24.煌めける野獣


「あっちゃー、あれ、三白眼のやつじゃない?」

 ネリュームの能天気な声で、考え事をしていたアーコニアは現実に引き戻されていた。

 アーコニアは、色々と忙しい。これからどうやるとか、明日の予定をどうするかとか、とにかくやることが多いのだ。それなもので、ネリュームが様子を見ている間に、今後やることについて考えていたのだが。

 そう言われてふと船の方を見ると、接岸しているほうの小さい船で確かに騒ぎが起こっているようだった。

「三白眼? ああ、あのシャー=ルギィズってやつ?」

 アーコニアは気のない返事をする。

 面食いのアーコニアにとっては、シャーはさほど興味を惹かれる相手ではないらしく、そもそもの狙いは彼であるというのに扱いがぞんざいだ。

「そりゃあアイツは来るでしょうよ。予想済みじゃない」

 アーコニアはそういって肩をすくめる。

「それより、あっちに”殿下”がいるのが困ったもんね。誰よ、あんなの呼んだの」

 そう言って向こう側の船のほうをみやるのだ。

「誰よ、ってたぶん呼んだのはリリエス様でしょ。何か問題ある?」

「あるわよ。あの男、とんだタヌキ親父よ。何もわからない不良親父のフリしてるけど、どーだか。絶対何かたくらみがあって話にのってきてるわ。リリエス様、どこまでわかってんのかしら」

 あのギライヴァー=エーヴィルがアーノンキアスの船に乗っていることは、船に潜入してきたネリュームが確認してきている。顔を隠してはいるが、高見の見物としゃれこんでいるのはどう見ても本人だ。

 たとえ、リリエスが誘ったにしろ、リリエス本人がいないところにのこのこ現れるのだから、彼にはそれなりに思惑があるはずなのだ。

 アーコニアとしてはそちらのほうが気になって仕方がない。

 しかし、ネリュームは別にそちらには大して興味がないらしく、シャーの方を見ている。

「潜入してたのに、見つかっちゃってるじゃん。あーあ、うまくやればなんとかなりそうだったのにねえ」

「アンタどっちの味方なのよ」

 他人事なネリュームに、アーコニアが肩をすくめて尋ねる。

「どっちって、俺は、ほらー、できたらジャッキールさんは助けたいわけじゃない? だから三白眼のこともそこそこ応援しているところだよ、今は」

「まったく、自由ねえ。アンタは」

 アーコニアはあきれたように言いつつ、ちらりと船のほうを見る。

 なるほど、ネリュームが言った通り、小さいほうの船、つまり”紅い貴婦人”に例の三白眼らしき青い服の男の姿があった。しかも、どうも誰かと対峙しているらしい。

「あれ? あの人カワウソ将軍よね」

 アーコニアが思わずそうつぶやく。

「カワウソ? ああ、ファザナーの若旦那でしょ。それこそ”協力”してるからいるにきまってるじゃん」

 何をいまさら、と今度はネリュームのほうが当然のように答える。

「それはわかってたけど、あんなに前面に出てくる人だっけ……。もうちょっと裏側からネチネチ来るのかと思ってたんだけど」

「いやあ、あの将軍、見かけによらずヤバイとこあるよ。俺、一回対戦したからわかるけどさ。目つきが意外とヤバイ人なんだよ。しかも、スキがないし、そつなく強いっていうか」

 ネリュームはそう明るくいいつつ、

「それに、あいつもラリってるんじゃないの? 渡したんでしょ、”アレ”」

「そういわれるとそうなんだけれど……」

「俺的にはラリっててほしいなあ。もし、正気だとしたらすっごいやりにくいヒトだよー、あのひげのにーちゃん」

 と、アーコニアは目を瞬かせる。

「うーんそうね。でもなあ、個人差もあるからなあ」

 アーコニアはそんなことをブツクサいいながら、

「いったい、リリエス様もあの不良王族も、カワウソに何をさせるつもりなのかしらね」

 アーコニアは、まだ納得しきれないような顔をして、甲板の上の二人を見ていた。

 彼らは、対峙したまましばらく動く気配がない。



 *


 ぱちぱちと火の粉が弾ける音がする。松明の音だ。

 どこかでざわつく人の声。この甲板での騒ぎに気付いているのか。

 唐突に訪れる静けさ。しかし、空気のきしむような緊張がこの場を支配している。

 シャーは、アイードとしばらくにらみ合う。


 アイードはあくまで静かに、すらっと立っている。剣の切っ先は下段、一見棒立ちにも見えるが。

(コイツ、……隙がねえ)

