Ⅱ 呪いの腕(かいな)

1 来客のち、変わり者

 大陸の隅にて、平穏ながら勢力を広げつつあるグランドル王国。国の西部で栄えるのが、学術都市と名高いヴェローネルだ。数多あまたの学生たちが、意気揚々と行き交う街には、ほかの都市にはない上品で洗練された空気が漂っている。そして、そんな街にはもうひとつ、知る人ぞ知る側面があるのだった。

 魔術師たちが隠れ住む街。

 学術都市の片隅にある、青い三角屋根の家のあるじも、隠れ住む魔術師の一人だった。今日も戸口に便利屋の看板をぶら下げて、導かれし依頼者を無愛想に待つ。


 彼の家は一人で暮らすには広いくらいだったが、不要な部屋には書物がおさまるので、持て余すことはなかった。家主の青年は、窓からさしこむ朝の光を受けながら、淡々と、お茶とパンを用意する。いつもならば自分のぶんを小ぢんまりと皿に盛るだけなのだが、この日は二人分を大きな机の隅に運んだ。

 それから間もなく、涼しげな音が響く。呼び鈴のにすぐさま気づいた彼は、落ちついた足取りで戸口へ向かうと、扉を開けた。そのむこうには、漆黒の長い髪を惜しげもなく背へ流し、同じ色の長衣をまとった女性が立っている。色香よりも知性を漂わせる彼女は、青年の顔を見るなり、花がほころぶようにほほ笑んだ。

「や、ロト君。景気はどうかね?」

「……まあまあだな」

 幼馴染のおどけた物言いに、肩をすくめた青年ロトは、無愛想な返事とともに客を招き入れたのである。

 軽い挨拶とともに家の中へ踏みこんできた女魔術師は机の上を見て、目を丸くした。

「あらま。ひょっとして、あたしのぶん?」

「どうせ飯食ってないだろ」

「まあそうだけど。ありがとう。あんたまで、時間ずらさなくてよかったのに」

 てきぱきと荷物を置きながら、彼女はそう言う。ロトは、軽く顔をしかめた。

「なんでわかるんだ」

「だって、あんた早起きでしょ。そういうところは、何年経っても変わらないんだから」

 幼馴染の乾いた指摘にロトは何も言えなくなった。軽くかぶりを振ったあと、とりあえず彼女を自分の向かい側に招く。興味深げに茶を見つめている彼女をながめながら、ロトも、定位置に腰を下ろした。

 二人はどちらからともなく、天空神ヴォードと精霊への祈りを捧げて食べはじめる。故郷を離れても決してすたれない習慣に、国の人々からは不思議そうな顔をされるが、それでもやめられないのが祈りの習慣というものだった。黙々と朝食を終えたあと、客人が、自分の荷物を手繰り寄せる。

「で、マリオン。ずいぶんと大荷物だけど、どんな大がかりな点検をするつもりだ?」

 食器を片づけていたロトは、机の方に戻るなりとげとげしい言葉を放つ。対して、女魔術師マリオンは、四角い鞄のふたを淡々と開けた。皮革の茶色の下からは、きらきら光る緑の石や金属の板、工具などがずらりと見える。

「念のためよ。今回は、具合を見るだけ。石を入れ替えたばっかりだし。……あ、体は大丈夫?」

「今のところなんともない。どうしたんだ」

「いやね。この前、腕輪の封印術式をちょっとだけ強いやつにしたから。もし、後から気分が悪くなったりしたら教えて。すぐ来られないかもしれないから、最悪テッドを頼ってちょうだい」

「わかった」

 聞く者が聞けば身震いしそうな内容を、けれど青年は淡々と受け流す。マリオンが席を立ち、まわりこんでくると同時に彼は椅子にすとんと座った。「はい、腕出して」と医者のように手招かれ、ロトは上着のそでをまくる。服の下から、銀色の腕輪が現れた。嵌めこまれた大粒の石は、目のさめるような緑色を、銀の装飾に添えている。

 マリオンは、しゃがみこんで青年の手をとるなり、腕輪をしげしげとながめた。本体に彫られた文字や、緑の石を指でなぞり、時には光を当てて入念に確かめる。ひととおりの点検が済んだあと、彼女はロトを見上げてきた。

