番外編:珈琲と魔の残影

珈琲と魔の残影


 紅茶と珈琲の良い香りが狭い店の中に立ち込め、ゆったりとした時間が流れている。そんな昼下がり。


 俺はこういう時間が何よりも好きだ。それなもので、ちょっと疲れてしんどくなると、ここに逃げ出してきて珈琲を淹れたりしている。十人も入ればいっぱいになる店だが、焼き菓子が焼きあがる前の少し焦げた香りなどが漂い出して、狭い店で良かったと思うぐらい。

 俺の趣味でいっぱいに本を置いてあるので、読む本にも困らない。

「今日はのどかでいい日だなあ」

 珈琲を啜りながら、店に置いている詩集をまったりと読む。今日はそれほど温度も上がらず、視線の先の路上もどこかのどかでほのぼのしている。

「こういうのを贅沢な時間っていうのかなあ」

 目を細めて俺がそう呟いたとき、ふと後ろから声が聞こえて、否応なく現実世界に戻される。

「贅沢なのはいいですけどね、旦那様。客、来ませんね。昼もとっくにすぎたっていうのに」

 雇っている若いの、もとい、マディールがぼそりとつぶやく。

「立地が悪すぎませんかね、この店」

「そ、そうかなあ。まあ、安かったからな」

 俺はにらまれて苦笑した。

「でも、立地だけが問題じゃないんじゃないかな。お前が不愛想だからじゃないか?」

「失礼な」

 実際に不愛想なマディールは、余計に不愛想に俺に視線を向けた。

「俺だって精いっぱい愛想よくやっています」

「はは、その面でよく言うぜ。ま、別にいいんだけどね、俺は。俺は自分がまったりしたいから店作ったんだからさ」

「旦那様はそれでいいでしょうけどね」

 マディールは、ふと口を尖らせる。

「どうせ俺は旦那様ほど、料理がうまくないですからねー。それで客が来ないんですよー」

 マディールは拗ねたように言った。

 俺は本職が忙しいから来るのは月に一度か、二度ぐらい。後はマディールに任せているが、この通り客の入りは芳しくないようだ。

 マディールは、俺の実家の料理人なのだが、あいにくと調理師の手が足りているので小間使いをやらされて腐っていたので、誘うと乗ってきた。しかし、確かに本人が言うように料理人としてはまだまだ修行が足りてはいない。

「旦那様が毎度茶を淹れて出してればいいんですよ。珈琲も茶もどうせ旦那様のが淹れるの上手いんですし」

「こら、その旦那様ってのやめろって。俺はここではただの”店長さん”」

 何度も旦那様といわれるので、俺はとうとうそう注意する。マディールは相変わらず不機嫌そうだが、しぶしぶ頷いた。

「はいはい、わかりましたよ、店長。とにかく、店長のいるときに来た客が、俺しかいないと残念がるんです」

「それはもう、お前が頑張るしかないな。安心しろって、素地はいいんだからさあ」

 俺は笑いながら、珈琲を啜りながら読んでいた詩集を脇に置いた。

「んじゃ、こういう暇な時に俺が教えてやろうか。そうすりゃ、お前もうまくなるだろ」

「それはありがたいことですけど」

「夕飯はこっちで食べていくから、賄いの分つくりゃいいんだろ。今日はひよこ豆が大量にあるからさ。まず、ソレ潰しといてよ。あ、それとな、そろそろ菓子が焼けてるころだから、出しといて」

 俺がそういうと、マディールは、とりあえず窯から焼けた菓子を取り出しながら、苦笑した。

「もう、仕事辞めてこっち本職にしたらどうですか?」

「そうしたいのはやまやまだけど、あんまり熱入れるとあっちこっちにバレるとまずいしな」

 俺はため息をつく。

「だって、俺、こう見えてもザファルバーン七部将の一人なんだぜ。それが、仕事キツい時に、自分の隠れ家的な店作って逃げ込んでるってバレたらさ、何言われるかわからないだろう」

