2.七部将会議の”あれ”


「ああああー、もうー無理ーーー!」

 いきなり、その男は誰もいない執務室で叫んだ。

 いや、誰もいなくても、外の側近はきいているのだろう。それも分かっていたが、アイード=ファザナーはその叫びを止められなかった。

 いったん叫んでしまってから、アイードは脱力して、はあと壁に頭をつけた。ジートリュー一門の証である赤い髪は、ファザナー家に嫁に来た母から受け継がれており、彼の視界の端で揺れている。

「あー、もう駄目だー」

 アイードはため息を盛大についた。

「ったく、なんで叔父上とハダート将軍が王都留守にしちゃうんだよ。あー、なんでよりによって俺に王都の警護とか回ってくるかなあ」

 彼は左ほおに傷を持つ強面の男だが、顔に反してストレスに弱い繊細な男なのである。

 アイード=ファザナーは、ザファルバーン七部将と呼ばれる有力将軍の一人だ。その全員が、現在の王シャルル=ダ・フールの即位を押し上げており、いわば懐刀のような存在である。ファザナー家は、もとよりザファルバーン南方の海側の地域を支配しており、その川と海の軍事権を握っている。水軍の兵力としては、ザファルバーンの将軍の中でも随一であり、しかも、アイ―ド自身は、最大の軍閥であるジートリュー家の惣領であり、七部将の一人でもある赤毛の将軍ジェアバード=ジートリューの甥でもあった。

 母から譲られた赤い髪を短髪にし、まあ、左頬の刀傷のせいで余計に強面に見えてしまいはするものの、普通に見れば男前。自分ではオシャレなつもりに口ひげを整えて、上背も高い。華やかな生まれもあり、もっと貴公子然としててもよさそうなものだが、しかし、彼はなんとなくそんな気配とは無縁な男でもあった。

 叔父のジェアバードには覇気がないと怒られるが、別に覇気なんていらないのだ。彼が真に望むのは、穏やかな生活なのだが――。

「将軍、何か叫び声が聞こえましたが?」

「わかって見に来てるだろ、お前」

 一応様子を見に来たなじみの護衛兵が、全く危機感のない顔で部屋をのぞく。あー、どうせまた将軍、重圧に負けて。でもなんかあったらまずいし、様子だけ見ておくか……みたいな顔をされるのも、何かと心外である。

「将軍は相変わらず重圧に弱いですからね。それは王都警備のお役目は重大だとは存じますが」

 まあお前がんばれよ、みたいな顔をして、護衛兵が一応慰めてくれる。それには感謝はするのだが、アイードは何だか馬鹿にされている気もしなくもなかった。

「ほかにも精鋭部隊を抱えているラダーナ将軍や、政治的発言力の強いゼハーヴ将軍が王都にいますし」

「でも、兵力全般では俺のとこが一番多いから、ゼハーヴ将軍から、お前が頑張れみたいなこといわれたし……」

 そうなのだ。

 ザファルバーン七部将の内、王宮の警護を任されているゼハーヴ将軍は、彼らの中でも政治的な影響の強い将軍ではあるが、実は兵力はさほど大きくはない。宮城の警備は間に合うが、彼だけの力で王都を守り切れないのは、今までの内乱や先のラゲイラ卿による暗殺未遂事件でも露呈していることだった。

 そして、無口ではあるが勇猛果敢で知られるカルシル=ラダーナ将軍の部隊は、少数精鋭型ではある。そして非常に有能な部下を持ってはいるし、本人も有能だが、彼自身は非常に無口なので、なんというかあまり円滑にはコミュニケーションできない人なのだ。アイードは個人的に彼と仲がいいのでまだしも、横の連携を考えると多少の不安が残る。

 参謀に適性があり、諜報を司るハダート=サダーシュ将軍と兵力の大きなジェアバード=ジートリュー将軍、彼らが王都にいない間に守れるのは、彼ら三人だけ。残りの七部将には、穏やかな老将軍デューアン将軍と、最近親父が引退して頼りなさすぎる若い息子に代替わりカンビュナタス将軍の二人。しかし、デューアン将軍は北方よりに縄張りを持つ豪族出身であり、そのまま北方の守りについており、 逆にカンビュナタス将軍は西方ににらみを利かせているのが常。