 時に獣のような獰猛さを秘めながら、アイードは恐ろしく静かなのだ。穏やかな太内海の海のように、穏やかで温かく、それでいていつ荒れるとも知れぬ底知れなさを瞳の奥に底光りさせている。

 底が知れないのは恐ろしい。衝動的に襲い掛かってくる相手のほうがどれだけやりやすいだろう。

 なまじ彼のことを知っているだけに、シャーは簡単には動けない。あれだけ彼のことを知っているつもりだったのに、情報がまるで足りない。どんな戦い方をするのかすら。

 だからこそ、場の空気はあくまでアイードが支配していた。圧力を感じるような、重苦しい空気。

「おいおい、いつまでボサっと立ってんだよ!」

 それを察知したのか、不意にアイードが嘲笑う。

「ふん、ビビってんのか。王子様」

 あくまで挑発的に呼びかけながら、彼は目を細めた。

 左の顔に大きな傷のあるアイードは、そんな表情をすると左側がわずかに歪む。どこかしら皮肉っぽい冷たさをたたえながら、彼は振り仰ぐようにして言う。

「そっちが来ないなら、こっちからいくしかねえぜ? なんだ、それともキッカケ作ってほしいかい?」

思わずシャーがムッとした瞬間、アイードが構えを崩して、軽く手を広げた。挑発的な仕草だが、アイードの体勢が大きく開く。


その瞬間を逃さず、シャーは、右足から踏み切った。

右から振りかぶって素早くなぐと、アイードは冷静に飛び退く。返す刀で左から切り上げ、避けられたところを再度右から振り切る。そこまでアイードは、最小限の動きで避けていたが、最後、シャーが素早く構え直して突きを入れたときに、ざっと素早く横に身をそらして剣を引きつけた。

ががっと音を立てながら、刃が噛み合う。火花が散ってバチバチと音がし、そのまま鍔迫り合いになる。

アイードの目は相変わらず静かな碧。この状況だというのに、血走りもしていない、さざ波一つ立てない目だ。

ぎり、と鉄が音を立てる。アイードの力は思ったよりも強い。

先ほどのシャーの攻撃は小手調べではあったが、それを難なくかわしてから力でぶつけてくる。予想はしていたが、この男、戦闘経験が豊富だ。油断すると力で押し切られるか、外されて追撃される。

 そんなことを考えていると、不意にアイードの口元が軽く歪んだ。

「ふ、ふふ、評判通りやるじゃないか? えぇ、王子様よ」

 あざわらようにいいながら、アイードの力が強くなる。

「鋭さも素早さも申し分ないぜ」

「よ、よく言うぜ」

 シャーはそれだけをやっと答える。あまり話すとその瞬間に押し切られる。アイードが危険を冒して話しかけてくるのは、それを狙っているのか、それとも余裕があるかなのか。

「でも」

 とアイードがにやとする。ふい、と彼の力が抜けたと見えた瞬間、がっと力任せに下から跳ね上げられる。

(外される!)

 シャーは素早く後ろに退くが、アイードはそのまま詰めてくる。と見せかけ、彼は踏み込もうとした足でそのまま足払いをかけてきた。よけたがわずかに右足が引っ掛かり、シャーが体勢を崩しかけるところで、アイードが鋭く突っ込んできた。

「ちッ!」

 シャーは舌打ちして、体を傾けつつ突きを剣で受け流す。

「それで避けたつもりか!」

 アイードが鼻で笑いながら追撃してくる。気合を込めたアイードの声が響き、殴りつけるように剣をもった右手が伸びてくる。それを受け止めた瞬間、自然とアイードの体がやや斜めに流れ、そのまま左足が伸びてきた。