 この国には、七人の有力な将軍がいる。その一人が俺だ。


 まあ、本当は、こういうことをしていると、色んな方面から怒られるんだ。だから、俺がここに店持ってることは秘密にしている。

 俺は色々キツイことがあると、うっかりメシやら菓子やらを作ってしまうクセがあるのだが、大量に作りすぎて食べる人間がいないんだ。

 詰所で一回やってみた時は、評判は良かったのだが、何せ俺が将軍なもんだから、部下に妙な気を遣わせてしまった。実家でも似たようなもので、喜ばれる反面、絶対残しちゃダメみたいな変な気負いを負わせてしまって、かえって俺に罪悪感が残ってしまった。

 そこで、俺は七部将の一人であるカルシル=ラダーナ将軍に相談した。ラダーナ将軍は槍の名手として知られていて、兵力ではジートリュー一門には及ばないものの、精鋭部隊を抱えている有能な将軍だ。が、本当に無口なことで有名で、会議でも滅多と口を開かない。

 そんな彼と、どちらかというとやる気のない将軍の俺が、何故親交を結べているのかということだけれど、実は彼は文章を書くのが好きらしくて、俺が詩作が好きなことを知ってから割と仲良くさせていただいている。まあ、手っ取り早く言えば文通友達ってやつ?

 ラダーナ将軍はほんっとうに無口な男で、俺がこのことについて相談したときも軽くうなずくだけで一言もしゃべってくれなかった。ので、気分を害したかなと思って心配していたら、律儀に長い手紙をよこして返答をくれた。彼は無口だけど、彼の筆は雄弁で、色々的確に答えてくれるし、物凄く口(筆も?)が堅いから信用もできる。

 で、彼の返答だが。

 俺が逃げ込んで、美味しい紅茶や珈琲を飲みながら読書する場所が欲しいことと、うっかり料理を作りすぎてしまうことを合わせて、それならこっそり店でも開けばいいということだった。

 マディールにイマイチだと抗議をくらっている立地についても、実は彼に相談していた。

 あまり高級な場所に立てて知り合いに来られるのも嫌だし、かといってあんまり治安のよくないところだと事件に巻き込まれそうで困っていた。

 そこで彼が提案してきたのが、王都のカタスレニア地区の近くだった。

 カタスレニア地区は繁華街で食堂や酒場が多い。どちらかというと貧しい人達の多い場所だが、安い割には美味だし、女の子も可愛いことで有名な場所だ。背景には、貴族やら軍人やらが金を出して、道楽半分に店をやらせているらしいという噂は俺も聞いている。

 ということで、俺が店を出すのにも最適なのではないかと、ラダーナ将軍はすすめてきた。そういわれると、俺もそれが良いのではないかと思って、カタスレニア地区から少し離れた場所に店を出してみたわけさ。ただ、ちょっと離れすぎたのかもしれない。

 微妙に立地を外しているのは百も承知。俺としては、俺の小遣いを割り込まない程度に赤字でも別に問題はないし、俺がのんびりできてればそれでいいのだが、そんな本音を言うとマディールが余計に不機嫌になっちまうだろうな。



「本職より、俺はこっちのが向いてると思うんだけどなー」

「旦那様、いえ、店長は、本当に本職が似合いませんもんね。顔に似合わず」

「顔に似合わずは余計だろ。いや、俺が凛々しいってことなら許すけどな」

 マディールはそんなおべっかを使う奴ではないから、よくわかっている。

 俺は確かに見かけはちょっとだけ強面なんだ。上背もそれなりにはあるし、髪の毛も目立つ色だし、左ほおに刀傷がある。だから敢えて思い切り髭を生やすのはやめていて、口元にちょっとだけ。自分としてはオシャレに手入れしているつもりだが、でも、やっぱりちょっと怖く見えるらしい。かといって、髭をそったらそったで、威厳が全くないだのなんだの言われるし、俺としてもとても難しい問題だ。

