5.変わらないのがいいところ

 部屋の中には、シャーの声がよく響いていた。

「なるほど。リーフィちゃんに捕まったんだ」

「え、ええ、最初は、貴方の近況をお聞きしてから帰ろうと思っていたのだけれどね。彼女に見惚れていたら、そのままお店の中に入ってしまって……」

 苦笑するラティーナに、シャーは茶で唇を湿しながら笑いかけた。

「仕方ないね。彼女は、あれで自分のペースに他人を巻き込むのがうまいから」

 当初は、気まずい空気が流れていた部屋ではあったが、しばらく差しさわりのない話題を柔らかく振っていると、ラティーナも流石に落ち着いてきた。もとより、場を和ますことには定評のあるシャーだった。さすがに今日は調子を崩してはいるものの、それでもどうにかここまでこぎつけたものだった。

 そして、それによって、シャー自身も、いつもの調子に戻りつつあった。まだ少し他人行儀な緊張が、双方に残ってはいるが、最初のころほどの気まずさはなくなっている。自分でもよくやったと思っていた。

(ああ、でも、一体誰が彼女を遣わせたんだろう)

 シャーは、ひっそりとため息をついた。

 ラティーナが、誰かに頼まれて自分の様子を探りに来たことは間違いない。

(やっぱり、カッファかな。こんな余計な気ィまわすの)

 ハダートからカッファには、彼の無事は伝わっているだろうが、何せシャーは、大人しくしている男でもないから、何かまたしでかさないかと彼らが心配しているのはわかっている。

 ハダートは、色々と忙しいだろうから、直接、シャーの様子を見に来ることはできないだろう。それは、他の将軍達にしてもそうだ。万一の謀反に備えての警備や、暗殺未遂の実行犯の捜索など、やることはたくさんある。

 しかし、シャーの顔をはっきり知っている人間は限られているから、部下に見に行って来いというわけにもいかない。シャー自身も警戒心の強いほうだから、本心を明らかにするはずもない。となると、シャーの顔をはっきりと知っていて、シャーと友好的で、そして、下町を歩いても怪しまれない人物となると、数が限られてくる。シャー、というより”シャルル=ダ・フールという男”が、素顔をはっきりと晒した上で付き合った人間が少なすぎるせいといわれればそれまでだが。

 そういう意味では、彼らが切ることのできるカードとしては、ラティーナは最良かもしれない。第一、別に王国の仕事に携わっているわけではないし、動きやすい。ただ、彼女が昔馴染みのシャーに会いに行ったというだけで、まわりが怪しむこともないだろう。

 とはいえ、それなら、リュネザードでもよさそうなものだが、敢えて彼女を派遣したのには意味があるかもしれない。

(即位する時に、オレは在位中は結婚しないって約束だったのに、カッファのヤツ、また周りにそそのかされたかな)

 シャーは、ひっそりとそう疑っていた。

 即位する条件として、彼は、慣例に背いて後宮を作らないことをあげていた。そして、病弱を理由にして、実際に作らなかった。しかし、周囲は、やはり彼に縁談を勧めてくるし、周囲にそそのかされたのか、カッファも身を固めればまともな生活をしてくれるのでないかと淡い期待を抱いているフシもあった。

 シャーとしては、まだ結婚するつもりなどないし、第一、そんなことをしたら、極貧だが楽しい庶民生活が送れなくなるので、断り続けていたのだが、周囲にそそのかされたカッファが何かと殿下もそろそろ、といいだしてくることもあった。

 彼は、シャーがラティーナにかつて恋愛感情を抱いていたことに気づいている。もちろん、その上で身を引いたことも知っているのだが、カッファは彼女がシャーの好みに合致していることを知っている。おまけに、彼女は貴族の出身だし、家柄をどうこういわれることもない。

 とはいえ、シャーとしては、非常に複雑ではあった。彼女には正体を知られてしまっていることもあるし、それ以前に、彼女が死んだ弟の婚約者だったのだ。彼の死がなければ、自分は即位することはなかった。