「オラァ! 行くぞ!」

 体当たりに近い蹴りを食らってシャーの体がかしいだところ、正確に脇腹に一発蹴りが入る。

「かはッ!」

 シャーが息を詰まらせつつ倒れこむ。

「あァ、それで本気か!」

 もう一発、腰のあたりに食らったあとに甲板に転がったところで、アイードが容赦なく上から連続で追撃してきた。痛みを感じている暇もなく、それをどうにか剣でしのぐ。

「てめえッ、それでも青兜将軍アズラーッド・カルバーンかよ!」

 アイードの剣とともに攻撃的な言葉が降ってくる。

「本気でやれ、このクソが! 青兜がきいてあきれる! そんなクソ弱えなら、そうそうにぶっ殺すぞ!」

 思わずシャーはカッとなる。

「てめええッ!」

 ぐっと歯噛みして低く一閃すると、アイードがざあっと後ろに飛びのいた。同時に彼から、はっと挑発的な笑いが漏れる。

「ふざけんな! アイード!」

 シャーは起き上がって素早く甲板を蹴る。

 ざっと剣を振ると、アイードの髪の毛がかすって頭巾を引きちぎる。

「ふっ、ようやく目ェ覚めたか! 青兜のお坊ちゃんよー、はははっ」

「黙れ!」

 追撃をアイードが軽く刃を傾けてはじき返す。

「うおおおおッ!」

 シャーは気合の声をあげながらそのまま突っ込んだ。アイードがそれをはじき返すが、やや押され気味だ。そのまま何度か追撃し、回り込んで渾身の一撃を見舞おうとしたところ。

 シャーは、ふいにアイードの左手にきらりと光るものが見えた。

(マズイ!)

