6 重ならない願い

「この大馬鹿者」

 朝になって、まず浴びせられた一声はそれだった。鋭い目でにらみつけてくるマリオンに、ロトは無言で頭を下げる。すると、ぽか、と叩かれた。

――彼女から聞いたところによると、マリオンたちが駆けつけたのは、ロトが意識を失った直後のことだったらしい。ナディアから事情を聞いたあと、二人がかりで彼を家まで運んだというから大したものだ。これだから、幼馴染と薬屋には頭が上がらないのである。

「腕輪は勝手に外すなといつも言ってたはずだけど」

「悪い」

「いっそもっと外しにくい構造にしてやろうか」

「……勘弁してくれ」

 とげとげしい幼馴染の前で、ロトはとにかくうなだれた。今も彼の両腕にある腕輪は、ただでさえ外しにくい構造をしている。そのうえ魔力がないと開けられないという、ある意味恐ろしい仕様だった。これ以上外しにくくされたら、間違いなく、自分でちょっとした手入れをするといったことが不可能になるだろう。

 ロトが、寝台に腰かけたままとりとめのないことを考えていると、マリオンのため息が聞こえた。「ま、いいわ」と言った彼女は、どうやらこれ以上の説教を無駄と考えたらしい。

「それにしても。ナディアは、本当に出頭したのかしらね」

 ロトは顔を上げた。馴染みの顔を追いかけて、窓の外を見やる。平穏な朝を迎えたヴェローネルの裏通りは、今のところ静まりかえっていて、異常は感じられなかった。

「おそらく、しただろうな。どうなってるかはわかんねえけど」

「……いいの?」

「俺たちがどうこうできることじゃないだろ」

 ロトは、わざと冷淡に言い放った。マリオンが、そうだけど、と言って渋い顔をする。彼女はしばらく唇を動かしていたが、ロトが微動だにせず座っていると、ふいっと顔をそらしてしまった。ロトは、気づいていてもわざと取り合わず、無言で目を閉じる。

 重く冷やかな沈黙が降りる。それは間もなく、呼び鈴の音に破られた。ロトはいつものように立ち上がり、すたすたと戸口へ歩く。「いらっしゃい」と投げやりなかけ声をかけて扉を開け――そのまま、固まった。

「や、お兄さん」

 静まりかえった裏通り。白衣をまとい、子どものような笑みを浮かべる女が、立っていた。


 ロトは棒立ちになったまま、数回まばたきをする。何も言えずに口をぱくぱくさせていると、とうとう、女が彼の顔の前で手を振った。

「おーい。お兄さーん。なんて顔してるんだい」

 調子よく呼びかけられて、青年はやっと我に返った。じっと目をすがめ、女を上から下まで見る。ついでに手首も見る。刺青のような模様がある。間違いない。

「……ナディア」

「あ、よかった、わかってもらえた。てっきり忘れられたかと思ってたよ」

 ナディアが声を立てて笑った。ロトはあのな、と言って肩を落とす。その頃になると、家の中にいたもう一人も騒ぎに気づいたようで、顔を出すなり驚きの声を上げていた。いきなりまくし立てようとする彼女を片手で制して、ロトが前へと歩み出る。

「おまえ、なんでここにいるんだ。まだ出頭してないのか?」

「いんや。したよ」

 ナディアはあっさり答える。ロトとマリオンがぽかんとしているうちに、自分の背後を指さしていた。白い指を追ってナディアの背後を見てみれば、そこには、貴人の護衛か暗殺者のように気配を殺して佇む、軍服姿の男がいた。見覚えのある無表情に、ロトはなんと言っていいかわからず、とりあえず挨拶の言葉を投げる。すると相手も、低い声で同じ言葉を返してきた。こちらと会話をする気があるとわかって、ほっとする。

