23.裏切りは烈火の如く

 

「わー、派手にやったもんだなあ」

 のんきに声をあげる隣の男をしりめに、アーコニアはため息をついていた。

 白銀のネリュームは、いつだってのんきで陽気だが、こういう気分の時はうざったいことこの上ない。

 彼らがいるのは、アイード=ファザナーの別荘に近い建物の屋根の上だ。そこからは別荘付近の様子がよく見える。

 別荘は水路に直接面していてアイードの趣味で船がつけられるように桟橋が作ってあるが、そこに二艘ほど船がつけていた。

 そのうちの一つには、紅い貴婦人とかいう名前が付けられているらしいというのを、アーコニアはうっすらと聞いたが、その名前の由来や持ち主には大して興味がなく、それ以上の情報の確認はできていなかった。

 ともあれ、ラゲイラ卿が反乱のための兵力を王都に送り込むために利用した海賊たちのものなのは間違いなく、今日のネリュームとアーコニアの任務は、彼らの行う”作戦”が滞りなく成功するかどうかを監視することだ。

 リリエス=フォミカは、この作戦に参加する者たちに自分が開発した薬剤をばらまいており、その効果のほどを確かめたいという意図がある。全員が全員使っているわけではないが、興奮剤のようなものなので襲撃の時に意気を上げるのに便利だというので、昼間も何人もアーコニアにそれをねだりにきていた。そこはおおむねリリエスの狙い通りというところなのだろう。

(だけど、確かめるなら自分で来いっつーの!)

 アーコニアはさすがに口には出さないが、むくれていた。

「こういうのはあなたが得意でしょう? 報告楽しみに待っています」

 などと言って、リリエスは結局アーコニアとネリュームの二人に任せて、自分はさっさと帰ってしまった。あるいは寝ているのかもしれない。

(ううう、この仕事終わったら、こんなところやめてやる)

 アーコニアは、そんなことを決意しながらことが起きるのを待っているのだった。

 別荘は静まり返ってはいたが、灯りが入っており、まだ中に人がいるらしいのが確認できる。

 そして別荘のすぐそばで煙が上がっていた。厳密にはそれは別荘の敷地の中ではなく、壁の向こう側、隣地にあった空き家だ。

 油のほかに火薬も使ったのか、一部が吹っ飛んで炎が上がっている。幸い、煙は彼女たちのいるほうには来なかったので、助かったものだと思っていた。

「火薬の量が多いんじゃないかな? いくらなんでも、協力が得られているからって派手にやりすぎじゃない? 兵士たちが集まってきちゃったらどうするんだろうねえ」

 ネリュームが、意外に常識的なことをいう。

「こんな目立つことして大丈夫なのかなあ」

「何、珍しくまともな心配してるのよ」

「だってさあ、アイツら、ニアの渡した薬でちょっとラリってるじゃん。そういうやつって無茶するからさあ。後で面倒なことになるのやだなあって」

「リリエス様は面倒なことにしたいんでしょ。ったく、他人事なんだからね」

 一言そう悪態をついて、

「でも、まだ連中が燃やしたの、別荘の隣の空き家でしょ。隣の空き家なら、まだ大丈夫なんじゃない?」

「そんなもんなの?」

 白銀のネリュームは、釈然としない顔で目を瞬かせた。

「協力しているって話でも、いきなりお気に入りの部屋を吹っ飛ばされたら怒るだろうしね。それに、まだ屋敷の中には踏み入ってないのは、警戒している部分も大きいんじゃないかしら。中にいるんでしょ」

 アーコニアはそう言い捨てつつ、ため息をついた。

「でも、まったく、なんで私がこんなこと。リリエス様も自分でくればいいのに」

「リリエス様は人使いが荒いからなー」

 ネリュームはからからっと笑いつつ、ふとアーコニアをじっと見た。

「でも、なんか今日、ニア様子がおかしいよね。元気ないしー」

「何が」

「だって、ここ、ジャキジャキさんとかいるとこだよ」

「当たり前でしょ。連中、何か指輪みたいなの狙っているらしいけど、指輪は三白眼かエーリッヒが持っているんだもの。今だって標的はソイツなんだから」

「だからだよー。俺はジャキジャキさん、普通に好きだから、本音を言うと、あんまり攻めたくないっていうかー、無事に逃げて欲しいなって思ってるけど、ニアだってそうでしょ」

「はぁ? 冗談じゃないわ。エーリッヒは敵でしょ、敵」

 ネリュームはにまにま笑いながら、肩を竦める。

「ニアはさー、本気で言ってる時とそうでない時ってすぐわかんだよねー。さては、あの後会ったでしょ? で、顔が良いんで殺すのもったいないなあとか思ってる。それなもんで、いつもにましてお仕事が憂鬱なんだよねーっ」

(図星!)