 しかし、似合わなくったって俺はやっぱり七部将の一人であるのは間違いなく、なんだかんだでザファルバーンの水軍の大半の戦力は俺が自由にできる。どうみたってそういうタマじゃないんだけど、俺の親父は早々に死んでいて、不幸なことに子供で後継げそうなのは俺しかいなかった。それで、俺にお鉢が回ってきちまったというわけだ。

「やれやれ、本当に俺には似合わない仕事だよ。軍人なんてさあ」

 ふと、いつの間にか、マディールが飼っているキジトラの猫のジージィが足元に寄ってきて、膝の上に両手をのしりと乗せてきた。抱きあげろってことだろう。案の定、抱き上げて膝に乗せると、満足げにゴロゴロしてやがる。これで可愛くなければ許さないところだが、可愛いのでつい許してしまう。

 ジージィの柔らかい毛並みを撫でつつ、俺はため息をついた。

「あー、俺もいっそのこと、猫になりてえよ」

 猫になりてえ。そんなことをうっかりとつぶやいてしまってから、俺はあることを思い出して思わず苦笑した。

 そういや、”あれ”も猫に似ていたな。

 俺はジージィのハシバミ色の目を見て、不意に、近頃見かけていないとある男のことを思い出していた。



 俺が”あれ”を最初に見たのは、多分宮殿だった筈だ。

 宮殿は荘厳な場所で、俺は当時はほんの若造で親父の後を継いだばかりだった。

 偉大な叔父に連れられて、当時の王だったセジェシス王に謁見したときは、正直思い出しても恥ずかしくなるほどガチガチだった。そんな俺のことを王様は笑い飛ばしてくれたものだ。

 セジェシス陛下は、先王朝カリシャ家から王権を分捕った簒奪者さんだつしゃだったが、彼に異を唱える者はほとんどいなかった。それだけに彼は物凄く魅力的な男だった。俺がいうのもなんだけど、曲者揃いの七部将を従えられていたのも、彼の魅力あってのことだ。

 俺達が何故、七部将と呼ばれ、特別に区別された将軍であるのか。

 それは実は俺たちの独立性が非常に高いからだった。七部将の多くは、古くからの地元豪族で、元々軍事力を握っている。新参のハダート=サダーシュ将軍は、ちょっと変り種だけど、彼も自分の養親から地元の勢力を継いでいると聞いている。最も大きい兵力を持つジェアバード=ジートリューに至っては、実は領地も持っているから、ほとんど小国の王様みたいなものだ。

 そんなものだから、ザファルバーン王に忠誠を誓っているが、俺達と彼の間には絶対的な主従関係がない。忠誠といっても口約束と変わらない。その力関係は非常に危ういものでもある。

 けれど、彼は本当に魅力的な人物だったから、皆彼に従った。俺はほんの若造だったけど、それでも彼の魅力はよくわかった。

 彼のもとにいると妙に安心して、ドキドキして、これから起こることに妙な期待を抱いて、ひたすら楽しくなってしまう。意味が分からないまま、彼に乗せられて行ってしまう。自分の調子に相手を巻き込む天才だった彼は、そうやって皆を魅了した。

 俺は正直、あのひねくれ者のハダート将軍のことは、大概ニガテなのだけれど、彼をして親友と陛下だけは裏切るまいと誓っていたらしいのだから、それは到底尋常じゃないことさ。あの腹黒い大宰相ハビアスだって、女狐と呼ばれる恐ろしいサッピア王妃だって、曲者の不良王族ギライヴァー公だって、今の王の暗殺未遂を画策したラゲイラ卿だって、みんながみんな彼のことが好きだった。

 でも、俺はなんとなーく気づいてもいた。みんなに好かれて、みんなを魅了できるセジェシス王。そんな彼は、実際はまともな人間じゃあない。セジェシス王は、間違いなく”演じている”。しかも完璧に、何のしっぽも掴ませずに演じていられる。そんな奴は、まともな奴じゃない。あれもある種の魔物だった。けれど、だからこそ魅力的なんだ。

