31.闇の中の光

 まだ燃え燻る草が、パチパチと音を立てている。

シャーとジャッキールは、静かに対峙していた。

妙な緊迫感が場面を支配する。大した時間も経たないのに、沈黙が長く感じられる。妙に重い空気だ。

 それを感情でようやく破って、シャーは口を開く。

「わかってるんだからな!」

 シャーは、言った。

「アンタみたいな目をした奴のやることなんて! オレだって戦場経験あるんだ! だからわかる!」

 シャーはぐっと目を細めた。

「覚悟を決めた奴は、みんな同じ目をしている。戻ってこないつもりなのは、すぐにわかるんだぜ」

 それを黙ってきいていたジャッキールは、一度瞬きする。こんな時にも彼は動作がゆっくりだ。彼のおっとりとした動作は、彼がいかに正気かを物語る。

 ジャッキールは戦場では我を忘れるほど荒ぶっているが、本来の彼はのんびりしていておっとりしているのだ。時に腹立たしい程に。

 それは彼と付き合いが長くなった昨今、よくわかる。

 その正気さが逆にシャーを不安にさせるのだった。

「俺は死なんと言っているだろう」

 ジャッキールはため息混じりに言う。

 この場にふさわしくないゆったりさで、彼は尋ねた。

「信じないのか?」

 ジャッキールは、取り立てて感情をのせていない。

「俺のことを信用するといっただろう?」

「信じないわけじゃねえよ! だけど!」

 シャーはふと目を逸らす。

「今までだって、そんなことはあった。オレは餓鬼のころから戦場にでていたから、よく、あったんだ! でも、そう言う奴は帰ってこなかった! だから、オレはもうかばわれるのは嫌なんだ!」

 きっとシャーは顔を上げる。

「大体、そんな状態のアンタ一人でおいていけるわけないだろ!」

「俺は大丈夫だ。本調子ではないとはいえ、奴らに遅れを取るほどではない」

 ジャッキールはやんわりと言う。

「それにかばわれることは、本来お前が気を病むことではない。それはお前に、命をかけてかばわれるだけの価値があったと言うことではないか」

  ジャッキールは、ほんの少し優しい口調になる。

「お前には辛いかもしれないが、命を投げ出せる側には幸せなことだったのだろう。お前は気に病むことはない」

「でも、それは」

 シャーは思わずせきこんだ。

「オレが、青兜アズラーッド・カルバーンだったからだろ!」

 シャーは抑えた声で吐き捨てて俯いた。

「オレがシャルルだから。そうじゃなきゃ、助けてくれない」

 ジャッキールが目を瞬かせる。

「いきなり何を言うのだ?」

「オレ自体には価値はないさ。知ってる」

 シャーはうつむいて、視線をさまよわせた。

「本当のオレにはなんの価値もないってこと。オレ、本当はこんな自堕落で馬鹿なやつだからさ。みんなは見せかけのオレを評価して守ってくれるだけなんだ。アンタだって……」

 と言いかけて顔を上げたところで、何か上から飛んできた。ジャッキールが言葉を遮り、ぱこんと何かで頭を小突いてきたのだ。

 軽い衝撃だった。

「いてっ!」

「まったく」

 ため息混じりであきれたようにいいつ、ジャッキールは苦笑する。いつのまにか、彼は手帳のようなものを手にしていた。

「お前は本当に世話が焼けるな」

「な、なに、何するんだよ!」

 シャーの抗議に直接答えず、ジャッキールはそのまま手帳のようなもので、ぱたぱたと自分の肩をはたく。

「お前というやつは、すぐに曲解する。謙遜は美徳だが、卑下はいかんぞ。捻くれるのも悪くはないが、そういうことをしても誰も得をしない」

「で、でも、っ……」

 シャーは思わず感情が溢れてしまう。

「アイードにだってさっき言われた。自覚あるなら後ろにいろって……! でも、オレはそんなのうまくできねえ、だったら……。将軍なんて、本当は向いてなくて……!」

 ふふっとジャッキールは苦笑する。

「それはそれは。ははっ、アイード殿も自分でできないことを押し付けるのだな。はは、まあ、その気持ちもわからんでもないか」

 ジャッキールはそういって、小首をかしげるようにして笑う。

「この際だから言ってやるが、確かに俺はお前が青兜であるから興味を抱いたし、それでこの国に来た一面はある。お前の正体を知っていたからこそ、ラゲイラ卿との縁が切れてからも、俺はここに住み着いた」

