10.その感情、鉛の如く―2


酒場で寝ている間にそれなりの時間が経ったのだろう。なんとなく、街中をぶらついてから、シャーがゼダの別宅にたどり着いた時には、ちょうど太陽が高くのぼったころだった。温度が上がってさすがに暑くなってきたのを鬱陶しく思いながら、シャーが帰ってきたところで、玄関先に色んなものが干してあるのが見えた。

(あのおっさん、まだ頑張ってるのかよ)

 シャーは、呆れつつ、軒をくぐって家の中に入った。

「おっ、なんだ。遅かったな」

 声をかけてきたのは、玄関を入ってすぐの部屋でくつろいでいたゼダである。どうもあのままゆっくり寝たらしく、シャーと違って睡眠不足そうな気配はなかった。

 ゼダは、右手にさいころを持ってなにやら一人で遊んでいたらしかったが、シャーの姿をみとめると立ち上がった。

「オッサンがうるさいからさあ。お前こそよく寝られたな」

「まあなあ」

 ゼダは、何でもなさそうにいって立ち上がる。

「ま、家を綺麗にしてくれるのはいいことなんだけどよ。なんだ、あのダンナ、なんだか色々変だな」

「ああ。前から変な奴だなーと思ってたけど、ここまでおかしいとは」

 率直に意見を述べるゼダに、シャーは深く頷く。

「アレ? で、ダンナは、掃除終わったの?」

「掃除は終わったらしいが……、やっぱりおかしいよな?」

「はい? まだ何かあるのかよ?」

 ゼダが、なにやら奇妙な顔をしているので、シャーは不審そうに眉をひそめた。

 その時、向こうの方から足音が聞こえた。

「なんだ。遅かったな。どこまで行っていたのだ?」

 そういって現れたジャッキールは、頭に三角巾を巻いて、前掛けをかけ、片手に玉杓子を持っていた。

 いきなりその姿が目に飛び込んでくるのは、なかなか衝撃がある。シャーは、ふきだしていいのか、脱力したほうがいいのかわからなくなり、一瞬、固まってしまった。

「ちょ、ちょっと、おっさん、あのなあ」

「昼飯を作ってやるといっていただろう。ちょうどいい具合に出来るころだ。しばし待て」

 ジャッキールは、自信でもあるのか、にやりとする。

「ええ? あんたが飯作ったの? いや、作ってくれるとはいってたけどさあ」

「何を言う。飯ぐらい一人で作れなくてどうする」

「まあ、そりゃあ、そうですけれども」

 シャーは畳み掛けられて思わず唸る。そんなシャーをもう見てもいないのか、もう少し待て、と言い残して、ジャッキールは、上機嫌に厨房に戻っていった。

 あっけに取られているシャーを横目に、ゼダがぼそりと言った。

「な、いきなり目に飛び込んでくるとなかなか来るだろう」

「うーん、本当、意味のわからん。昨日は酒飲んで暴れるし、朝は元気に掃除してるし、料理つくって嬉しそうにしてるし」

「お前のほうがオレより付き合い長いんだろ?」

「残念ながらそうなんだが、……オレもあのオッサンの普段の姿を見るのは初めてだからなあ」

 シャーは、頭が痛くなってきて軽く首を振った。

 程なくして呼ばれた二人は、意外と丁寧に料理が盛り付けられているのを、やはり釈然としない顔で見ていた。朝から買い物でも行ってきたのか、ゼダの別宅にはそれほど食材がなかったはずであるが、卵料理やら野菜やら汁物やらがきっちりと調理されて並んでいる。

 ジャッキールはというと、いかにも満足げな顔で正面に座っていた。いかにも、さあ、食え! といわんばかりの顔だが、この状況ではかえって食べづらい。

「どうした。食わないのか?」

「い、いや、いただきますよ」

 ジャッキールが、不服なのか、と言いたげに眉をひそめるので、シャーは慌てて答えた。

(なんで、こんな所で変な気をつかわなくちゃいけないのかねえ)

