10.長屋暮らしの狂犬

 翌日は、実によい天気だった。太陽の光がさんさんと降り注ぎ、かといってそれほど暑くもなく、風が強くなくて砂埃も立っていない。稀に見る好天だ。

「いいお天気ねえ」

「え、あ、ああ、そうだね」

 しかし、シャーはそうラティーナから声をかけられるまで、天気がいいとか悪いとか、そんな些細なことに気を留める余裕は全くなかった。再び襲われないとも限らないから、シャーとしても、歩く道もかなり考えて選んでいたし、周囲の気配を探りながら進んでいるのだから、その辺に気を遣っていてそもそも余裕がなかった。しかし、シャーには、もうひとつ悩ましいことがあるのだった。

(あー、やべえ。どーすっかなあ)

 シャーは、先ほどから、彼なりに頭を悩ませていたのだった。

 昼からは例の酒場でゼダと一緒に弓を引く約束になっていた。ザハークも昼飯ついでに来てくれることになっているし、今日はそちらに行くことになっている。

 問題は午前中。

 ちらりと後ろを見ると、ラティーナがシャーについて歩いていた。

 この好天のもと、今日彼女を連れて会いに行く相手は、よりによって青天の似合わない男だった。

(どうしよう。……ラティーナちゃん、オッサンのこと忘れてくれてるかなあ)

 シャーはラティーナを守りつつ歩きながら、実際はかなり途方にくれていたのだった。

「今日、ジャッキールさんには簡単に事情をお話して、もしかしたら、助けてもらうことがあるかもしれないとお話してきたの。けれど、シャーが知っている色んな事情もあるでしょうし、詳しくシャーの口から説明してあげてくれないかしら。そうすれば、彼ももっと手助けしてくれると思うの。住所を教えるわね」

 昨日、ゼダやラティーナと夕飯を食べた帰り際、リーフィはそういったものだ。そのへんについては、シャーも望むところではある。どのみち、彼には会いに行くつもりだったし、大体、ジャッキールに問いただしたいことが山ほどあるのだ。

「でも、ジャッキールさんと彼女を会わせていないの。ジャッキールさんに協力してもらうなら、顔を知っておかないといけないし、一緒に連れて行ってあげて」

(困ったなー……)

 シャーは、ため息をついた。

 リーフィは知るまいが、彼女とジャッキールはすでに面識があるのだった。

 ラティーナが、かつてシャルル=ダ・フールを婚約者の仇として付け狙っていた時代、彼女はラゲイラという貴族のもとに身を寄せていた。ラゲイラこそが、第三王子であったザミル王子を推薦していた男であり、そして、シャルル=ダ・フール暗殺を企てる反体制派の一人でもあったのだ。

 そして、その時、ラゲイラが雇っていた傭兵こそがジャッキール。ジャッキールは、その才能をラゲイラに見出されていたらしく、客分としては異例な取り扱いを受けていた。私兵の隊長として君臨していた時の彼と、ラティーナは出会ったことがあるはずだったが、そのときの彼は、けして印象の良い男ではなかったはずだ。陰気な上、やたらと殺気立っていたし、どうみても冷酷非情にしかみえなかっただろう。

 今でこそ、シャーなどは、折に触れて彼をからかって遊んでいるけれど、あの頃の彼の印象のままなら、シャーだって関わりになりたくなかった。

 なので、話がややこしいのである。あの当時のジャッキールの印象しかないだろうラティーナに、今現在の状況をどう説明すればいいだろう。

 なぜ、自分の命を狙っていたジャッキールのことをダンナとか呼んで、どうして何かと頼りにしているのか。それどころか、リーフィにすら話していないこの暗殺未遂事件について、事細かに相談しているのか。経緯を説明するとかなり面倒だった。面倒だけで済めばいいのだが、ラティーナがそのことで不信感を抱いたら厄介だ。

(いや、でも、あの時のダンナって、確かかなり鬱陶しい長髪してたし、もっと暗くてやばい感じの人だったよね……)

 ふと、シャーは、当時の彼を思い浮かべた。

 定職についた安心感からだったのか、素性がばれるのを嫌ったのかしらないが、あの頃の彼は、今では考えられないが、髪を長く伸ばしており、あまり顔もはっきり見えていなかった。今では、短髪でこざっぱりしているし、戦闘時以外の彼は、どこか抜けていてぼんやりしているので、印象も違うだろう。

(そうか、気づかない可能性もあるよね)

 シャーは、そう考えてラティーナのほうをちらりと見た。変装の意味も込めて、ラティーナはリーフィに飾り付けられていた。リーフィから服を借りているせいもあって、いつもの活動的な服装ではないし、編みこんでいる髪の毛を下ろして、化粧して飾ってもらったせいか、いつもよりおしとやかに見える。