 東方よりに影響を持つのは、そもそも領地が広いジェアバード=ジートリュー将軍と、東方出身の妻をもつハダート=サダーシュの二人。

 東方、つまり、この国と長いこと対立している隣国リオルダーナの国境付近で軍事的な何かが起こると、彼等が対応する可能性が高いのも、予想がされていたことだった。しかし、通常はどちらか一人が対応すればそれで済む。ところが今回は、そうはいかない状況で、よりによって彼ら二人がいなくなっていた。

 世間的には仲が悪いとされているあの二人は、対外的にそう見せているが、本当は親友の間柄でしょっちゅうつるんでは街で遊んだりしている仲だ。

 冷淡で節操なく主人を変えて悪く言われているハダートだが、実はやたらと友情に厚いことは知られていないが、あの二人の連携は絶対的だ。それゆえに、基本的にあの二人は常時情報を共有しているし、何かあったときの対応が早い。

 ジートリュー一門の兵力にハダートの情報収集能力が加わることで、今まで、王都で起こった小競り合いは回避できていた部分もあった。彼ら二人が王都にいるということは、国王シャルル=ダ・フールにとっても重要だった。それゆえに前回の大掛かりな暗殺未遂事件を解決できた部分も大きい。

 しかし、相手側にもその一件で、王都の防衛が彼ら二人に依存している状態だということを、薄々感づかれてもいるはずだった。

 シャルル=ダ・フールは、先王セジェシスが打ち立てたエレ・カーネス朝の二代目国王だが、彼の即位前にセジェシスが失踪し、王の座が空位になったときには各地で内乱が勃発し、東征王子として軍事的影響力をもっていた彼が七部将達将軍達の後援を元に即位した経緯がある。即位後数年経って、多少周囲の勢力の取り込みには成功してはいるものの、先王の庶子であった彼自身の出自が低いこともあり、まだまだその体制は盤石ではない。まだ懐刀七部将の軍事力を背景にしなければ、体制を維持することができないのだ。

「それに、総司令官職が将軍の上に置かれているのでしょう? では、何も将軍だけに重圧がかからないのでは」

「うん、まあ、それはそうなんだが……」

 と、アイードは言葉を濁した。

「しかし、総司令殿は変わった名前ですな。エルリークとは……あまり聞きなれない名前ですね」

「あー、彼は外国人だからな。利害関係のない第三者ってことになると、どうしてもそうなってねえ」

 あまりしつこく聞かれたくないなと思いつつ、アイードは表に出さないように必死だ。

(その、エルリーク閣下が大問題なんだよ!!)

 アイードは、さすがにその真実は言えずに心の中でため息をつく。

 

 *


 東方の隣国、リオルダーナとザファルバーンは絶えず国境付近の領土を巡って対立してきた過去がある。


 シャルル=ダ・フール自身も東征を行い、リオルダーナと激突していたものだったが、即位後の彼は先王時代の領土拡張政策を取りやめて、リオルダーナと和睦した。

 しかし、いまだに小競り合いが起こりやすい地域でもある。特に国境付近は、もとから小国が多い場所で、彼らは基本的にどちらかの大国に帰順する形をとっていた。どちらの国も小国を取り込みたいものだから、彼らは大国二つにたえず翻弄されていた。

 この間も、そこでちょっとした武力蜂起があり、リオルダーナ側とザファルバーン側に与する国の間にちょっとした衝突があった。その程度の燻りは、ままあることで予想されることだったが、今回はリオルダーナ側が過剰な反応を示したことから、その対応にジェアバード=ジートリューが向かうことになった。

 兵力の大きいジェアバードなら、多少の押しがきくし、彼は交渉事は上手くはないが誠実な人柄でもある。どちらかというと東方に影響力も強いので、適任だと思われた。

 しかし、今回は彼がリオルダーナ側と交渉している間に、別の小国とリオルダーナの側でも問題が起こり、ジェアバードも対応しきれなくなってきていた。その小国は、ハダート=サダーシュの妻の出身国ラギーハと縁があったので、ハダートに対応をするように求めてきた。

 普段ならハダート自身が行くこともなかったが、今回はリオルダーナ本国が絡んでいるのでことは慎重を要する。今、リオルダーナと戦争になれば、まだ内部の体制が出来上がっていないシャルル=ダ・フールの政権は危険に陥るだろう。