 やれやれと思いながら、シャーはさじを取って一口食べてみた。そして、一通り咀嚼すると、疑いの目でジャッキールの方を眺める。

「なんだ。口に合わなかったか?」

 ジャッキールは不安になったのか、心配そうなそぶりを見せる。

「んにゃ、別に」

 シャーは、不審そうに続けた。

「な、なんか、普通に美味いんだけどさあ」

「それならよかったが……」

 シャーは、横目にジャッキールを見た。

「ダンナ、マジで中の人入れ替わってない? 実は、ジャッキールじゃないんじゃないの?」

「何を変なことを」

「だって、行動がおかしいもん」

「何を言う。俺は昔からこうだ。お前らが俺の行動を知らなかっただけだろう」

 そういわれればそうなので、シャーは、ため息をついた。

「ダンナさあ、もう人斬り稼業やめて家政婦に転向したらどうよ? その方が儲かるんじゃないの?」

 そういいながら、ふと、シャーはあることを思い出して手を打った。

「あ、そーだ! すっかり忘れてたぜ」

「何だ。いきなり騒々しい」

 シャーは、立ち上がった。

「昨日は、ぐでんぐでんだったし、朝はうざかったからききそびれてたけど、あの話どうなったのよ?」

「ん? 何だ?」

 シャーは、ジャッキールを指差しつつ聞いた。

「昨日の話だよ? 昨日、酒場でなんか情報きいてたじゃん。酒場の亭主から情報仕入れてくれるっていってたでしょ? あの話をききたいの」

「あ、そういや、聞きそびれてたな」

 ゼダが頷く。

「あ、ああ、ムルジムの件、だったかな?」

 ジャッキールのもともとよくない顔色がさらに悪くなる。

「まさか、忘れたのかよ!」

 ゼダが、ばっと立ち上がる。

「い、いやっ、そ、そんなことは、ない。そんなことはない、ぞ」

 ジャッキールの声が、やや上ずる。動揺しているのは明らかだ。

「ちょっと、本当に忘れちゃったんじゃないでしょうね! 昨日あんだけ苦労したんだから!」

「あ、いや、待て」

 シャーの剣幕に、ジャッキールは、焦ったように首を振った。

「ま、待て。覚えていることは、覚えているのだが、その、なんだ。情報の整理がつかないというか、だな」

 ごほん、とジャッキールは、咳払いをする。

「あの話は、少し込み入っていてだな。情報が錯綜していて、……すこし、自分の中で整理をする必要があるのだ」

「ホントぉ? 単に忘れただけじゃないの? 昨日の記憶もないんだし」

 じっとりと二人に横目でにらまれて、ジャッキールは慌てる。

「嘘ではない! ただ、その、一つ確かめたいことがあってな」

「確かめたいことってなにさ」

「うむ」

 ジャッキールは、ふうと息をついて一応の平静を装ってから言った。

「そう、昨日、あの酒場にもいた男がいただろう。貴様らが俺に話を聞いて来いといったあの男だ」

「あ、ああ、あいつね」

 シャーは、内心ドキリとしたが、そのことに気づかれないようにした。

「ちょっとそのことで確認したいことがあってな。二日ほど時間をくれ」

「そりゃあいいけどさ。なるべく急いだ方が」

「急ぐ。急いで調べるが、あまり急いでは相手に悟られるからな」

「ったく、しょうがねえな。わかったよ」

 ジャッキールは、もっともらしいことをいっていたが、シャーにはどうもジャッキールがごまかしているような気がしてならなかった。とはいえ、ジャッキールが重要な情報を持っているのは間違いないので、シャーは従うことにする。

「そういえば、リーフィさんはどうしている?」

 不意にジャッキールが、そんな話題を振ってきたので、シャーは再びドキリとした。

「え、いや、その今日は会ってないんだけど」

「そうか。いや、普段何かと世話になっているので、今夜、店が終わってから食事などどうかと思ってな。実は、昼飯用に買い物をしてみたら、仕入れすぎてしまってだな。ネズミにきくと、今日は予定があるというし、俺と貴様だけではどう考えても残りそうだし」