「ん、異常なし。無茶もしなかったみたいね」

「まあ、最近は仕事も落ちついてたからな」

 ロトは右腕のそでを戻すと、そのまま一切の躊躇なく、左腕をさし出した。

 

 腕輪の整備が滞りなく終わったあと、マリオンは意気揚々と、学術都市に繰り出していった。故郷は間違いなく辺境といわれる小ぢんまりした村で、今住んでいるのも文句なしの田舎町、ともなれば、大きな都市が珍しくてしかたがないらしい。浮足立っている割に、隙のない幼馴染を苦笑とともに見送ったロトは、みずからも散歩をすることにした。いつものように、大通りをふらふらしていると、足もとに気配を感じる。いつのまにか隣に、黒い毛玉――もとい黒猫がはべっていた。

「おまえ、どこから出てきた……」

 ロトは黒い野良猫――彼自身は、「イサ」と呼んでいる――を見おろして、ため息をつく。金色の目を上向けた猫は、いつもどおりの低い声で鳴いた。離れる気配がまったくないので、好きなようにさせて、散歩を続けることにした。こうしていると飼い猫と飼い主に見えないこともないから、あまり変なことはされないだろう。

 行き交う人を避けている途中、彼は道の脇に放り出された紙を見つける。薄汚れてしまったそれは、新聞だった。つまんで持ち上げた彼は、『人の体の一部が石になる』という不可解な文面に目を通し、顔をしかめる。散々迷ったあげく、ロトは紙をくしゃくしゃにして、さらに上から古紙でくるんで、鞄の奥に突っこんだ。路傍にごみを捨てるんじゃない、と、見知らぬ誰かに文句を言って、歩きだそうとした。けれど直後、ロトの視線は道のまんなかに吸い寄せられる。

 黒い長衣をまとった一団が、楽しげな声を上げながら通りすぎてゆく。この街に分館がある大学の学生だと、すぐにわかった。ロトはそれを、ぼんやりと見送っていたが、すぐに目をみはった。

「ねえ、ちょっと、君たち、待って」

 そこそこの大声で学生たちを呼びながら、追いかけている女が一人。なぜか白衣をまとっていて、癖の強い黒髪があちらこちらに跳ねていた。とはいえ、元は身だしなみに気を使わないわけではないようで、服も髪も手入れはされているように見える。けれど、豊かな髪と胸を揺らしながら必死に学生を追いかける姿は、どことなくだらしなかった。

 学生たちは、女の声に気づかなかったらしく、そのまま通りの角に消えてしまう。女はしだいに歩調を緩め、最後には立ち止まって、ため息をついた。

「嘘でしょう……。どうしたらいいの、研修会に遅れたら大変なことに……。ああ、私の人生お先真っ暗……」

 息を切らした女は、顔を片手で覆ってしゃがみこむ。芝居がかった悲劇のしぐさに、ロトはあきれて目をすがめた。イサが足もとで低い鳴き声を上げて尻尾を振る。「行くか」と彼に声をかけたロトは、そのまま歩き出そうとした。が、視線をそらしたまさにそのとき、女の目が彼をとらえる。

「あっ、そこの目つきの悪いお兄さん」

「うわ、こっち来た」

 ロトはあからさまに顔をしかめて、逃げの体勢をとる。しかし、女はすばやく距離を詰めてきた。光の加減で濃紺にも見える黒髪を振りみだし、黒茶の瞳をいっぱいに見開く。

「ねえねえ。ちょっと君、道案内をお願いしたいのだけど」

「普通に頼めよ。勢いがありすぎて怖い」

「レンテッド大学第二分館ってどこにあるのかしら」

「人の話聞いてるか?」

 じろりとねめつけてやったが、女には堪えた様子がまったくない。それどころか唇をとがらせて、「普通に頼んでるわよ」と反論してきた。あきれてものも言えなくなったロトは、胸に渦巻いていた文句の数々を、ため息に変えて吐き出した。

「まあいいや。レンテッド大学第二分館だったな。それなら」

「お? 頼みを聞いてくれるのね、嬉しいー」

 白衣の女は、手を叩いてはしゃぐ。無邪気に言葉をさえぎられ、目を細めたロトはけれど、出かかった文句をのみこんだ。突然現れた変わり者に説教することを、とっくにあきらめていたのだった。北東を指さして、「――こっちだよ」と続ける。すると女は、ロトの右手を、両手ではしっとにぎってきた。