 ”あれ”はそんな彼に一番似ている、魔の気配を感じさせる王子だった。

 アイツはそのころは、まだほんの餓鬼んちょだったが、すでに東征大将軍の地位を与えられていた。しかし、”あれ”を正確に知る人物はほとんどいない。その時から、彼はいつも血のつながらない病弱の兄と、二人で一人の役を割り振られていた。出自が微妙な彼はまともな王子として扱われなかったこともあり、亡国の王子である義理の兄と入り混じって扱われた”あれ”の正体を見破ることは困難だ。公の場にも滅多に姿を現さなかっただけあり、どちらがどちらであるのか、当時からよくわからなかった。

 ただ、俺は、軍装を纏っている”あれ”を見かけたものだから、物凄く鮮やかに印象に残っている。

 そもそも、王族としてろくな扱いを受けていない”あれ”は、義理の兄の貴人らしい優美さも気品も持ち合わせなかった。だから、王族の間で並んで突っ立っていたところで、彼が王子であることを知るのは困難なほどだ。小間使いの小僧みたいに見えちまうほどさ。義理の兄と混同された故に、病弱でろくに戦えもしないのに遠征に行かされているとか、影武者が戦っているだけの臆病者だと、在京の貴族が言い出すのも仕方がないものだった。

 しかし、軍装を纏っているときのアイツだけは違った。

 カッファ=アルシールとラダーナ将軍に連れられて歩いてきた”あれ”は、確かに大将軍と名のつく一大指揮官の風貌をしていた。

 真っ青に染められた羽飾りのついた兜を目深に被り、真っ青なマントをひらめかせ、平和ボケした宮殿の中に戦場の血生臭い空気を持ち込む。

 その青の軍衣を纏う、東征大将軍青兜アズラーッド・将軍カルバーンと呼ばれる彼は、明らかに東征王子の名に恥じない異様な輝きを放っていた。それは王都の貴族たちの嫌う戦場の狂気をまき散らしていて、何故だか小気味よいものだった。なんとなく彼の父のセジェシス王がもたらすものに似ていて、しかし、父とは違う危うさが常にあった。実際、父王と違い、彼の荒々しさは到底都の貴族連中には受け入れがたいものだったらしい。

 その彼の姿は魅力的でありつつも、それに俺は、何となく奇妙な胸騒ぎを覚えもした。

 その後、俺は”あれ”の背後に追随して戦うことがあった。そのころのこともたくさん語ることはあるけれど、今は詳しく語らない。だが、アイツの後ろで戦って、俺は、ようやく奇妙な胸騒ぎの原因が分かったような気もしていた。

 ”あれ”は正直な男だった。だから、”演じきれない”男でもあったんだ。

 セジェシス王は、”そういう自分”を完璧に演じていた。けれど、やっぱり、あの状況で役柄を完璧に演じられるような人間は、到底まともな精神をしていない。

 そこいくと、”あれ”は、とても人間らしかった。”あれ”も顔以外は父親によく似ていて、どこか周りの人間を引き込んで、引っ張りまわしてしまうような奴で、皆をいつでも楽しくさせていたけれど、そこにどこか不安定な影を付きまとわせていた。皆の期待する自分であろうとするたびに、自分を追い込むクセがあり、時々その負担が顔を覗かせてもいた。

 それは父親とは違う、どこか危うげなものだった。そして、実際に暴発したときに、受け止めきれる器を持つ人間はほとんどいやしなかった。俺にしてもそうさ。そこまでの覚悟はなかったからね。

 でも、俺はというと、”あれ”のそういう正直なところは嫌いではなく、むしろ好きだった。だから、本当は結構同情もしていた。

 だから、”あれ”が今もあまり宮殿によりついていない理由もよくわかる。俺が思うに、彼は義兄と二人で一人の王様。”あれ”は、戦場担当で、義兄は都の担当。平和になった今、奴が宮殿で政治に関わることは均衡を崩してしまう。それは自分でわかっているんだろうな。