 ジャッキールは、目を伏せた。

「ここに来るまでの俺が、どのような生き方をしてきたか、お前にも見当がつくだろう?」

 何を言うのかと、シャーは目を瞬かせ、ちょっと困惑気味になった。

「う、えと、……なんていうか、命大切にしない感じの……刹那的っていうかな……」

「そうだな」

 ジャッキールはふむとうなずく。

「俺はお前ぐらいの年の時に死に損ない、道を踏み外した。本来なら出世してそれなりには幸福な未来が約束されていたのに、一度つまずいてしまって道から外れてしまった。そして余計に自分から転落もしてしまった。俺はな、そこから這い上がれなかったのだ。だから、それまでの自分を知るものもいないこの土地に、俺は流れてきた。それでも、満たされることもなく、ずっと暗い闇の中にしかいられなくてな……」

 ジャッキールは続ける。

「俺は、暗闇の泥の中を延々と彷徨っているかのような心地だった。生きてはいたが、幽鬼のようなものだ。死に場所を探していたようなもので、生きる目的もなく、ただその日を延々とこなすだけの毎日だった」

 しかし、とジャッキールは言った。

「ここに住み着いてから、俺は少し変われた気がするのだ」

 ふっと彼は笑う。

「まだ何年も住んでいない俺がこのようなことを言うのも、おかしいかもしれないが、確かに以前と違ってな。……俺はここで初めて、昔と同じ平穏さを覚えるに至った。俺はここに住んでよかったと思っているのだ」

 シャーは目を瞬かせる。

「でも、ここに住んだのはオレの正体を知っていたからだって、自分で言ってたろ?」

「それはきっかけだ。だが俺を救ってくれたのは、青兜ではない」

 ジャッキールの右手がシャーの肩にかかる。

「俺は、お前に救われたのだぞ、シャー=ルギィズ」

 シャーは驚いて大きな目を見開く。

「暗闇の泥の中を延々と歩いていた俺に、光をくれたのは他ならぬお前なのだ。青兜でも王族の青年でもなく、ただのシャー=ルギィズにだ」

 ジャッキールが左手も肩に置いて、ぐっと揺さぶるように力を込める。

「で、でも」

 シャーは思わず涙ぐむ。ジャッキールは穏やかに言った。

「青兜のお前は俺に戦場で生きる意味を示しただろう。王として、名君としてのお前ががいれば、俺は臣下として生きる意味くらいは見出したのかもしれない。だがな、それでは俺は変われないのだ」

 ジャッキールは強く言った。

「お前が、ただの遊び歩いているお前が、俺をほんの少しでも平穏な日常に引き戻してくれた。どれが本来のお前であるのか、俺にはわからん。しかし、俺を救ったのは、ほかならぬ、お前なのだ。時折今みたいに弱音も吐けば、すぐに落ち込む、自信のないいじけた若者の三白眼小僧だ」

「ジャッキール……」

「俺はまだ日の当たる場所では生きられない。俺には日中の日差しはまぶしすぎる。しかしそれでも、少し日差しの入るところで、俺は生きられるようになった。それは、大きな進歩なのだ。そして、それはお前の功績なのだ。わかるか?」