 そういってゼダに視線を振ると、ゼダが残念そうに首を振った。

「リーフィが来るなら変更してえのもやまやまだが、一応女との約束だからねえ」

「また女の子のとこかよ。遊び人は忙しいな」

 シャーが皮肉をいうのを流して、ジャッキールが続ける。

「ということで、リーフィさんを呼んできてほしいのだが」

「え?」 

 いきなり言われてシャーが素っ頓狂な声を上げる。

「え、オレがリーフィちゃんを呼んでくるの?」

「何だ不服か?」

「しょっちゅう、リーフィのところに足を向けてるくせに、いまさら何いってんだい?」

 ゼダに突っ込まれて、シャーは、いや別に、と小声でいい、慌てて明るく振舞った。

「そりゃあ、いい話だねえ。リーフィちゃんを誘い出す口実ができたってもんだから。いやあ、楽しみだなあ」

 その様子を静かに見ていたジャッキールが、すっと切り出す。

「何か会いたくない理由でもあるのか?」

 いきなりジャッキールにそう訊かれて、シャーは慌てて首を振った。

「べ、別に。そんな理由なんかあるわけないじゃないか」

「それならいいのだが」

 ジャッキールはそう答えながら、シャーの顔から視線をはずした。

 シャーは、気取られないようにため息をつきつつ、先ほどのリーフィの手にあった白い花を思い出していた。



 *




 日がくれたころ、シャーは、酒場を目指して歩いていた。もう少し遅くても良かったが、何かと張り切るジャッキールが鬱陶しいので、早く出てきたほうがちょうど良かったのである。

 シャーが、いつものとおりに酒場の扉を開けて中に入ろうとしたとき、先に誰かが中から扉を開けた。

「おおおっっと!」

「きゃああっ!」

 慌ててシャーは、扉と衝突するのを避けるが、扉を開けた女の子の方がかなり驚いたようだ。

「あんらぁ、サミーちゃん。こんばんは」

 シャーは例の調子で声をかける。

「なあんだ、あんたなの。驚かせないでよ」

 リーフィはシャーには優しいのだが、基本的にリーフィのいる店でも他の女の子はシャーにはそんなに優しくない。鬱陶しそうに顔をしかめたサミーに、シャーは慌てて愛想笑いをする。特にサミーは店でも最年少で、強気な彼女は何かとシャーを侮っていた。

「そんな顔することないじゃん。冷たいねえ。大体わざとじゃないんだよ」

 シャーは、誤魔化すようにそういいながら、店の中を覗き込む。

「あのさ、リーフィちゃんいないの?」

「リーフィ姐さんは、今日は帰ったわよ」

「ええ? マジで?」

 思わぬ返事にシャーは、前のめりになりつつ聞いた。

「どうしてさあ? どっか悪いの?」

「そんなことないと思うけど」

 シャーにやや気おされて、サミーは答える。

「朝早くから来てたし、なんか用事があったからじゃないかしら」

「用事って、何か話してなかった?」

 ええっと、といいかけて、サミーは、はっと我にかえる。

「ちょっと、いいじゃない。姐さんには姐さんの事情があんの!」

「ん、んん、まあ、そうなんだけど」

 サミーに強気に出られて、シャーは思わず後ずさる。

「わ、わかったよ。ありがとう」

 シャーは、とりあえず礼を述べると引き下がることにした。とにかく、リーフィは家に帰っているらしい。それはそれで、ちょうどいい。仕事中に連れ出すわけにはいかないので、仕事が終わるのを待っていなければならない。終わっているというなら、話をしてつれてくればいいだけの話だ。

 リーフィの家は、酒場からそう遠くない。シャーはぶらぶらとリーフィの家に向かった。

 そうわかっていながら、何故かシャーは、不穏な気配を感じていた。いや、不穏なのは気配ではないのだ。シャーの心につっかえた鉛の塊のようなものが、じわじわと重くのしかかってくる感じがする。