 内心ぎくりとするアーコニアだが、ここで認めるとネリュームにしてやられた感じで腹立たしい。

「な、何を言っているのかしら」

「俺さー、面食いのニアがあの人には反応遅いよなーって思ってたんだよね。おじさんなのと、普段から目つきヤバイせいで、気づくの遅れただけでしょ。意外と鈍いところがあるからさ。顔の良さに気付くと、どうせそうなると思ってたんだよね、俺」

 ネリュームが、にゃはーと笑いながら認めろと圧力をかけてくる。

「そんなんじゃないったら。ま、まぁ、顔がいいのは、百歩譲って認めてあげるけど!」

 アーコニアは、危うくおされそうになりつつ。

「そ、それはそうとよ。今はそんなことはなしている場合じゃないの!」

 このままこの話を続けていると、洗いざらい話させられそうだ。アーコニアは慌てて話を変える。

「あんたのほうこそ、ちゃんと情報掴んできてるんでしょうね?」

「そりゃーもちろんだよー。あっちの船も、そっちの船も潜入してきたんだからね」

 ネリュームは得意げに答える。

「あっちの、貴婦人じゃないほうの船にはちゃんと親分だっていうアーノンキアスさんも乗ってたよー。ダルドロスって人は見当たらなかったけど、まあ、二人とも、こっちにどれだけ協力的かわかんないけどね」

「なるほどね。でも、その人ってラゲイラ卿のとこの命令で動いてたはずなんだけど、どうなのかしらね。契約も切れてそうだし、今はどこの命令で動いているのかしらね。リリエス様がなにか吹き込んだのかしら?

「それはそうじゃないかなあ。リリエス様は女狐さんとも付き合いあるんだろ。寧ろ指輪が欲しいのって、女狐さんちの思惑で、ラゲイラってひとはそちらには興味なさそうだったじゃん。リリエス様が何か唆してるでしょ?」

「なるほどねえ。女狐のところの諜報組織の”極彩獣”に情報売りつけたのかしらね、リリエス様。がめついわねー」

 アーコニアがあきれた様子でそうつぶやいたとき、あ、とネリュームが声を上げた。

「そういえば、アーノンキアス親分のとこにお客さんが来てたよ。そうそう、あれもかかわってるとなると、結構面倒そうだなあ」

「客? 何よそれ」

「顔が見えなくて、周りの部下も誰だかしらないみたいだったけど。んー、あの雰囲気と背格好、多分俺が思うにあれはー」

 ネリュームはそう言いかけて、川面に浮かぶ船の上に視線をなげた。

 桟橋につけている手前の船ではなく、奥の方の船。

「あそこにいると思うんだけどさ」

 その甲板に、何人かの男の姿が、ぼんやりとかがり火で見えている。


 

 白銀のネリュームが指示した通り船の甲板の上に数名の男たちの姿があった。視

 彼らの線の先には、ちょうどアイード=ファザナーの別邸がある。隣の建物が煙を吐く様子を見やりながら、男がからからと笑った。

「ははは、これはおもしれえな。やりたい放題でも、お咎めはなしってか。協力者は大事だねえ!」

 その男のザファルバーン語には、ややなまりがある。

 西方、太内海の沿岸まではザファルバーン語が公用語として使われてはいるが、地域としては遠方であるので発音などにやや違いがあるのだ。

 しかし、見たところ、目の前の男は比較的ザファルバーンの近隣の地域の人間のようにも見えていた。

 頭をそり上げた色白の男は、眉も薄く、一層人相が悪く見える。大柄だががっしりした筋肉質の男で、相当長身だった。

 彼自身は、ザファルバーン西方ではなくむしろ北方地域の出身だと言っているようで、民族的な特徴にそうそう矛盾はない。ただ訛りだけは、アーヴェ周辺の者たちの使う言葉に近かった。