 微妙な空気が漂う中で、ナディアがいつもの調子で続けた。

「警察行って、事情話したらさ。なんか、すぐ軍の人と引き合わせられて。本当はそのままどっかに連れてかれる予定だったらしいんだ。けど、私、無理にお願いしたの」

「ここに来たい、って?」

「うん、そう。――ああ、あと、お礼はこの人からもらってねーって伝えておきたかったのもあるし」

 そう言うナディアは、再び無表情の軍人を指さした。ロトは改めて、彼をまじまじと見る。

「……あんた、よく許可したな」

「精神状態はいたって正常だったからな。危険はなかろうと判断した。それと、もうひとつ、彼女の処遇については、おまえたちに伝えておきたかった」

 ロトは、軽く眉を上げた。マリオンも、おやとばかりに目を瞬いている。腕を組んだ青年が、「どういうことだ」とうながせば、男はあくまで事務的に、答えた。

「彼女の身柄は王都へ送られることとなった。事情聴取ののち、『専門家』たちが直轄する施設に入るとのことだ。詳しいことは管轄外ゆえ聞いていない」

 放り投げられた言葉は宙を漂い、やがて消えた。それを受けとめたロトたちは、しばらく呆然としていた。誰も何も言わないまましばらく経った後、彼らはどちらからともなく吹き出した。ロトは思わず、大声を上げていた。

「そうなったか。なら、少しは安心できるかな」

「でも、想定の範囲内よね。だって、魔女の呪いだもん。普通の人にどうこうできるわけがないわ」

 マリオンもまた、満面の笑みで言う。男は仮面のような顔で、ナディアは「ふーん」と、興味があるのかないのかわからない顔で、彼らを見ていた。そのあと、わずかに、頬を緩める。

「二人がそういうんなら大丈夫だよねえ、きっと」

 軽い調子でそう言ったあと、ナディアは笑みを消した。いつになくまじめな顔を二人に向けて、深々と頭を下げる。

「――まあ、そんなわけで。このたびはたいへんお世話になりました」

 ロトとマリオンは、顔を見合わせた。一瞬、視線が交わったのち、マリオンが半歩前へ進み出る。彼女は、ナディアの肩を軽く叩いた。

「呪いのこと、あんまり一人で抱えこんじゃだめよ。『専門家』たちは理解してくれてるはずだから、思ったことがあったらどんどん話しなさい。あと、その模様、薄くなったらすぐ言いなさいね」

 勢いよくまくし立てるマリオンと、彼女の勢いに気圧されてうなずくナディア。二人を尻目に、ロトは軍人の男へささやいていた。

「あの模様の件だけど。あれをきちんと組める人間は、そういない。必要だったら、俺かマリオンのところへ話が行くようにしといてくれねえか。王都には何人か、話のわかるやつがいるはずだから」

「確約はできないが、かけあってみよう」

「ああ。頼む」

 ロトが軽く頭を下げると、男は小さくうなずいた。

 

「もらった時間、そんなに多くないんだー」とナディアは笑った。ひととおりの話が済むと、男が彼女をうながした。

「気をつけてね」

 マリオンがそう言って、家の奥に入ってゆく。ロトは、あえてナディアの頭を軽く叩くだけにして、幼馴染を追いかけようとした。けれど、直前で、ナディアの軽い声に呼びとめられる。ロトは、目を丸くして振り返った。

「何」

「ちょっと。こっち、こっち」

 ナディアは、早く早く、と手招きをしている。眉を寄せたロトは、しぶしぶ彼女の方へ歩み寄った。

「なんだよ、言うことあるなら早くしろ」

「たいしたことじゃないよ」

 ナディアはからりと言う。ロトは首をひねった。けれど、答える言葉はない。答えは態度で示された。


 彼女はすぐそばでかかとを浮かせて、ほんの少し背伸びをし――青年の頬に、口付けをした。


 ロトは、目を見開いて固まった。それはほんの一瞬のことだったが、あっという間に彼の中からあらゆる思考を奪った。立ち尽くしている間に、ナディアはもとの姿勢に戻り、悪戯っぽくほほ笑む。

「私からのお礼。すでに大事なお方がいらっしゃるようなので、お口はやめておきました」

「な……! お、おまえ、なあ……!」

 ロトはそれきり言葉を止めた。それ以上、何も言えなかった。あらぬ誤解をされている気がするが、解く余裕もない。ナディアのことだから、わかった上でからかっているかもしれなかった。いずれにしろ、唐突な行動は、彼をおおいに動揺させた。

