2 影が落ちる

 その後ロトは、街の中を歩きつつマリオンを探してみたのだが、見当たらなかった。しかたがないので、先に家へ帰っていることにした。あの幼馴染は、放っておいてもたいていのことは自分でなんとかする奴だし、と投げやりに考える。そうして家へたどり着いたロトを、さらなる面倒事が出迎えた。


「……他人ひとの家の前で突っ立ってんな、怪しい」

 まだ、自宅からは少し距離があるところで立ち止まり、彼は、扉の前にいる人物に話しかけた。軍の制服をまとっている男が、直立不動で立っている。振り返ると彼は、無愛想に返した。

「留守のようだったので、帰ってくるのを待っていた」

「家に戻って軍人がいたらびびるぞ、たいていの奴は」

「おまえはその『たいていの奴』には入らないだろう」

 男は、あくまでも無愛想に続ける。無愛想なだけで、嫌われているわけではないと知っているのだが、それでも居心地は悪かった。ため息をこぼしたロトは、しかたなしに彼の隣まで言って、話を振ることにした。

「それで? わざわざ待ち伏せしてまで話したいことがあったのか」

 男はうなずいた。ロトとしては多少の皮肉をこめたつもりだったのだが、まったく伝わらなかったらしい。彼が舌打ちをこらえている一方、軍人は肩からさげている黒い鞄から紙を取り出した。ロトの顔の前に突き出されたそれは、新聞だった。

「この件について、魔術師であるおまえの見解を聞きにきた」

 ロトは、新聞を受け取ってながめる。文字を目で追っているうちに、見覚えがあることに気づいて、自分の鞄をあさった。丸めた紙をそっと広げて見比べてみれば、二枚は同じものだった。「これって」と、彼が言葉少なに説明を求めると、男はうなずいた。

「王国の一部の地域で報告されている事件だ。ヴェローネル市では被害報告はあがっていないが、付近の町で同様の事件があったため、軍と警察、双方の西方支部で注意喚起がされた。――具体的な内容をいうと、夕方から夜にかけて、人が行方不明になり、翌朝に一部または全身が石のようになった状態で発見されるという。少数だが死者も出ている」

「石って……だから、魔術がらみとみたか」

 舌打ちまじりにロトが言うと、男はそうだと答えた。仮面のような顔から視線を引きはがし、文章にひととおり目を通したロトは、眉をひそめる。

「これだけではなんともいえない。方陣の目撃情報はないのか」

「今のところは」

 じゃあなんだよ、と呟いてみたものの、男の答えはない。むしろ彼も、そこが知りたいのだろうと思いなおし、ロトはかぶりを振った。このまま不毛な問答を続けていても意味がないと思いはじめた彼は、少し話題をそらしてみることにする。

「だいたい、なんであんたが出てくるんだ。こういう事件の捜査は、警察の仕事だろ」

 軍人までもが駆り出されるということは、それは国家を揺るがす何かが明るみに出たか、よほどの武力が必要になったということを意味する。ロトのとげとげしい指摘にけれど、男は小さく首を振った。

「警察には、まだ、魔術師に対応できる人材がほとんどいない。そのための班や部隊もない。だから軍に協力要請が出された。それだけだ」

 無駄のない彼の説明に、魔術師の青年はひとまず相槌を打った。そして、新聞を突き返す。

「了解。それじゃ、こっちはこっちで調べてみよう。何か助けが必要だったらまた来い。ただし、金はもらう」

「わかった。頼んだぞ」

 男は紙を折って懐にねじこむと、そのまま踵を返して去っていった。ロトもまた、ほんの少しそれを見送ったあと、扉の取っ手に手をかけた。

 