 けれど、アイツを王様にするしかなかったのも確かだった。”あれ”以外が王位についたところで、七部将が全員王を支持したかどうかわからない。父王はあまりにも魅力的な王様だったが、同じぐらいの存在感を持つ息子は”あれ”しかいなかったからだ。他の誰が王位についても物足りないと感じてしまう。それはもう、前の王様があの王様だったからということの悲劇でしかない。

 ”あれ”はやはり父に似ていて、父王の好きな人間はやはり”あれ”の持つ父と同じ空気に引きずられてもいた。そして、彼を知るにつれ、”あれ”の見せる弱さに逆に惹かれた者もいたからね。

 結果的には、”あれ”を王位につけたのは正解だったとは思っている。戦場の空気を纏いながらも、”あれ”は平穏を願った。くすぶりはあったが、各所の戦乱を終わらせ、全く血を流さない方法ですべてを終わらせたのは、もちろん彼の意向ナシではありえないことだ。その甘さはもちろん彼自身の危険をはらむものだが、彼はそれをよしとした。

 自分に刃を向けた者たちを許したその態度を、国民は寛大さと受け止めた。

 ”あれ”が王になることの不安さは、彼が生え抜きの軍人上がりだったこともあって、冷酷な処断をするのでないかと思われたこともあったから、そうして彼の即位に反対していた文官達は意外な決断を歓迎した。もちろん、奴は前の王様よりも好き嫌いされるタチではあったので、重役で辞めていく奴もいたにはいたが、奴は当然処罰しなかった。その態度に感心して、逆に協力してきた者もいる。

 だから、今、こうして俺が珈琲飲んでぼんやりしていていられるのも、”あれ”のおかげといえば”あれ”のおかげ。この平和を築いたのは、”あれ”の犠牲失くしてあり得ない。

 しかし、そんな”あれ”は、確かに猫に似ていた。

 と、俺は膝の上のジージィを見ながら思い出す。

 民衆が思っている寛大な王様でありながら、個人の”あれ”はそういう印象とは違う何かを、やはりその身に持っていた。

 なれなれしく甘えてきながらも、どこか心を許さないような部分もあって、気まぐれで、寂しがり屋で、そして唐突に別人のような冷たい顔で立っている。あの三白眼の、陽光を浴びると真っ青に輝く瞳で睨み付けられた時。不意に寒気が走るような一瞬に、野生の獣みたいな魔性が、アイツにはまだ残っていた。

 それは、このジージィと同じだ。何故か突然、突き放すような冷たい目でこちらを見る。

「猫は、魔物だからな……」

 俺はぼんやりとそう呟いた。

「魔物は魔性が強いほど、当然魅力的なのさあ」

 とそんなことをとりとめなく考えていると、不意に膝のジージがぴょんと俺から飛び降りた。入り口で人の気配がした。



「あ、いらっしゃい」

 マディールが、あまり要領の得ない不愛想な挨拶をし、店に入ってきた客を出迎える。俺もそちらに目を向けたが、思わずぎょっとして絶句してしまった。

 ”あれ”のことなんか思い出したせいだろうか。

 そこに立っていたのは、”あれ”なんかよりも直接的に、戦場の狂気を振りまいているような短髪の黒服の男だった。いや、別に武装しているわけではない。一応長剣は提げているがそれぐらいなのだが、どう考えても武官くずれだ。男は武官らしい洗練された身のこなしをしてはいるのだが、どこかしら、正規の武官ではありえない危険な空気を纏いつかせている。

 ということで、俺の判定は”カタギじゃない”なのだ。

 マディールは平気で注文を聞きにいったが、俺は食器を片付けるふりをしてそそくさと厨房の方に戻った。マディールのヤツ、前から思っていたが、妙なところで肝が据わっている。料理人より、よほど向いている職業があるような気がするぜ。

