21.真夜中の礼拝-2

 金星の女神の神殿から東側に、別の神殿に付属している塔があった。比較的神官が少ない上に離れとなる塔のあたりは、夜間になれば人通りが全くなくなる。暗がりの中に不気味に聳えているものだった。その屋上は、平らで開けた空間になっており、昼間なら街が展望できる。

 サギッタリウスがそこにやってきた時には、すでに先客がいるようだった。

「やれやれようやく到着したか」

 サギッタリウスは、先客を確認する前に、そういってため息をついたものである。ここに来るまでに狭くて暗い路地裏を延々と案内されてしまったのだが、大柄の彼は狭いところがあまり好きでなかった。ようやく路地裏を抜けたと思ったら、次は神殿に付属している塔のひとつに案内されたのだが、その塔の中も狭く長々とした螺旋階段で、彼は本当にげんなりとしてしまったものだ。

 それなものだから、たどり着いた屋上が広々として満天の星が広がっているのを見ると、彼は解放感に無邪気な笑みを浮かべたものだった。

「サギッタリウスか。ずいぶんと遅かったな」

 解放感に浸っていると、そんな声が飛んでくる。サギッタリウスは、ようやく先客に目を向ける。暗がりに数人の人間が見えていたし、あらかじめその予想はしていた。協力者が何名かいることはきいてはいたのだ。

 ただ、その中の一人が、弓を手にしており、さらに自分に対してあからさまな敵意を向けてきていた。

「狭い道を延々と通るのは苦手でな」

 サギッタリウスは、正直にそう答える。

「窮屈で気分が沈んでしまったものだ。仕事の前だというのに、やる気が失せるな」

 相手の男が笑った気配がした。

「サギッタリウスともあろうものが、顔に似合わず、ずいぶんと繊細なんだな」

 サギッタリウスは、取り立ててそれに言い返さずに、にやりとした。

「さて、お手前は? どうやら、射手は俺だけではないらしい」

「私はエルナトという」

 ぽんとサギッタリウスは手をたたいて無邪気に言った。

「おお、聞いたことがあるぞ。ザファルバーン地方の傭兵の中の弓の名手のひとりだな。こんなところで会えるとは思わなかったがな。奇遇だな。うれしいぞ、会えて」

「さて、サギッタリウス一人に任せるのが不安だったということだろう?」

 エルナトは、挑発的に言ったが、サギッタリウスは別に腹も立てた様子もない。

「それは随分となめられたものだな。俺もお手前も」

 そうけろりとした様子で答える。

「俺かお手前かどちらかがいれば事足りる仕事だろうに」

 エルナトがむっとしたらしかったが、彼は平然としていた。

 そして、彼は屋上の端のほうまで歩いていく。ちょうど視線の先に荘厳な神殿がたっており、東西の方向に向け、少し大きめの天窓が存在した。あそこに祭られているのは愛と豊穣と戦闘を司る女神だという話だが、同時に金星の女神でもあるらしい。おそらく、金星がよく見える方向に窓を開けたのだろう。

 塔のほうが高い為、神殿を斜めに見下ろす形になる。天窓から、神殿の中央部が見えてはいるが、距離があるためか天窓自体が小さく見えていた。

 打ち合わせでは、天窓から見えた標的を射るようにといわれている。それを思い出してサギッタリウスは、唸った。

「ほほう、なかなか難しいな。距離もあるし、窓も小さい」

 そして、右手の人差し指をぺろりと舐めて指を立て、風を読む。

「風は、まあまあといったところか。もっと悪い状況でやるとおもっていたので、マシだが、ちと不安だな」

「おやおや、用意周到なことだ。サギッタリウスとあろうものが怖気づいたか?」

 エルナトの声に、サギッタリウスは笑いながら振り返る。

「ふふ、物事は困難なほうが燃えるというものだろう? 違うかな?」

 エルナトが、むっとした気配があった。

「へえ、それでは、あんたがしつこく付け回しているとかいうジャッキールとかいう男を殺すのも余程困難だったのか。かなりイカレた男だったときいているし、その割にはあっさり死んだともきいたが」

 意地悪にきかれてサギッタリウスは、苦笑する。

「ふっ、それはお手前が、奴のことをよく知らんということ」

 サギッタリウスは、目を伏せて苦く笑う。

「何?」

「まず、あの男は、ただ単に狂気にとりつかれているだけの男ではない。頭は悪くないし、それなりに勘も鋭い。普段のヤツはもっと冷静な男で、血迷っていても、時々その冷静さが顔を出す。あの男が厄介なのはな、際どいところで正気とのバランスをとっている所だ。だから、こちらからは、奴の行動が読めないのだ。これは、非常に困る」