 怒りとも羞恥ともつかない熱いものを抱えて立ち尽くしていたロトに、ナディアは、先程よりもいくらか落ちついた微笑を向ける。

「私、もうちょっと頑張ってみることにするよ。――ありがとう」

 静かな声で感謝をたむけられて、ロトはまた呆然とする。その間に、ナディアは白衣をひるがえして背を向け、軍人をうながしていた。足音で我に返ったロトは、戸惑いのあとに息を吸う。

「――ナディア!」

 大声で名前を叫ぶと、彼女は顔をこちらへ向けた。青年は、いつもの仏頂面を取り繕ったつもりの顔で、似た境遇の女を見送る。

「またな」

 せいいっぱい、声は出した。それでも、届いただろうか、と思った。ナディアは何も言わず、歩きはじめてしまったから。

 去りゆく後ろ姿をじっと見つめていると、彼女はほんの少し、唇に笑みを乗せていた気がした。だから彼は、安堵した。

 それでいい。あとはもう、彼女が彼女なりに幸せになってくれれば、それで、いいのだ。

 

 二人の影が見えなくなるまで外に立っていたロトは、大きく息を吐きだした。そろそろ家に入ろうと、踵を返したところで、なぜか頭に衝撃がある。顔を上げると、マリオンがすぐ目の前に立っていた。なぜか、唇をとがらせている。

「どうしたんだ。すねたみたいな顔して」

「なんか、外で腹立たしいことが起きてる気がしたから、見にきただけ」

 マリオンは、とげとげしい声でそう言った。ロトにはまったく意味がわからなかった。彼が真剣に首をひねっていると、マリオンはまた頭をはたく。それから一言、「大丈夫?」と訊いてきた。ロトは、思わず吹き出した。

 この問いの意味はわかった。同時に、前の言葉の意味も察した。

「ああ。大丈夫。

 まだ、わずかにぬくもりの残る頬をなぞり、彼は言う。するとマリオンも、やわらかい微笑を返してくれた。



     ※

     

     

 青い屋根は、もうほとんど見えない。一瞬だけ振り向いたナディアは、その事実に、いいようのない寂しさを感じた。

 ほんの数回しか訪れなかったのに、ずいぶんと愛着がわいてしまった。これだから、人の心は不思議である。

 ナディアは、誰に向けるでもなくふてくされた顔をつくった後、機械的に歩を進める男の背中を見やる。

「ねえ、軍人さん」

「なんだ」

 軍人は振り返らなかった。それでも返答があったから、ナディアはほっとした。

「――これから私が行く施設って、まともなところなのかな。変なこと、されない?」

 問いを口にすると、胸をしめつけられる感じがした。右手首に痛みを感じて驚く。模様の部分を強くにぎったのは、無意識だった。

 軍人は視線だけでナディアを振り返った。相変わらず、何を考えているのかわからない。が、答えはくれた。

「安心しろ。おまえが考えているような恐ろしい場所ではない」

「証拠は」

「証拠、証拠か。難しいな」

 軍人は、波のない声で言ったあと、珍しく、頭を下げて思考した。数歩進んだあと、もとの姿勢に戻った彼は、振り向く。ナディアの方を――もっとずっと、後ろの方を。

「――彼らが今、この街にいる。おまえにとっては、それが何よりもの証拠になるだろう」

 ナディアは目をみはった。思わず足を止め、後ろを向いてしまった。どきりとしたけれど、軍人は怒らなかった。

 青色の三角屋根は、もう、まったく見えない。けれど、この街に、あの場所に彼がいると思うだけで、なんとなく心強くなるのはなぜだろう。仏頂面と、むりやり繕おうとした泣きそうな顔が交互に浮かぶ。ナディアは淡い微笑を刷いて、此方こなた彼方かなたをつなぐ空をあおいだ。

「君は、幸せになってね。ロト」


 願いはきっと、届かない。

 それでいいのだ。願わずとも、彼らは、幸福を得られるだろうから。

 彼女は唇を引き結び、白衣をなびかせ、歩いていった。



(Ⅱ 呪いのかいな・終)

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