 シャーははっとして身をよじった。

 アイードの左手にあるのは細い短剣だ。それをシャーが視認した瞬間、彼の手からそれが放たれた。びゅっと風を切る音が耳元で聞こえる。

 短剣はシャーの避けたところを紙一重で通りすぎ、光の軌跡をかすかに残し、背後の帆柱マストに突き刺さった。

「おっとぉ、流石だな」

 アイードの別人のような軽い声が聞こえた。

「あんだけ煽ったからテッキリ乗ってくるかと思ったんだが」

 先ほどまでの激情はどこへやら、アイードの声は冷静そのものだった。

「ふふふ、流石に乗ってこないか。いやァ、おりこうさんだなァ、殿下は」

 アイードの声は笑いを含んでいる。

「てめえ……ッ!」

 思わずシャーはカッとしつつも、慌てて気持ちを抑える。この男に感情的に向かってはいけない。彼は敢えて自分を怒らせに来ている。

 アイードは、片手剣をくるると弄んで薄く笑った。

「ふふふふっ、残念だけど、俺も結構修羅場くぐってきてんだよな。なんで、お上品な剣術ばかりは使わねえよ?」

「本当だよな」

 シャーは、片目をゆがめつつ思わず毒づく。

「ファザナー家の坊ちゃんには全然ふさわしくないぜ。今みたいなクソむかつく手法はな!」

「ははは、まぁ、そうだろうよ」

 アイードは軽く受け流す。

「しかし、ボウヤもそろそろ俺が昔何をしていたかぐらいはわかって話してるんだろ?」

 シャーは答えないが、その反応は否定を示すものではない。アイードは回り込むようにゆるやかに右に足を運びつつ、剣の切っ先を下に下げたままだ。

「それじゃあ、話は早いってわけだ」

 すっとアイードの足が滑らかに甲板をける。

 アイードは踏み込みが早い。ジャッキールやザハークよりも力は強くないが、彼らよりも小回りが利いて厄介だ。いうなれば、シャーと彼はやや得意とする攻撃手法が似ている。

 それだけに相手にしづらい。

 半分体をそらして剣を引き付ける。がっとすべるように近づいてきたアイードの刃を受け止める。

「何がッ!」

 シャーは思わずアイードを睨みつけながら、切り返す。思い切り力を込めて振り回すと、アイードが直接あたるのを嫌ってかざっと後退した。

「何が、話が早いだ! なにもわからねえよ、お前のことなんて!」

「おやおや、癇癪はいけねえなあ。さっきの二の舞だぜえ?」

 アイードは薄ら笑いを浮かべながら、肩をすくめる。

「何がわからねえって? そんな俺はややこしい男じゃねえさ。ちょいと頭働かしゃ、俺の考えぐらいわかんだろ」  

「わかるわけねえだろ!」

 感情を抑えなければ。理性的にそう考えながらも、ついシャーの口から感情的に言葉が出てしまう。

「お前の過去が仮にオレの思う通りだったとしよう! でも、それなら、なおさら何故、今になってこんなことをしでかすんだ!」

 シャーはぐっと彼をにらみつける。

「お前、ゼダに会ったよな。それに、アイツのところの使用人にも」

 アイードは反応しない。それにいら立つように、シャーは追及した。

「お前、アイツらにあんな視線を浴びながら、どうして、今、ここでこんなことができるんだ! あいつ等にとって、お前は!」

 一歩踏み出してそう言いかけたところで、唐突にアイードが顔を伏せてふっと笑う。

「はっはっは、なるほどねえ」

 アイードは左手でやれやれとばかりに顔をなでやる。

「ふーやれやれ、やっぱりその話になるかぁ」

「笑いごとじゃ、ねえ!」

 その態度にシャーは思わず飛び出す。アイードはよけずに真正面からそれを受けた。ガツッとした衝撃が伝わて、手がしびれる。

「ま、どうせ、言われるとはおもったんだよな」

 アイードが、やや歯をかみしめて力をこめつつもそう答える。

「ネズミの子以外のことも知ってるとは思わなかったが」

 ギシギシと剣がきしみ、火花が散る。今度はアイードの方が力尽くで押しのけてくる。シャーは無理をせずに横に飛ぶようにして剣を流して逃れる。追撃はしてこない。

「お前、アイツらの気持ちがわかってんだろう! アイツらにとって、お前は憧れだった! 今だってそうさ! ゼダがお前に向けた視線は、あの頃から変わってなかった筈だろう! お前は、今でもアイツらにとっては、憧れの英雄なんだ! それがわかっていたはずなのに!」

「そうさ、変わってねえんだ」

 ふっと冷笑して、アイードは不意に笑みを消す。

「それが一番嫌なんだよ!」

 ギラリと輝くようなその異様な眼差しに、シャーは一瞬圧倒される。

「そうそう、本当に昔と変わらねえさ。アイツらはまるで煌めくものを見るような目をして、俺を見るのさ。だが、人間はいつまでも昔と同じでいられやしねえ」

「お前……」

「人間ってのは、純粋なままじゃいられねえのよ。お坊ちゃんにだって覚えはあるだろう? 何も知らねえ餓鬼のころほど幸せなものはねえってことが、あとでわかるものなのさあ」