「リリエスとかいうやつはいけすかねえし、やつの約束とやらも到底信用できなかったんだがな」

「話持ってくるのがギリギリなんでね。リリエスの野郎は、思い付きで作戦を組むのがいけすかねえやな」

 男と部下たちから少し離れた場所に、豪華な椅子がしつらえられていた。その上に貴人風の服装をした男が、足を組んで座っていた。そばに青年が護衛として控えており、どこか崩れた態度と裏腹に、明らかに貴人であるという気配を漂わせていた。顔を覆い隠すような頭巾をかぶっていたが、長い髪の毛がそこからはみ出している。

「俺が間に合わせてやったんだよ。リリエスでなくて、俺に感謝してほしいもんだ」

「へへえ、もちろん、それなりには感謝しているさ。で、旦那さんは、ただ者でもなさそうだが、どこの偉い人なんだよ? 顔を見せられなくても、名前くらい名乗れるだろう?」

「無礼な」

「よせ」

 ぞんざいな物言いに、そばにいた青年が眉を吊り上げるが、当の男はゆるやかに手を挙げてそれを制する。

「ふふふ、誰だって別にかまやしないだろう。俺が誰であろうと、今、ここにきているということは、お前らと大差のない悪党だよ」

 その男は、ゆるく巻いた長い髪の毛をうっとうしそうにかきあげつつ、気だるく、しかし、多少の威圧感をにじませた声でそう言った。

「それより、アンタこそ、俺にそのまま”見物”していけというからには、本当に面白いものをみせてくれるんだろうな、アーノンキアスさんよ」

 男、ギライヴァー=エーヴィルは、唇をゆがめながら微笑した。

「南海の雄であるラーゲンの右腕がそういうからには、それなりに考えがあってのことなんだろう? 俺だって暇じゃあねえんでね」

「ははは」

 アーノンキアスは、皮肉っぽく笑う。

「旦那さんは、どうも俺が教えていない以上のことを知っているみたいじゃねえか。俺はアンタに名前を教えた記憶はねえぜ?」

「ふん、それぐらいのこと知らねえで、相手のところにのりこんでこられるわけねえよ」

 ギライヴァーは、半ばのびながらそう告げて、

「で、アンタたちはなんだって、ファザナー邸を攻めてるんだ? あんな奴のところを攻めたところで、別にアンタたちには利点もないだろう?」

「まあ、それぐらいのことは言ってもいいか。例の”指輪”さ。あれが屋敷の中にあるって話をきいたんでねえ。リリエスってやつもそれが目当てみたいだしな」

「アンタたちはやつらと雇い主が別だろう?」

 そう言われてアーノンキアスはにやりと笑う。

「ああ、そうとも。しかし、俺のところの主な契約は切れていてな。もともと、兵隊を王都の中に運び入れる話だけだったんで。だが、どうせなら、どっちに売り込むにしても、切り札は持っておきたいだろう?」

「なるほど、リリエスがそういう風に情報タラシこんだってことか」

 ギライヴァーは、かすかに目を細めていった。

「通りで、船乗り風の連中だけでなく、傭兵風のやつらもいると思ったのさ。リリエスが雇った連中だな」

「共同戦線ってところさ。リリエスからはちょっとした興奮剤ももらってるからな。どっちにしろ、ここを攻めるって話にはなっていた」

 アーノンキアスが答える。

「だが、今夜、指輪が確実にここにあるって聞いたのは別口からだぜ。そいつの情報のほうが信頼性があってね。本当は、薬でイカレた連中でも送り込んで、ワーッとやっちまおうと思ったんだが、それもあって、一応慎重に攻め込んでるんだ。相手も強いって話だし、時間もある。まだ夜は始まったばかりだ。様子を見ながら敷地内に踏み込むつもりだ」

 アーノンキアスはそういいつつ、顎を撫でやった。

「それなもんで、派手な場面を見せるのが遅れてるんだが、もうすぐ旦那も楽しめると思うぜ。どちらにしろ、公然と将軍の屋敷焼き討ちしてんのを見る機会ってそうそうないだろう?」