 ジャッキールは優しく笑う。

「俺はだからこそ、お前に命が賭けられる。お前が信用してくれるのなら、俺はなんでもできる。俺は、ただのシャー=ルギィズに対してだからこそ、力を貸す気になったのだ」

「で、でも、ダンナ、オレ……」

 呆然とするシャーに、ジャッキールは首を振る。

「俺は無理に自分を肯定しろとは言わん。かつて、俺もそうできなかったからこうなった。今でも、俺にも自分の価値がわからない。しかし、多少なりとも自信は持て。お前は何の背景のないただの男でも、十分なのだ。俺が保証してやる」

 シャーは、ふと俯く。人前で涙を見せるのは嫌いだ。特にジャッキールの前では。それなのに、思わず目が潤んでしまい、言葉を詰まらせる。

「な、なんで、っ」

 シャーは抑えきれずに、大きな目からぼろぼろと涙をこぼしつついった。

「な、なんで今日に限って、そんな優しいこと言うんだよ!」

 涙声でシャーは訴える。

「そんな、急に言われても、不安になるだけだろ! そ、そんな優しいこと、いうようなアンタじゃなかったのに……」

 シャーは滲んだ涙を手の甲で拭う。

「馬鹿野郎! ッ……、オレ……本当に……」

 そんなシャーを見て、ジャッキールはやれやれと言わんばかりにため息をつく。

「まったくなんだ。泣くな!」

「な、泣いてねえよ!」

「そうか、泣いていないか。ふん、まあいい」

 うつむきながらせめても強がるシャーの頭を、ぐしゃっと乱暴に撫でるというよりどやしつけるようにして、ジャッキールは苦笑した。

「本当に手がかかるな、お前は。いいから顔を上げろ」

 そして、 ジャッキールは肩のベルトに手を伸ばした。

「まあな、今までが今までだから、仕方がないか」

 ジャッキールは背負っていた剣をベルトごと外すとシャーに押し付けた。

「だったら、いいものを預ける。これを持っていろ」

「な、なんだよ」

「信用できないようだから、担保をつけてやるということだ」

「担保?」

 きょとんとしつつ、シャーは涙で滲んだ目を瞬かせた。

「それはフェブリスだ」

 そう言われてシャーは手の中の剣を見た。ずっしり重たい両手剣は、確かにジャッキールのもっともお気に入りの剣である魔剣フェブリスだった。

 優美ながらほんのりと冷気が漂うような、気品のある魔剣。

 趣味と実益を兼ねての剣の収集癖があるジャッキールは、部屋にいくつかの高価そうな剣を保管している。そのすべてが高品質なもので、価格も高い良いものだ。しかし、その中でも特にフェブリスだけは特別扱いをしている。

 ザハークに言わせると、魔物がついているとかいう特別な剣なのだという。実際シャーも、黒髪の女の幻を見たことがあることがあって、現実的なシャーはそれは見間違いということにしていた。

 しかし、その剣。彼にとっては命の次に大切なもののはず。

 代わりに今、ジャッキールの腰にあるのは、あまり見慣れない古めかしい美しい剣だった。

 シャーは思わずさっと青ざめた。

「こ、こんな、形見分けみたいなこと!」

「勘違いするな」

 ジャッキールはいいかけるシャーをそういって遮る。

「形見分けするつもりなら、お前みたいないい加減なやつに、そんな大切な剣を渡すか。いつ質草にされるかわかったものではないだろうが。それはフェブリス。俺の持つ剣の中でも最高峰の品質を持つ。非常に高価かつ高品質なのだ」