 アイードは軽くあざ笑い、笑みを収めると獣のような目を向けた。

「わかるだろう? 同じ視線で見られても、もう俺には同じモノは用意できねえんだよ。ボウヤだったらどうするんだい。そういう時は」

 逆に質問されて、シャーは思わず言葉に詰まる。

「そ、それは……」

「俺はなあ、もううんざりなんだよ。そういう過去の栄光みてえなやつを、勝手に今の俺の中に投影されるのがな!」

 アイードが隙をついてとびかかってくる。

 鋭く突きかけられ、ざっと横によけると、素早く切り返されて船べりに押し付けられる。

「第一、俺はな、ボウヤが思ってるようなやつでもねえんだよ。あのネズミのボウヤには言ったけどな」

「な、なんだと?」

 力負けしかけてシャーは、戸惑いつつもアイードを見上げる。ふっとアイードが笑った。

「まー、なんだ、本当の俺はな、どっちかてえとテメエと同類なのさあ」

 一瞬力が緩んだすきに、シャーはうまくそこを逃れる。

 追撃は来ない。

「同類ってなんだよ!」

「今まで俺の話聞いてたんだろ? だったら、何か予想がつきそうなもんじゃねえか」

 アイードは口の端をゆがめつつ、肩をすくめた。

「アンタに身に覚えがねえとは言わせないぜ。テメエも昔やってただろうがよ。周りの圧力に負けたのかどうだかしらねえが、勝手にぶっ壊れて、暴力で発散してただろうが!」

 直接的な言葉にどきりとすると、アイードはそれを見透かしたように静かな視線を刺すように向けてくる。

「俺はな、でも、アンタの気持ちは痛いほどわかるんだぜ。なんせ、俺は経験者だからよ。あーいうときは、それが一番効くんだよなァ」

 じわりと一歩彼の足が床をするように動く。

「ふふふ、今のアンタの目もなかなかいいぜ。ほら、こうするだけで、どうしようもなく情けねえ自分に向けられる視線がな、こうやって一瞬で変化するのさ。畏怖やら怯えやら、そういうお前等の視線が、うちのめされてどうしようもない気持ちを癒してくれる。アンタはそう感じなかったでもいうのか? 自分を絶対的にまつりあげてくれる、その”暴力”ってやつの魅力をさ!」

「っ、……」

 シャーが気圧されて黙っていると、アイードは見たことのないような残虐な笑みを浮かべた。傷のある左側だけがひきつり、歪んだ表情が形成される。

「だから、俺は他人事みてえな面して説教垂れる、テメエがどこまでもムカつくんだよ!」

 ふっとアイードが動く。まっすぐに打ち下ろされる剣をシャーははじき返す。

 アイードはそのまま感情的に言葉をぶつけてきた。

「テメエに身に覚えがないとでもいうのかい? 力ずくで相手ぶちのめして地面に跪かせてよ、その時の相手のおびえ切って自分に恐怖する瞳が! その視線が! どんだけゾワゾワするかってな! アンタみたいに! 今まで俺を舐め切ってたやつが、現にこうして突然俺にビビリまくってるんだぞ! テメエもな、同じことしてたんだよ!」

「う、うるさい、黙れアイード!」

「まったく、こたえられねえな! 俺は何者にもなれない半端ものなんだ! 結局、俺には酒も女も賭博も、俺にとっちゃ何の癒しにもなりゃしない! だが、これだけは違う! 俺にはやっぱりこれしかねえんだ! 今は気分が晴れやかだぜ!」

 斜めに撃ち込まれるそれをはじき返しながら、シャーはやや押され気味だ。

「な、なに言ってんだ、お前!」

 ひときわ大きく甲高い音が鳴り、シャーは剣を正面から止める。シャーはアイードをにらみ上げるが、動揺でその瞳が揺れていた。

「お、お前と、一緒にすんなッ! オレは!」

「は、どう違うって? なんでも言うこと聞いてくれる連中に囲まれて、気に入らなきゃ手をあげて、好き勝手生きてたあの頃のアンタと、暴力に酔いしれる俺とどう違うっていうんだよ?」

 アイードは追い詰めるように問いかけながら、体重を乗せてがっと力を強める。

「結局、俺もお前も同じさ。素直になれねえ上に要領もよくなくて、せめてもの過去の栄光にすがって生きることもできねえ。かといってあの頃以上のモノを作り出すことも、今の状況を飲み込むこともできなくて、どこかで逃げている、そういう卑怯者なのさあ!」

「黙れ!」

 シャーは、力ずくでシャーはアイードを押し返す。一瞬、アイードが体勢を崩したのを機に、シャーはそのまま反撃に転じた。

 裂帛の声とともに鋭く突きあげた。

「チッ!」

 さすがにアイードが舌打ちして両手を添えて受け流すが、その勢いで体がかしぐ。

「行くぞ、アイード!」

 体勢の崩れたところに襲い掛かろうとしたとき、いきなり船が揺れた。

 シャーは足元をすくわれそうになり、思わず動きを止めたが、その瞬間、アイードがさっと難を逃れて後退した。

 距離をとると、さらりと剣を構えなおす。

 かすかに肩が上がっているが、それでもすぐに息が整う。シャーよりも早いぐらいだ。

 アイードは息を整えると、ふっと笑って再び涼やかにたたずんでいた。

「さっきの、惜しかったな。だが残念! 足元が動かねえ地面だと思ったら大間違いだぜ」

 アイードが冷笑する。

「説明してやるとさ、俺は本来アンタやジャッキールの旦那よりも数段腕は下なのさ。だが、それは動かねえ地面で何の工夫もしなかった時の話。動かねえ地面なら、俺のほうが慣れている。俺はな、正規の戦場よか喧嘩のほうが場数が多いんだよ。で、そんなお上品な状況だけで戦ってねえんでな、利用できるならなんでもするぜ」