 ギライヴァー=エーヴィルは、唇をゆがめつつ、手元の盃を手にする。

「その割には、燃え上がってんのは本体じゃなくて隣の家みたいだけどな。このしょっぱいままで終わるつもりはないんだろう?」

「しょっぱなから派手にぶっ潰したかったんだけどな。さすがに最初からそっちぶっつぶすと、”協力者”にキレられそうでねえ。まあ、楽しみは後でとっておくもんだぜ」

 と彼は続ける。

「でも、俺の部下は気が短いのが多いし、中には薬でイカレてるやつもいる。ほっといてもその辺に放火するだろ」

「おや、”協力者”は大丈夫なのかい?」

「仕組んでやったことじゃねえよ。うっかりイカレたやつが手はず間違えて火をつけたんだから、仕方ねえことさ」

 アーノンキアスは粗暴な笑みを浮かべた。

「ああ、なるほど。それは楽しみだ。期待しておくぜ」

 ギライヴァーは気のない返事をする。

「そういえば、その”協力者”はどこに行ったんだ?」

「さて、こっちの船にはいねえな。紅い貴婦人に興味を示していたから、そっちに乗ってるんじゃねえか?」

「へえ、なるほどねえ」

 ギライヴァー=エーヴィルは酒を一口ふくみ、別荘のほうに視線を投げた。


  *


 船の中には、人相の悪い男たちがうろちょろしていた。

 シャーは知るはずもないが、ここは赤い貴婦人という名前のある船だ。外側に停泊している船よりも一回り小ぶりで、小回りが利くらしい。アイードの別荘の桟橋はあまり大きな船は接岸できないので、こちらをつけたのにちがいない。

(さて、正門も裏門もびっしり固められてるから、ドサクサ紛れにこっちから来てみたんだが……)

 シャーは甲板の後部に積んである船荷の間に身を潜めながら、別荘に入り込む方法を模索していた。

 別荘周辺は、すでに海賊と思しき怪しげな連中に取り囲まれている。正門や裏口、周辺の石壁に至るまで、船乗り風の連中や傭兵風の男たちがかためている。

 流石のシャーも、多勢に無勢ではかなわない。この状況で、むやみに強行突破するつもりはなかった。

 周辺を探っていると船が接岸しているのが見えた。桟橋付近は比較的人が少なく見えたので、シャーは近くの水路にある小舟を失敬して、死角からこの赤い貴婦人に近づき、暗闇に乗じてまず船に忍び込んでいた。

 船からも別荘の隣の建物が燃えているのが見えている。

 アイードの部下たちは建物が燃えていることを知っているはずだが、まったく反応していない。

 彼らはあくまで、河岸一帯の通行を封鎖しているだけで、中で起こっているいざこざには目をつぶっているようだった。それはつまり、ここへの襲撃が黙認されているということでもある。

 それは、シャーがここに近づくのも相当危険であるということでもあった。

 シャーがそれでも別荘への潜入を選んだのには、いくつか理由がある。

 ひとつは、おそらくアイード本人が、この襲撃に何らかの形でかかわっているはずであろう。それを明らかにすること。

 そして、もうひとつは、まだ別荘にジャッキールがいるらしいことだった。

 シャーと別れ際、ジャッキールは夕刻にアイードの屋敷に向かってから宮殿での会議に参加するとの約束をしていた。

 しかし、その彼が到着する時刻はシャーよりもずいぶん後の予定だった。

 シャーはメイシアを連れてくる手はずになっていたが、メイシアの心の準備も考えて少し早めにアイードの邸宅に入る予定であった。ジャッキールはその半時ほど後に到着するように向かうということになっていた。

 だからこそ、ジャッキールがアイードの邸宅へと向かう頃には、すでに封鎖が始まっていたと考えられるのだ。ジャッキールが、その約束通りの時間に別荘を出発したのだとしたら、彼がアイードの邸宅にたどり着いているはずはない。

 船から別荘を盗み見ると、別荘の窓に灯が見える。普通に考えれば、彼はまだそこにいるはずだった。それなら、シャーはなんとかして彼を脱出させなければならない。

 もちろん、ジャッキールもこうした荒事にはなれている。攻められるなら、応戦するだろう。

 しかし、さすがに一人だと不利だ。もし、ザハークがいれば、矢の一本でも飛んできそうなものだが、その気配がないということはジャッキールだけが残っているのかもしれない。

 河岸の封鎖がジャッキールの足を止めるものであるのなら、アイードはわざとその時刻を狙って封鎖の命令を出したのだろう。

 しかし。何故。

 シャーには、今一つその理由がわからない。

 アイード=ファザナーには確かに大きな謎がある。シャーにも及びつかない闇も持ち合わせているかもしれない。

 しかし、七部将のラダーナからもシャーは”忠誠心を疑うな”とまで言われた。シャーとて、それを信じたい。理由がわからないのならなおさら信じたかったが、この状況では――。