「あんたってさ。結構、変なことに巻きこまれるわよね」

「言うな」

 彫刻刀を磨いていたマリオンの一言に、ロトは渋面を隠さず返した。彼は黄昏たそがれに向かいつつある空をしばらくながめた後、いつもと同じ黒衣の魔術師に視線を戻す。

 ロトの方で帰宅までにあった出来事をひととおり知った幼馴染は、彼が思っていたよりも淡白な反応をした。実際、どう思っているかまでは、彼にははかりようがない。ロトは、ぐしゃぐしゃにしていた新聞を広げなおしてしわをのばしてから、彼女に問う。

「――で、おまえだったらどう見る」

 彫刻刀を磨く布の動きは止まらない。それでも、返る声があった。

「そうねえ。今のところ、方陣の痕跡はないのよね? だったら、魔術である可能性は限りなく低い。ただしそれは、血が出ているとか痣ができているとか、常識的に考えられる範囲での話だわ」

「なら、この、人が石になったっていう、明らかに非常識な話については」

「おそらくは、あんたと同じ見解」

 刃をなぞっていた布が止まった。マリオンは、彫刻刀を机の上に置き、丁寧な手つきで布を折りたたんで、しまう。いつもと変わらない所作。けれど、その影に、怒りともあせりともとれる感情の揺らぎがあることに、青年は気づいていた。

 そしてそれは、彼自身にもいえることだった。

 部屋に奇妙な沈黙が降りる。ロトはまた窓の外を見る。赤い光が強くなってきた。そろそろ夕刻の鐘が鳴る時間だろう。今日の営業はそろそろ終いにしよう、と思い、彼は腰を浮かせた。しかし次の瞬間、はかったかのように、呼び鈴が鳴る。

 ロトとマリオンは、一瞬、顔を見合わせた。けれど、すぐに家主であるロトの方が扉へ向かい、客を招き入れる。

「お約束どおり、お礼、持ってきた」

 扉のむこうに立っていたのは、昼間出会った白衣の女だった。ロトは反射的に目を細めたものの、すぐ「律儀だな」と肩をすくめる。しかし直後、違和感をおぼえて口をつぐんだ。

 夕日に照らされ佇む彼女の顔に、天真爛漫な輝きはなかった。うつむきがちになり、何かをためらうように、口を開閉させている。きつくにぎられた白衣には、くっきりとしわが浮かびあがっていた。

 どうした、とロトが問う前に、ナディアの方が口火を切る。

「ねえ、お兄さん。そのお礼なんだけど、また今度にしていい?」

「なんだよ。また今度どころか、わざわざ持ってこなくたって――」

「そういうことじゃなくて」と、ナディアは強く首を振る。さすがに訝しく思ったロトは、「じゃあ、どういうことだ」ときつめの口調で問いかえした。ナディアはしばらく石畳をにらんでいたが、間もなく顔を上げた。その両目は、ほんの少しうるんでいた。

「便利屋のお兄さんに、もうひとつ、依頼をしたいの」

 突然、落ちつき払った口調に変わった女を、ロトはしかめっ面で見やる。同じ時、異変を察したマリオンが戸口に姿を現した。

 次の瞬間、聞こえた言葉に、二人ともが凍りつく。

「私がヴェローネルを出るまでの三日間、私を見張って。もし、私が何かおかしなことをしようとしたときは――殺してでも、止めて」


 ロトは唖然として立ち尽くしていたが、すぐ正気に戻ると、ナディアをにらんだ。

「どういうことだ、そりゃ。先に言っとくけど、俺は法に触れる依頼は受けねえぞ。殺人なんてもってのほか」

「……私が望んでも?」

「あたりまえだ。何かが起きりゃ、力ずくで止めはするが、殺しは無理」

 ナディアの瞳に、雷光にも似た鋭い光が走る。眼光から胡乱うろんな気配を感じ取ったロトは、彼女が何かを言う前に、言葉を継いだ。

「だいたい、なんで急に、そんな話になるんだ。順を追って話せ」

 言い終わるなり、彼は立ち尽くしているナディアを手招いた。彼女はためらうそぶりを見せたが、やがては観念して、家にあがってきた。そして、マリオンと鉢合わせるなり目を丸くする。