「な、なんだよっ、質草って、オレだってそこまで……」

 流石にムッとして反論しかけるシャーに、ニヤリとしつつ、

「俺はな、死ぬ時はその剣と一緒に死ぬと決めていてな。俺に死ぬ気がない証明に、貴様に預けておいてやろうというのだ。後で取りに行く。丁重に扱え」

 そう言い切られると、シャーも突っ込めない。

「そ、そ、それなら、ま、まあ」

 その言葉には、確かに一定の説得力はあった。

 ジャッキールのような剣一筋の男が、それを託す。しかも、フェブリスは、ジャッキールにとって本当に特別な剣だ。他人にめったと触らせないぐらいに。

 ジャッキールはふと思い出したように、慌てて付け加える。

「ただし、本当に大切なものだからな! くれぐれも粗末に扱うな! 本当に質草にしたら斬るからな!」

「わ、わかってるよ!」

 シャーはやや気圧されつつ、

「で、でも、じゃあ、アンタはこれを使わないとしたらどうするんだよ」

 ぐっとジャッキールは腰の剣を握る。

「これがある」

「これ? 見慣れない剣だね」

「ああ。これはアダマスパードといってな。かつてラゲイラ卿に貰ったものだ」

 ふとジャッキールは笑う。

「ラゲイラ卿との戦いには、これを使うしかない。そういう宿命のあるものなのだ」

 シャーはフェブリスを握って、数秒目をつぶった。そして顔を上げる。

「わかった」

 シャーは、うなずいた。

「本当に、死ぬつもりないんだよな?」

「俺を信用すると言ったのだろう? 人を信用するのは難しいものだ。しかし、やることは簡単。目の前で何が起ころうと、俺のことを信じていろ。いいな」

「わかったよ!」

 シャーはフェブリスを肩に背負った。ずっしりとした重みが肩にのしかかる。

「これは預かる! ただ、絶対返すから取りに来いよ!」

 ジャッキールの前で正直これ以上涙を見せたくない。それでも、油断すると目が潤みそうで、シャーは強いて笑みを引きつらせて生意気に笑った。

「マジで、アンタが取りに来るの遅かったら、オレ、マジで質に入れちゃうぜ?」

「そうなったら、その首ないものと思え」

 ジャッキールがニヤリとし、シャーの肩を叩く。

「さあ行け! ここは俺に任せろ!」

「うん! 気をつけて! ダンナも!」

「ああ!」

 シャーはうなずく。そして、だっと走り出した。

 敢えて一度も振り返らず、シャーは地下道へ降りていった。

 その背後を見送りながら、ジャッキールは目を伏せた。

「やれやれ、本当に手間のかかるやつだな」

 俯いたジャッキールの額に静かに血が一筋流れる。先程側頭部を掠めていたらしい。ジャッキールはそれをハンカチで拭う。

「俺はな、本当に、この街で、お前に救われていたのだぞ」

 ふとそうつぶやいて、ジャッキールはハンカチを直す。

「別に俺のような男に涙を見せずともよいのにな。お人よしめ」

 そして、ふと先程、出してきていた手帳のようなものを手にした。ぱらりとめくると、ほんの僅かな光のなかで文字がびっしりと書かれているのが見える。それを彼はろくに見ないで懐に直した。

「さてと、後は……」

 ふと息をつき、ジャッキールは視線を上げた。

 向こうで声が聞こえ、足音が響く。もう視覚が戻る程度の時間は経過している。シャーとは長話をしすぎた。

「さて、そろそろ行くか……」

 ジャッキールはそう呟くと、だっと門を抜けて中庭に戻る。

「いたぞ!」

 中庭に入り込んだ瞬間、声がした。

「殺せ!」

 そう叫んで飛びかかってくる傭兵を、ジャッキールは軽くいなす。そして、容赦なく一刀の元に切り倒した。

 周りがざわりとする。薬で気が大きくなっている彼らも、流石にその鮮やかな手並みに警戒して距離を取った。

「ここを通りたかったら、俺を斬ってからいけ」

 ジャッキールは静かに低く告げる。

「来い!」

 すっとアダマスパードの切っ先を彼らに向ける。

「ここは絶対に通すわけにはいかん」

 刀身が燃える炎を映してギラギラに輝き、ジャッキール自身の右目を射る。ほかの者たちと同様に、眩しそうに目を細めつつ、ジャッキールは薄く笑った。

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