 シャーは、ひっそりともう一度ため息をついて、本題に入ることにした。

「今日、ラティーナちゃんがここにきてくれたのは、誰かに頼まれたからだよね」

 そう仕向けると、彼女は、ええ、と静かに答えた。

「オレの様子を見に来てくれたんでしょう? この間の事件の影響?」

「ええ。神殿でレビ様が襲われた事件、貴方もご存知でしょう?」

 シャーが静かにうなずくと、ラティーナは続けた。

「あの話を聞けば、貴方はいてもたってもいられないだろうし、何か無茶なことでもしていないのかと、皆、心配しているわ」

「はは、まあ、そうだろうな。オレ、信用ないだろうし」

 シャーは、軽くそう答えて、彼女のを方を見た。

「寧ろ、オレのほうからカッファに話を聞こうと思ってたところなんだけどね。心配するだろうとは思ってたし」

「アルシール様は、とても忙しくされていらっしゃるようだったわ」

「うん、そうだろうとは思っていたよ」

 シャーはうなずく。

「しかし、カッファのヤツ、いくら忙しいからって、ラティーナちゃんにオレの様子を伺いにいかせるとは思わなかったよ」

 そういうと、ラティーナは目をしばたかせた。

「それは違うわ。私をここにつかわせたのは、アルシール様ではないわよ」

「ええ?」

 目算が外れて、シャーはきょとんとした。

「そ、それじゃあ、誰?」

「レビ=ダミアス様よ」

 ラティーナは、こともなげに言う。

「レビ様が、貴方の様子が気になるとおっしゃられていて。レビ様は、外にあまりお出になれないし、誰かに貴方の様子を探らせるようなことをすると大事になってしまうと。それで、貴方を知っていて、レビ様と面識のある私に貴方の様子をみてくるようにとおおせられたの」

「ほ、ほほう、レ、レビ兄ちゃんがねえ」

 シャーは、しばらく驚きと呆れで固まっていたが、ようやくそう相槌を打った。

「な、なるほどね、兄上の仕業だったってことか」

 シャーは、口元を引きつらせて苦笑した。

 シャーは、レビ=ダミアスとラティーナの仲を取り持ったつもりだが、あの何を考えているのかわからない兄のこと、ラティーナと深い交際をしているわけではなさそうである。数少ない友人と一人として、親しくはしているようだったが、そこに友情以上の感情が絡んでいるのかどうかはわからない。

 しかも、レビ=ダミアスが、どこまで彼のラティーナへの気持ちに気づいていたかはわからない。頭は切れるほうではあるのだが、あの兄は変に鈍いところがある。

 ただ単に軽い気持ちで共通の知人である彼女に、自分の様子を見に行くようにいったのか、それとも、「そろそろ、シャルルも年頃だから」とかなんとかいいながら、無邪気に彼女を差し向けてきたのか、どちらだろう。

(兄上、そろそろ空気読んでほしい)

 シャーは、余計な冷や汗をぬぐいつつも、彼の仕業だとわかって妙に安心もしてしまっていた。色んなものが腑に落ちた感じだ。頭の後ろで手を組みながら、シャーは伸び上がった。

「兄上が狙われたんだから、寧ろ心配してるのはオレの方だったんだけどね」

「レビ様は、お怪我もされていないわ。人づてにきいたのだけれど、飛んできた矢を剣で落としたと。このところは、お体の調子も良いみたいで、貴方に自分は大丈夫だと伝えてほしいとおっしゃったの」

 それと、と、ラティーナは、続けた。

「サギッタリウスという男に気をつけるようにと、貴方に伝えてほしいと言付かったの」

「サギッタリウス?」

 シャーは、そうつぶやいて頭の後ろで組んでいた指をゆっくり外した。

 サギッタリウスとは、北西の国で射手座を指す言葉だ。ザファルバーンにもその文化は多分に影響を与えているので、それが射手座をあらわす言葉であることはシャーにも十分にわかっている。

 そしてその名を持つということは、弓矢の名手だということだろう。もしかしたら、それが今回の暗殺未遂事件に関わっているということだろうか。

「サギッタリウスか、あんまり聞いた事のない名前だけど」

「他国出身の傭兵だと、レビ様はおっしゃっていたわ」

「傭兵?」

 シャーは、片眉をひそめた。

「彼が雇われて、この事件に関わっている可能性があるのだということだけれど、あれから、王都の外にでた形跡もないそうなの。だとしたら、まだ都の中に潜んでいるということになるわ」

 ラティーナは、続けていった。

「サギッタリウスが、貴方の顔を知っているかどうかはわからないのだけれど、貴方に気づいているのだとしたら、とても危険だわ。宮殿の中も帰って危ないだろうけれど、外にいても注意を怠ることのないようにと、伝えてほしいとのことだったの」

「そ、そうか。サギッタリウス」

 シャーは、うなりながら腕を組んでいたが、ふと、彼女を見やって訊いた。

「あのさ、レビ兄ちゃんが、その情報誰から聞いたか知ってる?」

「あ、ええ、それについては、ハダート将軍から教えてもらったのだとか」

「へえ、ハダートねえ」

 シャーは、表向き平静をつくろったが、ひそやかに唇をゆがませていた。

(あのオヤジ……!)