 そんなこともあり、今回はハダート=サダーシュがジェアバードの応援に駆け付けることになってしまった。

 しかし、その間二人が王都をあけることに対し、七部将達自身も危機感を抱いていたのだ。

「七部将手持ちの兵士たちに、有事、直接命令できる臨時総司令職を置くとのことだが……」

 ジェアバード=ジートリューが、口火を切った。

「いや、私の力が足りなくて、このような事態になったので責任も感じるのだが、それでことが問題なく収まるだろうか」

 王宮の奥にある会議の間。

 そこに急遽内密に帰国したジェアバード=ジートリューを含む、七部将全員が集まっていた。普段は王都にはあまりいない老将軍のデューアンや若造のカンビュナタスまで集まっているので、当然アイード=ファザナーも出席しないわけにはいかず、妙な緊張感の走る会議室にちょこんと座っていたものだ。

「私は妻の出身国のツテもあるので、反発している諸国の鎮静には有利だとは思います。余所者であり兵力の大きすぎるジェアバードでは彼らを余計に刺激してしまう。しかし、私の手勢は基本的に情報収集や諜報を司っていますので、実戦ではジェアバードの力が必要です。私だけでは、リオルダーナに本気で攻め込まれた時に不安が大きい」

 銀髪のハダート=サダーシュは、やや親友をかばうようにしながら発言する。七部将の内では、ハダートは本来の性格を見抜かれているが、こうして全員と会議をするときは、彼はあくまで外向けの態度をとることが多い。

 アイードなどは、叔父が彼の親友なものだから、結構ぞんざいな扱いもうけている。それなもので、彼には散々からかわれてひどい目に合っているだけに、普段の彼との落差に笑いそうになるが、実際に笑うと後が怖い。

「しかし、王都に兵力を常駐できるのは、私以外だとラダーナ将軍とファザナー将軍だが」

 議長でもあるゼハーヴ将軍が、ラダーナとアイードの顔をちらりと見る。

「私も王都の守護につくことはできないこともないのですが……」

 最高齢のデューアン将軍が、おずおずと申し出る。

「私とカンビュナタス将軍の二人は、それぞれ北方と西方を守っています。北方は先王の時代に北伐が行われており、リオルダーナ程ではないものの蛮族侵入の脅威がある。西方には交易の要衝が多いのですが、それゆえに盗賊などの不逞の輩も多いですので、しばらくそこを空けておくのは不安ですしな」

「それにカンビュナタスは父より後を継いでまだ修行中の身、いきなり王都と西方の掛け持ちをさせるのもな」

 デューアンの後を継いで、ゼハーヴがちらりとカンビュナタスの顔を見る。カンビュナタスはまだ二十歳そこそこの若造で、ろくに戦場経験もない。アイードからしても、あおっちょろいお坊ちゃんで、ゼハーヴに視線を向けられて気まずそうにしているのは気の毒になるほどだった。彼はここに居並ぶ将軍達の中でも、気の弱い方に違いない。

「では、私とラダーナ将軍、ゼハーヴ将軍で王都を守るということですね」

 アイードが気を遣って話をそらしてやる。ゼハーヴはため息をついた。

「そういうことになる、が、……私の手勢は主に宮殿警護で手一杯。私だけでは王都は守れないのは知っているだろう? ラダーナ将軍は精鋭部隊をお持ちだが、やはり数を頼みにされると不安だ」

 で、とアイードに視線がキラリと向けられて、アイードは思わずドキリとする。

「ファザナー将軍が一番兵力が多いのだが、水軍中心の貴殿の部隊で乗り切れる自信はあるかな。具体的な答えをいただきたい」

「えっと……」

 思わず、アイードは言葉に詰まる。

「いえ、その、……それはもちろん、頑張らせていただきますが……」

「アイード。自信がないなら黙っていろ」

 隣の叔父のジェアバード=ジートリューから厳しい言葉が飛んできて、ぎろりとにらまれる。アイードは、思わずすみません、と小声で答えて視線を落とした。カンビュナタスを助けてやったつもりだが、どうやら藪蛇になったらしい。

