4 小箱と笑顔
「荷物?」
休日の次の日。この日の仕事も落ちついてきたころ、局長から驚くべきことを言い渡されたルゼは、目をまんまるに見開いた。局長がうなずいてから、申し訳なさそうに頭をかく。二人のそばの小机には、その天板にぴったりおさまるほどの小箱が乗っていた。先日見かけた少年少女が預けていったものらしいが、案の定、彼らが手続きに不慣れだったようで、届けに出られる状態になったのが昨日だったらしい。その小箱をにらんだ局長が、苦り切った表情で口を開いた。
「本当は、新聞配りの子どもに頼むものじゃないんだけどな。ほかの職員が別の配達に追われてるんだ。手があいてる少しの奴らも、なぜかそこへ行きたくないってかたくなに拒みやがるし。減給にするぞって言ってみたが、とうとう首を縦に振らなくて」
本当に減給処分にしてやろうか、とうなる局長を見上げ、ルゼは苦笑した。局長なら本当にやりそうだ。職員に同情しなくもないが、自業自得だろう。でも、と、ルゼは目を瞬く。素朴な疑問が、口をついて出た。
「なんで、おれなんですか。ほかの奴らじゃなくて」
「それは、おまえがこのあたりに詳しいからだよ」
そう言って、局長は箱の上にくくりつけられた小さな羊皮紙を叩く。ルゼは事情を察してうなずいた。おそらくは、自分がよく新聞配りに出向くあたりのどこかなのだろう。荷物を運ぶという大仕事に緊張や
「わかりました。おれ、行ってきますね」
少年がはっきり肯定の言葉を口にすると、局長の表情がほころんだ。
「助かるぜ。気をつけて行ってこい」
「はい」
うなずいて、改めて羊皮紙をのぞきこみ、その端に書かれた文字を目で追う。思わず声を上げそうになった。――届け先は、彼がよく知る場所だ。少年の口もとが、ほんのわずか、ほころぶ。
立ち上がったルゼは、小箱を慎重に持って鞄に入れると、いつもより気を遣って配達屋を出る。少し離れた場所から突きささる、とげとげしい視線に気づきながらも無視をして、いつもの帽子をかぶった。「――よし!」と気合の声をあげた少年は、軽快に走り出した。
目指すは、青い屋根が目印の便利屋である。
大通りを抜け、小路にそれて、さらにその先で、目的の建物を見つける。最近、便利屋の
しばしの空白の後、扉の先から足音が聞こえてくる。ルゼが入口から距離を置いて待っていると、扉が勢いよく開いた。家主が顔を出すのに合わせて、元気よく声を上げる。
「こんにちはー、お荷物です!」
すると、家主の青年はぽかんとして固まった。滅多に見られない青年の表情に笑いそうになる。ルゼはそれをどうにかこらえて、配達員としての顔をつくったまま立っていた。
「……ルゼ?」
「おう、遅くに悪いな、兄ちゃん」
ルゼがびしっ、と国軍の敬礼を真似して言うと、ロトの両目にようやく落ちつきが戻る。彼は少年をまじまじと見た。
「今日は元気だな。仲直りは、うまくいったのか」
いきなりそれを訊かれると思っていなかったルゼは、ひるみはしたものの、すぐに明るく答えた。
「うん。ちゃんと、お話したよ。兄ちゃんからもらった『勇気が出るお守り』のおかげかもな」
「そうか」
相槌を打ったロトの視線が、吸いこまれるようにルゼの胸のあたりへ向く。首からさげたひもが服の中まで続いている。今は見えないが、その先にあるのはあの指輪だ。ルゼは得意になって胸を張った後、本題を思いだして、慌てて配達員の表情をつくった。
「で、ロト兄ちゃん。お荷物」
「そうか、本当に荷物だったのか」
「本当だよ。じゃなきゃ、おれもわざわざこの格好で来ないでしょ」
唇をとがらせながらも、ルゼは小箱をロトに手渡す。彼は訝しげにその箱をながめた。
「ありがとう。しかし、誰だ? 俺に荷物を送りつけてくる奴なんて、おぼえがない」
「うーん、それはおれも知らないよ。けど、手紙がついてたよ」
そう言ってルゼは、箱の上の羊皮紙を指さした。ロトも気づいたようで、羊皮紙を抜きとって目を通した。最初は無表情に近かった彼の顔が、しだいに呆れたようなものへ変わってゆく。読み終える頃には、彼は頭を抱えて、ため息をついていた。
「はあ……あいつら……。自分の仕事のついでだから報酬はいいって言ったのに」
心底あきれた、というふうに呟くロト。しかし、ルゼは気づいてしまった。言葉の割に、青年は少し嬉しそうだった。受け取ったことを証明する署名をもらおうと思っていたルゼだが、その前に、身を乗り出す。
「兄ちゃんも、変わったよな」
思わず言ってしまうと、ロトの視線が彼の方へ向いた。首を傾ける魔術師の青年へ、配達屋の少年は笑いかける。
「だってロト兄ちゃん、ちょっと前までさびしそうにしてたのに、今はなんだか楽しそうだ」
思いだすのは、出会いの日。黄昏の光に目を細め、そういえばあの日もこんな夕空だったかと思いをはせる。彼はあの日から、隠そうとして隠せていない、小さな傷をちらつかせていた。今でもそれは変わらないが――少なくとも、昔よりは傷も癒えたのかと、思える表情になっている気がした。
おれも兄ちゃんにはそう見えてるのかな。そんなことを思っていたルゼは、ふいに響いた声に意識を引き戻された。そして、目をみはった。
ロトが吹き出していた。失笑した彼は、そのまま笑い続ける。いつもどおりきれいな声には、いつものような翳りがなく、どこまでも純粋で。彼の、心からの笑顔をはじめて見たルゼは、唖然とした。ひとしきり笑ったロトは、目尻ににじんだ涙を指でぬぐう。
「……はは、そっか。おまえから見た俺は、楽しそうか」
「うん。そう、見える」
「――なら、ガキもなかなか侮れないかもな」
ロトは、笑顔の名残を口もとに残したまま呟く。誰のことかはすぐに察しがついた。けれど、ルゼはあえて知らないふりをして、顔を青年の方へ突きだす。
「へへ。おれも、会ってみたいな。その『ガキ』にさ」
「おっと、気になるか。……ま、いつかは会うだろ。最近、よくうちに来るしな」
青年と少年はまた笑いあう。そして、夕方の茜色が濃さを増した頃、ルゼは感謝の言葉を背に受けて、配達屋へ戻るべく走りだした。
その、数日後。休みの日に便利屋を訪ねたルゼは、書斎の机に置かれた筆立てを見つける。
古びた筆立てには、使いこまれた筆記用具にまじって、真新しく上等な鉄筆が一本、立てられていた。
(完)
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