 シャーは、ラティーナに隠れて舌打ちした。

 普段なら、さすが、情報通のハダート、よく調べたものだと舌を巻くところなのだが、今回に限っては、シャーは何となくその情報源の見当がついていた。

 弓矢の名手としてサギッタリウスの異名で知られている傭兵。そう、相手は傭兵なのだ。同じ地域で同業を営む人間なら、きっとその噂を聞いたことがあるはずだ。いや、もしかしたら、面識があるのかもしれない。

 なにせ、彼もそれなりに名前の売れた傭兵に違いないのだから。

(あのオッサン、知っててだまっていやがったな!)

 きっと、情報源はジャッキール。第一、あの日、ジャッキールはハダートと何度か接触しているはずだ。事件の直後にも会ったといっていた。だとすれば、情報の交換が行われたと考えたほうよい。

 しかし、ジャッキールのヤツは、なぜかシャーには、その名前はおろか存在すら告げなかった。事件当日については、シャーに気を遣ったといえばそれまでだが、そんな気の遣われ方をしたことが腹立たしいし、第一、落ち着いてからも会っている。その時にそれぐらいの話はしてくれてもよさそうなものだ。

(あんにゃろう……! ハダートに教えるぐらいなら、オレに教えてくれりゃいいじゃねえか!)

 シャーはひっそりと腹を立てつつ、腕を組みなおした。とにかく、今度会ったらジャッキールにはキッチリと事情を説明してもらおう。

「それはもう詰問してやるからな」

「え?」

 ボソリと口に出していたらしくて、ラティーナがそれを聞きとがめて怪訝そうに彼を見た。シャーはあわてて笑ってごまかす。

「い、いや、なんでもない。なんでもないんだ。こっちの話」

 ははは、と乾いた笑みを浮かべるシャーを見て、ラティーナはふと目を細めた。

「ふふ、でも、本当に懐かしいわ。お言葉に甘えて、少し失礼なことを言わせていただくのだけれど」

 不意に彼女がそう口にした。使いの勤めを果たして安心したのか、彼女の表情はどこかしらいたずらっぽかった。彼女は、シャーを見上げながらにこりと笑った。

「貴方、全然、変わってないわね。でたらめな生活ぶりも、そのいい加減な性格も。色々大変なこともあったでしょうけれど、貴方があんまり変わってないの、ちょっと安心しちゃった」

「え、あ、ま、まあね」

 ラティーナが、少しくだけた口調になり自分を見上げるものだから、シャーは思わずドキリとしてしまう。

「成長がないっていったらそれまでだけど、変わらないのがオレのいいとこでしょ?」

「そうね」

 ごまかすように笑いながらシャーが答えると、ラティーナはくすりと笑った。

「私、本当は貴方に会うのが怖かったの。きっと、前みたいに話はできないと思っていたし、リーフィさんに様子を聞いて、手紙でも預けて帰ろうかなって。けれど、彼女に引き止めてもらってよかったわ」

 ラティーナは、シャーを見上げた。

「だって、あっちじゃこんな風にお話できないものね」

「ん、まあね。オレも、あっちじゃ、流石にずっとこんな風にいられないからさ。オレは、こっちのが楽なんだけどね」

 シャーは、にこりとした。

 ラティーナは、寂しさを隠しながら言った。

「彼女、とてもいい方ね。綺麗でやさしくて」

「ん? そりゃあ、いいコだよ。やっぱり、伊達にココの看板ムスメはしてないよね。機転の利くコだし」

 シャーは、その言葉を取り立てて深く取らなかった。軽い気持ちで答えたものだった。

「ええ、本当に」

 ラティーナは、かすかに微笑んで立ち上がった。

「それじゃあ、私、そろそろ帰るわ」

「え? せっかくだから昼飯でも食ってけばいいのに。オレがおご……る、とは懐の問題でいえないけど」

 かっこよく言おうとして、思わず、財布にいつも以上に金が入っていないのを思い出して、シャーは言葉をにごらせる。

「んでも、ツケがきくし、誰かにおごってもらうからさあ」

 シャーがそう引き止めるが、ラティーナは首を振った。

「ううん、いいの。貴方も何かと忙しそうだし、私がいたら迷惑だわ」

「そ、そんなことないけど……」

 シャーは、そういってみるが、ラティーナの意思はかたそうだった。シャーは、右手で頬杖をついたまま言った。

「それじゃ、また来てよ。今度は、メシおごれるぐらいの貯金はしておくからさ」

「ええ、その時はお言葉に甘えるわ」

 ラティーナは、屈託なく微笑んだ。シャーもその笑顔を見て、内心ほっとしていた。

 元通り付き合えるわけではないけれど、不安なのはラティーナも同じだったようだ。ほんの少しわだかまりが解けた気がして、シャーはそのことに安堵を覚えていた。

「それじゃ、大通りまで送ってくよ」

 シャーは、そういって立ち上がった。

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