「相手が数を頼みにと、ゼハーヴ将軍は申されるが、想定される相手は?」

 唐突にぼそりと誰かが発言する。視線を思わずそちらに向けると、今の今までずっと何の発言もしなかったラダーナ将軍が、静かに座っていた。長身で細身のラダーナは、非常に無口で滅多と口を開かない。表情も非常に薄いので、何を考えているかもわからないぐらいだ。

「政権転覆を狙う王侯貴族は枚挙にいとまがないが、活発なのは幽閉中のサッピア王妃、そして先王の義弟ギライヴァー公の二人ですね」

 ゼハーヴに代わってハダートが答える。

「サッピア王妃はこの間の陛下の襲撃事件の黒幕であると考えられます。彼女の危険性については、皆様もお分かりのとおりでしょう。ギライヴァー=エーヴィル殿下は、まあ、本人は野心が大きいというよりは、面白ければなんでもいいような愉快犯に近しい男で……。あの方自体は取るに足らない小物ですが、先のザミル殿下の暗殺未遂事件に関係していたジェイブ=ラゲイラ卿が身を寄せているという情報があります。ラゲイラ卿だけは危険です。古くからの貴族たちにも信頼が厚い」

 ハダートが珍しく真面目な表情のまま告げた。

「あの二人にスキを見せるわけにはいかない。それゆえの、臨時総司令職の設置であると……」

「総司令職の設置についての発案は、そういえば”陛下”のご意見だと聞いた」

 ハダートの言葉をジェアバードが継いだ。ここでいう陛下は、シャルル=ダ・フール王本人を指すわけではない。彼に代わって内政を司っている、彼の義兄レビ=ダミアス=アスラントルのことを言っていた。実質的に彼は摂政職といってもいいような立場にあるが、彼自身は非常に欲のない男でもあり、あくまで国の為、義弟であるシャルル=ダ・フールの為に尽力している。

「ある意味では、あの方が総司令の印章を持っている方が無難ではあるのですが……。常に俯瞰して物事を見られる立場ですしね」

「いや、それはレビ様は自分は軍事的に素人であるからと、お断りされたのだ」

 ハダートの言葉に今まで七部将の中での意見の推移を見守っていた、宰相カッファ=アルシールが口を挟んだ。

「それに、レビ=ダミアス様の名前を表に出すのは、あまり好ましくないといわれている。あくまであの方は、陰日向になり殿下、いや、陛下を支えていらっしゃりたいのだと」

(確かに)

 と事の推移を聞きながら、アイードは顎を撫でつつ考えていた。

(レビ=ダミアスと”あれ”は二人で一つの王様だし、ほとんど摂政であるところの彼が表に出てきすぎるのは、今後を考えると都合が悪い。彼が標的になってしまうと、”あれ”だってどうにかなっちまうよ)

 この場では、さすがに”あれ”を”あれ”なんぞと呼びやしないが、アイードは頭の中では遠慮がない。

「それでは、どなたか中立を保てる第三者を選出すると?」

「無理だ」

 ハダートの言葉を遮って、ゼハーヴが首を振る。

「そんな人材を選び出すのは現実的ではないのではないか。何か候補になる人物を挙げられるものがいないではないか」

「しかし、それではどうすればよいといわれるのか?」

 とジェアバードが食って掛かるが、ハダートがそれを目で制した。

「そこで、ここは、貴方様のご意見を是非お聞きしたい」

 ハダートはまっすぐにその人物を見て言った。

「せっかく、今回は貴方様に同席していただいたのです。貴方も、事の重大性がおわかりだということ。……ご意見を、是非に、陛下!」

 ハダートがそう差し向けた瞬間、上座に座る人物に全員の視線が向けられた。

 ”あれ”。

 それこそ、七部将の何人かが、”あれ”と呼ぶ人物がそこに座っていた。しかし、この時ばかりは彼をそう呼ぶものはいない。

「陛下」

 上座に座っていた人物は、今まで腕を組んで黙って将軍達の意見を聞いていた。半ば目を閉じるようにしていた彼は、顔を上げて、その三白眼の視線を上げる。瞳にろうそくの炎がちらるいて、微かに瞳は青く輝く。

 今日は流石に甲冑は身に着けていないが、それでも普段とは違う武官らしい青い衣服を身に纏った彼は、普段の彼を知る者からは想像できない雰囲気になっている。

 宮中で行われた会議の為、あまり顔を見せたくない彼のその顔には、蔓草をかたどった細工の入った仮面がかぶせられている。右半分は頬の下まで、左半分は目元まで。斜めに飾られたそれは、普段の彼らしからぬ瀟洒しょうしゃで上品な印象があり、実際に彼なりのオシャレでもあるのだが、公式の場に出るときの彼ではさして珍しくもない姿だった。