 アイードの言うことは確かだった。

「だから、王子様もよ、もうちょい地の利ってやつを読んで工夫してこいや」


 この男、シャーが今まで相手をした強敵であったジャッキールやザハークとは、少し系統が違う。そして、不良青年のゼダやほかのヤクザ者たちとも。

 武人という雰囲気でもなく気高くもないが、かといってヤクザ者のように無規律で捨て身でもなく。逆にいえば、武人というにはいささか乱暴、チンピラというには上品で規律的。暴力的にふるまいながらも、どこか理知的。

 ほどほどの貴族趣味と、庶民的な素朴さを持つ彼のそれは、戦い方にも現れていて、実戦的で泥臭い喧嘩殺法と理論的で整理された正規の剣術の双方が自然と混じり合っている。戦闘時における態度も同じく。

 上品でありながら挑発的で、相手を感情的に罵倒しているようでいて、頭の中は冷えている。

 だからこそ、彼はどうとでも対応できるのだった。

 彼は自分で何者にも慣れない半端者だといった。

 しかし、その、なにものにもなれない中途半端さは、実のところ今からでも努力次第で何にでもなれるという可能性を秘めている。それを最大限活かしたなら、彼のようになんにでも”合わせ”られるようになる。

 それは結局その時に、”なりたい何か”になれるということなのだ。

 それは、恐ろしいことだった。アイードはその場その場の状況に素早く合わせることができるということなのだ。そうできるからこその、今の戦い方。

 そして、なおかつ今の彼は本心が見えない。

 感情的に話しているように見えながら、アイードの瞳の奥は相変わらず冷え切っているのだ。それゆえに彼の作戦が見えてこない。何も考えずに自分を襲ってきているのか、それとも、何か目的があってそうやっているのか。

 シャーは息を整えながら、動揺を抑えようとしていた。

 いまだシャーはアイードが理解できない。その戦闘方法も。

 そして、彼は一つだけ理解していた。一つ確かなのは、今、このシャーの精神状態での、船の上での戦闘は、アイードに圧倒的に有利だということだ。


 不意に甲板が騒がしくなる。

 先ほどからの騒ぎを聞きつけて、ようやくアーノンキアスの部下たちが駆けつけてきたらしい。

「あーあ」

 アイードがため息をついて肩をすくめた。

「せっかくいいところだったのに。邪魔が入るか」

 アイードはいっそ気だるげにそうつぶやくと、アッサリと剣を鞘におさめた。シャーが思わず声をかける。

「勝負の途中で逃げるのかよ! アイード!」

「ははは、まさか!」

 アイードは乾いた笑いを響かせて、目を細めた。左頬に傷のあるアイードは、その影響でわずかに左だけ表情が歪み、目の細め方もひきつる。そしてこの場においては、それが妙に挑発的に見える。

「俺が有利な場面でなんで逃げる? ふふふ、どう考えても追い詰められてんのは、テメエの方だろ」

 アイードはそう言い放ちつつ、にたっと笑った。

「でも、俺はな、こういうとこで、こんな無粋な邪魔されんのがクソムカつくタチでな! 場所を変えるぞ。ボウヤ、続きやりてえならついてきな!」

 アイードはそういうと身を翻す。

 あからさまな挑発。

 しかし、逃げることは許されない。シャーは彼の後を追いかけた。


 *

 

 アーノンキアスの船からは、紅い貴婦人での騒動が闇と光に紛れて、とぎれとぎれに見えている。

「おっ、なんだなんだ。妙な騒ぎが起こっているな」

 そんなことを楽しそうにいったのは、船長のアーノンキアスだ。

「ずいぶん楽しそうだが、アレは、件のファザナーさんみてえだなあ」

 アーノンキアスは歯を見せて野卑に笑う。そういう表情を見ると、海賊の首領というのがぴったりだった。

「楽しくやってるなら何よりだけど、入り込んだのはいったいどこのネズミかねえ」

 そういいながらカラカラっと笑って、アーノンキアスは酒を飲む。

「ネズミか。さて、ネズミっていうより……」

(アイツは猫のが似てるかな)

