2 ぬぐわれない影
「あー。まあ、ヴェローネルで便利屋っつったら、ここしかないと思うけど」
一瞬、頭がまっしろになった。しかしロトは気を取りなおし、ことさらに軽い口調で少年の質問に応じる。すると少年は、安堵したのか、それはそれは、大きなため息をついた。
「そうですか。よかった……。間違えてたら、どうしようかと……!」
大げさな、とロトは顔をしかめる。けれど、彼にとっては本当に深刻なことだったのだろう。うなだれるようにしている少年は、そのまま放っておけば、制服が汚れるのも気にせずへたりこんでしまいそうだった。
「で、本日はどのようなご用件で?」
ロトは、わざと声を大きくした。すると少年は、はっと顔をあげる。だが、そのあとまた、頭を下げた。今度は勢いよく。
「あのっ! いきなりこんなことをお願いするのは失礼だと、承知してはいますが!――シェルバ人について、おうかがいしたいことがあるんです!」
青年は目を丸くする。あの日、図書館で味わったのと似た驚きが、胸を突いた。
少年はマルクと名乗った。名門ヴェローネル学院の南東に分館を持つ、大学の研究生だという。現在彼と、彼と同じ学科に在籍する少年少女三人は、今月末に行われる研究発表会に向けて、準備をしている最中なのだそうだ。そして、発表会の題材として選んだのが――
「ヴァイシェル系シェルバ人の文化と、彼らの大陸移動について……」
マルクの口から発された言葉を反芻し、ロトは苦い顔になる。ちらと少年の様子をうかがえば、あからさまにおびえた表情をしてカップの中のお茶とにらめっこをしているようだった。最近は度胸のある客が多かった。だから、こういう反応をされるのは久しぶりだが、ロト自身、初対面の人に怖がられやすいことはすでに自覚している。今さら相手の態度など気にもならない。それよりも、と、マルクの話に思いを巡らせた。
――グランドル暦三百九十四年、こちらの暦でいえば十一月の半ば。王国北岸に一隻の船が流れ着いた。そこから出てきたのは、満身創痍どころか死にかけのシェルバ人二十一人。ロトやマリオン、薬屋のセオドアは、その中にいた。
長い航海。絶望に塗りつぶされ、船員の心が荒んでゆくなか、ようやく見つけた陸地。降り立った先で、言葉は通じないながらも現地の村人と意思を通じあわせ、手厚く看病された彼らは、しばらくして王都に引きとられた。それからいろいろあって、王国軍の魔術師専門部隊『白翼の隊』の庇護下に入ったわけである。
ただし、これらのことは当初、国王および政府の判断で秘匿された。船が流れ着いたばかりの頃は、臣民の間で話題になったようだが、誰もがシェルバ人移民たちの事情に深入りしないようになると、自然、船のことも忘れられていった。そして今も、表向きは情報が規制されたままである。目の前のマルクを含め、図書館で出会った学生四人も、詳しくは知らないはずだ。
そのうえで自分を訪ねてきたマルクの勘の良さ――あるいは運の良さ――に、ロトは思わず感心してしまう。彼はうつむくマリクの茶髪を見つめたあと、そっと目を閉じた。
もういいのではないか、と思っていた。
秘密にしておく理由など、どこにもないだろう、と。
情報統制にだって限界はあるし、同胞たちも、今は、自分たちのことが広まることへの抵抗が少なくなってきている。ロトなどはすでに、気心の知れた子どもたちに事情を打ち明けてもいた。
もうすぐ、あれから六年になる。時効だろう。
だが、そう思っていても――どこか一歩を踏み出せない自分がいることに、青年は気づいていた。
「だいたいのことは、わかった。それで、シェルバ人の俺に話を聞きにきたんだな」
だからあえて、今は依頼者に歩み寄らない。細く息を吐き、自分の愚かさを静かに呪いながらも。
マルクはぱっと顔をあげた。けれどそれから、目を泳がせた。ロトの顔を確かめるように見てから、カップを手もとでにぎるように持つ。
「いや、それが……まさかシェルバ人だとは思ってなくて……驚いてます」
「は?」
「彼らのことに詳しいかもしれないって、先輩から聞いたんですけど。『本人』だとは一言も言われなかったので」
「……どこのどいつだ、その先輩」
過去の依頼者か、話をするだけの間柄かはわからないが。ロトは腕を組んで顔をしかめ、姿の見えない『先輩』を呪う。後輩に情報を与えるのならば、最初から全部教えておいてほしかった。
だが、今ここにいない人間に文句を言っても、なにも変わらない。ロトはとりあえず、話の軌道修正をはかった。
「まあ、とりあえず、だ。そういうことなら、質問には答えられる範囲で答えよう」
「ほ、本当ですか? あ、すいません、いくら払えば……」
「いらねえよ。大学生から金をむしり取る気はない」
「え、あ、えっと。――ありがとうございます!」
おたおたしていたマルクは、ロトの返答に目を輝かせ、激しく何度も頭を下げる。どこか危なっかしい学生のしぐさに、ロトは思わず苦笑した。
ロトは過去にも近い依頼を受けたことがある。そのときは魔術学の講釈や情報提供だったが。学術都市にいる以上、ついて回ることだとは思っていたし、大なり小なり学徒のためになるのなら、自分の知識と経験を切り売りするのもやぶさかではない。
けれども、マルクは何が原因なのか、かなり恐縮していた。そんな彼をなだめながらも、ロトは彼の質問に答えてゆくことにする。