 しかし、それは、彼を普段の彼から遠ざける役割を果たしていた。

 個々の将軍一人一人に対しては、もっと普段の姿に近しい態度で臨む彼だが、七部将の上に立つものとして君臨するときの彼は、普段と恐ろしく雰囲気が変わる。そうした自分になる為の装置として、彼は自発的にそれを用いているのかもしれない。

 こんな状態の彼を”あれ”などと呼ぶものはいない。ハダートの態度がちょっと違うように、年の近いアイードでも軽々しく話しかけづらい雰囲気になってしまうのだ。

 そこにいるのは、彼らを率いて東征を行っていた東征大将軍・青兜アズラーッド・将軍カルバーンその人であって、そして、彼こそが本物のザファルバーンの支配者である、シャルル=ダ・フールだった。

「確かに、難しい問題だ」

 彼は、ふとため息をついて続けた。

「しかし、リオルダーナとの戦闘がおこることが一番好ましくない。ジートリューとハダートには、そちらの解決にあたってもらう方がいいと思う。だけど、王都の守りは間違いなく手薄になる。これに対して、よからぬ考えを起こす輩は必ずいるということは、俺にもよくわかっているよ。それに対抗するには、兄上の案は、もっともだと思う」

「殿下、しかし……」

 いつもの癖で、ついつい殿下と彼を呼ぶカッファだが、別に訂正はしない。彼とレビ=ダミアスの呼び分けには、これが一番好都合だ。彼の正体を割らせないためにも、普段彼は”殿下”で通っているし、その方がお互い気楽でもある。先ほどのハダートが、わざと陛下という呼び方を選んでいただけだ。彼は、ちらりとカッファ=アルシールをみやって頷く。

「ああ、だけど、色々問題があるのもわかる。司令官を誰にするのかだ。まず、タテマエとして王本人ではだめだ。七部将の総意でだとしても、他の連中が大きく反応してしまう。元々、七部将自身がある程度独立しているのに、王がそれを極端に超越する立場の権威を唐突に持つのは、他の王族や貴族、将軍達から反発を招くのも必至だ。まだ王室の歴史は浅いし、内乱からそう時間も経っていない。こんな不安定な状況で集権するのは自滅行為だ」

「ええ、それはごもっともです。レビ様もそういわれていました」

「それでは、次に七部将の中から任意で一人誰か選ぶ方法」

 彼は集まった全員を見回しながら告げた。

「しかし、これも多分うまくいかないと思う。七部将をまとめているのは、ゼハーヴ将軍だけど、いざゼハーヴ将軍がそこまで強い権利を持つとなると、多分心の中で反発する将軍も中にはいると思う。七部将は基本的には対等。これが壊れるのもよくないし、ゼハーヴはそもそも政治的な影響力も強いから、こちらも余計な火種を生み出さないとも限らない。他の将軍にしたって同じことだし、王都にいられない将軍を任命しても仕方ないしね。余計な亀裂を作る可能性がある割に効率悪いから、やめた方がいい」

「は。私もそれは心得ております。私にあまりにも権限が集中するのはよくない」

 ゼハーヴが同意していった。

「となると、やっぱり、七部将とは関係のない第三者に持たせるのがいいんじゃないかな。それをお前たちの総意で選んだとすれば、お前たちの盟約で選ばれた第三者となる。それなら、ある程度反発が抑えられると思うんだ」

「しかし、その第三者が問題ですよね。なんといいますか、ゼハーヴ将軍の言われた通り、ふさわしい人材に心当たりがないのですが……。お飾りにしても発動できる権限が強すぎて、よほど忠実な人物を選ばないと危険です」

 ハダートがやや困惑気味についだ。

「殿下には、何か心当たりのある方がいらっしゃるんですか?」

「いや、いない」

 彼は真面目な顔で言った。

「人材不足なのは百も承知さ。ここではだれを選んでも揉めることになるかもしれない。実務上の効率性を考えると、レビ兄上に持ってもらうというのもいいんだが、兄上は敢えて外に出ることを望まれないだろうし、第一、軍事にはそれほど詳しくないので、防衛策上好ましくない」