(うん、こっちも雰囲気違うし、あのダンナも気づかないかも。いやでも、あのヒト、妙に勘の鋭いオッサンだからなあ)

「どうしたの?」

「え、何? い、いや、なんでもないよ」

 ラティーナに尋ねられ、シャーは慌てた。

「い、いや、その、そうすると雰囲気違うんだね、ラティーナちゃんてさ」

 そういえば、外見に言及していなかった。一言ぐらいは言わないと悪いだろう。と、シャーはやや焦るが、ラティーナのほうは、さほど気にしていない様子だった。

「ありがとう。それなら嬉しいわ。リーフィさんにやってもらったのよ。今度、落ち着いたら、彼女とお買い物することになっているの。そういえば、シャー、この辺の道、詳しいんでしょう? よかったら、いいお店教えてよ」

「ああ、いいよ。そりゃもうどこだってご案内させていただきますよ」

 どうやら、リーフィとラティーナのほうは、うまいことやっているようだ。昨日、夕飯はシャーとゼダを含めて四人で食べたのだが、その時も、割りに和やかな様子であったし、その辺についてはシャーも安心していた。リーフィは自分からいさかいを起こすタイプの女の子ではないものの、気が弱いわけでもないし、ラティーナにいたってはあからさまに気が強くて、人の好き嫌いも激しい一面があった。

 二人ともシャーとは恋人関係はないわけではあるが、二人の女の間に挟まれる形になったシャーとしては、二人に対立してもらっては困るのだった。そういう事態になったら、針の筵である。

「そういえば、今日は、リーフィさんとシャーの共通のお知り合いのところに行くんだったわね。とても、頼りになる人だってリーフィさん言ってたわ」

「ま、まぁねえ」

 シャーは、適当にぼかす。リーフィが、ジャッキールの名を彼女に告げたかどうか、シャーは把握できていなかったが、ジャッキールという名前自体は、この地域でさほど珍しい名前というわけでもない。とりあえず、今のところ、彼女は何も気づいていないらしい。

 そんなことを話しているうちに、二人はいよいよ目的地に差し掛かってきていた。

「っと、この辺か」

 シャーは、一旦足を止めた。

 そこはリーフィの家からさほど離れていない住宅街の一角だ。裕福な人間が住んでいる場所ではないものの、スラム街ではなく、それなりに小奇麗な共同住宅が並んでいる。

 奥さん達が井戸端会議をしている横で、子供達が笑い声をあげながら遊んでいる、いかにも平和な光景がそこに広がっていた。

(こんなとこに、あのオッサンが住んでるのか?)

 どうにも、この日常的にすぎる風景は、あの男には平和すぎて似合わない。しかし、リーフィにきいた住所は間違いなくこの共同住宅の一軒だった。

「あ、ちょっといい?」

 シャーが声をかけたのは、その辺で遊んでいた十にもなるかならないかの少年だった。少年は、シャーのほうを振り向く。

「何? お兄ちゃん」

 シャーはしゃがみこんで話しかけてみる。

「ここで、黒い服をきてて、でっかい難しい顔したオジサンが住んでるってきいたんだけど、見かけたことある?」

「なんだ、お兄ちゃんたち、先生にあいに来たの?」

「先生?」

 思わぬ答えに、シャーは素っ頓狂な声を上げる。

「先生って?」

「おれ達に読み書き計算を教えてくれてるんだ」

「え、えぇと、そ、その先生って、青白い顔してて、眉間に皺寄ってたりする?」

 信じられないのでそう追加して聞いてみると、少年はうなずいた。

「そうだよ。お日様が苦手だっていって、昼間は引きこもっているから顔色悪いの。かあちゃんたちは、先生は、なかなかのオトコマエだって褒めてたけど、あんなに顔色悪いとだめだよね?」

(間違いない、ジャッキールだ! あのオッサンが、子供相手の塾講師とかマジか!)