 男は注文したらしく、手慣れた様子で近くにあった詩集を手に取り読み始める。初めての来店ではなさそうだ。

「おい、おい、マディール……!」

 俺は小声で奴を呼び寄せた。

「はい店長、注文入りました。珈琲淹れてください」

「注文はいいけどよ、……なんかあの人カタギじゃなさそうな面してるけど……」

「悪党面の店長の口からそんなことを言うんですか。あちらの方が男前ですよ」

 マディールはさりげなく酷いことを言いながら、首を振った。

「店長がいない時によく来て下さるありがたいお客様ですよ。あの方は」

「え? そうなの?」

 俺はきょとんとした。

 常連客か。

 そういわれると無下にもできない。いやでも、多分、あれ、カタギじゃないと思うんだが……。

 でも、飛びついた詩集の選択はなかなか趣味がいいみたいだし、俺とも意見は合いそうだし……。

 珈琲を淹れながらちょっと葛藤したが、よく考えると貴重な客だ。これ以上客が減ったら、マディールが働いてくれなくなるとまずいし、大切にしよう。

 俺は珈琲を淹れたついでに、先ほど焼きあがった菓子を切って皿にのせた。バターのいい香りが漂っているのに、甘いシロップをかけたもので、切れ目からピスタチオの緑が鮮やかに覗いていた。今日はなかなか美しく皿にのってくれたので満足だ。

「よし、よく見とけよ」

 マディールはどうせ不愛想に持っていくだろうから、ここは接客の手本を見せる為、俺が持っていくことにした。とはいえ、俺も別に接客業していないんだけどな。

「お待たせしました」

 と持っていくと、黒服の男はちらりとこちらを見た。多分俺より年上。どうも目つきが鋭いので、やはりちょっと怖い、が、俺も一応将軍だから怖がってばかりもいられない。後ろから、マディールが俺のことをどれほどのものかといわんばかりに覗いてくるし、ここでヘタレっぷりを見せるわけにもいかないのだ。

「頼んだのは珈琲だけのはずだが……」

 皿を置くと、男は少し眉根を寄せてそう告げた。怒らせただろうかと思って、俺はちょっとギクリとした。

「あ、いや、こいつは店からで……」

 俺は後ろのマディールの視線を意識して苦笑した。

「実は私が店主でしてね、なかなかこちらに顔を出せていないんですが。お客さんにはいつも来ていただいていると聞いていますから……、あの、普段のお礼で……」

 思ったよりしどろもどろになってしまった。マディールの冷たい視線が俺に突き刺さる。

「そういうことなら、ありがたくいただく」

「ええ、どうぞ。ちょっと甘いものですから、珈琲飲みながらどうぞ」

 俺はそういうと、皿と珈琲を置いてそそくさと逃げ帰ってきた。

「旦那様、全然手本になりませんでしたが……」

「ひ、久しぶりだから、ちょっと緊張したんだよ」

 ニヤつくマディールに俺は言い訳しつつ、男の様子をそっと見やった。男は珈琲を啜った後、おもむろに菓子に手を出していた。

「しかし、あんなに甘いもので大丈夫ですかね」

 ふいにマディールが心配そうに呟く。

「あんな渋いお客に、あんなに甘いもの出すとか、店長どうかしてますよね」

 そういわれて俺はどきりとした。いや、珈琲が苦いからちょうどいいかと思ったのだが、確かにちょっと甘いものすぎただろうか。急に心配になってきた。

「で、でも、案外甘党かもしれないだろ」

 そういっているうちに、男は菓子を一口、口に入れた。そして、なにやらもぐもぐと味わった後、飲み込んだらしい。

「あ、眉間のしわが緩んだ」

「え、ああ、本当だな」

 よかった。どうやら甘党らしい。

 心なしか、男の周りの空間の空気が緩やかになった気がする。珈琲を苦くしすぎた気もするので、俺は追加のシロップをマディールに持っていくように頼んでおいた。多分、もうちょっと甘くても大丈夫そうな気がする。