「それでは、一体誰が務めればよいのですか?」

 ジェアバード=ジートリューが、尋ねると彼は頷いた。

「総司令の印章は俺が持つ。それならどうだい」

 全員の目が彼に向けられた。

「殿下、しかし、それは……」

 やや心配そうな目を向けられて、彼はにやりとした。

「おっと、シャルル=ダ・フールとしての俺じゃない。持つのは、アズラーッドカルバーンの”オレ”、つまりシャー=ルギィズだ。実際、ジェアバードとハダートがいない間に何かあって、もし七部将の兵隊を借りるんだとしたら、命令は大なり小なり俺が判断して下すことにはなるんだ。だったら、俺が持っていても問題はないだろう」

「私としては、確かに殿下が持っている方が安心ですけれどね」

 ハダートが口を挟んだ。

「しかし、それじゃあ”殿下”があまりにも表に出すぎてしまうんじゃないですか」

 ハダートがやや心配そうなそぶりになる。

「そうすると、貴方の行動も制限されますし、第一、一応あなたは宰相殿とのかかわりについては推測されていますから、宰相殿と対立している勢力からの反発が予想されます」

「それについては問題ない。実際は俺が印章を持つ。でも、名前はオレにはしないから」

「もしや、架空の誰かに与えるということですか」

 そういわれて、彼は頷いた。

「付け焼刃なのはわかってる。しかし、ジェアバードとハダートの二人が問題を解決して帰京するのに、さほどの時間はかからないはずだ。長くて二、三カ月といったところだろう。それだけの間なら、多分持ちこたえられるハッタリじゃないかなと思う。まあ、何か有事には、本当に俺が発動させることもできるんだしね」

「確かに、これは時間稼ぎですからね。早ければ我々も一カ月中には片付けて戻ってこられるとは考えていますから、それなら……」

 ハダートがある程度納得したらしく頷いた。

「臨時職設置が見せかけであることを、ラゲイラ卿に読まれる可能性はありますが、彼らも確かな情報を掴むまでは時間がかかるはずですし。どうでしょうか」

 ハダートが周囲に振るが、他に反論は出ない。他に思い切った策もないので、それが一番良いのではないかという空気が流れている。

 彼はそれを見て、うなずいた。

「それでは、当面、そういう方向で行こう。そうだな、利害関係がない第三者ってことで、外国人ってことにしておいたらどう? ザファルバーンにいそうなやつにしておくと、身元調べられたりして厄介だけど、外国からさまよってこの国にきたみたいな、アシのつかねえヤツを設定しておけば、調べるのに時間もかかる」

「それは良いかもしれませんが……」

 と、カッファが頷いた。

「しかし、では、名前はどうなさいますか? それらしい名前にしておかなければいけませんし」

「そうだなあー……」

 と、彼は前髪を右手でぐしゃぐしゃっとやりながら考えた後、ふと何を思ったのか。

「それじゃあ、名前はエルリークにしようかなあ」

 その瞬間、ハダートとジェアバードが思わずふきだす。

「どうなされたのか、お二方」

 いつもつるんでいる彼らの事、ゼハーヴがちらりとにらんでくるのを二人は首を振った。

「いえ、何も」

「ええ、私も何も」

 彼らの脳裏には、おそらく名前のもとになっている異名を持つ、黒衣の長身痩躯の男が思い浮かんでいるのだが、そんなことはほかの誰もわからない。

「細かい設定もなんだったら、用意しておくぜ。一応書きとめておいて」

「ああ、お待ちください」

 カッファが慌てて髪とペンを用意する。

「ええと、髪は黒くて短髪、顔は役者張りの男前だが、目つきが悪い。背は高い。性格は、やたらと几帳面、ああ、あと眉間にしわ酔ってる。字は上手いけど、発音には若干北方の国の訛りあり……っと、そんな感じでどうかな?」