 それに、と彼は付け加える。

「第一ヤツは死んでいない。そもそも、死神に見捨てられた男だ。簡単には死ねないのだ。だから、代わりに俺が殺す!」

 サギッタリウスは、にやりともせずにさも当然のように言い切る。そして、エルナトの反応を見ることなく、再び神殿のほうに目を戻した。神殿の入り口のほうは、松明に照らされて明るくなっている。警備の人間の数も増えており、そろそろ標的がやってくるのだろうということは、容易に予想できた。

「さて、そろそろ準備をせねばいかんな」

 そういってサギッタリウスは、どっかとその場に座り込んで弓をひざの上において、箙から矢を取り出した。なにやら矢の様子を確かめている彼を尻目に、いつの間にかエルナトが傍に歩み寄ってきていた。

 暗がりで顔もろくにわからなかったが、どうやら短髪で、サギッタリウスよりも年少のようだった。

「あんたには悪いが、先に位置を決めさせてもらう」

 エルナトは勝ち誇ったように言う。サギッタリウスは、苦笑気味になった。

「お好きなように」

 そうこたえると、彼は再び矢に目を戻す。指でそっと鏃をなぞり、サギッタリウスは、目を細めた。



 *



  周囲も自分もすでに混乱に陥っていた。

「最初から俺たちを殺すつもりだったのか?」

 ベリレルがそう叫ぶが、刺客たちは応えない。近くでだれかが斬られた気配があって、彼は反射的に身を引いた。そこをすかさず白刃が追いかけてくる。必死にかわしながら、ベリレルは退路を探っていた。

 当初から、危険な仕事だということはわかっていたつもりだった。どこかでこうなるかもしれないという、予感はしていたのかもしれない。

 昼間にムルジムを取り逃してからも、彼らはこの周辺を必死で探していた。ベリレルは、黒服の男に脅された直後は、一時そこを離れていたが、後で聞けばその黒衣の男とムルジムと思しき男が、見張りを蹴散らして袋小路から逃げ去ったという。

 しかし、逃げられました、の報告で済むはずがなかった。具体的に誰とも知らぬ雇い主は、ムルジムを捜せとの一点張りであるらしく、周辺をくまなく捜すようにと命じられたものだ。しかし、あの黒衣の男が傍にいるのなら、ムルジムがつかまることはないのかもしれないと、ベリレルは感じていた。

 もちろん、ムルジム本人も恐ろしい腕前をもった傭兵に違いなかったが、あの黒衣の男は、それとはまた違う危険な香りを漂わせていた。彼がムルジムを助けたのか、それとも殺す為に現れたのか、ベリレルにはまるで見当はつかなかったが、彼らを追いかけるのは危険すぎる気はしていた。

 もう彼らはどこかに逃げてしまっているに違いない。全員がそう感じて、誰ともなく捜索中止の声があがりそうな時だった。突然、暗闇から悲鳴が上がり、同時にきらりと白刃がひらめくのをみた。あわてて剣を抜いて応戦するが、相手はどうやら数が多いらしく、仲間たちがすぐに散り散りになっていった。

 一人ずつ切り離されては、この混乱した中では、どうにか自分に伸びてくる刃をはじくので精一杯だ。

「どうなってやがるんだ!」

 ベリレルは唸った。

 相手方の行動は、なめらかで俊敏だった。集団行動になれたこの様子からして、自分達のような烏合の衆ではないのだろう。

 不意にベリレルは背後に殺気を感じた。刃物の光が目に入り、慌てて後ろを向く。一撃目をかわし、慌てて剣を引き反撃しようとしたが、相手はそれを許してはくれそうにない。ひとまず、とびずさって逃げようとしたところを、刺客が深く追ってくる。

「おっと、そうはいかねえぜ!」

 不意に声が割って入ってきて、ベリレルに追いすがってきた刺客の身体が沈んだ。その背後に人影があり、刺客の首を後ろから絞める形でつかまえていた。もがく刺客の後頭部に刀の柄で一発くれてやると、気絶したらしく、大人しくなり、地面に伏した。残されたのは、その刺客の首を絞めた男だ。