 それにしても、やれやれだ。俺は何だか一仕事終えた気がして気が緩み、自分の為に今度はお茶を淹れることにした。そうしながらちらりとまた例の客を覗いてみたが、なんだか幸せそうに見えたので、俺は心底安堵したものさ。


 *


「馳走になった」

 客は、ゆったりと珈琲を楽しんで詩集を一冊読み終えてから代金を払いにきた。

「あ、ちょっと待ってくださいな」

 マディールの奴がいると思ったら、アイツ、店の奥で居眠りしていやがった。動かない彼の膝の上でジージィが寝ているところを見ると、大分前から寝ているんだろう。

 こんなんだから客が来ないんだと俺はため息をつく。仕方がないので、俺はぬるくなった茶を置いて立ち上がった。

 俺はその客を武官崩れだといったが、それは間違いないらしい。妙に堅苦しい言い回しなので、今は浪人してるかなんかだろうけど、昔はちゃんとしたところで仕官でもしていたんだろう。俺を見ると、彼は真面目な顔のままで告げた。

「あの焼き菓子は実に美味だった。珈琲もだが」

「あー、喜んでもらえてたら嬉しいよ」

 俺は素直にそう反応した。

 堅苦しいのと相変わらず不穏なのは同じだったが、先ほどの甘いものを食べて幸せそうにしていたこともあって、俺は彼にちょっとだけ親近感を抱き始めていた。本の選択も気が合いそうだったしな。

「しかし、お客さん、この店にどうしてきてくれたんだい? いや、ちょっと立地が悪くてね、なかなか客が入らないってうちの若いのがぼやいててさ。いや、アイツの接客態度が悪いんだとは思うんだけど……」

 思わず俺は素でそんな風に話しかけてみる。

「ああ、それは知人に紹介されてな」

 客は、少しだけ相好を崩す。

「ゆっくりできる本の多い店があり、珈琲や茶もうまいからどうかと紹介されたのだ。こんな風に本を読みながらゆっくりできる場所が、この街には意外となかったので、重宝させていただいている。しかも、料金も安いので、何故ほかに客が来ないのか理解できないが……」

 確かに料金は安いかも。別に儲けようとは思っていないしなあ。

「そうなんだ。お客さん、あの詩集が好きみたいだったな。他にもいっぱいあるから、また来た時にゆっくり読んでいってよ」

 少しだけ客が目を輝かせる。

「こちらの蔵書は店主の趣味かな?」

「うん、まあ、そういう感じかな。家に置いておくと、邪魔だって言われるもんだから、倉庫に置いておくよりいいだろうと思ってね」

「そうか。いや、実に良い趣向をお持ちだ」

 なにやら褒められた。どうやら趣味が本当に合う人らしい。こうして喋っていると、見かけほど怖い人でもなさそうなのだ。

「それでは、また立ち寄らせていただく」

 客はうっすらとほほ笑んできびすを返した。

「ああ、ありがとう。またよろしくね」

 俺は客に挨拶をする。ほどなくして客は出て行った。ちょっと嬉しくなっていつの間にか目が覚めて足元に来ていたジージィを抱き上げた。

「ジージィ、聞いたか。俺の趣味が良いってさ。ははー、マディールはボロクソにいいやがるが、世の中には理解してくれる人もいるもんだねぇ!」

 ジージィはにゃあんと声をあげ、俺の顔に右前脚を置く。多分嫌ってことなんだろう。

「ちぇ、そんなに嫌わなくてもいいだろう」

 俺が残念そうにジージィの不服そうな顔を見たところで、ふと入り口に誰か立った。

「あ、いらっしゃい……」

「あら、店長さん、今日はいらしてたのね」

 と、今度は先ほどの客と全く雰囲気の違う客がそこに立っていた。

「あ、リーフィちゃんじゃないか。来てくれたのかい?」

 そこに立っていたのは、この界隈にいるにしてはちょっと浮いてしまうぐらい綺麗な女の子だった。綺麗なだけでなくて、彼女の周囲の空気は何だかひんやりと冷えている。それは彼女が無表情だからかもしれない。別に不愛想というわけではないのだが、何となく表情が薄くて、周囲が涼しげだ。