 カッファは言われるままにさらさらと書き留めながら、不審そうに彼を見たものだ。

「ええ、本当に実に具体的ですね。しかし、殿下、それは具体的な人物に基づいているのでは……」

 そういわれて、彼は初めて普段の彼らしい、妙に悪戯っぽい表情を浮かべていた。

「さあて、どうかなあー……。いくらこの王都が国際色豊かな都市だっていってもさ、さすがにそんな不良外国人、この街にいるわけないじゃん」

 にやにやと笑う彼を見やりながら、

「可哀そうに、あの男……」

「あーあ、ご愁傷様」

 とジェアバードとハダートが小声でつぶやいたのを、アイードはうっかりと聞いてしまったものだった。



 *


 そんな会議を思い出しながら、アイードは両肩にどっと重荷がのしかかるのを感じる。頼みの綱のエルリーク総司令閣下など、実際はいない。その分の重荷が彼の両肩にのっしりとかかっている。

 その実際いない総司令をいるものとみせかけつつ、王都の警護を主に任されているのがアイード=ファザナーなのだから、心労も普段の二倍はかかろうというものだ。

(そりゃあ、ラダーナ将軍がいるだけまだマシだよ。でも、俺とこのが、兵隊多いし、いざってなると頑張れってされるし……。ああ、重圧感じて頭痛いし、肩もこるし、胃の調子もよくないし……)

 とアイードは人知れずにため息をつく。

 叔父のジェアバード=ジートリューからも、がっしりと肩を掴まれて、

「お前しかいないんだからな! よいな! 自信をもって任務にあたるのだぞ!」

 と励まされ、素に戻ったハダート=サダーシュからは、

「いいか。いくらお前がヘタレのお坊ちゃんだっていっても、今回ばかりは根性の見せ所なんだからな! しゃっきりしていけよ、しゃっきりと!」

 と発破をかけられ。

 余計に肩こりが酷くなるアイードなのだった。

 はあ、と何度目かわからないため息をついて、ふとアイードは顔を上げた。

(これはいかん。今日、何度ため息をついているんだ、俺は!)

 こんな状態では、到底守るものも守れない。こういう時に大切なのは気分転換、つまりストレス解消。

 彼はもっぱらこういう時は、料理を山ほど作ったり、珈琲やお茶を無心で淹れる。しかし、その行為はこんな軍の詰め所では目立って目立ってしょうがない。だからこそ、彼は手を打って、とある隠れ家を作ってある。

 問題は、今、そこに行っても許されるかどうか。

(そういや、今は女狐も狸親父も目立った動きないって話だよな)

 と、アイードは届けられた情報を思い出しながら、頷いた。叔父とハダートが王都を旅立って、二週間ほど。いまだにエルリークの正体については、相手もつかんでいないらしく、警戒しているせいか、活発な動きは見られない。

(うん、今なら、今なら……、ちょっとだけ休んでもいいよな)

 アイードは、すっくと背を正して部下に言った。

「あのさ、俺、ちょっと今日出かけるわ」

「はいはい」

 護衛の兵士も、どうせアイードが何をしたいのかは知っている。敢えて知っていて、口に出さないあたり、猛烈に馬鹿にされている気もするが、まあいい。小言を言われるよりマシだ。

「なので、なんかあったらいつもの場所にいるから、呼んでくれ」

「はいはい、かしこまりました」

 彼は軽く返事をしながら、やたら恭しく頭を下げる。

 それを気にせず、アイードはがさがさと準備をしはじめた。流石にこの武官まるだしの格好では出ていけないので、普段着に着替えなくては。

「あ、そうだ。将軍」

「なんだよ」

 俺は忙しいんだと言いたげに振り返ると、彼はちょっとニヤリとして、

「どうでもいいですが、あんまりお菓子の甘い匂いつけて帰ってこないでくださいよ。他の部下にも何しに行ったか、バレちまいますからね」

 そういうなり、彼は失礼しますと言い置いて、部屋から出て行った。

(くー、馬鹿にしやがって!)

 アイードは不機嫌になりつつも、反論することもできない。実際、彼がやろうとしていることは、単なるサボりといわれればそれまでなのだ。

(お前等には絶対、菓子の差し入れなんて持って帰ってやらねえからな!)

 アイードは心の中でそう吐き捨てつつ、目的地に向かうのだった。



 目的地、とは、王都のはずれ、カタスレニア地区にほど近い場所にある小さな喫茶店、名前は錨亭。

 そこには、最近店の売り上げを心配して足しげく通ってくれている顔なじみのやたらと無表情な女の子や、強面の外国人風の常連客などがいるはずなのだった。

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