 長身で痩せた男だ。まだ若いが、眼光が鋭い。ちらりと光が入れば、男の目がさっと青みがかってみえる気がする。

「てめえは……」

 ベリレルは、はっとした。男の正体に気づいたが、何故彼がここにいるのかよくわからなかった。彼が自分の味方をするはずがない。

「お前さ」

 男がなにか口を開きかけたようだった。しかし、彼は何を察知したのか、それをやめてすぐに身を翻す。みれば、別の刺客が彼に襲いかかっていた。男は、手にこともなげにぶら下げていた剣を、すぐに構えの形にして刺客のの剣を弾いた。

 その場は乱戦の様相を呈している。ベリレルは、一瞬、その空気にのまれてぼんやりとしてしまった。

「なに、ぼさっとしてやがる! 逃げられるんなら、早く逃げろよ!」

 いきなり声をかけられて、袖を乱暴に引かれた。それは、先ほどの男とは別の男で、その男にも彼は見覚えがあった。割りに小柄で、少し洒落た服装をした男だった。

「あ、あんた……」

「俺達のことはどうでもいいんだよ! はええとこずらからねえと、こいつら、ちとやばい相手だぜ」

 ゼダは、舌打ちするとベリレルをせかして駆け出した。自分が先導する形をとり、あの男の傍を通りすがる。

「おい、三白眼、それぐらいにして早く逃げるぜ!」

「おう、先に行け!」

 シャーはゼダにそう答え、ひとしきり相手をする。

 シャーも、この相手の刺客たちが厄介な相手であることは悟っていた。

(こいつら、……ただのごろつきじゃない)

 多分、暗殺者として十分訓練されたものたちだ。正規の兵士なのか、それとも裏の稼業の人間なのかはわからないが、どちらにしろ、ベリレルたちを殺すために仕向けられたものたちだった。

(間違いない。あの女、母上サッピアの仕業だ)

 シャーは、思わず舌打ちした。ことあるごとにあの女には苦しめられてきた。しかし、それだけに相手のやり方はよくわかる。やはり、ムルジムは、サッピアに雇われていた男だったとみていい。しかし、何らかの事情で仕事から降り、口封じのためにベリレルたちに追わせたのだろう。だが、ベリレルたちを始末しようとしているということは、ムルジムを捕まえる必要がなくなったのか、すでにつかまったのか、それとも彼がどこかに保護されたのか。それはわからないが、多分、ムルジムという男を捜していたという痕跡を消すために、彼らを一掃しようとしたのではないだろうか。

 それとも、裏でもっと大きな動きがあるのかもしれない。どちらにしろぞっとしない話だ。

「おい、三白眼! こっちだ! 早く来い!」

 刺客の剣を切り返し、相手を押しのけた時、ゼダの声が聞こえた。みれば、ゼダはかなり先まで走っていて、近くの男を殴り飛ばして道を開いたところだった。

「よし!」

 シャーは身を翻し、刺客に背を向けて駆け出した。



  先頭を走るゼダを追いかけるように、シャーは暗い道を走っていた。ベリレルも傍についてきているようだったが、後ろに何者かが追ってくる気配も感じていた。

 シャーにも、まだこの事態について頭の整理がうまくできていない。

 ただ、ベリレルたちを抹殺すべく行動している黒服の男たちは、彼らが想定していた街のゴロツキとはまるで別種だ。統率された動きは、訓練されたもののそれである。そのことからも、よく知ったあの女の仕業だろうという目星はついていたが、だからといって作戦の裏にどんな事情があるのかはわからなかった。

 ただ、今は、こうなった以上、どうにかベリレルを逃がし、自分達もうまく逃げ延びなければならない。

「おい、なんなんだよ、あいつらはよ?」

 ゼダに追いついたところで、彼が声をかけてきた。

「どう考えても普通じゃねえよ、あいつら。一体何者なんだよ」

「オレに聞かれてもしらねえよ」

 シャーは、ぶっきらぼうに答える。ちらりと背後を見ると、暗闇の中に人影が見えている。まだ追いかけてきているのだ。

「思ったよりしつこいな」

「そりゃそうだ。一人も逃がすつもりはないんだろうよ」

 シャーの返答を聞いて、ゼダは、ちらりと自分とシャーの間にいるベリレルを見た。

「こいつぁ、どうもいけねえな。時間稼ぎしてるうちに先に逃がしちまうか?」

「その方がいいけど、ちゃんと逃げられる場所でやらねえと、オレたちがキツイぜ」

 シャーは、眉根をひそめた。

「さすがにあいつらにまとめてかかってこられると不利だ。うまいこと巻いて逃げられるようにしとかねえと」

「おう、その辺は心得てるぜ」

 で、と、ようやくゼダは、斜め後ろを釈然としない顔で走っているベリレルに声をかけた。

「おい、お前! 話きいてたろ! 手伝ってやるから、ここまっすぐ走って逃げな!」

「な、なに……」

「ゆっくり説明してる時間は、ねえんだよ! 俺達が時間稼ぎしてやるから、王都から落ちろって言ってんだ!」

 戸惑うベリレルに、シャーが口を挟む。

「あいつら普通じゃねえし、都じゃ危ない。都落ちしてしばらくなりを潜めてな!」

 ベリレルは、きょとんとした顔になった。何故助けてくれるのかといわんばかりだったが、シャーはもう取り合う様子もない。それより、後ろから迫ってくる足音が気になっているようだった。