「お仕事は順調かしら」

「えっと、まあ、その、……はは、ぼちぼちってやつかな」

 リーフィちゃんは、俺がラダーナ将軍に店を出すことを相談したときに、彼から派遣されてきて手伝いをしてくれた子だった。

 商売について何にもわかっていなさそうな俺を、ラダーナ将軍は彼なりに心配してくれていたらしく、水商売をやっている女性を派遣するから勉強するように、といわれた。その時は、どんな色っぽい子が来るんだろうと思っていた。

 で、来たのは彼女で、確かにどこかの王様の寵姫かって思うぐらいに美人ではあったが、ひたすら無表情な彼女に、俺はなんか悪いことでもしたのかと違う意味でドキドキしっぱなしだったことを覚えている。いや、彼女に悪気はないんだけどね。今ではそれは俺も分かる。

 彼女とラダーナ将軍との関係もいまいちよくわからないが、あの将軍の性質やこの子の性格を考えれば、とても色っぽい関係でもなさそうだ。娘でもなさそうだけど、うーん、あり得るとしたらラダーナ将軍が親しくしている元史官バラズ爺さんの関係かねえ。噂で聞いた話じゃ、あの爺さん、妙なところで顔が広いらしいから。それに彼女なら無口なラダーナ将軍ともうまく意思疎通できそうだ。なんとなく。

「お客さんが少ないの?」

 彼女はかすかに眉根をひそめた。

「い、いや、別にいいんだよ。俺は自分がゆっくりできる店作りたかっただけだしさ」

 俺はそういって苦笑する。ほぼマディールのせいなんだけど、リーフィちゃんに言ったって仕方ない。彼女は表情が本当に薄いけれど、慣れればそれでも感情をある程度は読めるようになってくる。どうやら心配している彼女に、俺は慌てていった。

「でも、さっきもお客さんが来てくれててさ。常連客がいつの間にかできていたみたいなんだ。だから、リーフィちゃんが心配することないよ」

「常連客? もしかして、黒服の武官くずれ風の、綺麗な顔の人?」

「あれ? リーフィちゃんよく知ってるね。多分その人だと思うけど……」

 と言いかけて、俺ははたと気づいた。

「あ、ひょっとして、彼の言ってた知人ってリーフィちゃんのこと?」

「ええ、そうよ。彼はこういう場所が好きそうな人だから、教えてあげたの」

「そ、そうなんだ……」

 知人。知人、ねえ。

 そうか。いや、リーフィちゃんは、確かにちょっと俗世離れしているところがあるから、どういうつながりでどういう人物が来てもおかしくはないのだが……。

(逆にそのつながりのもとが気になる。いったいどこの関係でああいう男と繋がるんだろう……)

 いや、悪い人ではなかったけど、あんな。今、戦場から帰ってきましたみたいな男とリーフィちゃんとは、さすがに直接つながらないだろう。

「お客さんが少ないんだったら、今度は私のお友達も連れてきてもいいかしら」

 そんなことを考えていると、リーフィちゃんにきかれた。

「え? ああ、いいよ。もちろんじゃないか」

 そう答えてしまってから、俺はちょっと嫌な予感がしたんだ。

 ……あの黒服の客の持っている戦場の空気、彼の空気が、俺の頭にある誰かの姿を思い出せそうになったのを、俺は全力て否定した。

 足元で、ジージィがにゃおんと声をあげ、リーフィちゃんの足元にまとわりつく。彼女はジージィを抱き上げて、珍しく笑顔を浮かべる。

 うん、平和だね。

 ともあれ、今日も平穏だ。

 俺は平穏な日は、後々の怖いことは考えないようにしている。だから俺は奴のことを忘れることにした。


 いいんだ。俺は、ここに癒されに来ているんだから。後のことは、知らないんだよ。

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