 同じように杯を傾けていたギライヴァー=エーヴィルは、そう心の中で呟きながら思考を巡らせていた。

 彼は薄ら笑いの内側で明らかに面白くなさそうな顔をしていたのだが、それに気づいているものはここにはいない。

 従者のキアンは信用のおけない男たちの中で警戒を怠っていない様子だが、肝心の主人の顔には気づいていないのだ。

 ともあれ、その、船の中の猫が、シャー=ルギィズであるらしいことを、ギライヴァーは遠目でも判断した。みかけではおおよその雰囲気だけしかわからないが、アイード=ファザナーが直接当たっていることからして、おそらく間違いない。

 ギライヴァーは表向き唇をゆがめて薄く微笑みを浮かべていたが、内心いらだっていた。

 彼の計画では、あの男はここに来ないはずだったのだ。そういう風に手も回したつもりだった。

 なのに、何故、アイツはここでカワウソを相手に戦っている?

(あの野郎。俺がリーフィを通して、わざわざ教えてやったのに……)

 そんな風に考えながら、ふっと彼は顎を撫でやる。

「ムカツク野郎だなあ」

 キアンにも拾われない小声でぽそりとつぶやいたつもりだったが、キアンが彼のほうを見た。

「何かおっしゃいましたか」

「いいやあ」

 ギライヴァーは苦笑しつつ、不機嫌な顔をいつもの不敵で投げやりな表情に戻し、手の甲を振る。

「何かと騒がしい見世物だよなァと思ってさ」

 キアンは主君のつぶやきには同意せず、尋ねてくる。彼の興味はどちらかというと、侵入してきたネズミか猫かわからない男のことより、その対峙している相手に向けられている。

「あそこで戦っているのがファザナー将軍だというのは本当でしょうか?」

「そうじゃねえか。赤い髪がちらちら見えるだろう」

 ギライヴァーは他人事だ。

「しかし、あんなにおとなしい男が?」

「おとなしい? ふん、アイツがおとなしいものか」

 ギライヴァー=エーヴィルは、目をすがめる。

「おめえは見なかったのか。アイツが俺を睨んだ時、アイツの目はケモノだったぜ。あの男は、ずっと自分の中に獣を飼っていた。だが、それを他人に悟らせねえのもうまいんだよ。それこそ、天才的にな。アイツはずっといい子を演じていられるのさ」

 ふん、とギライヴァーは笑う。

「しかし、ずっと心の中には獣を飼っている。獰猛極まりないケモノを、誰にも知られないようにひっそりと……。獰猛で貪欲な自分を、飼っている。まあそれはアイツに限ったことじゃねえ。誰にも覚えがあることさ。ただ、アイツはそれを表向き完璧に抑え込んできた」

 杯を揺らして彼はぎりぎり中の酒がこぼれない程度に傾ける。

「だが、世の中に完璧なんてもんはねえのさ。だからな、抑えている奴ほど怖い。器におさまりきらないほど、膨れ上がったものがあふれると、抑えられなくなるんだよ。抑えられなくなった奴ほど怖いものはないのさあ」

「では、彼はやはりあの薬を?」

 キアンが少し不安げな表情を見せた。

 敵とはいえ、こうした戦略をとるのに真面目な彼は気が咎めているのか、それともアイードのような男がそれほど暴力的な刹那的な行動をとったことに衝撃を受けているのか。

「さて」

 ギライヴァーは、急に他人事のように冷めた目をして酒を一口あおる。

「どうだろうなあ。ただ、ああいうもんは、獣を閉じ込めた檻を解き放つ鍵になることがあるんでな」

 ギライヴァーは冷たく笑う。

「ま、どっちにしろ自分で選んだんだろ。誰しも、なりたい自分になりゃいいのさあ」

 冷徹にそう告げながら、ギライヴァーは杯を机の上において手を組んだ。

「一瞬の快楽に目がくらんじまうと、その後の結末なんざあ、どうでもよくなるんだ。人間ってやつはな」

 視線を船のほうに投げると、アイード=ファザナーらしい男が一番大きな帆柱マストに上って立っていた。そのあとをシャーが追いかけている。


 それを冷たい瞳で眺めやりながら、不服そうにギライヴァー=エーヴィルは舌打ちした。

 彼の苛立ちは、結局誰にも見とがめられることはない。

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