自分の中でなにかが変わったのは、確かなのだろうと思った。

 なんとはなしに踵を返す。今なら、間近であの火を見ても平気かもしれないと思ったのだ。村に火を放たれた多くのシェルバ人にとって、火は傷と恐怖の象徴だが、同時に身近なものでもある。赤い揺らぎを見るたびに、こらえようのない痛みを感じながら、それでも傷と向き合って、やがては思い出の中に埋めていくのだろう。

 盛大に燃える炎に近づいていたロトは、途中で足を止めた。火のそばに、なじみ深い人の姿を見つける。心細げにうつむいている彼女の姿を認めた青年は、今までよりも足を速めた。

「マリオン」

 そばで弾けた笑い声に負けないよう、いつもより大きな声で呼ぶ。マリオンは、飛び上がって振り向くと、どこかいびつな笑顔を見せた。

「あ、ロト」

「おう。大丈夫か」

 ロトがそう訊いたのは、マリオンにとって火がいまだ、傷と恐怖の象徴だと知っているからだ。彼女は血の気の薄い顔で、やはり気丈にほほ笑んでみせる。

「大丈夫。ちょっと、驚いて、ぼーっとしちゃっただけ」

 弾んだ――弾ませた声で言う幼馴染の横顔をながめ、ロトは少し考えた。考えたあとに、うなずいて、また彼女の名前を呼ぶ。灯の散った瑠璃色の瞳を見つめる。

「少し、歩くか」

 ロトが通りの方を指さして問うと、マリオンは嬉しそうにうなずいた。

 

 空の紺碧と、炎の紅を背景に、白い光が蛍火のように瞬いている。ヴェローネルで数少ない祭の夜は、建国記念祭のそれとはまた違う華やかさがあった。

 二人の魔術師はしばらく、屋台で買った串焼きを片手に通りを歩いていた。会話は少ない。けれどその沈黙は、決して気まずいものではなかった。

 珍しくこみごみとした通りをながめていると、時折、『白翼の隊』の制服が目につく。ロトとマリオンは、彼らと目が合うたびに、労いの意味で手をあげた。応答がなくても構わない。彼らは仕事中なのだから、しかたないのだった。

 ロトは、何度も道行く人に声をかけられた。彼はそのたび、挨拶をしたり世間話をしたり、ときには頭を小突いたりと忙しい。人の流れがとぎれたところで、マリオンが目を細めた。

「この間も思ったけど、あんた、本当に顔が広いわよね」

「まあ、この街ではな。便利屋なんてやってると、嫌でも知り合いが増える」

 しみじみと呟く幼馴染に、ロトは半眼で返した。「けど、まあ、悪くはない」と付け足した彼は、また通りすがりの学生に手を振った。そういえば、お悩み相談室でもやらないかと言い出したのは今隣にいる彼女だったと、思い出す。だが、青年の内心を知る由もないマリオンは、そのことを忘れたかのように、軽く頬をふくらませた。

「それだけいろんな人と知り合いなら、ちょっとくらい、いいなって思う女性ひともいたんじゃない?」

 マリオンのこの言葉は、前に自分が問いつめられたことからくるやつあたりだったりするのだが、もちろんロトはそのことを知らない。きょとんとしたあと、赤みを帯びた頬をかいた。

「いや、そういうことはなかったな」

「なかったの?」

「なかった。そもそも、女性を相手にするとき、できるだけそういうことを考えないようにしてたからな。意識しすぎて会話ができなくなっても困るし」

「あ、そっか」言ったあと、マリオンは目を伏せた。「ごめん」というかすかな謝罪に、ロトは首を振る。

「今はそこまでじゃねえよ。でもやっぱり、人を好きになるってのは、想像できない。……そういうおまえはどうなんだ」

 ロトとしては、何気なく聞いたつもりだった。マリオンの方こそ、気になる人がいてもおかしくない。それどころか、言い寄ってくる男がいても、驚かない。ふだんから化粧っけも色香もないので忘れがちだが、彼女は間違いなく美人の部類に入るのだ。だからこそ、からかい半分で尋ねてみたのだが……マリオンがぎくりと固まったのを見て、ロトは後悔した。祭の前の騒ぎを思い出したかと思ったのだ。

 ややして返った彼女の言葉は、ロトからしてみれば意外なものだった。

「気になる人はいないし……告白されたこともあるけど、断ったし」

「断った? なんで」

「なんでって、そりゃあ――」

 マリオンは勢いよく続けようとしたが、口から音が出る前に、立ちすくんだ。背後で薪の爆ぜる音が大きく響き、赤がひときわ濃さを増す。

「日が沈んだか」

 ロトは、空をあおいで呟いた。目を戻したとき、マリオンの肩がかすかに揺れたのに気がつく。彼は考えてから、その肩を叩いた。

「どうしたの、ロト」

「いや……」

 なんと言おうか、つかのま考え、ロトは口の端を持ちあげた。

「来てほしい場所があるんだ。少し歩くけど、いいか」

「それはいいけど……どこに行くの?」

 首をかしげた娘に向かって青年は、

「秘密の場所」

と、悪戯っぽくささやいた。

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