「やばいな。意外と足が速いでやんの」

 シャーは、苦笑した。

「おい、ネズミ、ここで一旦叩いておくから、先にいきな!」

 シャーは、そう言い放つと、再び剣を抜いて身を翻した。ざっと砂を摩擦する音が立ち、彼の気配が遠ざかる。

「おう、気をつけろよな!」

 ゼダは、そう答えると、背後ですでに金属のぶつかり合う音が響いているのを聞きながら、ベリレルに向けてついてこいとばかり顎をしゃくった。

「い、一体、お前ら……なんで……?」

 ベリレルがそう声をかけてきたが、ゼダは無視して走り続ける。幸い前方に回りこまれてはいないようで、刺客の影は感じられなかった。

「このまま、ここまっすぐいったところで、オレの手下とミシェが待ってる」

 はっと、ベリレルが顔を上げた。

「おめえには、そこまで走りぬいてもらうぜ」

「ミシェが? な、何で?」

「何でじゃねえよ? さっき、三白眼が言ってたろ? しばらく都落ちしろっていってんだよ、ミシェとな」

 ゼダは、いらだったような口調になった。

「あのなあ、おめえが危ねえことするんで、あいつが迷惑してたことは、おめえもわかってるだろうな? オレも他人のことを言えた生活してねえが、あいつと色々話しきいてたら、本当に不憫でよ。お前みたいなダメ男の為に、命かけてくれるなんて、あんないい娘そうそういないぜ。あんな話聞かされちゃあ、オレも何もしねえわけにはいかねえのさ」

 ゼダは、やや吐き捨てるようにいいつつ補足する。

「テメエを逃がすのはオレも三白眼も癪なんだが、ここで死なれると、ミシェに義理立てした手前困るんでね」

 ゼダは、ちらりとベリレルをにらみつけた。

「しょうがねえから、今日は助けてやるが、今度こそ迷惑かけるんじゃねえぞ! 何かあったらただじゃおかねえからな!」

 二人の目の前に三叉路が見えていた。この周辺の路地は、複雑に入り組んでいるが、道に迷わなければ大通りにするりと抜けることもできた。どうやら刺客に先回りされていることもなさそうだ。

「そこで分かれるぜ! まっすぐ行きな!」

 ゼダがそう言って剣を抜き、そこで立ち止まった。

「あ、ああ、すまねえ」

ベリレルは、礼を述べてそのまま走り抜ける。

 ゼダは、ベリレルを見送った後、そのまま来た道を引き返す。暗闇の中で何か見えるのは、どうやら足止め中のシャーのようだった。

「おい、そろそろ時間だぜ!」

 ゼダは、シャーを援護して剣を振るった。思わぬ助太刀に刺客が面食らった様子で後退する。そのスキに二人は再び走り出した。

「あいつは?」

 シャーが、息を切らしながら尋ねて来た。

「まっすぐ行かせた。どうやら先回りはされてねーみたいだしな」

「そうか。まったく世話ァ焼かせやがるぜ」

「全くよ。だがオレもなかなか気が利くだろ?」

 ゼダが隣でにやりとした。

「何がだよ?」

「お前、あいつと口きくの嫌そうだったから、俺が代弁しといてやったんだよ。リーフィのことには、ふれてねえから安心しなって。お前も、やだろ? あいつがリーフィが自分のこと気にしてるなんて、うぬぼれるのさあ」

 にやにやしながらそういうゼダに、シャーは眉根をひそめて口を尖らせる。

「何いってやがる。オレは別に……」

「別にって面かよ? あんまり顔もあわせたくないんだろうなーと思って、先に行かせたのよ。おめえも、面の割りには繊細なトコあるみてえだし、本当にオレって気の利く男よな?」