(いや、そんなこと考えている場合じゃない。なんとか、中に入らないと……)

 シャーは思考を打ち切って、建物と船の周囲に注意を払った。

 もし、ザハークが先に帰宅しており、ジャッキールだけがそこにいるのだとしたら、事態は芳しくない。弓の名手であるザハークなら遠距離から威嚇射撃もできようものだが、ジャッキールは近接戦闘専門。部下を扱っての戦術は経験があるだろうが、今は一人。しかも、いくら丈夫だといっても、彼は今はまだ病み上がりなのだ。本調子ではない。

 それに、今のジャッキールはあのエルリークの指輪を持っている。総司令の指輪をつかえば、絶大な命令権を持つことができる。それを奪われても大事になる。

(何とか連絡だけでもとらねえと)

 シャーは少し身を乗り出して桟橋を確認する。

 正門などよりマシだが、桟橋にも船乗り風の男がちらほら見えている。彼らの目をあざむきつつ中に入るか、それとも、強行突破するか。見たところ、桟橋の側にいるのは、二、三人といったところ。奇襲すればなんとかなる。

 シャーがそう考えを巡らせていると、急に近くで声が聞こえた。

「もうめんどくせえから、あっちの建物にも油かけて火ィつけちまおうぜ」

 シャーは慌てて乗り出しかけていた体をひっこめた。

「あの娘にもらった薬が効きすぎじゃねえか。お前、調子よすぎだぞ」

「いいじゃねえか。気分がいいんだよ」

 確かに、うち一人の調子が異常に良い。精神が高ぶっているのか、大声になっていた。

「しかも、中にいるやつに用事があるんだろ。命令されるまで中に入るのもダメっていわれてるのによ、親分に怒られちまわねえかな」

「なあに、あぶりだして出てきてもらったほうが、話がはやいってさ。俺に向けないように松明持ってついてこいよ!」

「ああ、まだ明るいのが苦手なのかよ」

「アレのせいだろ。調子は良くなるが、まぶしいのが苦手なんだ」

 男たちがそう雑談し、うち一人が松明を手に取った。

(まずい!)

 放火されて一気に飛び込まれたら、さすがのジャッキールでも厳しい。シャーは、いよいよ決断を迫られ、桟橋のほうをうかがう。

(あいつらさえどうにかできれば突破できるなら、やってみるか?)

 シャーが腰の剣に手を添えつつ、隙を伺う。男たちの話は続く。

「ほら、あっちの小屋があるだろ。母屋より、あっちを先に燃やしてさあ」

「ああ、あれなら焼きやすそうだしなー」

 男たちはシャーに気付いていない。そのまま桟橋の方に降りようとしているようだ。今なら後ろから襲って、そのまま走り抜けられるか?

 シャーが飛び出る時機をみて相手を凝視したとき、ふと、別の人の気配が近くに現れた。

「それじゃ、油か火薬でも用意して派手に……」

 と言いかけた男が、ふと口をつぐんだ。

「よう」

 ふと聞き覚えのある声が割って入った。

「なんかいい気分で話してたみたいだが、何を焼く相談だ?」

 ぎく、とシャーは思わず身を固める。

(この声)

 シャーは冷や汗が流れるのを感じていた。

「な、なんだよ、いきなり。誰だ? お前!」

「お前?」

 ふふん、とあざ笑う気配がった。

「お前等の親分に招待されて、ここに来てるんだよ。いわばお前らの大切なお客様だ、もう少し口の利き方は丁寧にしたらどうだい」

 いつもより少しドスの利いた声だ。ちらりと覗くと、派手な文様のついた帯が見える。こまやかな文様が染められたスカーフを頭にまいており、夜風に布の端がゆらゆらと揺れている。

「大体、どこの誰の家を焼くって?」

 ふっと冷たく微笑みながら、男はつかつかと近づくと強引に松明を奪った。

「あっ、てめ、何を!」

 一番好戦的な男がそういって殴りかかるが、男は無言で彼に松明を向けて突きかかる。突然のまばゆい光を浴びて、好戦的な男は思わず目をかばった。それを逃さず、彼はそのまま男の胸ぐらをつかんで甲板にたたきつけた。

