3 笑顔の表裏

 さっそく、その日の晩から見張りを始めることになったのだが――依頼主は、ちょっと待ってて、と言って便利屋を飛び出した。さして経たないうちに戻ってきた彼女は、両腕に大きな鞄を抱えこんでいた。

「それじゃあ私、ここに泊まろう!」

 ナディアは、ただでさえ大きな胸を張って言った。マリオンがぽかんとし、ロトは自分でもわかるほどにしぶい顔をする。

「寝る場所がない」

「いいよいいよ。床に毛布を敷いて寝るから」

 心配ご無用、と、得意気に指を振るナディアを、ロトはじろりとにらみつける。

「俺がおまえのところに行くんじゃだめなのか。だいたいおまえ、研修会で来てるんだろう。そんな勝手なまね、していいのかよ」

「別に、泊まる場所が決まってるわけじゃないからいいのよー。それに、お兄さんの手を煩わせたくないしね」

「そこは煩わさせろ」

 ため息とともに言葉を吐いたロトはしかし、説得することを半ばあきらめていた。この手の人――特に女は、一度言い出したら絶対にきかない。ロトは、ここひと月でそれを実感していた。隣で茶器の片づけを手伝ってくれている幼馴染に目を向けると、彼女はほろ苦くほほ笑んだ。

「ま、頑張りなさいよ。あたしのことは気にしなくていいから」

――ひょっとしたら、彼と同じことを考えていたのかもしれなかった。


 考えごとも何もかも、ロトはいったん放棄した。その日は三人で夕食をとった後、早々に、眠りにつく準備をした。ふだん一人で過ごしているだけに、いつもの夜よりずっと騒がしく感じられて、ロトは眉をひそめる。マリオンを含む本当に親しい人を泊めたことなら何度かあるが、会って間もない人間を招き入れるのははじめてのことだった。結局、もっとも広い部屋に毛布や布を敷いた三人は、ランプの火を囲んで向かいあう。

「わは。大学の合宿を思い出すなあ」

「のん気だな」

「『これ』に関しては、神経質になってもしかたがないしねえ」

 ロトが目をすがめていると、ナディアはからから笑って手を振る。日のあるうちはじゅうぶん神経質だっただろう、と思ったが、ロトは結局出かかった言葉をのみこんだ。今のところ何も異常がないから、彼女も気がほぐれてきたのかもしれない。硝子の中で燃える炎にも気を配りつつ、ロトはナディアの様子をじっと観察していた。

「そういえばあなた、魔術関連のことを専門に研究してるって言ってたわよね」

 マリオンが、思い出したように言った。ナディアは、うんそう、と短く答えたあと、わずかに身を乗り出した。

「実は私、魔女に興味があるんだよねえ。それで、魔術とか魔術師とかについて調べはじめて、気づけばそれが得意分野になっちゃった、ってね」

 ロトとマリオンは、顔を見合せた。

「魔女って、『五色ごしきの魔女』?」

「そうそう。人間社会と関わるのをやめちゃった女性の魔術師なんだってね。なんか、そそられるよねー」

 邪気もなく言う女を前に、マリオンが気まずげに黙りこむ。ロトは彼女の頭を軽く叩いた。彼女が振り向いたところで唇に人さし指を当ててみせると、女魔術師は不承不承、うなずいた。

「ふつうは五色の魔女ときいて、『そそられる』と思うより『怖い』と思うのが先な気がするけどな」

 ロトが、あきれたふうを装って言えば、ナディアは頭をかたむけた。

「そだね。私もうんと小さい頃はそうだった。――けど、いつごろからかなあ。私の家の周辺で、噂が広がりはじめたんだよね」

「噂?」

「そう。私の父が、魔女と会ったんだって」

 放たれた言葉は、さりげない響きを持って、床を転がった。言ったナディア本人も、世間話をするのとさして変わらない表情をしている。ロトは、凍りついてしまった己の顔に手を当てた。愕然としているマリオンに一瞥を寄越してから、再び白衣の女に向き直る。

「……それ、本当の話か?」

「さあ、知らない。両親とも、何も知りません、みたいな顔をしてたし。でも、私はそれで魔女に興味をもって、いろいろ文献をあさったんだよ。魔女って怒らせると人を呪うんでしょ、怖いよね」

 彼女にとってはあくまでも、寝る前の小話のひとつらしい。おおげさに怖がるふりをしてはしゃぐナディアを前に、魔術師二人は戸惑って、固まった。

 気になりはしたが、あまり魔女についてばかり掘り下げても怪しまれるだろう。そう判断したロトは、きりのいいところで話を終わらせると、ランプの火を消してから薄い布の下にもぐりこんだのである。

 

「それじゃあロト、あたし、今日はテッドのところ行ってくる」

「おう。気をつけて」

 まだ東の方にある太陽の光に目を細めつつ、ロトは幼馴染を見送った。彼女は四角い鞄を慣れた様子で抱えると、足早に小路の先へと去ってゆく。黒衣が見えなくなったころ、彼は背伸びをし、あくびをこぼした。

 拍子抜けするほど平穏な朝だった。今のところ、ナディアが心配するようなことは、何ひとつ起きていない。彼女は早くから、いさんで家を飛び出していった。今度は迷わずたどり着けただろうかと心配はしたが、戻ってこないところをみると大丈夫だったらしい。