 それを打ち消す為に、シャーは、わざと明るく物事を考えることにした。

「それにしても、あのダンナが普段ああだとはねえ。リーフィちゃんを前にからかいがいがあるよな」

 さて、どうやってからかおうか。リーフィに、その様子をどうやって知らせようか。色々考えると、楽しい事は尽きない。何せ、ネタがネタだけに、色んな料理法がある。

 そうしたことを考えていると、いつの間にかリーフィの家のまで歩いてきていた。

「リーフィちゃ……」

 扉の前に行くまでに、外から声をかけようとしたとき、ふいに彼は足を止めたのだった。

 扉の前に誰かいる。リーフィの部屋から漏れる光で、相手の顔がちらりと見えた。

「お前……」

 シャーは、ぽつりと言った。はっと相手が身構えてこちらを見る。

「あんたは……」

「な、何しに来たんだ! ここに!」

 シャーは、反射的に剣の柄に手をかけていた。

「俺は、別に……」

 いつの間にか、鞘走らせていたらしく、シャーは白刃を掲げながら相手に挑みかかるように睨み付けた。

「お前は、ここに来ていい人間じゃねえんだ! どうして……」

 シャーは詰め寄るが、突然、相手が身を翻して駆け出した。シャーは、後を追いかける。

 と、その時、暗闇から飛び出した影があった。反射的に身をかわしたが、右手に軽い衝撃があった。少し遅れて痛みが走ったが、大した傷ではなさそうなのを感覚的に知り、シャーは剣を抜きながら相手を払いのけた。相手が倒れた気配があって、シャーは追撃しようとしたが、不意にきゃあっという甲高い悲鳴が上がったのを聞いて、思わず手を止めた。

 シャーの目の前に、娘がへたり込んでいた。が、その目は、シャーを炎のような視線でにらみつけていた。思わずそれに気おされて、シャーは、ポツリと呟く。

「あんた、ミシェっていう……」

「やっぱり、あんたも、あいつを殺すつもりなんでしょう?」

 少し涙声で震えていたが、彼女の声ははっきりと通った。その手には、短剣が窓から漏れるともし火にちらちらと輝いていた。

「まだ気になって、あの酒場の前を通りすがったら、あんたを見かけたのよ。そうしたら、あのひとのところにいくから……」

「オレを酒場からつけてきてたのかい?」

 シャーは、苛立って歯噛みをした。ミシェは、きっとシャーをにらみ上げた。

「あんたのことは、最初からなんだかおかしいと思っていたの。もしかしたらあいつのことを知っているのではないかって……! ……あんたが、あいつを快く思っていないことも、なんとなくわかっていたのよ! さっきだってあんたは、何かあれば、あいつを殺すつもりだったわ!」

「ふん、借金取りに追われてる奴さ。オレじゃなくても、大概の恨みは買ってるさ。この間だって、たちの悪い連中が、あんたに話しかけてたじゃないか」

 シャーが、そういうとミシェは彼から目をそらさずに答える。

「けれど、あんたは他の人と違う。なんだかこわい。恐いわ」

 シャーは、一瞬ドキリとしたように表情を引きつらせた。

「こ、こわい、だって?」

 シャーは、ひく、と片眉を動かした。シャーの目つきが変わったのを見て取ったのか、ミシェは、思わず身を引いた。

「オ、オレは、別に……」

 シャーが何か言い募ろうとした時、扉の向こうでばたばたと音が聞こえた。

「どうしたの? 誰かいるの?」

 リーフィの声だった。

「もしかしてシャー?」

 その声を聞いた途端、ミシェは慌てて立ち上がって闇の中に駆け出した。

「あ、待て!」

 シャーが声をかけた時、扉が開いてリーフィが現れた。

「シャー、待って」

 リーフィは、彼女にしてはやや慌ててシャーを止めた。リーフィの制止で、行動を止めたシャーは、駆け寄ってきた彼女を見て口ごもる。

「で、でも、あのコは……」

「ええ。わかっているわ。いいの。ほうっておいてあげて」

「で、でも」

 扉から漏れ来る光で、シャーの右の袖が黒く濡れている。それに気づいたリーフィが、シャーを見上げた。

「シャー、血が出てるわ。あのコにやられたの?」

「こ、こんなの、たいしたことないよ」

 急にシャーは、居辛くなってこの場から逃げ出したくなったが、すでにリーフィは彼の袖をつかんでいた。

「いけないわ。中に入って。手当てしてあげる」

 リーフィは、シャーの手を引っ張って室内に彼を案内した。



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