「てめえ、何しやがる!」

 残った二人が剣を抜いて彼に対峙する。

「それは俺の台詞だ」

 男は手に持っていた松明を川に捨ててしまうと、冷たく笑う。

「ふん、”ヒト”の家に土足で上がり込みやがってよ! それだけならまだしも、俺が手間暇かけて作った隠れ家を焼かれたんじゃあ、こっちだって黙っていねえぞ」

 男はそういうと、アーノンキアスの手下たちにぎらりと輝く目を向けた。その視線の強さに、一瞬で手下たちが縮みあがった。

「お前らの親分のハゲ野郎に情報はくれてやったが、焼いていいとはいってねえぞ。てめえら三下は、余計な事せず、黙って言われた通り、取り囲んでりゃいいんだよ」

 男はひきつった笑みを浮かべると、あくまで抑えた低い声で静かに言った。

「今度、出しゃばった真似しやがったら、そのまま川底に沈めてやるからな。そのつもりでいろや」

 その雰囲気にのまれたのか、二人は伸びてしまった男を引きずりながら後退する。

 彼はそんな三人に視線もむけずに、船のへりに手をかけて、別荘の方を見下ろした。

 隣家の炎が強く彼の顔を照らす。

 異国風の意匠のある衣服に、東洋風の文様のついた帯を着こなし、腰には新月刀をさげている。頭に巻いた布から炎のためとも思えぬ赤い髪が、火の舌のようにちらちらとのぞいていた。

 整っているが親しみやすさもある顔立ちは、今は不敵に歪み、炎がその左ほおの刀痕をことさらに浮かび上がらせていた。

(アイード!)

 予想はしていたとはいえ、その顔を見るとシャーにも衝撃はある。

 思わずぐっと剣を握る手に力がはいる。かすかに、かた、と船荷に鞘があたって音を立てた。

 それはシャー本人ですら気づかないほど、ささいな音だったが、その瞬間、アイードが、シャーのいる船荷のほうを見た。彼は暗がりに目を凝らすようにして、目を細める。傷の走った左目だけがややひきつって歪む。

「はー、本当、ついてねえな」

 アイードは、わざとシャーに聞こえるような声で言った。いっそのこと優しげな声色で彼はつづける。

「俺、こういう時だけ勘が鋭いんだよ。普段なら絶対見過ごしているんだけどな、見つけちまうんだぜ」

 アイードは独り言ちるようにそういって、頬をかきやった。

「ボーヤ、かくれんぼは得意だろ。もっとうまく隠れてくれよな、そうじゃねえと見つけちまう」

 アイードはそういってため息をつき、船荷の方に近づく。

「まあ、しょうがねえか。いくらアンタでもいろいろ動揺するってか? とりあえず、今の気持ちを聞いておきたいもんだな、ボーヤ」

 と、その時、シャーは床板を蹴って飛び出した。駆け出しざまに剣を抜き、そのままアイードめがけて飛び込む。

 アイード=ファザナーは、それを横目にちらりと見ると慌てた様子もなく、素早く半分剣を抜き、足を後退させてシャーの剣を受け流した。

 火花が散る。一瞬、シャーはアイードと視線を交わす。冷たく、感情が見えない、しかし、獣のような殺意をたぎらせたような目。

 そのまま、通り過ぎてシャーは、すぐに体を反転させる。

「やれやれ」

 アイードの声が聞こえた。

「やっぱり俺の言うことはきいてもらえなかったんだな、三白眼のボーヤ」

 アイード=ファザナーは、冷徹に微笑みながら言った。

「アイード、テメエ!」

 シャーは、歯噛みしながら彼を睨み上げる。それをものともせず、アイード=ファザナーは冷たい微笑みで見迎えた。

「残念だな。俺はアンタの幸せを願って、教えてやったのに。メイシアのことなんか気にせずに、アンタは俺の言う通りにしてりゃよかったんだ。つくづく、ヒトの言うことを聞けないボーヤだな。まァ、こうなったらしょうがねえや。テメエ、俺に本気で相手してほしかったんだろ?」

 そういうと、アイードは、抜きかけていた剣をするりと抜いた。流麗な動きだ。先ほどシャーの突撃を簡単にいなしたのを見てもわかる通り、この男、やはりただ者ではない。

(コイツ、……強い)

「お望み通り、手合わせしてやるぜ。命の保証はできかねるけどな、三白眼のボーヤ」

 アイードの赤い髪の下で、彼の瞳が炎にうつってぎらぎらと獣じみた輝きを浮かべていた。

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