「それじゃあ、よろしく。私のことはナディアでいいわよ」

「俺はロトだ。好きなように呼べ。とっとと行くぞ」

 はーい、と返事をしたナディアをともない、ロトはとぼとぼ歩きだす。うつむきがちだった顔を上げた拍子に、黒猫が軽やかに人混みの中へ消えてゆくのを見て、舌打ちする。

 薄情者め。

 心の中でののしった。当然ながら、黒猫は振り向きもしなかった。

 

 

 ナディアを案内する道中は、疲労と困惑の連続だった。けれど、退屈もしなかった。

「お兄さん、迷いがないねえ。街に住んで長いの」

 大通りから二、三度曲がったところで、ナディアが顔を近づけてくる。ロトは曖昧にうなずき、答えた。

「まあ、長いっちゃ長いけど。職業柄、街じゅうを行ったり来たりすることが多くて、嫌でも道を覚えた」

「職業?」

 便利屋、と答えると、女は「へええええ」とさらに前のめりになって見てくる。頬をくすぐる黒髪をはらいのけながら、彼はナディアの質問に、おおざっぱな答えを返す。どこの出身かと問われたときはあせった。とりあえずは外国とだけ言ってごまかしておいたが、彼女ならばあるていど人種を判別しているのではないだろうか、と思う。

「そういえば、あんた、あそこに何しにいくんだ」

 進んでいる方向、建物の群れの先に目的地の赤い屋根を見いだした頃、ロトは思いつきで問いかけた。するとナディアは、豊満な胸を張る。

「研修会!」

「研修会?」

 堂々と答えた彼女の言葉を、ロトはそのまま繰り返した。ナディアはうなずき、得意気に話しはじめる。

「ねえあなた、ファスパーネって知ってるでしょ。私、あそこの学府から来たのよ」

 ファスパーネは王都の南にある街だった。学府と聞いていろいろと納得したロトは、ようやく感心したふうにうなずく。

「それで白衣?」

「これは趣味」

「……ああそう」

 あまり掘り下げない方がいいだろうと思い、ロトはそれきり白衣のことには触れず、歩いた。何を専門にしているのかとさりげなく訊いてみたのだが、驚くべきことに――数学と、魔術関連のことらしい。

「関連っていっても、魔術理論から彼らの歴史までいろいろあるけどねー。どこをとるかがまだ決まってないから、浅く広くやってる感じかな」

 目を丸くしているロトに、ナディアはそう説明した。魔術師ではないと先に断ってきた彼女へ「なら、何か目的があって研究してるのか」とロトが尋ねると、彼女は少し、目を伏せた。

「目的があるってわけじゃないねえ。ただ、まあ、なんというか――個人的な興味、かな」

 彼女の声は薄暗い気配をまとっていた。ロトにはそれが気にかかったが、問い詰めるより前に、目的地であるレンテッド大学第二分館の前にたどり着いてしまった。

 長衣をまとった学生たちに混じって、明らかに関係者ではないと見える大人たちが、洒落た鉄の門をくぐってゆく。ナディアがいきなり、飛び跳ねた。

「おお、着いたー! そうそう、ここよ、ここ」

 甲高い歓声を上げた彼女は、白衣の裾をなびかせながら、くるりと振り向いた。

「どうもありがとね、お兄さん!」

「ああ」

「あなた、便利屋なんでしょ。だったら後でお礼もってくからさ、家教えてよ」

 思いもよらぬことを言われて、ロトは目を丸くした。

「別にいい。正式な依頼として引き受けたわけじゃねえし」

「かったいこと言わないの」

 ぐいぐいと詰め寄られ、ついでに体を押し付けられたロトは、観念して家の場所を教えてやった。今度こそ用事が済んだナディアは、お礼の言葉を残して、門の先へ駆けてゆく。あっという間に、人の波にまぎれて白衣が見えなくなった。呆然として嵐のような女を見送った青年は、ため息をこぎれいな石畳の上に落とし、踵を返したのである。

 お礼をもらえばそれきりの関係だ。ならば、もう、ナディアを気にかける必要もないだろう、と思った。

 そう、思っていた。

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