「えっと、どういう生活をなさっていたんですか? 畑とか、あったんですか?」
「畑はないな。一年の半分以上は冬だし、地面が凍ることも珍しくない。とてもじゃないが農業なんてできやしねえ」
「えっ!? じゃあ、食べ物は……」
「狩りだよ、狩り。村の男はだいたい狩人だ。
「へ、へえ……!」
話しはじめれば、マルクは思いのほか口数が多かった。自分の興味のあることに心血を注ぐ性格なのだろう。会話はするすると進み、少年の瞳は輝きを増した。そしてロトも、依頼者を前にしているとは思えないほど、力を抜いて話していた。生活のこと、信仰のこと、魔術のこと。話せば懐かしくなるような逸話も少なくない。それを誰かと共有できるのが、青年には楽しくてしかたがなかった。
「あの、それじゃあ――」
しかし、次を切り出したとたん、少年の表情は翳った。かすかな変化から次の話題にあたりをつけて、ロトも自然と背筋を伸ばす。
「どうやって、どうして、この大陸に渡ってこられたんですか?」
家の中が静まりかえる。ロトは静かな表情で口をつぐんだ。それでもマルクは、急かす言葉を口に出さなかった。彼も、こういう反応が来るのは予想していたのだろう。
何を選ぶか。どう話すか。ロトはしばらく考えて、少年を見すえた。
「……その話は、少し長くなる」
「……はい」
うなずくマルクの瞳は、かたい光を帯びていた。
遠く北の大陸で、厳しいながらも穏やかな生活を送っていた、異民族の人々。彼らが突然、追い立てられるように、遥か南の大陸に渡ってきた。それだけでもう、何かしらの重く苦い事情がからんでいることを、察しているのだ。彼も歴史を学び、研究する学徒の一人。文字を通してではあっても、さまざまな移民の姿を見てきたに違いない。だからこそ、覚悟を持って、ロトに問うた。
ならばこちらも、きちんと向きあうべきだろう。ロトも静かに決意する。
「研究発表をするのは、おまえ一人じゃないんだろ? あと三人だっけ?」
「はい」
「だったら、その三人ともきちんと顔合わせをして、それぞれの意見を聞いたうえで……全員の顔を見て、話がしたい」
マルクは、目を丸くした。ためらうように唇を動かしていたが、ややして、「わかりました」と請け合ってくれた。一応、望んだとおりの返答を得たロトは、形だけの笑みを
「悪いな、手間取らせて。『たかが研究発表のためにそこまで……』って思っただろ?」
「まあ、正直」
マルクは背を丸めて答えた。すなおな、よい少年だ。ロトは子どもたちと触れあうときの癖で頭をなでそうになって、すんでのところでこらえる。ちょうどそのとき、マルクが頭を持ち上げた。ロトを見る表情は、頼もしい。
「でも、それだけ、あなたにとっては大切な……深刻なお話なんですよね」
聞かせていただくのはこちらですから、あなたの気持ちをないがしろにしたくないんです。そう言って、学生はほほ笑む。大人びた態度の少年を前にしてどうしていいかわからなくなったロトは、結局、「ありがとう」のただ一言を、ぎこちなく口にした。
三人に都合を聞かなければならないので、明日また答えを伝えにくると、マルクはそう言い残して便利屋を去った。家が静かになったとたん、薄い闇が迫ってくる。ロトは食器を片づけながら、顔をしかめた。むりやり押しこめていた不安が、いきなり噴出した。
きちんと話せるだろうか。どこかで取りみだしはしないだろうか。
気の置けない友人ならばともかく、ほとんど初対面の学生の前で、そんな醜態をさらすわけにはいかない。彼らを困らせてしまう。けれど正直、ロトは一人で彼らと向きあえる気がしなかった。子どもたちに事情を伝えたときでさえ、保護者であるエレノア・ユーゼス少将に代わってもらっていたのだ。
「せめて、誰かについていてもらうべきかね……」
同胞に黙って、他人に過去を打ち明けてしまうことに対して、少なからず引け目もある。そうすべきだろうと考え、しかしすぐに思考が止まった。
比較的早く連絡がとれる『同胞』は二人だが、どちらも忙しい。薬屋は今、久々に大口の仕事を受けていて手が離せない、と、先日聞いた。幼馴染の方は――隣町に住んでいるため、今すぐに頼みにいくことはできない。
ロトは、片手で顔を覆うと、投げ捨てるように
そして、また、呆然とした。
「やっほー、ロトくん。景気はどうかね?」
いつか聞いたことのある言いまわしで来訪を告げたのは、彼ともっとも親しい女魔術師だった。彼女と会う約束を取りつけたおぼえのないロトは、混乱して、瑠璃色の瞳をのぞきこむ。
「マリオン……。どうしたんだ、急に」
「いやー。突然ごめんねー。ヴェローネルの人に薬を注文されてたから、届けにきたの。で、ついでに寄った。最近、腕輪を見てなかったしね」
「そ、そうか」
隣町、ポルティエに住む幼馴染は、いつになく上機嫌だ。報酬がよかったのかもしれない。どぎまぎと返事をしたロトは、そのまましばらく考えこむ。勘の良いマリオンが、訝しげに眉をひそめたことには、気づかなかった。わずかな時間に頭が痛くなるほど考えて――ロトは、やっとの思いで彼女を見る。
「なあ、おまえさ。いつまでヴェローネルにいられる?」
「……へ?」
マリオンは、ぽかんと口を開けた。
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