「あれ。ひょっとして、お兄さんのお友達?」

 マリオンは、片目をつぶって答えた。

「幼馴染」

 ナディアが、興味深そうに身を乗り出す。そのときの彼女は、勢いと好奇心にあふれた白衣の変わり者、そのものだった。

 

 ロトが一度台所にひっこんでから戻ると、女二人の笑い声が聞こえた。マリオンと話しこむうち、ナディアにはもとの明るさが戻ってきたらしく、今はもう昼間と変わりのない表情である。彼が人数分のお茶を机に置くと、「あ、ありがとー」ところころ笑ったくらいだった。それでも、全員に茶器が渡り、ロトが対面に座ると、彼女は居住まいを正した。

 ロトは無言でうながした。ナディアはすぐに、口を開いた。

「まず、前提となる話をちょっと。私ね、ヴェローネルに来るずっと前からちょっと変なところがあるの。夕方から夜にかけて、勝手に宿舎や宿屋の外に出て、どっかに行っちゃうことがあるらしくて。でも、私、記憶がないんだよねえ」

「夢遊病みたいなもんか」

「ううん、どうかしら。起きてるときにそうなるから。逆に、寝てる時にはならないの」

 ロトは視線を感じて横を見た。マリオンが、目だけでうかがってきていた。彼は黙って、かぶりを振る。

「前触れはあるのか?」

「えーとね、なんかこう、ふーって意識が遠くなる感じかな。目の前がだんだんまっ白になっていって。でも、外から見るといつもどおりみたい」

 話を聞いていた魔術師二人は、そろって首をひねった。ロトはしばらく眉間を指でつついていたが、その指を机の上に置く。

「わからないことは多いが、起きていることについてはわかった。それで、なんで今に限って、俺に見張りをさせようと?」

 問いを向ければ、ナディアは肩を震わせた。彼女はそれから、天板を強くにらんでいたが、ややあって顔を上げる。両目にはわずかに、涙がにじんでいた。

「私、もともと変なんだけど。ここに来てから、もっと変なの。なぜか背中がぞくぞくして、眠れなくなって、落ちつかなくなって。今、意識を手放したらだめだ。怖い。嫌だって。そんなふうに、強く感じるようになってしまってて。だから、もしも今、ここで『あんなこと』が起きたら……」

 ナディアの声は、尻すぼみに消えてゆく。かすれる音をすくいあげるように、マリオンが先を引きとった。

「何か大変なことになるんじゃないか、って?」

「――そう」

 マリオンは、ため息とともに、顔を手で覆った。一方ロトは、静かに腕を組む。

 満ちる静寂。時計の針の音だけが聞こえる。世界は、黄昏から宵へ流れていた。誰かが息をのんだ後、青年の声が宙に弾けた。

「……さすがに、ずっと張り付いているわけにはいかない」

 揺らぎのない声に、ナディアが顔を上げる。彼女は前のめりになって言った。

「おかしくなるのは夕方から夜、寝付くまで。だから、それまで見ていてくれたらいいの」

 そうか、と返したロトは、しばらく虚空をにらんだ。話の内容を並べ立て、推測し――そして、背筋をなでるものを感じる。やがて彼は、依頼主に目を戻した。

「そういうことなら、引き受けてやってもいい」

 ナディアは、「本当!?」と黄色い声を上げて、手を打った。先程までとは打って変わってはしゃぎだしそうな女をロトは苦笑まじりに見ていた。けれど、横合から肩を叩かれ、視線をそらす。

 マリオンが、苦り切った顔を突き出してきた。

「いいの?」

 鋭くささやく声に、青年は意識を向ける。

「本音を言うなら関わりたくない。けど、放っておいたらよけいにまずい気がするんだ」

 あてのない直感はけれど、侮れない。ロトもマリオンも、それはよく知っていた。幼馴染は、軽く驚いたあと、表情をやわらげた。

「気をつけてよ」

「わかってる」

 忠告に、ロトはうなずく。

 瞳にはただ、鋭利な光があった。

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