 シャーは、やや信じられない思いだった。

「お、おうち、教えてくれる?」

「うん、いいよ。ついてきな!」

 少年は、そういうと、まっすぐに住宅の間の路地に向かった。シャーとラティーナがそのままついていくと、少年は、そのひとつの戸の前で立ち止まった。

「ここが先生んちだよ」

「おー、ありがとうな」

 シャーは、少年にお礼を言って、改めて扉の前に立った。

「ここが、そのお知り合いの家?」

 ラティーナが無邪気に尋ねてきた。

「ん、ま、知り合いっていうか、ぶっちゃけ腐れ縁だけどねえ。コイツとは」

 シャーは、ラティーナにそう答えて、ふとにんまり笑って声色を作った。

「こんにちは、先生。ご在宅でいらっしゃいますかー! ちょっと用事があるんですがー!」

 とんとんと扉を叩きつつ、そう呼ばわってみる。

 不意に扉の向こうでもそもそと何かが動く気配がある。いきなり扉ががちゃりと開いて、暗がりの向こうで声がした。

「何か?」

 聞き覚えのある声とともに、右手を翳して外の光をいとうようなそぶりをして男が現れた。

「へっへー、用がなきゃアンタなんか呼ばねーよ、センセイ」

 にんまりと笑ってそういうと、さすがに気づいたのか、暗がりの中で男が狼狽した。

「き、貴様、な、なぜ! ど、どうしてここがっ!」

「ふふん、リーフィちゃんにだけ居場所教えるとか、やることが冷たいねぇダンナ」

 シャーは、慌てて扉を閉めようとするジャッキールの先手を打って、足を扉に挟みこみ強引に中に入る。

「でも、まさか、先生とか慕われてるとは思わなかったなあ、ねえ、センセイ。こんなところでなにやってんのさあ?」

「あぁぁ、わかった! わかったから、中に入れ! 近所迷惑だ!」

 シャーが絡み始めたので、ジャッキールは慌てて扉の中に入るように急かした。多分、こういうところを近隣住民や教え子に見られたくないのだろう。

「へへー、そんじゃ、お言葉に甘えまして。ささ、ラティーナちゃんもどうぞ」

 シャーはラティーナを先に部屋の中に入れると、あとから自分が入って扉を閉めた。

 室内の暗さに目が慣れてくると、そこでは、ジャッキールが仏頂面でため息をついていた。

 今日は黒いチュニックと軽装ではあるが、その顔は間違いなくジャッキールである。普段の彼は、陰気というより、やや生気が抜けていてぼんやりとした印象が漂っていた。

 もとより、潔癖症と言っていいほど綺麗好きのジャッキールのこと、予想したとおり、室内は小奇麗に整えてある。狭い室内で、質素な家具が並んでいるが、ひっそりと寝台の近くに剣を立てる為の台が立ててあり、そこに何本も剣が立てかけてあるのだけが場違いなほど物騒だった。しかも、その剣がただのナマクラではないことは、表面や鞘の細工からでもわかる。彼の持っている所持品で、それだけが場違いに高価なのははっきりとわかるところだった。

「意外といい部屋住んでるじゃん。ホントーにつめてぇよなあ、ダンナも。オレのこと、可愛がってくれていると思ってたのに、黙ってこんなとこに巣を作ってさ」

「貴様に家を教えると、飲んだ帰りに宿がなくなったりすると、しょっちゅう来るだろう。ここでは、平穏に暮らしたいのだ」

「うあー、何その言い草。ちぇっ、オレのこと信用してくれてないよねえ」

 シャーは、つまらなさそうに舌打ちする。

「でも、今日は別に遊びにきたんじゃないんだぜ」

「昨日リーフィさんから俺も、少し聞いている。そこのお嬢さんが狙われた話だな。一応、昨日、昼間にリーフィさんの家周辺の警戒に当たっていたが、特に怪しいものはいなかったな」

「それについては、素直に感謝するよ。でも、それもあるんだけど、あんたには他にも訊きたいことがたーくさんあってね」

 とりあえず、サギッタリウスのことやその他色々。シャーが、やや拗ねたような表情をしたので、ジャッキールにもそのことはわかっているはずだ。

「それについては、時が来ればちゃんと話すつもりだった。そんな顔をすることもないだろう」

 ジャッキールはやれやれと言いたげな様子になった。

 そんな二人を代わる代わる見ながら、ラティーナは会話を聞いている。ジャッキールはその視線に気づいて、少し気を遣ったらしい。

「まあいい。立ち話もなんだ。こんなむさくるしいところだが、座ってくれ。茶ぐらい出してやる」

 と、そこまで言って、ふとジャッキールが、眉根を寄せた。その視線の先にはラティーナがいた。

「な、何か?」

 どきりとしてラティーナが、おそるおそる尋ねると、ジャッキールは、ふむとうなった。

「いや、お嬢さんとなんとなくどこかで会ったことがあるような気がして……。もしかして、俺にも面識のある……」

 何かに気づきそうなジャッキールに、慌てて視線の間にシャーが割ってはいる。

「き、気のせい気のせい! 初対面だから!!」

「そ、そうか?」

 ジャッキールは、それ以上食い下がらず、茶を入れてくるといって奥に引っ込んでいった。

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