「な、何が……。自画自賛も大概にしとけよな」

 シャーは、やや動揺しつつも、あきれた表情を作った。

「ま、それはともかく、あの辺に三叉路がある。うまいことあそこで巻こうぜ」

 ゼダは、勝ち誇った様子でそう話を変えた。

「チッ、ネズミ野郎」

 シャーは、つまらなさそうにそう吐き捨てた。




 *


 礼拝の為の行列は、すでに神殿に到着していた。

 レビが姿を現す場所には、人目を遮る為に布が張られている。王といえど、礼拝の為に、門の内側の中庭で輿から下りなければならない。

 中庭から神殿へと張られた布の区画のなかで、レビ=ダミアスは、輿から下りて地面を踏んだ。

「しかし、随分と厳重な警備だな」

 夜の冷たい空気に目を細めつつ、改めてのんびりとそう呟くレビだった。この青年は、生まれながらの貴人なせいか、どこか浮世離れしている。どんな場面でもおっとりしてて、まるで緊張感を感じさせない。落ち着いているのは結構なことなのだが、あまりにのんびりしているので、周囲のものが不安になるほどである。

「なにやら不穏な考えのものがいるとの情報がありますからな。これぐらいは必要です」

「ふむ、しかし、こんな夜遅くまでとは、付き合わせてしまった兵士が気の毒だ。後でなにか労ってやらねばな」

(そう思うなら、今日の礼拝を取りやめてくれればよかったのに)

 思わずカッファはそんなことを口に出しそうになってしまう。

 レビは、というと、久しぶりに地面を踏んだのが楽しいのか、あちらこちらをゆるりと見渡しつつ、どことなく上機嫌だ。

「しかし、いつ見ても荘厳な建物だな」

「ええ、こちらの女神様は、非常に強い力を持つお方であらせられますし、我が王家ともつながりが深いのですよ。何か大きなことがあると、西の砂漠にある女神様の神殿に巡礼を行うこともあるほどです」

「ああ、聞いている。体が弱い私には、そのような長旅は辛いので、なかなかいけないのだが……」

 ああ、そうだ、と、レビは、にっこりとカッファに笑いかける。

「そういえば、彼も王位に着く前にご挨拶に行ったんだったかな?」

「あ、ああ、いや、あれは、そういうことではなかったので……」

 カッファは、少し口ごもり、ため息をつく。

 レビ=ダミアスは、当時の彼のことをよく知らない。今でも随分不真面目な男だが、あの時はかなり荒れていて、レビにあわせることもできなかったし、彼自身も会うつもりもなかっただろう。

 レビは、そんなカッファのため息の理由も知らない。ただ、何を思ったのか、率直にこう尋ねて来た。

「でも、珍しいな。カッファのようなお堅い人間が、彼女のような女神を篤く崇拝しているとは」

「は? いえ、しかし……」

「カッファが、個人的に供物をささげていることは聞いているよ」

「それは、我が王家ともつながりの深い女神であらせられますからな」

「彼女は、金星の女神であり、豊穣の女神であり、戦争の女神でもある。けれど、同時に愛をつかさどる女神でもあって、そのことから、彼女が遊里の楼閣のものたちに崇拝されていることも、カッファは知っているだろう。カッファの性格なら、そのことで毛嫌いしてもおかしくないのだけれど。カッファは、遊里のお祭りの時にも寄付金を出しているだろう?」

 くす、と笑うレビに、カッファは、少し困惑気味になった。

「い、いや、私はそのような……。た、ただ……、あの女神様には、実に世話になったことがございましてな。そのことから、毎年、心ばかりの品を奉納しているだけで……」

「そうなんだね。カッファにも意外な一面があるんだな」

 くすくすと笑い、レビは、やや慌てた様子のカッファを後ろに歩き出した。

「さて、それでは、兵士達をあまり待たせるのもかわいそうだ。滞りなく礼拝を済ませよう」

 彼は、そういって服装をつくろった。王には帯刀が認められているため、そこで剣を身に着ける。

 すでに門の前には司祭達が、彼を見迎えるために待っている。すでに門の前には司祭達が、彼を見迎えるために待っている。彼は、司祭達に会釈し、門の中に入った。

 門を抜けるとすぐに祭壇のある間が現れた。中は、ろうそくの明かりで昼間のように明るく、石畳の上に青い絨毯が敷かれていた。

 祭壇の周囲に王家のタペストリーがかけられており、その中には現在の王であるシャルル=ダ・フールを示す剣と孔雀の羽が描かれた青いものが見受けられた。そして、東西に向けて金星が見えるように大きなまるい天窓が開けられていた。

 レビは、その参道をまっすぐに歩きつつ、不意に天窓の方に目を向けた。彼はそこで、何か小さな火がきらめくのをみたようだった。


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