「さて、俺は俺の仕事をするか」

 呟いたロトは、陽光から逃げるように家へ入る。

 太陽が着々と西に向かって移動するなか、彼もいつもどおりに雑務をこなしていった。今日の便利屋は、静かである。なのでロトは、昼過ぎに見回りと仕事探しも兼ねて、商店街へ繰り出した。今日はいつもと違う露店が軒を連ねていることに気づく。よく見ると、店先に積まれ、広げられて並んでいたのは、年季の入った本たちだった。見覚えのある制服をまとった子どもたちが、興味深そうに足を止めては見入っている。日ごろと違う活気に満ちた通りを進んでいた彼は、途中で黒い影を見つけ、立ち止まった。感情の読めない相手と視線がかち合う。

「なんで昨日に引き続き、あんたに出くわすのかね」

 絵本を売る店の前で男と出会ったロトは、肩をすくめた。男は「私とおまえが同じ場所を見回っているからだろう」と、かたい答えを寄越す。ロトはやれやれと首を振った。この堅物に気のきいた返しを求めた自分が馬鹿だった、と反省する。

「それで、首尾はどうだ」

 ロトはあえて、いつもの調子で問いかけた。彼の声は学生たちの笑い声にもみ消されて溶けてゆく。その前に、男の耳にはしっかり届いていたのか、彼は小さくうなずいた。どちらからともなく歩き出した後で、彼の無愛想な声が返る。

「変わりはないな。調査は進展しないが、被害もあがっていない」

「そうか。ま、何もねえならそれに越したことはない」

「おまえの方はどうだ」

 問いを向けられ、ロトは少し考えた。そして、自分自身の見解を男に示した。彼は、小走りで通りすぎてゆく女性を避けたあと、あからさまに顔をしかめる。

「そんなことが、あるものか」

「ごく少数だけど、実例はあるだろ。ちなみに、マリオンも同じ見解だ」

 もう一人の魔術師の名前を出すと、男の眉間のしわが一本増える。彼はそれらをもみほぐしたあと、緑色の屋根の屋台の前で足を止めた。

「おまえの話が本当ならば、最悪、王都へ報告を上げねばならなくなる」

「……あんたらの都合は知らねえけど。やるならやるで、早くしてくれよ。事態がこじれたら、いち市民の手には負えねえからな」

 後ろから頭を抱えこむように手を組んだロトは、感情を映さぬ目で軍人をにらむ。男はかたい表情を崩さないまま、わかっている、と小声で言った。

 本当にわかっていればいいんだけどな。

 ロトは思ったが、口には出さなかった。


 ナディアは日が傾いたころに戻ってきた。元気な彼女に振りまわされてげんなりしつつ、ロトはどこかで安心してもいた。これなら残りふた晩、無事に過ごせそうだと。

 夕刻の鐘が鳴る頃、二人は夕食を済ませていた。食後の祈りを終わらせて、「お腹いっぱーい」と叫ぶナディアを尻目に、ロトは淡々と皿を重ねて台所へと持ってゆく。いつもどおりに食器を洗う彼は、その場所から声を張り上げた。

「それで、ナディア、研修会は今のところ順調なのか」

「んー? まあまあだねえ。変な騒ぎが起きてないだけいいかなーって感じ」

「変な騒ぎが起きるのか……」

 ロトが肩を落とすと、ナディアは高く笑う。「まあ、魔術学関連の研修会だと、ねえ」と言った彼女は、どうやら椅子をひいて立ち上がったようだった。

「今回は、魔術についてはおまけで取り扱うていどみたいだから、だいじょうぶ――」

 流れるように語っていた女の声が、途中でぷっつりと途切れた。ロトは皿を整理する手をとめて、台所から顔を出す。ナディアが、窓の方をじっと見ていた。

「……ナディア?」

 怪訝に思ったロトが名を呼ぶと、白衣の女はいつものように振り返った。

「あ、ごめん。大丈夫大丈夫。ちょっと、余計なこと考えちゃって」

 顔を見て。声を聞いて。首をひねった彼は、自分の全身がこわばっていることに気づいた。

 それでもナディアは変わらない。変わらぬ笑顔をはりつけたまま、そこにいる。だというのに、暗く、空虚だ。

「ごめん、お兄さん。私ちょっと、出かけてくるねー」

「は?」

 飄々とした態度でそう言われ、ロトは素っ頓狂な声を上げた。自分に「見張り」をさせているくせに、出かけるとはどういうことだ。考えかけて、けれど彼は、浮かんだ疑問を打ち消した。

――何かがおかしい。

 慎重に身構えた。しかし、ナディアが本当に出ていこうとしているのを見て、ロトは慌てて台所を飛び出した。彼女が扉の取っ手に手をかけると同時に、細い肩をつかむ。

「おい、こら。どっかに行きたいなら俺も連れてけ。おまえの見張り、やってるんだから」

「大丈夫だってば」

 ナディアは振り向くと、唇をとがらせる。彼女はやんわり、左手を青年の手に重ねた。そして、あまりにもあっけなく制止を振り切り、扉を開けて外に出ていく。その瞬間、ロトは――冷たい闇を感じて凍りついた。


 流れこむ異質は、背に牙を立てられたときの感覚によく似ている気がした。

 鋭く、冷たく、鈍く、熱い。それらがすべて、手をつたって腹へとたまっていったとき、彼は気づいた。


 魔女が、わらっている。


 ロトは閉まりかけていた扉を蹴り開け、走り出た。そのときにはもう、ナディアの背はずいぶん小さくなっていた。

「ナディア! 待て!」

 せいいっぱいの大声をあげたが、女は振り返らない。衣の白は、夕日の赤に溶けこんだ。呆然としていたロトはけれど、我に返ると、石畳を強く蹴りつける。

 散らばっていたものが、このとき、青年の中で強烈に結びついた。

「そういうことかよ、くそったれ……!」

 吐き捨てた彼は、鋭く舌打ちして駆けだした。背中にうずくものと、頭に響く嘲笑を感じながら。

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